序章:トリックスター登場(露木 真詐)
僕には名前なんてものは意味がない。
しかし、便宜上「露木 真詐」と名乗っている。
露木とは両親の姓である。
こんな僕にも親がいたのだから驚きだが、彼らはムー大陸からの脱走者だった。
彼ら、つまり僕の両親は、今からだいたい40年前、ムー大陸の首都、アトランティスで一つのアーティファクトを盗み出す。
"マアトの羽"
逃げ出した先は日本という島国で、彼らは自身の子供(つまり僕だが)を
産まれてすぐマアトの羽の実験台として利用する。
マアトの羽の儀式は古代エジプトに伝承が残っている。
死者の審判において死者の過去の罪を裁くとされ、天秤の片方に死者の心臓、もう片方にマアトの羽根を載せる。
天秤は悪行を測る神器であり、
過去に悪行を犯した心臓が天秤に乗ると、マアトの羽より重くなる。
その場合アメミットという怪物が召喚され、心臓を喰われ絶命する。
しかし、もしも天秤が釣り合えば、マアトの羽はあらゆる願いを一つだけ叶えてくれる聖杯となる。
そういう道具だったらしい。
彼らはこの解釈を実に単純に考えた。
つまり、産まれたての赤ん坊であれば、悪行など犯しているわけもない、と。
僕の心臓は抉られ、天秤に乗せられる。
彼らの愚行は実を結び、見事天秤は釣り合った。
しかし実験は失敗する。
厳密には彼らの計画通りにはならなかったのだが。
願いを叶えられるのは心臓を捧げた者だけ。
彼らはそれを知らなかったのだ。
産まれたばかりの僕の願いは単純だった。
心臓を抉られる激痛に耐えながら、ひたすらに願っていた。
"生きたい!"と。
結果、僕は不老になった。
生きたいという願いは拡大解釈され、僕は普通では死ななくなった。
歳も取らない。
病気もしない。
怪我をしてもしても暫くすれば治る。
一度自殺を試みたがそれも出来なかった。
死なない身体。
そこまでならまあ、良いのかもしれない。
しかし、歳を取らないという事は成長しないということ。
死なないとはいえ産まれたての姿ではさすがに意味はない。
マアトの羽の呪いはここでも拡大解釈を起こし、
僕の身体は、勝手に成人のそれに成長した。
以来、僕は変わらない。
産まれた直後からこの身体のまま。
訓練や努力といった類いの行為に勤しんだ時期もあったが、
それらが実を結ぶことはなかった。
身体を鍛えても筋肉は成長せず、
技を磨いても神経は発達せず、
知恵を磨いても脳は進化しなかった。
唯一、知識のみは蓄えられそうだが、それも一般的な人間の記憶容量の範囲。
思えば、僕は、その時に生きる理由を失ったのだ。
ただ生きるだけの木偶。
何事にも干渉せず、ただそこにあるだけの存在。
周囲の人々は歳を重ね、喜びや悲しみを経験し、成長していく。
彼らは家族を持ち、夢を追い、時には挫折を味わいながらも、それでもなお前に進んでいく。
しかし、僕はその場に立ち尽くしたままだ。
「君はどうしてそんなに変わらないの?」と、そんなことを尋ねられたことがある。
彼の目には、僕が何か特別な存在であるかのように映っているのかもしれない。
しかし、僕はただそこに在るだけの存在。
彼の言葉に答えることもできず、ただ微笑むしかなかった。
彼らの人生が色とりどりの絵画であるなら、僕の人生は単調な白黒の線画だ。
僕以外の世界で、
人々は歳を重ね、喜びや悲しみを抱えながら生きていた。
だが、僕にはその感情が欠けていた。
彼らの笑顔や涙は、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。
彼らと僕は違う。
いつしか、世界の全ては僕の敵となっていた。
そんな時、僕は彼女と出会った。
とあるきっかけで"あらゆる時代の過去を覗くことが出来る"アーティファクトを手に入れ、一人の女性が目に留まる。
ロンドンの霧深き夜、ホワイトチャペルの街角にて、僕は彼女を見出す。
メアリー・ジェイン・ケリー。
美しき悲しみを宿した瞳。
貧民街に住む彼女はただの娼婦ではなく、時代を代表する狂気の象徴。
それは何も無い僕の心奥の、内なる狂気を刺激する火花となる。
彼女の悲しみ、孤独、そしてその美しさは、僕に一つの感情を与えた。
一目惚れ。
いつしか僕は彼女と運命を歩める存在になりたいと願い、そして………
---11月3日---
僕たちは大津御市という街に来ていた。
ここが暫くの活動拠点となる。
「……この部屋、少し広すぎない?」
「…この間貧乏暮らしは嫌だって言ってたよね?」
いつもの通り我が儘にぼやくメアリーと答える僕。
僕は彼女がこうやって僕に甘えてくるのが結構楽しかったりする。
それが何故なのかは分からないが、新鮮な驚きと刺激として日々を享受できている。
荷解きをしながら彼女にお茶菓子と紅茶を用意する。
言われる前に風呂の用意もしておこう。
「マスター、今日はどうするの?」
「そうだね。……少し、この街を観光する予定」
「……観光?」
「うん、そう。…いや、正確に言うと宝探しかな?」
「……宝探し?」
「そうだね。この間、ゼラッタ・アタランテが面白そうな玩具をこの街に隠したみたいだから取っちゃおうかなと」
「………ゼラッタ? ………シャンバラの党首?世界マフィアの元締めじゃない」
ゼラッタ・アタランテ
中東の何処か、砂漠のど真ん中に在るとされる都市、シャンバラを根城とするマフィアのボス。
通称"ブラックシンデレラ"と異名を取る彼女は、世界のあらゆる反社組織の元締めと言われている。
まあ、実際は各国に傘下の組織がいくつか在るだけなんで、世界マフィアなんて大袈裟なんだけどね。
ちなみに、僕は以前ある組織に在籍していたことがあり、ゼラッタ・アタランテはその時の同僚にあたる。
絶世の美女とか生きた彫刻とか、美しき堕天使とか、笑える二つ名を多々持つ頭のおかしな女。
メアリーに比べれば、特に取り柄のない普通の女だった。
「あいつの傘下の組織の一つがこの街に在るらしいんだけど、その幹部試験だとかなんとか」
「………何でそんな情報を?」
「ふふ、それは秘密さ」
「…………まあ、別に良いけどね」
呆れ顔のメアリーをエスコートする。
「じゃあ、行こうか」
「………ええ」
こうして僕と彼女は街に出かける。
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「………これは?」
「カイロスの時計。まあ、そのうち御披露目するよ。使い方を間違えると色々面倒だからね」
大津御市の外れ。
海岸沿いの崖下から入れる古い洞窟。
そこにカイロスの時計は封印されていた。
「よっと」
「………それは?」
「んー?ダミーってとこかな?ほら、宝っぽいでしょ」
いかにもな宝箱を洞窟の奧に隠す。
中には「残念賞」と書いた手紙。
ゼラッタの配下がここを突き止めた時、その情報が僕に伝達されるようにするための仕掛けだが、まあ、そのカモフラージュになれば良いだろう。
そのまま、メアリーを伴い街を歩く。
やりたいことは終わったので後は適当にこの街を楽しむ予定である。
適当に楽しむ。
以前の僕なら考えられない感情だ。
だが、メアリーと過ごす日常はただ在るだけの僕に彩りを与えてくれる。
「……ねぇマスター?」
「…ん?」
ふと、メアリーが話しかけてくる。
……なんか良くないことを考えて時きの顔だが、
「……宝探しのヒントを仕掛けないの?」
「………ヒント?」
「……だって、誰かがこの後あの宝箱を探すんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「……なら、宝の地図的な何かが必要なんじゃないかしら?」
あの場所は高度な魔術結界の応用で、"決して見つからない何か"を知覚できなければ探し出せない。
逆に言えばそれが出来る人材だからこそ、ゼラッタ・アタランテはこれを試験として採用したのだ。
なので宝の地図とかあんまり意味はないんだけど、
これ、多分言っても無駄なやつだな……
「良く分からないけど、図書館とかに古文書的な何かを仕込んでそれにヒントを載せる、とかそんなイメージ?」
「………図書館。……ええ良いわね。……それ採用で」
「………そんなんで良いの?」
呆れた顔の僕を珍しくテンション高く見つめるメアリー。
うん。その顔も僕は好きだな。
「………で?どんなヒントにするの?」
メアリーは興味深そうに聞いてくる。
僕は少し調子に乗って、
「そうだね。適当に古そうな本を探して、その中の言葉とか使ってなんか作ろうか。『時の流れに逆らう者、知識の海に身を沈めよ』みたいな感じで」
「………何、その子供騙し」
「……いや、そんな冷たい感じで返す?」
と自爆する。
まあ、そういうセンスは僕にはないのでしょうがないと諦める。
だが、何だかんだでメアリーは乗り気なようで、ついてくる。
僕たちは図書館へ向かう。
街の中心にあるその図書館は、古びた外観が魅力的で、まあまあ良さげな雰囲気を醸し出している。
「ここだね」
僕は図書館の扉を開け、中に入った。静かな空間に、古い本の匂いが漂っていた。
---12月1日---
仕掛けていた網に獲物がかかったようだ。
カイロスの時計が隠されていた洞窟。
そこには囮の宝箱と合わせて、宝箱を開けた人間を閉じ込める結界を作っておいた。
その結界が先ほど起動したのだ。
結界内の情報を吸い上げ、捕らえた相手の顔を確認する。
次いで、手持ちのアーティファクトにアクセスし、相手がどこの誰かを照合。
「……佐藤 清香、偽名だね」
職業は、
「まさかの図書館司書か」
普通ならなにもしないんだけど、今回はメアリーが張り切っているしね。
「メアリー、少しお使いを頼めるかい?」
「………何?内容に依るんだけど」
「この間作ったお宝の地図の仕込みだよ」
「…………ああ、あれね」
期間が空いたからだろう。
やる気なさそうにのそのそとベッドから立ち上がる。
「犯人は図書館の司書さんだったよ?君の勘も侮れないね」
やる気を出して貰おうと煽ててみるが、
「……で、何をすれば良いの?」
と冷たく返されてしまう。
「そうだね、取り敢えず、佐藤さんのデスクに置き手紙をお願い出来るかな?」
メアリーへ手紙っぽい紙に書いた「秘密を知ってしまった」というメモを渡す。
「後は例の古文書をもう少し分かりやすいところに移しておいて」
本当は僕も行きたいのだが監視カメラがある図書館だとさすがにメアリーの足手まといになってしまう。
「………そのカメラは仕掛けないの?」
唐突に、僕のデスクの上に転がる小型のカメラをメアリーは指差す。
「仕掛けたいの?」
「……どうなったか見たいじゃない」
前言撤回。
彼女は彼女で楽しんでいるようだ
---12月3日---
例の佐藤さんが行方不明となったことが事件になるタイミングで、僕とメアリーはいつものカフェに足を運ぶ。
ちなみに、メアリーは自分が仕掛けたものが誰にも見つからなかったので、少しだけご機嫌斜めだ。
「さてと」
辺りを見回す。
するた、ため息をつきながら項垂れている青年を見つける。
「彼がこの件の捜査主任だね」
「………ずいぶん若い主任さんね」
「CRE社の市立警察は実力主義とか謳っているしね」
話ながら彼に渡すメモ書きを作る。
「じゃあこれで」
メアリーにメモを渡す。
「……行ってくるわねマスター」
「ああ、気をつけて」
気を付けることなど無いのだが、何故かそんな見送りを口にし彼女を見送る。
---1月8日---
「…ねぇマスター?」
「なんだい?」
メアリーがいつも通りしなだれてくる。
「……今日はどこに行くの?」
「…いや、特に予定は」
「…私は退屈だわ……」といつものお姫様ムーヴを見せるメアリー。
「……そうだね」
と僕はいつもの通り困ったように答えた。
「そうだね。じゃあ釣りに行こうかな」
「………釣りに?今もう21時よ?」
「うん。だから餌はこれかな」
懐から懐中時計を出す。
この間ちょろめかしたアーティファクト、カイロスの時計だ。
「………かかりそうなの?」
「五分五分かな?」
「……まあ、良いけど」
乗り気じゃ無さそうに立ち上がるメアリー。
だが、本当に嫌なら動かないからあながち嫌ではないんだろう。
かくして、獲物はかかる。
新八君から依頼のあった"佐藤さん"は思った通りゼラッタの舎弟だったようで、案の定僕の事を嗅ぎ付け仕掛けてきた。
うるさい坊やに絡まれたのでその場では彼女を回収出来なかったが、
後でメアリーに頼んで運んで貰おう。
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「目が覚めたようだね」
そこは普段の住まいとは別。この街に来たとき最初に押さえた所謂アジト。
僕らを襲って来た佐藤さん?はいったんここに運び込んだ。
メアリーは居ない。
下手に彼女の狂気を刺激しないよう、今回は帰って貰おうと思っていたが、当の彼女は、
「………眠いから帰るわ」
と帰宅の徒についてしまった。
まあ、揉めないで良かった。
「貴様!」
今にも飛びかかってきそうな佐藤さん。
しかし、当然拘束しているので何も出来よう筈はない。
「…さてと」
普通ならここで尋問とかするのかもしれないが、僕には必要ない。
何故なら、ある程度の事ならば僕に分からないことはないからだ。
彼女をここに運んだのは、そうしないと"検索"が困難になるから、それだけの理由だ。
「…展開…」
呟きと同時に広がる光。
そこから、彼女にまつわる様々な情報が流れてくる。
これは僕の所有するアーティファクトの一つ、"アカシックレコード"の力。
これを使えば古今東西のあらゆる情報を参照することが出来る。
流石に伝承に語られるように未来の出来事は分からないが、それでも破格の性能と言える。
このアカシックレコードのようなアーティファクトの中でも抜けた性能を誇る物を、"アルコンシェル"と呼ぶ。
7つのカテゴリー、それに七色の効果で、世界には49のアルコンシェルが存在しているとされる。
そして自慢だが、僕はそのうちの3つを所有している。
まあ、全部盗んだんだけどね。
「アリサ・ヴォルコワ。日系ロシア人。割りと真面目に人生歩んでいるように見えるけど、ああ、ご両親がCRE社で首になってるね。
結構な濡れ衣で一家心中、成る程大変だ。
それで復讐するために世界マフィアか、なるほどね」
「な、貴様、いったい?」
本来知り得ない情報まで語られ焦るアリサ。
アカシックレコードは過去のあらゆる情報を検索することが出来る。
こんなとんでもアーティファクトがノーリスクで使用できるわけもなく、利用時はそれなりのリスクを負うことになる。
そのリスクとは"寿命"。
検索した情報の量に応じた寿命を消費することでその内容を閲覧することが出来るのだ。
そう。
マアトの羽の呪いで不老となった僕だけは、このアーティファクトをノーリスクで使えるのだ。
ただ、だからといって何でもかんでも出来るわけではなく、処理する脳のキャパを越える情報を要求してしまうと廃人まっしぐらとなってしまうので注意が必要である。
「なかなか涙ぐましい努力だけど、それが目的ならやめておいた方が良いと思うけど……」
「うるさい、貴様なんかに何が分かる!!」
激昂するアリサ。
「いや、そうじゃなくてさ、」
と僕は"不親切"にも彼女に真実を告げる。
「世界マフィアとCRE社、繋がってるよ?」
「……は?」
そうして、彼女はフリーズする。
それはそうだろう。
今や世界経済の6割弱を牛耳るグループ会社と、反社組織の4割を従えるマフィアが繋がっていたら大事だ。
「そんな、そんな馬鹿な話、誰が信じると……」
「いや、別に信じてくれなくて良いけどね」
ボヤキながらアリサの拘束を解く。
「まあでも、今回は諦めるんだね」
そう告げ、僕はその場を後にした。
---1月12日---
その日、僕は産まれて初めて喧嘩を売られた。
目の前には三人の少年。
一人は知っている。
先日、佐藤さんことアリサ・ヴォルコワとひと悶着あった際に絡んできた少年。
今日は、何故か取り巻きを二人連れている。
いきなり殴りかかってくる少年と、それを煽り金銭を要求してくる少年二人。
要するに、低レベルな狂言回しと言ったところなのかな?
幸い、この程度なら十分に捌ききれる。
このままのらりくらりと適当に流しながらどうしようかと思案を巡らせていると、
「…!?」
突風が僕の眼前を通りすぎる。
突風は閃光をはらみ、一瞬で僕に殴りかかる少年の喉元を切り裂く。
吹き出す鮮血が辺りを染め上げ、取り巻き二人は恐怖と恐慌に捕らわれ走り去る。
突風の正体は当然ながら、
「…メアリー」
「……ごめんなさいねマスター。なんか、苛ついちゃった」
悪びれず僕に告げるメアリー。
「まあ、良いけどね」
僕は懐から"カイロスの時計"を取り出し、少年の時を巻き戻す。
そのままというわけにも行くまい。
僕はかつてアリサ・ヴォルコワを運び込んだアジトに彼を担いで連れていった
---------------
暫くして、少年は、意識を取り戻した。
彼は自分がどこにいるのか、何が起こったのかを理解するために、頭を振っている。
しかし、記憶の断片が彼の脳裏に浮かんでは消え、戦いの詳細を朧気ながら取り戻そうと必死に見える。
やがて、
「俺は…負けたのか?」
彼は自らの敗北を思い出したようだ。
だけど、"アレ"を負けたの一言で解決出来る辺り、鮮明には思い出せて無いのだろう。
その弱気に流れる少年の表情。
しかし、それはすぐに色を変えることになる。
それはまるで、彼の心の中で強くなりたいという欲望が燃え上がっているよう。
「…俺は、」
まだ朦朧としている意識で少年は、
「俺はもう一度立ち上がりたい。最強になりたいんだ」
そんな、興味深い台詞を発した。
強さの証明。
そんなものは各々が勝手に決めれば良い。
僕がメアリーの強さに一目惚れしたように。
本当の強さは、何を強いと感じるかは人それぞれだ。
だが、人には承認欲求という機能が備わっている。
それは人が進化を留めないための機能であり、人は人と自身を比較し、評価され、認められることで成長の糧とする。
成長しない生物の行き着く先は破滅だ、
それこそ、かつての僕のように。
だからこそ、人は強さを求め、その尺度としてルールを作る。
ルールの中で人は競い合い、その中での自身の立ち位置を知る。
"果たして自分はどのくらい強いのか?"と。
だが、彼のやりたいことはそれではないらしい。
傍らのメアリーが怪訝そうな目で僕を見つめる。
「……じゃあ、試して見なよ」
おもむろに取り出したのは"カイロスの時計"。
「これは?」
「これは、君の愚かさをやり直せる魔法の玩具だよ。
これを使って試してみれば良い。君の求める強さとやらのその先をさ」
だから僕は試してみたくなったのだ。
彼の求める強さの先を。
果たして、その先にどんな答えが待っているのかを。
"カイロスの時計"
レガリアでないものの、歴としたアーティファクトで、その機能は超弩級と言える。
その手順として、まずは対象を選定する。
これは時計を手に持って脳内で意識すれば良い。
次に発動を念じる。
これも操作は必要ない。
僕は毎回秒針を叩くが、これには特に意味はない。
すると、対象の時間が一分前の状態に戻る。
時間の指定は出来ない。
戻るのはきっかり一分前だ。
基本機能はこれだけ。
しかし、「時間を戻せる」アーティファクトなど稀少である為、その価値は計り知れない。
だが、この玩具にはもう一つ機能がある。
---1月15日---
その日、最初の犠牲者が出た。
犠牲者は少年、高瀬 剛志と空手の大会で決勝を戦った子のようだ。
おそらく、高瀬 剛志は時計を使ったのだろう。
勢い余って犯した事実に戦慄し、直ぐ様時を戻した筈だ。
僕の忠告を意識せずに。
"カイロスの時計"
このアーティファクトは使用後、対象の「心のエネルギー」を具現化する。
だから、僕は対象を常に壊したもの、殺した人に限定して使用していた。
だが、おそらく高瀬 剛志は、対象に自身を含んでしまったのだ。
殺してしまった被害者は時を戻されいったんは生き返る。
高瀬 剛志も時を戻され直後の罪悪感を失ってしまう。
そして副作用。
高瀬 剛志の殺害直前の心のエネルギーが具現化する。
彼の未熟な「最強願望」によって形作られた黒い人形となって。
人形は、まるで高瀬 剛志の行動をなぞるように、街を彷徨したのだろう。
彼が持っていた「最強願望」が具現化したその存在は、彼の心の奥底に潜む恐れや欲望、そして未熟な自尊心が結晶化したものだ。
魔力体であるその姿は普通の人間には見ることが出来ない。
黒い人形は、まるで高瀬 剛志の未練を背負ったかのように、人を襲い始めた筈だ。
おそらく、高瀬 剛志はどこかで気付いたのだろう。
世間を騒がす事件の犯人は自分の心のエネルギーたる黒い人形であることに。
そして、持ち前のペラっペラな正義感でそれを止めようと試みた筈だ。
手にしたカイロスの時計を使い、
何度も何度も。
---1月26日---
高瀬 剛志を見つけたのは別れてから二週間後、街の片隅にある公園だった。
彼は、自分の行いを悔いているかのように、うつむいて座り込んでいた。
彼の直ぐ傍には、黒い人形が徘徊していたが、彼はそれに気づいていない様子だ。
その黒子のターゲットは明らかに高瀬本人。
嗚呼成る程。
とうとう自殺を試み、それすらも巻き戻したか。
だが、黒い人形が彼を攻撃することを躊躇っているように見える。
あれは彼の心のエネルギー。
どうやら死ぬ覚悟はないらしい。
「やあ、元気そうだね」
皮肉たっぷりに挨拶する。
憔悴しきった顔で僕に目を向ける高瀬 剛志。
手にしたカイロスの時計はひび割れ損傷している。
おそらく、真相に気付き、罪悪感から時計を壊そうとしたのだろう。
それを壊しても何も戻らないのにね。
「…俺は、……やってない」
第一声はそんな言い訳。
まあ確かに、彼は直接手は下してない。
「…で?」
別に悪気は無かったんだけど、彼を問い詰めるような口調で問いかける。
「……お前が、お前さえ居なければ!!」
手にしたナイフで斬りかかってくる高瀬 剛志。
さっと躱して腕を捻りあげてあげると、彼はあっさりと手にしたナイフを落とす。
「僕が居なかったらなんなのか?まあ、若干興味はあるけどそんなことより、」
腕を放して彼の顔を覗き込む。
「答えは出たかい?」
「……答え、だと?」
「ああ。最強になりたかったんでしょ?
その為に、昔の達人みたいに殺し殺される日々を送りたかったんでしょ?
君は望み通りの日々を送れた筈だ。
全ての過ちを"カイロスの時計"でやり直し、やりたいように生きた二週間だった筈だ。
で?その結果、君は何を得たのさ?」
「……そんなもの、…そんなものは」
彼はボロボロと涙を流す。
その憔悴しきった姿からは後悔しか見てとれない。
これは、外れかな?
彼は言葉を失い、ただ項垂れていた。
力を求め、名声を追い求め、その中で自ら実戦と銘打った環境で自身を高めようとした。
しかし、その果てに待っていたのは、孤独と絶望だった。
涙が頬を伝う。
彼の心の中には、かつての自分が描いていた理想とはまったく異なる現実が広がっているようだ。
まるで、戦いの中で得たものは、名声でも力でもなく、ただの虚無だった、とでも言うかのように。
「………教えてくれ、俺は、本当に強くなりたかっただけなんだ。
でも、それは、ただの逃げだったのか?」
高瀬 剛志は僕に問いかける。
彼は自分の選択を悔い、過去の自分を呪う。強さを求めるあまり、彼は大切なものを全て失ってしまったとでも言うのだろうか?
だとしたら、
「良かったんじゃない?
君の志や目指したもの、そこには何もなく、君自身の生き方が如何にくだらないか、それが良くわかったんでしょ?」
「…え?」
彼は呆然とこちらに目を向ける。
「だって自分で言ってたよね?"俺はやってない"って。なら、君に責任は無いんでしょ?」
「そんな、だってたくさん人が死んだのに」
「知らないよそんなことは。
重要なのは君がどんな答えを出すか、それだけさ」
この少年、高瀬 剛志の考え方は僕には全く理解できなかった。
彼の進む先に光など有るわけはなく、故に、その先の破綻は目に見えていた。
しかし、彼はそれでも進もうとしていた。
僕に挑んできた彼の瞳は自身の正義を全く疑っていなかった。
だから、僕は彼の道の先が知りたくなった。
彼の枷を外した時、僕の想像を越えた何かが起こるのかどうかを確かめたかった。
これはそれだけの話。
結局、つまらない結果だけが残ったいつもの話。
「…強さってなんなんだろうね?」
「…………え?」
それは単なる独白だった。
別に高瀬 剛志に話しかけたわけではなかった。
ただ、独りで生きてきた期間の永い僕の、独り言が大きいと言う悪い癖。
「…最強とか、無敵とか、知っている奴にそういう化け物は何人かいるけど、正直意味が分からないよ」
生きる以上は必ず敵がいる。
不老の躰を持ち、死ぬ恐れがない僕でさえ敵だらけだ。
死ぬ恐れがない僕は数多の生存競争において他人を害さない。
しかし、世界は僕の不老の秘密を求めて僕の敵と成り仰せた。
良く聞く話、強さの先には戦いはないと言う。
では、強さと生きることは直結しないと言うことになる。
ならば、
「きっと、戦いの先には強さなんて無いんだろうね。よく分からないけどさ」
そう告げ、僕は高瀬の前に跪く。
「……君は悪くない。ただ、弱いだけさ。せっかく空手なんてやってるんだから、もう一度修行でもしてみれば?」
憔悴し、絶望する彼の頭を撫でてやる。
「これは返して貰うね」
そして、彼の懐からカイロスの時計を取り出した。
彼の傍らでまだ蠢いている黒い人形。
その額に、僕は懐から取り出した拳銃を突き付け引き金を引く。
その轟音にびくりと怯えながら僕を見上げる高瀬 剛志。
気のせいか?
その瞳は僅かに生気と取り戻していた。
「……メアリー、聞こえるかい?」
- ええ。聞こえるわよマスター -
「君の言う通りの結果になったよ」
- でしょうね。じゃあ予定どおり? -
僕の好奇心は一応満たされた。
新しい発見が有るかと期待した出来事だったけどいつもの通り何もなく、
相も変わらず僕の人生は不毛の歩み。
だからと言うわけではないが、
「ああ、後始末だ」
きっと、この時の僕はずいぶん邪悪な顔をしていた筈だ。
---エピローグ---
「朝だよメアリー」
柔らかな朝日が窓から差し込み、寝室に温かな光を注いでいた。
真詐は隣で目を覚ますメアリーの髪を優しく撫でる。
その手の感触が、夢と現実の狭間から彼女を引き戻したようだ。
メアリーは瞼を開ける。
そこには、真詐が微笑んでいた。
「……おはよう...」
とメアリーは掠れた声で応じた。
昨夜の余韻がまだ身体中に残っており、喉が少し乾いているようだ。
昨日はカフェで新八がメアリーの狂気を刺激した為、治まっていた彼女の衝動が目を覚ましてしまった。
彼女の狂気を発散するには殺人欲求か性欲のいずれかを満足させなければならず、結果として真詐は夜通し彼女の相手をすることになった。
メアリーはそっと身を起こし、窓辺を見つめた。
昨日までの騒動など無かったかのように、
外の景色は静かだ。
それはまるで、世界が新しい一日を迎える準備をしているかのようだった。
「今朝は何をする?」と尋ねながら、彼女はベッドの端に腰掛けた。
「そろそろ新八君が来る筈だから、彼に今回の事件を解決して貰うよ」
答えながらお湯を沸かす真詐。
そして、手際よく紅茶を淹れる。
「……その時計、あげちゃうのかしら?」
机の上に放置されるカイロスの時計を指差すメアリー。
「そうだね。そろそろ充電切れみたいだし、それなりに遊んだからね」
彼女に淹れたての紅茶を差し出しながら、いそいそと朝食の支度を進める。
結局、この二人は何をしたかったのだろうか?
多くの人を巻き込んだ今回の事件。
彼らは決して首謀者ではない。
黒幕でもなく、
しかし、決して無関係ではない。
彼の名は露木 真詐。
その異名は"トリックスター"
その意味は詐欺師、ペテン師。神話や民間伝承に現れるいたずら者。
それは秩序の破壊者でありながら一方で創造者であり、善と悪など矛盾した性格の持ち主で、対立した二項間の仲介・媒介者の役目を果たす者。
これは挿話。
そんな異名を持つ男が織り成す、不完全で無秩序な物語。
そんな彼と共に過ごす現代に蘇った殺人鬼、切り裂きジャックこと、メアリー・ジェイン・ケリーの物語。
幕間は穏やかに、日常の、ように流れていき、
そして、今日も夜が明ける。