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序章:トリックスター登場(メアリー・ジェイン・ケリー)

--- 1月7日 ---



薄明かりが差し込む静かな朝のキッチン。

一人の男が淹れたての紅茶をゆっくりと味わっていた。

窓の外には、まだ静寂が漂う街並みが広がっている。

ふと、傍らで私がベッドで目覚めていることに彼は気付く。


「おはよう、メアリー」

「……おはよう…マスター…」


窓際においたキングサイズのベッドに寄りかかって、毛布にくるまりながら私は外を見ている。

私の名はメアリー・ジェイン・ケリー。

彼の名は、露木 真詐といった。





「まだ寝てていいんだよ?」

真詐がそう言うと、私は小さく首を横に振った。

「…いいえ……もう起きるわ……」

「そうかい?」

真詐がまた紅茶を啜る。

私はその姿に視線を向けた。


「……それは何?」

「これ?これは、アールグレイの紅茶だよ」

「……へぇ……」


まるで幼子のような質問。

真詐はそんな私を横目で見ながら、面白そうに眺め、また一口、紅茶を口に含む。


「……ねぇ」

「ん?」


不意に声をかけられて、真詐がこちらを向く。

私はベッドの背もたれに寄りかかりながら彼を見上げていた。


「…それ、私も貰っていいかしら?」

「あぁ……もちろん。いま新しいのを淹れるね」

「……ええ、ありがとう」


真詐がティーポットにお湯を注ぐ。

「はい、どうぞ」

私はそれをベッドの上で受け取ると、ゆっくりと口に含む。


「……美味しいわ」

「それはよかったよ」


真詐は微笑みながら自分の席へと戻る。

なんだかいたずらしたくなって、私はまた話しかた。


「……ねぇ、おかわりを貰っても?」

「ん?あぁ……もちろんいいよ」

真詐はティーポットをもって再び私の方へ。

文句一つ言わずに、動いてくれる。


私がどんなに我が儘を言っても彼は楽しそうに受け入れてくれる。

だから、彼との時間はいつもとても心地良いものとなる。



私は紅茶を受け取る。

もともと彼をこき使いたくて淹れてもらったものだ。

正直喉は乾いてない。

しかし、彼の淹れた紅茶はまさに私好みの香りだ。

ゆっくり飲むもう。

時間はいくらでもあるのだから。


私はメアリー。

メアリー・ジェイン・ケリー。

平たく言うと私は過去から現代に転生した存在だそうだ。


ホムンクルスと呼ばれるヒトガタの身体に、過去から呼び出した魂を定着させた存在。

それが私。





私が生きていた時代、

私が産まれたロンドンは混沌とした街だった。


貧困、犯罪、そして恐怖が支配する中で、私は特に意思もなく、日々を惰性で生きていた。


生きる。

それ以外の事を考える余裕など、当時の私にはなかった。


ただ、不思議と生きることに必死ではなかったことを覚えている。

いずれはこの貧困から抜け出そうとかいう野望も、

白馬の王子様と結婚したいとか言う夢想も、

目指すような目標も何もない。


ただ、目の前で起きた出来事が自分にとって愉しいと思うか否か。

重要なのはそれだけのつまらない女だった。





そんな私を現代に召喚した男がいる。

露木 真詐。

彼が私を如何なる手段で現代に召喚したのか?

どうして私を甦らせたのか?

私は彼の意図を理解することができなかったが、彼は私を何か特別な存在として見ているようだ。


それが、何故か嫌ではない。




今、私の目の前には私の知る世界とは全く異なる世界が広がっている。

高層ビル、煌びやかなネオン、そして人々の忙しない足音。

私が知っていたロンドンとはまるで別物だ。

正直、生前よりも私は愉しんでいる。


そう。

ワタシハタノシイ。





私の名はメアリー。

メアリー・ジェイン・ケリー。

そして、私は切り裂きジャック。



私の物語には美談はなく、崇高な意思もなく、大義もない。

狂気と愉悦と、そしてほんの少しの恋心が有るだけの、これは、そんな話。


--- 1月8日 ---



夜の街、私は真詐と並んで歩く。

私は彼と散歩するのが好きだ。


私の歩調に合わせ、私が歩きやすいコース取りを行い、私が疲れないタイミングで休憩を提案してくる。


そんな"女の子"扱いされることが堪らなく愉しい。


「……ねぇ、マスター」

「ん?」


私は彼の腕に自分の腕を絡めた。

彼はそれを拒むことはない。

ただ、私を見て優しく微笑むだけ。

その優しい微笑みは私にしか向けられない。


私はそれも、たまらなく愉しいと思っている。


「……少し冷えるわね」

「……そうだね、もう冬だ」

「…えぇ」


私は真詐に寄り添いながら歩き続ける。

それは"敵"に唇を読まれないため。


「……尾行されてるわ」

「…そっか。それは残念」



私は彼女の腕を離すと、いつでも戦えるように臨戦態勢を整える。


「次の路地を曲がって裏に入るよ」

「……そうね。わかったわ」


私はそういうと、その場から姿を消す。

しかし、おそらく傍目には私は真詐とまだ歩いているように見えることだろう。


これが私の能力。

"隠されし完全犯罪(パーフェクトクライム)"

私は自分の気配を自在に操る能力を持つ。

これは単に自分の気配を消すだけではなく、架空の気配を作り出し、敵にその存在を誤認させることも出来る。


今行ったのはそれ。

本体の気配を消し、仮の気配を真詐と歩かせている。


真詐が路地裏に入る。

その際、少し歩調をあげることで追手を撒こうとしているように見せる。


そのフェイクにまんまと引っ掛かり、尾行者は慌てて裏路地に飛び込んでくる。


「な!?」

追手が、立ち止まる。

優秀な暗殺者といえど、完全に存在を消せる私には反応できない。


私は敵の背後へと回り込み、その首へナイフを添えた。



「……さて、佐藤さん、だったかな?」


真詐が追手に話しかける。

追手は女だ。

首筋にナイフを突き付けられ身動きは取れない。


「…用件は分かってるつもりだけど、一応聞いておこうか?」

「く、白々しい!トリックスター!"カイロスの時計"を返せ!」


「……うーん、返せと言われても、あれって君の物じゃないよね?きっと」


真詐はポケットから懐中時計を取り出して相手に見せる。

そこには鎖に吊るされた懐中時計と、それに繋がる無数の歯車たちが描かれている。


「くっ……アンタなんかが気楽に持ち歩いていいものじゃないのよ……それは!」

「……ははっ、僕にとっては面白い玩具だけどね」


真詐は口元を歪ませながらそう言う。

相手を威嚇する意味もあるが、私にとってはこの笑い方は彼の厭な癖の一つだ。


「…マスター、貴方のその笑いかた、私は嫌いだわ」

「おっと失礼。気を付けないとね」


真詐が右手の人差し指をこめかみに当て、トントンと叩く。

「……まったく、その癖、直らないわね」

「ははっ……まぁ、癖なもんで……」


私は八つ当たりの意も込めて、佐藤さん?とやらの首筋のナイフの圧迫を強める。


「…で、どうするの?」

誰ともなく呟く私。

「さて、どうしようかね?」

挑発するように佐藤さん?を値踏みする真詐。



相手は先ほどから私に何らかのモーションを起こすタイミングを伺っているのだが、当然はそんな隙は見せてあげない。


悔しそうに歯噛みする佐藤さん。


「はぁ……まったく……」


行動や返事をしない彼女に、真詐はため息を吐く。


「帰ろっか?行こう、メアリー」


そして、唐突に路地裏の出口へと足を向けた。


「な!?」


驚きで固まる彼女。

そんな彼女を尻目に私も彼の後に続く。

ナイフはとっくにしまっていた。


「舐めるな!」


瞬間、佐藤さん?は飛び交ってくる。

狙いは当然真詐。


いつの間にか手にした鉈のような刃物を振りかぶり、私のマスターに斬りかかる。


「メアリー」

言われるより早く、私は動き出す。

交錯は一瞬。

私は、彼女に何もさせず、彼女の頸を掻き切った。





「やれやれ」

真詐は嘆息しながら佐藤さん?の前に立つ。

そうして、彼女の前に懐中時計をかざし、トントンと、秒針を叩いた。


淡い緑の光と共に巻き戻る時の歯車。

そこには、何事もなかったかのように倒れ伏す女の姿。

当然外傷は見当たらない。


「……便利な時計ね」

「まあね」


そのまま足どり軽く現場を後にする。

何事も無かったかのように大通りへ戻ろうとする私たちに、


「お前ら、なにやってんだ!」


突如、声を荒げる少年が立ち塞がった。

後で分かるのだが、この坊やは高瀬 剛志と言うらしい。


少年の目は怒りと疑念で揺れている。

真詐は一瞬立ち止まり、彼をじっと見つめた。


「君も見てたのか?」

「見てたっていうか、何が起こったのか全然わからないんだけど!」


少年は苛立ちを隠さずに言い放つ。


「あの女の人、どうして倒れてたんだ?お前ら、何かしたのか?」


「何もしてないよ」と真詐は軽く肩をすくめる。

「君には関係ないことだ。さあ、行こう、メアリー」


相変わらずの他人への興味の無さを見せつけ、何でもないわけがない現場から足早に去ろうとする真詐。

しかし、


「待てよ!」

そんな事で納得するなら、おそらくこの坊やは絡んでは来なかっただろう。


「だからお前ら、なにやってたんだ?

さっきあの女の人血が出てるように見えたぞ?」


「何もしてないよ。ただ散歩をしてただけ」

と真詐は言いながら、少しずつ後退し始める。

私も彼に続く。


しかし、面倒な上に無礼な坊やね


「散歩?そんなわけないだろ!」少年は怒鳴る。

「あの女の人、あの倒れかたは普通じゃなかった。お前ら、何か悪いことをしてるんじゃ無いのか?」


なんか、段々イラついてきたわ。


真詐は一瞬立ち止まり、冷たい視線を少年に向けた。彼の目には、無関心と冷淡さが宿っている。


「君の想像力は豊かだね。でも、残念ながら、君の推理は外れている」と真詐は言い放つ。


少年はその言葉に反発し、さらに前に出る。


「外れてる?あの女の人が倒れて、血が出てたのに、何もしてないって言うのか?お前ら、何か隠してるんだろ!」


「血?血なんてどこに出てるのさ?」

「な?!ほらそこにあんなにいっぱいって、あれ?」


血なんて出てる筈もない。

全ては巻き戻っている。

真詐はため息をつき、少しだけ顔をしかめた。


「君が何を見たかは知らないが、僕たちはただ通りすがりだった。君が何を見たのかは僕には分からないな」

「そんな、だって」


「君は本当に面倒な坊やだね」

と真詐は呟き、踵を返す。

「さあ、メアリー、行こう。」


私も彼に従い、その場を離れようとした。

しかし、高瀬は諦めずに追いかけてくる。


「待て!お前ら、逃げるつもりか?何か知ってるんだろ!」


本来なら放って置くべきだった。

しかし、何故かそのしつこさが癇に触り、


「え?」


私は、坊やに足払いをかける。

綺麗に一回転してごみ捨て場に突っ込む少年。


「……メアリー……」

「…何?」

呆れた顔で私を見る真詐。

しかし、


「………いや、何でもない。人目がある。さっさと帰ろう」

いつも通り私を咎めることはしない。





それは何でもないいつもの夜。

でも、思えばきっかけはこの日だったような気がする。



--- 1月12日 ---



その日、私たちは引っ越しをした。

新しいアパートのドアを開けた瞬間、狭い廊下が私の目に飛び込む。

真詐は私の隣で、相変わらずどうでも良さそうな顔をしている。


「どう?新しい新居は?」と彼が尋ねる。


私は少し考え込み、

「…狭いわ」と正直に答えた。


すると、真詐は笑いながら言った。

「…いや、前回のマンションは広すぎて落ち着かないって言ってたよね?」


その言葉を聞いて、私は思わず眉をひそめる。

「…そうだったかしら?」


真詐は私の反応を楽しんでいるようで、目を細めている。


「やれやれ、困ったお姫様だ」と彼はからかうように言った。


私は彼の言葉に少しムッとしながらも、心のどこかで笑ってしまう自分がいる事に気づく。

彼の冗談は、私の日常に彩りを添えてくれるのかもしれない。


私は真詐の淹れる紅茶が好きで、

彼と共に街並みを散歩することが好きで、

彼の他愛もない話を聞いているのが好きだった。新しい新居の狭さは、彼との時間を過ごすにはちょうど良いかもしれない。



「さて、荷解きしないと」と真詐が言う。

「…その前に、紅茶が飲みたいわ」と私は反論する。

「…いや、お湯が沸かないよ?」彼は少し困った顔をしている。

「飲みたいわ」と私は強調した。

「……少々お待ちを」と真詐は渋々承諾した。


生前を思い出す。

そうだ。

私は貧民街で明日を知れない毎日を過ごしていた。

生きることに精一杯で、我が儘なんて言う余裕は無かった。

だから、今彼に甘えられることが、私は愉しいのだろう。


何だかんだで淹れてくれた紅茶を一口。


「……美味しいわ」


そんな私の様子を横に、彼はクスクス笑っている。



「……何が可笑しいの?」と尋ねる。


彼は少し考え、

「まさか自分が人の為になにかをし、それを心地よいと思う日が来るとは思わなかったな、と思ってね」と答えた。


私は笑いを堪えきれずに吹き出した。

「何それ、変な人ね」と私は少し照れくさくなりながら言った。



「…ねぇマスター?」

「なんだい?」


彼は私の目を見て、少し真剣な表情に変わる。


「……お散歩に行きましょ?」と提案した。

「…いや、荷解き」と彼は再び現実に引き戻そうとする。

「…行きましょ?」と私は強く言った。

「……はい……」と彼は少し困ったように答えた。



これもいつものやり取り。

こうして、私たちは新しいアパートを後にして、街へと足を運んだ。狭い廊下を抜け出すと、外の世界は広がっている。


夜の裏路地、薄暗い街灯の光が私たちの足元を照らしている。

真詐は隣を歩きながら、穏やかな笑みを浮かべている。

彼の存在は、どんなに暗い場所でも心を温かくしてくれる。

私たちのどうでも良い会話は、静かな夜の空気に溶け込んだ。


しかし、その穏やかな時間は、突然の声によって破られる。


「おい、やっと見つけたぞ!」


振り返ると、そこには先日出会った少年がズカズカと近づいてくる。

彼はあからさまな怒りの表情を浮かべ、こちらに向かって歩み寄ってきた。

そして、彼の周りには、いかにもなチンピラ達がニヤニヤしながら付き従っていた。



「この間はよくもやってくれたな!

いや、それより、やっぱりお前達は悪い奴らなんだろ?じゃなきゃ俺にあんなことしないだろ?」


少年は挑発的な口調で喋る。

あんなことって何かしら?

そんな顔をしていると、


「君が足払ってゴミに突っ込ませた事じゃない?」

と、真詐が小声で教えてくれる。


うーん?

そんなことあったかしら?


「おい、何とか言えよ」


更に詰め寄る少年。

しかし、真詐は彼の言葉に対して微動だにせず、ただ静かに彼を見つめている。その表情は、まるで何も恐れていないかのようだった。


「……で?」

「いや、でって言われても」


真詐の言葉に怯む少年。

そこに、周りで様子見をしていたチンピラの一人が割り込んでくる。


「剛志、難しく考えるなよ。お前はこいつらを実戦でとっちめるんだろ?」


なにやらよく分からない言葉を喋る。

嗚呼なる程。

あれは猿の新種なのね。


剛志はさらに近づいてきて、真詐の顔を覗き込む。彼の目には、怒りと挑戦の色が見えた。


「そうだ!俺はあんた達を倒す。俺の空手で正義を執行するんだ!」


私が驚いたのはその後だ。

何と、この少年はいきなり真詐に正拳を打ち込んできたのだ。


「おっと」


当然のように躱すマスター。

しかし、彼だから対応できたが、やっていることは完全に頭のおかしい行為だ。


「まだまだ!」


坊やの攻撃は続く。

正拳を再度被せてきたと思えば足払い。

そして下段の流れから金的。

競技空手では決して使われない危険な技のオンパレード。

当然真詐は全て躱すが、正直、正義を気取る坊やの行為とは思えない。


「ハッハッハ!

おっさん!剛志はうちのエースだぜ?痛い目みたくなきゃ早めに泣き入れろよ。

慰謝料払えば止めるように説得してやるぜ?」


背後で騒ぐチンピラ集団。


正直、猿語は私には分からないが、おそらく剛志と呼ばれてるこの子は、


「………救い用の無い馬鹿ってことね…」


瞬間、私は真詐と坊やの間に割って入る。

懐から取り出したナイフを手に、踏み込もうとした少年の頸を掻き切った。



「…メアリー」

「……ごめんなさいねマスター。なんか、苛ついちゃった」

「まあ、良いけどね」


足元には少年の死体と大量の鮮血。

噴水のように吹き出すそれに、


「「「…う、うわぁぁぁ!!」」」


取り巻きのチンピラは蜘蛛を散らすように逃げていく。


残されたのは少年の死体。


「…やれやれ」


そう呟きながら、私のマスターは後始末をはじめた。


暫くして、少年は、意識を取り戻した。


彼は自分がどこにいるのか、何が起こったのかを理解するために、頭を振っている。


しかし、記憶の断片が彼の脳裏に浮かんでは消え、戦いの詳細を朧気ながら取り戻そうと必死に見える。


やがて、

「俺は…負けたのか?」


彼は自らの敗北を思い出したようだ。

だけど、"アレ"を負けたの一言で解決出来る辺り、鮮明には思い出せて無いのだろう。


その弱気に流れる少年の表情。

しかし、それはすぐに色を変えることになる。

それはまるで、彼の心の中で強くなりたいという欲望が燃え上がっているよう。


「…俺は、」


まだ朦朧としている意識で少年は、


「俺はもう一度立ち上がりたい。最強になりたいんだ」

やはり、猿並みな言語を発し出す。




そもそも、最強ってなんなのかしら?

彼が真詐に仕掛けたように、武道空手とは異なる技法で相手を壊すことを目的とするなら、

要するに相手を効率よく破壊出来ることが最強なら、核兵器保有国でその使用権限を持つのが一番手っ取り早い筈。


でも、彼は"素手"の"殴り合い"に拘っているように見える。

それは彼が勝手に定めた彼のルールで、

そんなものが真の最強などに繋がるわけが無い。


素手で人を殺せれば最強、そんな迷信に狂ってるのかしら?

私には、単に楽して強ぶりたいだけの子供にしか見えない。



そんな私の表情を察してか、真詐が小声で少年に話しかける。


「……じゃあ、試して見なよ」


おもむろに取り出したのは"カイロスの時計"。


「これは?」

「これは、君の愚かさをやり直せる魔法の玩具だよ。

これを使って試してみれば良い。君の求める強さとやらのその先をさ」



かくして、私のマスターの愚行で現代の切り裂きジャックが生まれることなった。


--- 1月26日 ---



ー はやく!!


ー 急がないと!



“彼ら”を貫く謎の焦燥。


急ぐ理由など何もない筈なのに、

"彼ら"に意義はなく、高瀬剛志の幼稚な理念が一人歩きしている、ただそれだけの存在。


だがしかし、刻一刻と時を刻むごとに、彼らは冷静さを失っていく。




それはおそらく予感ゆえに、


薄々だが感じているのだ。


このオペラはまもなく終わる。


彼らの楽曲に終わりは来ないが、

“その上から被されている曲”はクライマックスへ向かっている。


故にこのままではもろともに閉幕を余儀なくされる。



ー だから急げ。


ひとりでも、少しでも、

高瀬剛志が目指す最強のため。

武の本質は殺法。

その境地にたどり着くために


ー だから急げ!


ー だから急ぐのだ!



そうして、彼らの一人が獲物を見つける。


何の事はない。

後は容易い。


目の前の獲物は極上の美女。

長い黒髪を靡かせ、白磁のような肌の極上の美女。


ー ……急ぎなさい。


飛び掛かる。

技法も何も有ったものではない。

"彼ら"は学んだのだろう。


人を害するのに、技など不要と言うことに。


ー 急がないと……


私の頭部目掛けて殴りかかる黒い影。

よく見るとその手には石を持っている。

勢いよく振り下ろされる。

が、


「……皆殺しよ?……」


次の瞬間、その影は袈裟に両断され消滅した。




かくして、オペラは開演する。


奏者は独奏(ソロ)


発生した黒きもの達を、影より残らず排除する。


この時だけ、私はワタシの狂気に身を浸す


ー メアリー、次の路地を左。


マスターの指示に従い疾走し、

獲物を見つける度に黒い靄を切り伏せていく。

相手が気付く間もなく。



間髪入れず、慈悲はなく。


これはただの作業。

普段の私ならそうなのだろう。


しかし、少しずつ私の身体は軽くなる。

まるで自分が自分ではなくなっていくように。

ただ邪魔物を排除する作業は、徐々にワタシを解き放つ儀式となっていく。



"切り裂きジャック"



今の私はそう呼ばれる存在なのかもしれない。


今の私はメアリー・ジェイン・ケリーではなく、

私は、ワタシに身を委ねる。


「切り裂きジャック」は私の狂気。

私の狂気、すなわちワタシ。



「◼️◼️◼️◼️◼️◼️!?」


また一体。

今度は一丁前に声を出す。

慈悲なく両断し次を目指す。


ー メアリー、気をつけて。その先に3体集まっている。


真詐からの通信が入る。


「……了解。」


路地の角を巧みに使い、影から影へと移動する。

曲がり角で待ち伏せをしている個体を見つけた。


一体は木槌を、

また、別の個体は鉄パイプ。

さらに別の個体はスコップだ。


「……あら、そんな武器で私と戦うつもり?」


私は躊躇なく影から飛び掛かる。


「!?」

「………残念ね、さようなら」


スパンと、一閃、 影から飛び出した私の刃が、全ての影の首を両断する。





「………さて、これで全部かしら?」

ー いや、最後に一体。真後ろだ


「………そう。…じゃあマスターは先に帰って良いわ」

ー 了解した。"この坊や"を捨てたら紅茶を準備して待ってるよ。


ー 切り裂きジャック。

それは19世紀ロンドンに実在した連続殺人犯の通称。


1888年4月3日、イギリス・ロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の存在。


被害者はメアリー・アン・ニコルズ、

アニー・チャップマン、

エリザベス・ストライド、

キャサリン・エドウッズ、

そして"メアリー・ジェイン・ケリー"。


そう。

私は狂気と共存している。

狂気は私に耐え難い愉悦を与えてくれる。


ワタシなくして、私は自分を維持できない。


だが生前。

ワタシが私を裏切ろうとした。

私の意に反して自身を解き放とうとしたのだ。


だから殺した。

結果的にメアリー・ジェイン・ケリーは死ぬこととなったが、それは大した問題ではない。


転生してからのワタシは大人しいものだ。

ワタシは完全に私の支配下に置かれており、かつてのように意識を持つことはない。


ただ、私に狂気と愉悦を与えてくれる大切な私のの一部となった。







最後の一体。

怯えているのか?

勇んでいるのか?


人型の黒い靄にしか見えないそれは、その感情を伺い知るよしもない。


「………あら?」


殊勝にも影は構えを取る。

さっきまでの個体とは違うのかしら?


格闘技のことは分からないけど、おそらく空手の構えなのだろう。


「…良いわ」


私も踏み出す。

お互いの距離はおよそ5歩。


月明かりに照らされた街中で、時代劇のように私達は対峙する。


「……貴方を殺すわ…」


飛び掛かり、正拳を繰り出す影。

しかし、拳は気配を偽った私の肩口を掠め、


「……今夜、この場で!」


次の瞬間、"彼"の首は、胴から離れていた。


---1月28日---



かくして、事件は解決した。


俗なネットニュースでは、"またもお手柄の布羅乃警部補!"と騒ぎ立て、

ニュースでは魔法文明の普及により起きたこの事件を危険視する専門家と、それを抑制できない政府を責める評論家がよろしく議論しているが、私には関係ない。


チャンネルを回すと、被害者の追悼に関係者が悲観にくれているが、これも興味はない。





私はメアリー。

メアリー・ジェイン・ケリー。

難しい事は分からないし、知ろうとも思わない。


今はただ、真詐の淹れた紅茶を楽しむ。

それが今の最重要事項。


「メアリー」

「……なぁに?」


「紅茶のおかわりはいかが?」

「……ええ、いただくわ」


真詐はティーポットを手に取り、私のカップに紅茶を注ぐ。


「ありがとう」

私はそう言うと、再び紅茶を嗜む。

真詐は本を読み始めた。


そんな穏やかな日常。

当たり前の空間。


それこそが、私が最も大切にしている時間。





ふと、私は真詐の横顔をじっと見つめる。


「ん? どうかしたかい?」

視線に気付いたのか、真詐がこちらを見た。

「………いいえ、何も」

私はそう答えると、

「そうか」

微笑みながら、彼はそう答えた。



私達はどんな関係なのだろうか?

親友?

パートナー?

恋人?

それとも夫婦?


どれも在りそうで、どれも笑ってしまう。


確実に言えるのは、彼の存在が私の心の中に静かに根を下ろしているということ。

時折交わす視線や、無言の時間が、私にとっては大切なそれとなっていること。




今日も、彼の淹れてくれた紅茶を楽しむ。

これは、そんな私の物語。

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