できる令嬢でございましたら、リスクヘッジは当然の嗜みですわ
習作です。
「ディアナ・デル・トーラス! そなたは公爵令嬢であるにもかかわらず、弱きを守るという高貴な者のつとめを忘れ、これなる男爵令嬢ヘリア・ダ・シヴォーンの学園生活を妨げた。その罪、認めるか?」
「いとも尊き王の御子様」
宵闇色の髪を隙なく結い上げた令嬢は、この国の王子を前に少し腰を落とし、礼をとった。
見上げる眸はきららかな琥珀色。まるで黄昏を封じ込めたようだと歌われる――そう、詩人が歌をつくるほどの美女なのだ――彼女こそが、公爵令嬢ディアナである。
姿勢を正してすっくりと立つと、王子と遜色ないほどの長身。晴れの日のために誂えたドレスは、暖かくやわらかい灰色から象牙色へ、裾から襟へ向かってのグラデーションが美しい。大きくひらいた首まわりには真珠が飾られ、ディアナの夜の女神もかくやという美貌をひきたてていた。
「殿下にお言葉を返すなど、許されるべくもございません」
「特に許す。弁明できるなら、申してみよ」
「なんと寛大なお言葉」
王子は心がひろいことで知られている。つねに慈愛の笑みをたたえているが、今宵はさすがに厳しい表情だ。
王立の学園は何校かあるが、ここ王都の学園に入学するには家柄と資産が問われ、卒業するには本人の学業成績と人品骨柄が要求される。
卒業祝いの祝宴に出席できるのは、将来を約束された有望な若者たちのみ。
中でも、ディアナは首席での卒業である。王子の婚約者として恥ずかしくない成績をおさめることができた、と控えめな笑顔を見せながら友人たちと歓談していたところだ。
「殿下は、なにをもってその告発の証拠となさるのですか?」
「へリア嬢と、彼女の友人たちの証言がある」
王子は、彼のかたわらに立つ可憐な令嬢に視線をはしらせた。
男爵令嬢も、学園を卒業して大人の仲間入りを果たしたことの証として髪を結い上げているが、どう見ても子どもが無理に背伸びをしているといった風情。どこか恥ずかしげに俯いているのは、状況を考えればしかたのないことであろう。
かたや公爵令嬢はといえば、王子に指弾されているというのに涼しい顔。
「たいへん失礼ながら、そのご友人とはどなたでしょう?」
「……名を出さぬという約束だ」
「まぁ、流石でございますわ。下の者の信頼をけっして裏切らぬ、そのお心」
「仔細については、この場で語るのを控えよう。そなたの評判にかかわる」
「……弱き者を守ることこそ、高貴な者のつとめ。実践なさっておいでですのね。ご立派でいらっしゃいます」
「当然だ。話を戻そう、ディアナ嬢。認めるか?」
「尊きおかたのお言葉を、どうしてわたくしに否定することができましょう」
令嬢がまた頭を下げると、王子は重々しくうなずいた。
「認めるのだな? ……信じたくはなかったぞ、ディアナ・デル・トーラス」
「……ご裁可を」
従順に頭を下げた令嬢に、王子は告げた。
「いかに才気煥発であろうとも、性根が腐った者をそばに置く気はない。そなたとの婚約は解消しようと思う。異論はないか」
「はい、いとも尊き王の御子様」
……かくして、卒業を祝う祝宴は、才媛として有名だった公爵令嬢の転落の場――に、ならなかった。
ふたたび背を伸ばした令嬢は、言葉をつづける。
「書類は用意してございます。我が父も署名を済ませ、国王陛下にお届けしてありますので、ご心配なきよう。陛下からは、わたくしの予想通りに運びましたら受諾もやむなし、とのお言葉もいただきました」
「……なに?」
「ほんとうに残念ですわ、殿下。……ヘリア、もういいわ。いらっしゃい」
「はい、ディアナ様」
「お……おい、ヘリア嬢?」
王子のかたわらに控えていた可愛らしい令嬢は、ちょこんと膝を折って礼をすると、公爵令嬢の方に移動した。
「殿下のお手が不埒にも、ヘリアの腰に回ろうとしておりましたゆえ。ヘリア、よくお役目を果たしました」
「ディアナ様のためでございますわ」
「おい……どういうことだ」
困惑する王子に、公爵令嬢は控えめな笑みを向けた。
「殿下のお頭が、想像以上に残念でいらした、ということでございます。昨今、評判をとっている歌劇の影響で、安易な婚約破棄が流行しておりますでしょう? 殿下もかぶれてしまわれるのではないかと想定し、殿下がお好みになるような女性をこれなるヘリアに演じさせました」
「……なんのために?」
王族としての威厳もなにもなく、問う王子。
にっこりと答える令嬢。
「もちろん、危機対策ですわ」
「危機……対策?」
「はい、殿下。殿下がご自分で適当な女性をみつけられる前に、わたくしが信頼する心の友であるヘリアに、演じてもらったんですの。甘言を弄する女性に安易にかたむくか、その女性の歓心を得んがためすべてを肯定し、疑うことなく自身に都合の良い話を信じ込むか、信じたままで断罪に突き進むか――わたくしが設定したすべての条件で、殿下を試すことができました」
ここで言葉を切って、令嬢はゆるゆると首を左右にふった。
「すべての点で、殿下は落第なさったのですわ。わたくしの方から婚約を解消させていただくしかないほどに」
「ぶ……無礼だぞ、ディアナ。王子である我を試すなど!」
「衆人環視のもと一方的に批判して、婚約解消まで宣言なさったかたに、無礼か否かの線引きをまかせる気にはなれませんわね。だいたい、なんですの? わたくしの評判にかかわるから仔細は話さない? 理屈がおかしくて、笑ってしまいますわ」
「それは……情けをかけたまでだ! その情けを無下にしたばかりか、我を嘲笑うなど……」
「矛盾しておりますのよ、殿下。わたくしにご配慮くださったのが事実ならば、はじめから公開の場で婚約解消をしなければよいのではありませんこと? 情を持ち出したのは口実に過ぎず、証拠もなにもない曖昧な話でわたくしとの婚約を解消しようとなさったと考えてしまっても、おかしくはないでしょう」
「わけのわからぬことを申すな! 無礼者!」
今や列席者は誰も物音をたてない。固唾を飲んで、ふたりを見守っている。
静まり返った大広間に、王子の怒声が響く。つづけて、令嬢の甘やかな声が。
「あなた様は慈愛の王子などと呼ばれておいででしたが、その実、なにかを選び、決定し、断行するのが苦手でいらしただけ。それを考えれば、今回よく頑張りましたと褒めてさしあげたいところです。ただ、頑張る方向性をお間違えになられましたわね。何回でも申し上げますが、残念ですわ」
「無礼者!」
語彙が尽きたらしい王子に、令嬢は憐れみを帯びた視線を投げた。
「言葉にしなければ通じないようですから、はっきり申し上げておきます。王位を継承できるとお考えなのでしたら、それは間違いでしてよ」
公爵令嬢はそこで、一連のできごとを見守っていた観衆を――つまり祝宴の出席者である上流階級の皆々をひとわたり眺め、優雅に一礼した。
「では皆様、今後のことで忙しゅうございますので、わたくしはこれにて失礼いたします。どうぞご歓談をおつづけになって」
「……ディアナ! ヘリア……ヘリアは置いて行ってくれ! ヘリア!」
男爵令嬢は、公爵令嬢に倣って一礼したのみ。王子の懇願に応えることはなく、無言でその場を去ってしまった。
*
会場の外に用意されていた馬車に乗り込むと、まずヘリアが口を開いた。
「褒めてくださいね? あのかたのお相手、大変だったんですから」
「お相手をするのが大変なのは、よく知っているわ。わたくしも、ずいぶん長く婚約者をつとめましたからね」
「なんなんですの、あれ。にこにこしていれば、世界は自分の都合の良いようになってくれると期待するだけ! あのまま王位を継いだら我が国の未来がどうなったかと思うと、ぞっとしますわ!」
「だから、そうならないように頑張ったんじゃないの」
そういって、ディアナはこの数年に思いを馳せる。いずれまともになると期待して、王子を励まし、おだて、王位継承者としての自覚を持たせようと頑張った日々。
……はっきりいって、時間の浪費だった。
いずれよくなると信じて仕えるだけでは、よくならなかったときに詰んでしまう。ディアナは王子を諦めるべきか否かの期限を決め、駄目だったときにそなえてさまざまな手を打った。
王子がただの傀儡になるなら、それでもよかった。だが、変なところで行動力があるのが心配だったので、今夜が最終的な試験だったのだ。
悪い意味で期待を裏切らず、王子は行動力を見せなくてもいいところで全力を出してしまった。
もちろん、ヘリアがそう仕向けたのだが、好きな女に容易にあやつられるようでは話にならないのだ――未来の国王としては。
「ヘリア、あなたは勲章をもらえるようなはたらきをしたのよ」
「勲章なんか、いりません。ディアナ様のお役に立てれば、わたくしはそれが、いちばん嬉しいの!」
「もちろん、とても役に立ったわ。ありがとう、わたくしのお友だち……」
ディアナはへリアの手を握り、その指先に、そっとくちづけを落とした。
ヘリアは感極まり、大粒の涙をこぼした。
「ディアナ様……」
「殿下のお言葉は間違っていないわ。わたくし、否定できなかった。あなたの学園生活を妨げたのは、事実ですもの。……こんな大変なことをお願いしたわたくしと、これからもお友だちでいてくれる?」
「もちろんです……もちろんですわ!」
ディアナは王家の血が入った公爵家の令嬢である。母は、現王の妹だ。
国王の実子は――調略や謀殺など、表向きはなかったことにされているあれこれの結果――数を減らされ、今では母親の生まれがよくない、つまり後ろ盾が無にひとしいあの頭がぬるい王子ただひとり。
わかりやすくいうと、婚約者のディアナ抜きでは貴族が彼を無視し、王家の権威が揺らぐおそれがあった。
今回の一件は、すべてディアナの采配によるものである。たかが学生の策にはまり、流行に乗ってディアナとの婚約をなかったことにしようとしたら、彼のことは諦める。伯父である国王とは、そういう約束ができている。
継承権一位の王子を放り出すなら――もちろん、放り出す方法はいくらでもある――繰り上がって第一位になるのは、国王の叔父。だが彼は高齢で、王位を継ぐ意志はない。残念ながら子どもも早逝してしまっている。
次に王冠がまわってくるのは、隣国の王子。現王の姉が嫁いで産んだ子で、ディアナにとっても従兄弟にあたる。本人は優秀だが、隣国から来るとあっては風当たりも強いだろう。
ディアナはその風避けとして、彼の婚約者に内定している。隣国がこの国の併合を狙わないとも限らないため、彼の資質や性向、この国を母国とすることができるのか――さまざまな観点から見極め、対策することが求められる。きわめて重要な役割だ。
「これから、人の移動が激しくなりそうですわね」
「ええ、そうね」
「おまかせくださいませ、ディアナ様。ディアナ様に近づくどのような人物も、このわたくしが見極めて見せますわ」
ヘリアは無害そうな見た目と、小鳥のような可愛らしい声が最大の武器だ。先ほどの一件で、ディアナ派であることは周知されてしまったが、万事ディアナの指示であろうと思い込んだ者がほとんどのはず。
今後、ディアナを射るにはまずヘリアから、と飲み込んだ者が次々とヘリアに近づいてくることだろう。これもヘリアには含めてあり、本人は嬉々として状況を受け入れている。なるべく頭がぽやぽやに見えるようにと、仕草や目配りの研究も欠かさない――まったく勤勉な令嬢なのだ。
「ありがたいけれど、あなた自身の幸せもちゃんとみつけるのよ、ヘリア」
「ええ、それはもう! そちらも、きちんと見極めますわ。万が一があっても損にはならないよう、心がけます。ディアナ様に、教わったんですもの――できる令嬢なら、危機対策は万全にすべきでしてよ、と」
たしかに、ディアナはヘリアにそう教えたのだ。だから今も、微笑んでうなずいた。
「ヘリアは素晴らしいわ。もう、わたくしが教えることなどないくらい」
はじめは素直過ぎて、ほかの令嬢に陥れられてもそのことに気づいていなかったヘリア。ディアナの教えを受け入れてみるみる成長したのは嬉しいことだが、ふと窓の外を見つつ、ディアナは思うのだった。
――殿下もちゃんと学んでくだされば、今のようなことにはならなかったでしょうに。
でも、学んでくれなかった。なんとかなると勝手に思い込んで、周りがなんとかしてくれている事実も、その努力も、なにも認めなかった。
真摯に仕える者ほど遠ざけられ、今では「流石はいとも尊き王の御子様」と「はい、いとも尊き王の御子様」を駆使する輩しか周りに残っていない。王子とまとめて放逐すれば、むしろ掃除が捗って助かるといったところだ。
――ともかく……切り替えなくてはね。
隣国から、口がうまくて顔が良い従兄弟を迎え入れるにあたっては、慈愛の王子にほどこしたのとは別種の危機対策が必要だろう。気を引き締めねば。
この国の安泰のために――危機対策は万全にすべきですわ、と。ディアナは決意をあらたにするのだった。
婚約破棄テンプレ、いろいろ思いついては書く暇がなくて忘れてしまうので、今回は書き残してみました。
書いておいてなんですが、このあとの「口がうまくて顔が良い」従兄弟との対決の方が面白そうだなぁ。
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2024/09/08追記
誤字報告について。
主席→首席をご指摘くださったかた、ありがとうございました。さっそく反映させました。
誤字以外(つまり、辞書で調べても間違いではない漢字の使い分けや、漢字にできる文字列をひらがなで書くかどうかなど)は、著者の趣味で選択しております。
誤字ではありませんので、報告くださらなくて大丈夫です。