反作用
――――――
イギリスから帰国したのは八月はじめのことだった。横浜に上陸してその足で東京へ。戴冠式の様子を天皇に報告し、対露交渉の結果も伝えた。
「そうか……。ひとまず衝突は避けられそうなのだな」
「はい。ニコライ皇帝陛下からも友好を願うとのお言葉を賜りました」
交渉の結果は日本にとって悪いものとはいえなかった。内実を見れば日本が不利なのだが、ロシアから朝鮮から手を引けと言われたわけではない。つまり逆転の余地はある。……日々増大していくロシアの軍事的脅威に日本が痺れを切らすまでのタイムリミットと日本の発展速度を考えると、逆転する可能性は虚数の彼方に存在するかもしれない――というレベルだが。
私個人は対露融和(協商)なんてできっこないと思っているが、それはどこまでいっても個人の意思。現在、政権を担当する俊輔や他ならぬ天皇はそれを望んでおり、彼らの代理をしている以上は私心を押し殺してその実現に邁進するのみである。
天皇からは遥々ロシアまでご苦労だったと労われた。しばらく別荘で静養するといいとも。
「ではお言葉に甘えまして、しばらくお暇を頂きます」
休みをもらった私は京都へ向かう。史実の山縣も京都で静養していたが、その理由は経由地の香港で食べた料理が原因で体調を崩したから。少し情けない。もちろん現世ではそんなことなく健康そのもの。なので京都の無鄰菴に入ってのんびりとした日々を過ごす。
ところで、明治の元勲はその多くが別荘を持っている。彼らが金持ちであることもひとつではあるが、もっと大きな理由があった。それは東京から離れること。請願や陳情が煩わしいので避難するために別荘を構えていた。人気なのは神奈川。東京から離れてはいるものの、何かあればすぐに帰れるからだ。私のように東京から遠く離れた京都に別荘を構えている方が特殊である。――と言いつつ、私も神奈川に別荘をひとつ置こうかと検討していたりするのだが。
こうして東京から距離をとると請願や陳情による来客はいなくなる。彼らはわざわざ神奈川や京都まで来ない。そもそも東京の本宅は元勲としての公邸、対して地方の別荘は私邸というような役割があるというような暗黙の了解があったからだ。ただ誰も来ないわけではない。連絡の必要性があるので、メッセンジャーとして腹心といえるような存在が偶に訪れる。
「遅くなりましたが、治くんの海軍兵学校入校おめでとうございます」
「ありがとう」
三男の治は進路選択に海軍軍人を選んだ。兵学校を受験して見事に一発合格。海兵26期として兵学校に進んでいた。同期には日米交渉を担当した野村吉三郎、連合艦隊司令長官を務めた小林躋造、『此一戦』を著したことで有名な水野広徳がいる。
息子が軍人になるということで海はやはり心配していた。長男の誠が復員して陸軍大学校に入校している(陸大13期)。同期に武藤信義がいた。後方勤務が多くなると安心していた矢先にこれである。彼女の心は穏やかではないだろう。ちなみに海軍なのは白い軍服がかっこいいからとのこと。気持ちはわかる。
末っ子の進学を祝福してくれたのは平田東助。議会発足時には貴族院の勅選議員となり、枢密院の書記官長も務めた人物だ。貴族院で院内会派の茶話会を結成し、貴族院における官僚派(山縣閥)を率いている。
平田ら官僚派は元々、伊藤内閣が自由党と提携したことに疑念を抱いていた。特に提携書を交わした見返りに板垣を内務大臣に据えたことで内務官僚を中心に反発する声が上がる。その規模は大きく、彼らのボスとなっている私のところに俊輔から慰撫してくれとの依頼が来るほどだ。
そして伊藤-自由党のライン誕生に刺激されたか、松方正義(薩摩)と進歩党(大隈重信、三月に改進党から改称)が接近する動きを見せている。これも官僚派の警戒感を高めていた。平田ら官僚派は今一度、派閥の結束を確かめようとしている。
「――という次第でして、我々はこの動きを警戒しています」
「政府と政党の提携……必要性は認めるけれども塩梅が難しいところだ」
政党政治や民主主義を金科玉条として教えられた現代日本から来た私はそれらにあまり抵抗はない。
しかし明治日本ではその限りではなかった。民主主義を絶対のものとみなさず、様々な政治体制を志す者がいる。まさしく一人一派。ただ時代とともに集束し、大きくは政党政治を目指す勢力と専制的な官僚主導の政治運営を目指す勢力とにまとまっていた。
そして私は敢えて後者に属している。というかその旗頭として担がれた。動きを監視して行き過ぎがあれば掣肘を加えるためだ。江戸時代の気風が漂う明治の世代は割と容赦がない。身分制社会においてのし上がろうとすれば手段は選んでいられないからだ。何をするかわからないから懐にあって監視する――そんな理由から官僚派に属している。
「しかしやや度を越しているように思います」
「大臣の任免は首相の専権事項だからなぁ。あまり強くは言えんよ」
板垣の内相就任には大丈夫かと疑念の声があった。認証した天皇もそのひとりである。ただこのとき俊輔はちゃんと見ておきますから、と説得したらしい。ならいいよ、と天皇も認めた。
「――こういう経緯だから、事が起きてからでないと文句をつけられん」
俊輔に対する批判だけならまだしも、説得されてOKを出した以上は天皇に批判の矛先が向いてしまう。内々なら問題ないが、公にされた人事に関することであるから隠しようがない。何らかの口実が必要なのだ。
平田もそれはわかっているようで、いい知恵はないかと訊ねてくる。知恵はないがこういうときのガス抜きとして俊輔から聞いていたことを教えた。
「俊輔も完全に自由党に入れ込んでいるわけではないようだぞ」
「といいますと?」
「自由党からの希望もあって板垣を内相に据えたそうだが、本人は不本意だったようだ」
農商務あたりと考えていたら内務と聞いて驚いたそうだと内輪の話を聞かせる。内務大臣は地方行政のほぼ全般を司る官庁で、特に警察権を握っているのが大きい。その影響がもろに出るのが選挙。松方のときのような大規模かつ露骨な干渉はしないが、擁立元(や政治的主張)によって甘くしたり辛くしたりということはしている。それを司る大臣に政党人を起用することに俊輔も本音では抵抗を感じたという。
「そこでだ。俊輔は角の立たない方法で板垣を内相から降ろすつもりらしい」
内閣がなくなれば大臣でいられなくなる。俊輔は適当なタイミングを見計らって首相を辞任するつもりだった。後継は藩閥の順番からして松方である。薩摩閥は進歩党と関係を深めており、何事もなければ彼らが与党になるだろう。そうなれば板垣は内相を続けられない。もちろん再任の芽もないだろう。
「次の選挙までの辛抱だから堪えてくれ」
「わかりました。……とは言っても次は改進党ですか」
政権と政党の距離が近づいていることに平田は警戒感を抱いているようだ。その感想は官僚派の総意といってもいいだろう。
「前から言っていただろう。これは趨勢だと」
官僚派のトップにいながら私は政党化の流れは止めようがないと主張していた。離合集散を繰り返しつつも徐々に政党化が進んでいく、と。もちろんそんなことはないと言う者が大半だったが現実は伊藤と自由党、松方と進歩党が提携に動いている。これを前にして私の言ってたことは正しかったのでは? と再評価されていた。
ちなみに、政党化は必至だと唱えている私が官僚派のトップにいるのは、政党化に反対するという点では彼らと共通しているからだ。合意形成とか言いつつ、民主主義というのは結局のところ多数決。その仕組みゆえに陣笠議員が生まれることは致し方ないといえる。だが、政見もなく盲目的に従っているのでは話にならない。何かしらの政策に通じていてほしいところ。それに来るのかどうか知らないが、桂園時代が到来すれば官僚派も政党化に舵を切る。それまで押し負けないよう政界に立ち続けていなければ。
その後もしばらく平田と政治について色々と議論を交わしたが、それらがひと段落すると事務連絡に移る。
「ではこれらを宛先に届けてくれ。これに関しては――」
平田に手紙の束を渡す。現代では手紙を出すとなると郵便を使って届けるのが普通だ。しかしこの時代はまだまだ信用がなく、また政治的な手紙は万一のことを考えなければいけない場合がある。だから昔ながらの、使者を立てて手紙を届けるという方法が用いられていた。その際に伝言を託すのも昔と同じだ。先方にはくれぐれもよろしく、と言って平田を返す。
平田のような来客に対応しつつ一ヶ月ほど悠々自適の生活を送る。海や水無子と一緒に旧跡を訪ねたり、有馬温泉をはじめとする近隣の温泉地に足を運んだり。政治のことを忘れてのんびり過ごせた。
ただ、こうして私が休養している間にも政治は動いている。板垣を内相に据えて自由党を与党化した俊輔だったが、あいつはそこで止まらなかった。斜め上の奇策に打って出たのである。曰く、
「弱腰外交だと批判されるなら、彼らにやらせればいいんだよ」
とのこと。そう言って俊輔は進歩党の大隈重信を外相に据えようとした。進歩党は国民協会を除く対外硬勢力が合同してできた党だ。彼らは欧米と協調姿勢をとる政府の外交姿勢を批判していた。外交の舵取りをする外相に大隈を据えることで批判を躱そう、というのが俊輔の狙いである。
また、外相のポストを与えて進歩党をも抱き込もうという意図もあった。俊輔が理想としたのは日清戦争中に生じた無風の議会だった。主要政党を抱き込んだ挙国一致内閣を志向したわけであるが、当然ながら失敗する。進歩党には断られたばかりか、自由党からも背信行為だと非難される始末。このままでは政権がもたないと考えた俊輔は総辞職してトンズラした。
後継は大方の予想通り松方正義。松方は大隈を外相に迎えて内閣を組織することで進歩党を与党に迎えている。「松隈内閣」と呼ばれたこの内閣が特大の爆弾を投下し、一年に及ぶ大波乱が起きることになるのだった。
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