ニコライ二世
【お願い】
読者の皆様、作者の拙い作品を見てくださりありがとうございます。本編へ入る前に作者からちょっとしたお願いがあります。
これは過去作も含めて再三、申し上げてきたことですがよりよい作品にするための「批判」は大いに歓迎します。ですが、ただの「罵倒」はお控えください。このようなお願いをするのもつい先日、感想で「罵倒」が寄せられたからです。
作者もこれが完璧とは思っていません。工夫の余地はまだまだあると思います。ただ現時点で自分が思うベストは尽くしていると思っています。建設的なご提案は大歓迎ですが、ただ悪罵するだけというのはやめていただけると互いのためになります。
読者には読まないという選択があります。何も難しい操作ではありません。BBするだけです。合わないな、面白くないなという作品をわざわざ読んで罵倒するなんて時間の無駄です。作者と読者ともに気持ちよくなろうを利用するためにも、最低限のマナーというかリテラシーを持っていただければと思います。
以上、作者からのお願いでした。
――――――
イギリスに海たちを置いてきた私は随員を引き連れてロシアに入った。
「寒いな」
「ええ。夜にはもっと冷えるそうですよ」
馬車に揺られながら身体を震わせる。ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクは亜寒帯に属し、緯度も北緯六十度と高い。海が近いためモスクワなどの内陸部と比べるとまだマシだが、日本人の私(しかも比較的暖かい山口出身)からすると寒かった。さすがにマイナスにはならないものの一桁である日も珍しくないとか。日本なら春が終わり初夏になろうかという時期だから感覚がバグる。
馬車は駐ロシア日本公使館に到着。そこで待っていた西徳二郎公使に出迎えられる。西公使は1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技で金メダルを獲得、硫黄島の戦いで戦死したバロン西こと西竹一大佐の実父だ。まだ生まれてないけれども。
「遠路お疲れでしょう」
「長旅は慣れてるからいいが、寒くて敵わん」
「ロシアは寒いですからね。中は暖かくしてありますからご安心ください」
西に案内されて公使館に入る。彼の言葉通り、中は暖房が効いていて快適な室温になっていた。戴冠式まで公使館で過ごすが、それまでエルミタージュ美術館や都市近辺を観光しましょう、とはならない。ただ戴冠式に参列しに来たならともかく、今回の本命は朝鮮をめぐる交渉。戴冠式はおまけでしかない。早速、西公使も交えて対策を立てる。
「未だシベリア鉄道が完成を見ておらず、極東に展開できる戦力には限りがあります。ですからロシアの態度はそれなりに抑制的なものとなることが見込まれます」
西公使は薩摩出身で、戊辰戦争では酒乱(黒田清隆)について戦っていた。長岡の戦いにも参戦していたがそれほど印象には残っていない。ともあれ無事に戊辰戦争を戦い抜くと、開成所を経てサンクトペテルブルク大学へと官費留学。官費が打ち切られても私費留学を続け、卒業後はロシアの新聞社に勤めたロシア通であった。フランス語の語学力を買われフランス公使館の書記として外交官キャリアをスタートさせている。
程なくロシア公使館に転任となったが、代理公使も務めるなかで芸術を学びロシア社交界で名を知られる人物となった。しばらく本国で暮らした後、1886年から正式にロシア公使として赴任。日清戦争の前後では人脈を活かしてロシア情勢を探り、三国干渉の動きなども逐一報告。その手腕は陸奥外相を唸らせた。今回も西の情報網は遺憾なく活用され、ロシア側の狙いを察知している。
「日本としては朝鮮における有利な地位を確保しつつ、ロシアと協調していく方針だ。強硬姿勢でないのなら話し合いの余地はあるということだな」
「はい」
西の観測は先の社交界での情報収集に加えてロシアの外交姿勢に対する分析にも基づいていた。曰く、交渉相手となるのは現外相のロバノフ。彼はバルカン半島を除けば概ね前外相の姿勢を踏襲しており、極東に対しては欧米列強としての体面を保てるならば交渉の動き次第でこちらの言い分は通るだろうと。
戴冠式までは交渉の内容を詰めていく。随員と現地公使館に詰める外交官たちとそれぞれが考えてきたアイデアを出しあって手札を揃えていく。何かしていると時間はあっという間に過ぎるもので、余裕をもって来たのに戴冠式がすぐに迫っている。私たちはサンクトペテルブルクを発ちモスクワへ向かった。
モスクワもサンクトペテルブルクと同様に涼しいを通り越して寒い。緯度は北緯五十五度とやや下がったものの、内陸部にあるため空気が乾いている感じがする。戴冠式の式場は生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)。クレムリン宮殿のなかに多数ある寺院のひとつだが、雷帝ことイヴァン四世(最初のツァーリ)の戴冠式がここで行われて以来、ロシア皇帝の戴冠式は必ずここで行われる格式の高い場所だ。
当日は宿泊先から馬車でクレムリンに行く。滅多に着ない大礼服を着て主要な勲章をいくつか佩用する。半日ほどはこのままだと思うと少し鬱になる。
そんな道中、赤の広場を目にした。ロシアで「赤」といえばソ連が思い浮かび、赤の広場もソ連時代に生まれたイメージがある。だが西公使によると赤はロシア語で美しいという意味があるそうで、赤の広場も「美しい広場」という意味だとか。はじまりはイヴァン三世がクレムリンの前を広場として整備したこと。十五世紀末のことだからかなり歴史が深い。
クレムリンの中へ足を踏み入れると煌びやかな建物が出迎えてくれる。キラッキラッキラッキラッ。いっそうるさいレベルで輝いている。輝きの正体は黄金であったりガラスであったり、はたまた黄色や緑などの刺激的な塗装だったり。まあ目が痛い。
「ロシアの宮殿は豪華だな」
「これもお国柄というものですな」
西公使と話しながら歩く。一応は英語が話せるものの、フランスの影響を強く受けたロシア宮廷で使用される言語はフランス語なのでさっぱり。だから西公使が通訳を務める。ロシアなんだからロシア語を話せよ。話されたところでわからないんだけれども。
なお戴冠式は無事に終わった。ただいるだけなので暇で仕方ない。よく知らない外人に囲まれるのはストレスだ。しかも黄色い猿が何の用だとばかりにじろじろ見られる。値踏みというのもあるのだろう。そんな環境なので下手なことはできない。ずっと気を張っていなければならず気疲れした。
癒しは同じ東洋人ながら参列していた清国の使節団。そのトップは李鴻章である。彼らもまた不躾な視線に晒されておりどこか居心地悪そうにしていた。彼らを同情の目で見ていると不意に李鴻章と目が合う。お互いに見つめあうことしばし。恋は生まれないが気を感じた。
式典は何事もなく終了。後日、祝賀の舞踏会が開かれた。行きたくなかったが出席しなければならないので行く。ロシア皇帝夫妻も出席している。実はこの裏でボディンカの悲劇と呼ばれる群衆事故が発生して千人を超える死者を出していた。警察によって事件は隠匿されていたが、街中で起きた大事件を隠し通せるはずもなく出席者たちの間では公然の秘密となっている。
「ふふふっ。我が国の皇帝陛下であればあのような惨事があってすぐ、このような宴には出席しないでしょう。貴国の皇帝陛下も同じではありませんか、閣下?」
「ええ、そうですね」
舞踏会の会場で鼻つまみ者も同然の東洋人同士ということで、去年戦争をしていたにもかかわらず私と李鴻章は通訳を挟みながら話していた。壁際で大人しくしていた私に接触してきたのは李鴻章からであった。ぼっちよりかは体面がいいかと思って話に付き合っている。なお、西公使はホームグラウンドも同然のロシア社交界ということでひっきりなしに声がかかって忙しそうだ。断ろうとしていたが、遠慮するなと言って送り出している。なのでこの場にはいない。
「群衆事故でニコライ皇帝は『血塗れニコライ』と呼ばれているとか。実に不吉だとは思いませんか」
「めでたい席でそういうことは……」
と教科書通りの回答をしつつも内心で舌を巻く。ニコライ二世は日露戦争と第一次世界大戦に敗れて革命が起きて国が滅亡。皇帝も赤軍に殺害されるという没落ルートまっしぐらというのが史実ルート。それを知っている人間としては、暗にそれを示唆するかのような李鴻章の言葉には何らかの意図があるように思えてならない。
「我が国の陸軍を完膚なきまでに打ち破った閣下の武勇は轟いております」
私の言う通りめでたい席でこんな話をするものではないな、忘れてくれと李鴻章は話題転換。日清戦争における私の武勲を持ち上げる。お前が振ってきたんだろ、と思いつつそれに乗っかった。
「そんなことはありません。部下の働きがあってこそです」
実際、半年間の長期キャンプみたいなものだった。どう進撃するのかは基本的に大本営から命令が来たし、戦術に関しては現場の指揮官が実行してくれた。私はただいただけである。そう返すと李鴻章は謙遜も過ぎると嫌味になると言ってきた。……本心なんだけどなぁ。
褒められているばかりではむず痒いので李鴻章のことも褒め返しておく。実際、彼の政治手腕は確かなものだ。清国のなかで権力を手にして維持することは容易ではない。魑魅魍魎が跋扈し万年百鬼夜行しているような清国の宮廷でのし上がること自体、非凡な政治的センスの持ち主である証拠である。
李鴻章はさすがで、私の賛辞を受けてどうもありがとうと返してきた。大国の宰相としての風格がある。人としての格が違うなと思った。その後も長々と話をしてそれなりに親交を深められたと思う。
「貴国との友好が続きますように」
と別れ際に言い残していった。これには食えない人物だという感想。史実の日本は後々になるまで知らなかったが、このときロシアは清国と接触して露清密約を交わしていた。建前としては日本に対する安全保障が目的とされたが、実際には対日賠償金を確保するためにロシアが行った借款に対する見返りであった。これでロシアは満州における権益を確保する。
この密約は一見すると清国にとって不利であったが、李鴻章にとっては大きな利益があった。賄賂である。ロシア側からは確実に五十万ルーブル(現代の価値でおよそ十九億円)、一説には複数回に分けて合計で三百万ルーブル(百十四億円)もの賄賂が李鴻章に流れたという。時代が時代なら背信行為だと謗られるだろうが、清国に戻れば脅されて仕方なく……という具合に被害者面するのだろう。面の皮が厚いことだ。
ちなみに西公使もロシアと清国の接触は掴んでいた。だがそこまで深刻に捉えてはいない。借款があったことは知られており、それに関することだろうと推測されていた。まさか両国が対日同盟を結んでいたとは思うまい。その点はロシア側が上手だったといえる。
戴冠式は五月下旬に行われたが、ニコライ二世と私の謁見は六月に入ってから行われた。これよりおよそ一週間前、先述の露清密約が結ばれている。ゆえに冷淡な態度をとられるかと思ったが、意外にも皇帝との謁見は食事会を伴う歓迎的なものとなった。
「大日本帝国を代表し、ニコライ二世皇帝陛下の御即位を心よりお慶び申し上げます」
「感謝する。以前、日本に訪れたときのことは昨日のことのように覚えている」
「心ばかりのおもてなしでしたが、陛下の思い出になったのならば幸いです。また、改めて当方の不手際について謝罪いたします」
ロシア派遣にあたり、天皇から皇帝が皇太子時代の日本行啓について触れたならば大津事件について謝罪するよう言われていた。あの件については一応、決着したことになっているものの日本滞在のことに話が及べば触れないわけにはいかない。それに手打ちとなったとはいえ、なかったことにするほど私たちの神経は図太くなかった。
「よい。それを込みにしても日本での滞在はよい思い出であった。先帝の指示がなければそのまま居続けたいと思っていたからな」
「陛下の寛大なお心に感謝します」
とまあ想像していたよりも和やかな雰囲気で謁見が終わった。続いて食事会に移る。円卓を囲んで食事を頂くのだが、主賓の私は当然ながら皇帝の隣に席が用意されていた。フランス語を宮廷内の公用語とするだけあって出されたのはフレンチ。マナーは問題ない。
「そういえば、山縣侯はイギリスに親しい友人がいると西公使から聞いている。そのときは英語を使うのか?」
「はい。非才の身ゆえに英語しか話せませんが……」
隣のニコライ二世はロシア語はもちろんフランス語、英語を話すトリリンガル。西公使もロシア語とフランス語を話す。だからこれは謙遜ではない。私の勝ち。
言ってて悲しくなったが、そんな私の内心(自爆)を他所にニコライ二世はならば英語で話そうと提案する。通訳を挟まず話し合おうということであり、人柄が出ていると感じた。彼は母親の影響かロシア人としては小柄な方である。代々大男を輩出しガタイのよさはロシア人の美徳と考えるロマノフ家においてニコライは悩み、体を大きくしようと鍛えたが結果は細マッチョになっただけだった。人生はままならないものだがここまでくると悲壮感すら漂う。
食事中は主に日清戦争のことを話した。私が第一軍を指揮して朝鮮半島と満州で戦ったのは知られており、その武勇伝を聞かせてほしいとせがまれる。交渉相手に対して私は何もしていません、なんて空気の読めない冷淡な態度はとれないので、前線視察をしていたら敵弾がすぐ側に着弾したとか適当に盛った話をしておいた。ニコライ二世もこれには満足そうだ。男らしさを追い求める彼にとって戦場での活躍は男らしさの象徴なのだろう。
和やかな雰囲気で食事会は進み、デザートと紅茶の時間になる。ここまで交渉についての話はない。それに焦れたのか西公使が切り出した。
「陛下。先日、お話しした件なのですが――」
「ああ、覚えているとも。その件については外務大臣のロバノフに任せる」
「お任せください」
同席していた外相のロバノフが立ち上がり一礼。なるほど。この食事会は歓待するだけでなく、交渉前の顔合わせの意味もあったようだ。会釈を返しながらそう思った。
「ん。では終わりにしようか」
用件が全て済んだからかニコライ二世が立ち上がる。これには出席者が私も含め一斉に立ち上がった。このまま立ち去るのかと思いきや、おもむろに皇帝が私の許に歩み寄る。
「おっと、忘れるところだった。――例のものを」
ニコライ二世がそう言うと、侍従らしき人物がトレーで何かを運んでくる。
「聖アレクサンドル・ネフスキー勲章だ。これを山縣侯に。日清戦争における卓越した武勇に敬意を表して」
その言葉とともに皇帝は勲章を私の服につける。この勲章はロシアにおける三番目の勲章だ。三番目といえど高位勲章であり、原則として中将以上の軍人か同等の地位にある政治家にしか授与されない。受章者はロシア国内において最大級の敬意を以て接される。私に対するリスペクトを待遇という間接的なものだけでなく、勲章という目に見える形で示したのだ。
差し出されたニコライ二世の手をしっかりと握り返す。ロシア人としては確かに華奢な皇帝だが筋肉がしっかりついている。それは彼の努力の賜物だ。同じような感想も皇帝も抱いたらしい。
「侯も華奢であるが、意外に鍛えられているのだな」
「はい。私はご覧の通りのノッポですから」
自分も同じように見た目にコンプレックスを持ってたんですよ、と同族アピールをする。狙い通り、皇帝は仲間とばかりに目を細めた。
「侯とはよき友人になれそうだ」
「そう言って頂けるとは、何よりの誉です」
「この出会いに感謝を」
ニコライ二世はそう言い残して颯爽と歩き去る。大理石の空間にコツコツと軍靴の音が響く。その音は彼の気持ちを表すかのようにこれまでのそれとは違いどこか軽快だった。
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