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ロシア行き

 






 ――――――




 朝鮮情勢が極めて拙い。閔妃暗殺事件を発端に朝鮮における二大軸であった閔妃(死亡)と大院君(幽閉、燃え尽き)が同時にいなくなったことで朝鮮の政界は混迷を極めている。親日派と親露派とで激しく争っており、予断を許さぬ状況だ。


 そんななか、親露派によるクーデターである春生門事件が起きる。総理・金弘集(親日派)の暗殺が図られたが失敗。さらにはロシア、アメリカの朝鮮公館の関与が明らかになった。これで閔妃暗殺事件に関わった日本側とおあいこ。政権は親日政権ということで日本逆転ホームランかと思いきや、ロシア側がウルトラCを決めてくる。国王と世子(王太子)の身柄確保だ。さらに親露派政権が樹立され、日本はまたしても窮地に陥る。


 こうなってしまってはロシアを排除することは不可能だと、公使として対処にあたっていた小村寿太郎は考えた。ロシアのヴェーバー公使と協議した末に協定(小村・ヴェーバー協定)を結んで安定を図る。内容は、


 ・日露両国が朝鮮の内政監督にあたる


 ・国王の王宮帰還


 ・駐留する兵力量の決定


 の三点である。ロシアの影響力排除を諦め、自らも枷を嵌める代わりに相手にも枷を嵌める抑制策に出た。とはいえ現状維持で精一杯というのが実情であり、何なら後退していると言ってもいい。朝鮮の失陥は国防上に深刻な影響を与えるため、どうにか挽回する必要があった。


「ここはひとつロシアとサシで話さねばならんでしょう」


 ある日の閣議で朝鮮の問題を議論していると俊輔がそんなことを口にする。まだ小村・ヴェーバー協定が結ばれる前のことであった。


「そうなれば話は早いですが……」


 果たしてそう上手くいくのか――出席者たちの本音だった。ロシアの陸軍力は強大だ。さらに同盟国フランスがおり、ドイツとも協調関係にある。現在の国際情勢においては自慢の陸軍力のかなりを極東に割くことも可能であり、日本が逆立ちしたって勝てっこない。そんな弱者の言うことを強者たるロシアが聞くのか。賭けるにしたって分が悪い。


 私を含む閣僚たちは無理じゃない? と消極的な意見だったが俊輔は分が悪くとも対露交渉はやらなければならない。一方で交渉を続け、もう一方でロシアに対抗し得る国力を養うべく邁進すべきと主張した。将来の布石だと言われれば俊輔の意見はもっともなものだったので反対意見は消える。彼に乗せられる形でとりあえずやってみようという空気になった。


 俊輔がこんなことを言い出したのは朝鮮情勢が切迫している他に、当のロシアから招待があったからだ。皇帝ニコライ二世の戴冠式への招待である。緊張関係にはあるもののそれはそれ。招待されたならば人を派遣するのが礼儀だ。


「――ということで山縣。朕の名代として行ってくれ」


「わかりました」


 皇居に呼び出された私は天皇からロシア皇帝の戴冠式への出席を命じられた。なぜ私になったのか。それはロシアに敬意を払ってそれなりの人物を送る必要があるからだ。


 まず派遣が考えられたのは皇族だったが、前年に天皇が信頼する有栖川宮熾仁親王が病死した。天皇にとってかなりショッキングな出来事だったらしく皇族の派遣を渋る。ならばと重鎮の派遣が検討されたが、様々な理由で私にお鉢が回ってきた。


 第一候補の大久保は七十が視界に入ってくる高齢で、薩摩閥ナンバー2の松方は現役の大蔵大臣。長州閥では俊輔が現役の総理であり数ヶ月単位での不在は職務に支障をきたすため派遣できない。内閣に目を向けると外相の陸奥宗光は病気(肺結核)が深刻になっており辞職しようかという話になっていた。そんな状態で外遊などできるはずもない。


 そんなわけで私が行くことになった。現役の軍務大臣だが任期は一年限り。外遊中に切れるからと早めの交代となった(後任は例によって信吾)。天皇からの信頼はマックスで、候補に上がった大久保や俊輔からも信頼されている。彼らは口々に山縣なら大丈夫、と太鼓判を押してくれた。さらには陸奥からの推薦もあった。下関における講和会議の裏で私が色々と入れ知恵していたことは彼も知っており、外交方面にも頭が回ると思われているようだ。私なら難しい朝鮮問題についての交渉もやり遂げられるだろう、と言ったらしい。買い被りすぎだがこうも強く推されては断れず、急いで準備をして三月に日本を発った。


 目的地はロシア帝国の首都・サンクトペテルブルク。旧ソ連時代にはレニングラードと呼ばれていた都市で、プーチン大統領の出身地としても知られている。シベリア鉄道はないため船を使ってバルト海を通ってサンクトペテルブルクに向かう。戴冠式の前後には朝鮮問題について交渉することになっており、外務省が色々と準備を進めている。その後は欧州を歴訪して帰るつもりだ。


「どう? 桜花丸は」


「驚いた。豪華客船に相応しい出来だな」


 ロシアに向かうため横浜を発った私は倉屋が欧州航路に投入した新型客船・桜花丸に乗っていた。使者としての随員の他、今回も海が同行している。彼女はブリッジ横に立ち、潮風に髪を靡かせながら自慢げな声でこちらを振り返った。褒めて褒めて、という言葉になっていない言葉が聞こえたので褒める。するとむふー、と息を吐いた。うちの嫁さんが犬みたい。


「名前はわたしが考えたのよ」


 すると同行者のひとりである水無子が横から口を挟んで――いや、張り合ってきた。桜花丸は欧州航路に投入される客船のネームシップである。五千トン級の客船であり、この時代としてはそこそこの大きさだ。欧州への長い船旅を少しでも快適なものにするため、船体の大きさに比して客室は――下等のそれでも――ゆったりとした作りになっている。豪華な内装と高いサービスを提供するとして、倉屋はこれを「豪華客船」と宣伝していた。


 当然、旅客の数は少なくなるがその分を単価で補っている。代わりに豪華で他では得られない快適な船旅をというのがコンセプトだ。高級志向の船は桜花丸を筆頭に柏葉丸、秋花丸の三隻である。設備を簡素にした準同型の若竹丸六隻とあわせた九隻で欧州航路を担任する。


 倉屋では他にも太平洋航路(アメリカ、オーストラリア行き)に就役する小松丸型、白梅丸型などが政府の後押しもあって続々と建造されていた。対抗馬である日本郵船も神奈川丸(有名なのは常陸丸)や信濃丸などを投入してくる。欧州や北米航路などは熾烈な競争の時代に突入していた。


「そうかそうか」


 よしよししてやるとむふー、と満足そうにする。こういうところは親子そっくりなんだよなぁ。


 水無子は初めての海外ということでテンションが高い。桜花丸の目的地イギリスまでの船旅は前回と同じく約一ヶ月半。乗客は暇を持て余す。私は随員と交渉の打ち合わせがあるのでやることがまったくないわけではないが、暇な時間が多いのは事実。船内には娯楽が多数用意されており、水無子はそれらを満喫している(私も付き合わされた)。


 まずはなんといっても食事。和洋の料理人が調理にあたっている。船内にはカフェやバーもあり、カフェにはコーヒーや紅茶はもちろんパティシエによる洋菓子が提供されていた(和菓子も用意されている)。バーには多数の酒類が置かれており、乗船した外国人も各々が気に入った酒を飲んで楽しんでいる。他にもカジノや図書館、小さなホールがあった。ホールでは雇われた楽団や芸人が登壇するほか、乗客でも希望すれば何かしらの発表をすることができた。


「う〜ん」


「どうしたの? そんな難しい顔をして」


「娯楽のことだ」


 海が足りないかと訊いてきたがそんなことはない。桜花丸の娯楽設備はよく整っている。この時代、海外へ行く人間はそれなりの社会的地位を持っているから、オーナーが乗っていると知ると挨拶に来ていた。彼らが口々に言うのは「豪華客船と銘打つだけあってこれほど設備が充実した船はない」ということだった。その評価は嬉しいが、現代人としてはやはり物足りない。そして経営者としても不満を感じていた。


 理由ははっきりしている。


「かなり金がかかるな」


 船員は仕方ない。だが、ホールを稼働させるのに楽団を雇っていて、こいつがかなりの出費になることは容易に想像がつく。仮にも「豪華客船」を名乗っているのだからそれなりの格式が必要で、そういう楽団をおよそ三ヶ月拘束するとなれば報酬も高額になる。


「そうだけど、支援の見返りに安くしてもらってるのよ」


 海たちも馬鹿じゃない。楽団とは一年契約または何往復というような契約をしてコストを抑えている。またその多くは倉屋がパトロンとなっているところなので契約金が高騰することも考えにくいという。


 ちゃんと考えているようだけれど、現代人の知識がある私からするとコストがかかり過ぎている。現代ならネットを繋げばあらゆるコンテンツにアクセスできるのに、と思ってしまうのだ。酒はあまり飲まないし、女に手を出したら嫁に殺される。日本でも指折りの高級取りだから金にも困ってない。本当に娯楽が足りていないな。何なら仕事が娯楽になりつつある。前世の私が見たらひっくり返るだろう。


 ――と、そこまで考えたところで思い当たるものがひとつ。動画ならこの時代でも実現できるのではなかろうか。もちろん音は入らない。録音技術はエジソンのフォノグラフ、ベルリナーのグラモフォンと存在こそするものの、記録時間が短く音質もよろしくないので現代の動画のように絵と音を完璧に同期させることは不可能。それでも寄港先の映像を流しながらニュースのように解説を入れればコンテンツとしては成立する。長い尺がとれるならBGMやアテレコを生で入れてもいい。ドリフターズのお笑いやアニメのように。


「海。ちょっと頼みたいことがあるんだが」


 動画を娯楽コンテンツとして提供するため、写真を動かす技術を探すよう依頼した。アメリカでエジソンがキネトスコープを開発しているが、あれはデカい万華鏡という感じでひとりで楽しむもの。そうではなく、映写機のように多くの人が同時に映像を楽しめるものを求めている。


「任せて」


 普通なら訝しむところだが、それはここまでの積み重ね。私の突拍子もない意見が商売でことごとく大当たりしているため、海も疑問を持たず求める技術を探させた。もっとも実務にあたったのは欧米に滞在する倉屋の店員たちなのだが。


 そして後日。求めていたものはすぐに見つかった。しかもアメリカとフランスの二ヶ所で。フランスでは昨年にオーギュスト、ルイというリュミエール兄弟がシネマトグラフ・リュミエールを開発しており、パリで商業上映されて評判になっているとか。またアメリカでもエジソンによってヴァイタスコープが開発され、これまたニューヨークで商業化されているらしい。


 もちろん飛びついた。売ってくれ! と。反応がよかったのは発明王エジソン――ではなくリュミエール兄弟の方だった。彼らは根っからの技術者のようで、興行はするけどもその目的は発明品を披露するため。商業利用すると言っても特に何も言われなかったらしい。一方のエジソンは映画事業に乗り出しており、提示された使用料が莫大だったことから破談になった(映画に必要な機材の特許を持つエジソンは「エジソントラスト」と呼ばれる映画特許会社を設立して利益を吸い上げた。なおハリウッドができたのはこれから流れた映画会社がハリウッドに集まったことによる)。そういうとこやぞ。


 ともあれ動画の撮影技術を得た倉屋。撮影と技師やキャストの養成に一年を費やし、満を持して上映を開始した。何がウケるのかわからないので風景映像に演劇、コメディなど思いつく限りのコンテンツを用意している。外国人も乗るので英語とフランス語の字幕つきを制作した。意外にも好評だったのは前世のお笑い。当たり前だが下ネタよりもちょっと知的なネタがウケた。だが下ネタも中流以下にはウケがいいので、竹級以下の等級でのみ流すようにする。


 閑話休題。


 話を本筋に戻す。桜花丸は処女航海ながらも某豪華客船のような事故は起こさず無事にイギリスに着いた。ここで海たちとは別れ、代表団とともにロシアに向かう。


「頼んだぞジョニー」


「任せてくれアリー。ただ、例の件について戻ってきたら聞かせてくれよ」


「わかってるよ」


 ペダル漕ぐ方式とはいえ有人動力飛行に成功したことは日本はもちろん、ヨーロッパでも評判になっていた。天皇からも見せてくれと言われていたが、まだお見せできるものではないと断っている。本当の飛行機になってから天覧に供したい。ジョニーに対してもそれは同じだ。だからそんなに話すことはないと言っているのだが、それでもと食い下がられたので約束した。まあ話くらいならするよ。技術的なことはほぼわかんないけどな!


「お気をつけて」


「お手紙書いてね」


 海は他所行きの貞淑な妻感を出して。水無子は(年甲斐もなく)無邪気に。それぞれの方法で送り出してくれた。


「人気者ですね、閣下」


「揶揄うなよ」


 随員に揶揄われたのでこれくらい当たり前だろう、と返したら変な顔をされた。まるで珍獣でも見るかのように。どうやら当たり前ではないらしい。程度の差はあれ家父長的な面があるから父親は畏敬の念を抱かれていると勝手に思っていたが、この反応を見るに違うようだ。君たち酒や金や女にだらしないのでは?


 あ、ちなみに水無子に求められた手紙は暇さえあればすぐに書き送った。もちろん海に対しても。娘だけに送ると拗ねるからね。我が妻は嫉妬深いのである。










「面白かった」


「続きが気になる」


と思ったら、ブックマークをお願いします。


また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




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