表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/102

下関条約

 






 ――――――




 清国とギリギリの調整が続くなか、私は大久保と一緒に夕食を食べていた。講和交渉が行われた日かその翌日に必ずこの時間が設けられている。交渉について外から聞いていた所感を訊ねられていた。


「李鴻章は手強いですね」


「そうだな。しかし、軍のおかげで日本が有利だ。いつまで続くかはわからないが、だからこそ何としても講和をまとめたい」


 恫喝まがいのことまでしているが、あくまでもそれは交渉の手段。大久保は本気で講和をまとめるつもりだった。


「大久保さん。ひとつお話ししたいことが」


「何か?」


「私がイギリスに知人が多いことはご存知でしょう」


「勿論だとも」


 西洋かぶれと呼ばれる私だが、なかでもイギリスとの関係が深いことは有名である。ジョニーや倉屋を介して関わることが多く、日本のみならず極東に赴任してきた人物は挨拶に来るし、公使なんかと頻繁に会食していた。おかげで軍人や外交官、実業家に友人が多数おり、その筋からとある情報を入手していた。


「列強が講和に干渉しようとしています」


 ロシアが主導し、ドイツや同盟相手であるフランスとともに遼東半島を清国に返還するよう圧力――否、脅してきた。それが三国干渉である。


「それは……益々、講和を急がねばならんな」


「はい。ですが、最大の障害が遼東半島です」


 清国は台湾についてはほぼ諦めており、日本の割譲要求に対して拒否の姿勢こそ示しはしたものの、今や割譲に異議を唱えない。賠償金も払うこと自体には同意している。だが、遼東半島については頑として譲らなかった。


 遼東半島を清国から見たとき、その存在は日本にとっての朝鮮半島(南部)や対馬と同じだ。そこを失うことは、喉元にナイフを突きつけられるのも同然なのである。これを防ぎたいのはどの国も同じだ。


 一方、日本から見た場合も遼東半島は極めて重要な地点だ。日清戦争でそうだったように、朝鮮半島に進出する際の重要な根拠地となる。


「請求を除けというならできないぞ」


 大久保は言いたいことを察したらしく、半島の請求放棄に難色を示す。それは主に国内的な事情だった。


 民衆というのは勝手なもので、連日の大勝利という報道に浮かれ、当事者でないことをいいことに勇ましいことを言っている。最も強硬な者は講和など時期尚早。日本軍はこのまま満州を席巻し、直隷を陥れるべしとか何とか言っている。実に勝手なことだ。しかも対外硬はこの世論を煽り、政府批判の口実としていた。政党と繋がるメディアもこれを煽っている。鬱陶しいが無視するわけにもいかず、ある程度は強気に出なければならなかった。


「わかっています。私が提案するのは放棄とも少し違うことです」


「放棄ではない……どうするのだ?」


「非武装地帯とします」


 イメージは第一次世界大戦後のラインラントである。日清とも遼東半島に軍を置かないようにするのだ。ラインとしては案その一で設定された割譲範囲を非武装地帯とする。


「しかしそれでは国内が煩いぞ」


 得られたのが賠償金と台湾となれば対外硬を中心に弱腰だと政府を批判してくるに違いない。


「懸念は現実のものとなるでしょうが、正直に申し上げて代議士や民衆などに配慮している場合ではありません」


 仮に妥協せず遼東半島を得られたとする。間違いなく三国干渉によって返還させられてしまうだろう。今の日本に列強を相手にして戦争する力はないから呑むしかない。ここで引こうと引かまいと、結果的に遼東半島は手に入らないのだ。ならば最初から取らず、非武装地帯にすることで朝鮮における清国のプレゼンスを低下させる方法をとるべきだと説いた。


「さらに清国の悪感情も軽減できるでしょう」


 戦勝国と敗戦国というわけで完全に蟠りがゼロになることはないだろうが、要求を引き下げれば多少、日本に対する復讐心を抑制できるかもしれない。清国が受け入れるのかという問題があるが、李鴻章は交渉の席で両国友好のためにという言葉を使っている。それを逆手にとって、友好のために遼東半島の非武装地帯化を呑めと迫るのだ。割譲は免れるから受け入れる可能性は高いだろう。


 もし遼東半島の非武装地帯化が実現すれば列強からの干渉を回避することができる。彼らの干渉は日本の遼東半島「所有」が極東の平和を阻害するという名目で話が進んでいる。だが、非武装地帯化となれば「所有」していないわけだから何を言ってるんですか? と返すことができた。


「うむむ……」


 なおも悩んでいる様子だったので、私は最後のカードを切る。


「先日、陛下に拝謁した際に清国と友好関係を保ちたいという旨のお言葉がありました」


 戦争に勝ったのだから貰うものは貰う必要があるが、相手の言い分もそれなりに容れて友好の芽は残しておくべきと進言した。


「……わかった。陸奥に新たな案を検討させよう」


 大久保は決断した。陸奥外相が呼ばれ、最終提案とした二案に代わる提案を練り上げる。外務省も列強による干渉の動きは掴んでいたらしい。陸奥としては正面突破を図り、干渉があれば程度によって判断しようと考えていたようだが、非武装地帯化が実現すれば大体の目的を達せられるとしてこの案に賛同。二案の間をとって遼東半島の非武装地帯化と賠償金を二・五億両とすることでまとまった。


 なお、遼東半島の取得を求めていた軍(特に陸軍)への抑えは言い出しっぺの私がやることになる。もちろん反対に遭ったが、列強による干渉の動きがあることを説明。その上でロシアとフランス、ドイツを相手に戦争して勝てるのかと言ってやった。こう言われてはさすがに黙るしかない。ややヘイトを買ってしまったが、どうせ戦後には賠償金を使った大軍拡だ。その熱狂に忘れ去るだろう。


 清国の回答期限までに作業は急ピッチで進められ、前日までに完成する。本国との連絡の都合で先方から一日延期してほしいと申し込まれたので了承。できた一日を利用して条文を精査しブラッシュアップした。


 そして迎えた回答の日。李鴻章は案その一をおおよそ受け入れると回答した。ただ、賠償金は更なる減額を求めている。大久保はうんうんと頷きながら聞き、その後で日本側から新たな提案がなされた。遼東半島の非武装地帯化案である。


「貴国にとっても悪くない話だと思います」


「遼東半島がこちらの手に残るのはありがたいが、やはり賠償金が……。しかも増額されている」


 李鴻章は一貫して賠償金の減額を要求した。五時間にわたる長丁場となったが、賠償金に関しては耳を貸さなかった。むしろ遼東半島の請求を放棄したのだから多少の増額は当然というスタンスである。


 暖簾に腕押し、糠に釘といった交渉に、李鴻章は日本側からこれ以上の譲歩は引き出せないと判断。本国に調印許可を求め、数日後に調印を認めるとの回答があった。


 調印許可を受けた後も李鴻章は何度か賠償金の減額交渉を行っている。最後の足掻きだったが、日本に譲る気はさらさらなかった。それにはちゃんと理由がある。交渉の冒頭で日本側は電信の使用許可を与えたが、何も純粋な厚意で許可したのではない。その内容はしっかり傍受しており、本国とのやりとりは筒抜けであった。清国から調印の許可が出たことも把握しており、譲る必要性はないと頑なな態度をとったのだ。


 李鴻章はここら辺が潮時だと調印を決断。条約の起草と日本語、中国語、英語の条文の照合が行われた。そして諸々の事務を終えた明治二十七年四月十七日、日清講和条約(下関条約)が結ばれる。


 仕事を終えた清国交渉団はその日のうちに帰国していった。日本側の代表も翌日には退去。講和交渉はひとまず区切りがついた。




 ――――――




 講和交渉は難航したが、どうにか調印にまで漕ぎつけた。まだ批准の作業が残っているが、仕事はほぼ済んだと言っていいだろう。


 私は大久保たちとともに下 赤間関から広島へ戻る。広島には徳大寺実徳侍従長が天皇の意向で迎えに来ていた。交渉の当事者である二人はそのまま天皇の許へ行って報告を行うことになっている。


「それでは私はこれで――」


「何を言っているのですか山縣さん」


「はい?」


 別れようとしていたら、あなたも来てくださいと言われた。何で? と訊ねると報告の後に慰労会としてちょっとした食事会を行うことになっているからそれに出席しろとのこと。閣僚や大本営の主要メンバーも出席するという。


「軍務大臣であり陸軍大将であり、第一軍司令官として此度の戦役を指揮された山縣閣下に出席してもらわなければ。陛下も楽しみにされております」


 そう言われては別れるわけにはいかず、大久保たちと天皇の許へ。天皇からはよくまとめた、とお褒めの言葉があった。その後、慰労会となったが出されたのは軽食であり、話をする合間に摘むという感じだ。


「閣下」


「おお、川上くんか」


 声をかけてきたのは川上操六。隣には児玉源太郎もおり、彼とも挨拶を交わす。大本営のスタッフである彼らも呼ばれていた。


 桂と立見は大陸に渡って戦場にあったが、この二人は大本営に詰めて戦争指導にあたっている。戦地にいる間も手紙で近況こそ伝えているが、やはり直接話す方が早い。それは二人も同じで戦争について話し、結果としてプチ反省会となった。


「戦闘力は申し分ない。今後も時代に適合する装備を与え訓練を施せば十二分に戦える」


 日本軍が創設されて以来、まともな戦いは西南戦争くらいだった。対峙した西郷軍の装備は日本軍のそれと比べて前時代的なもので、緒戦はともかく部隊が集結するとこれを圧倒している。そんなわけで日清戦争は初の本格的な戦争で、対戦国である清国は――兵員の質はともかくとして――装備は同等かそれ以上。清国はアジアの一流国という伝統的な価値観も相まって、本当に勝てるのかという気持ちは誰もが大なり小なり抱いていた。だが、蓋を開けてみると連戦連勝。十分に戦えることが証明されたが、逆に別の問題が顕在化した。


「やはり補給ですか」


「閣下は以前から懸念されておりましたが……」


「これでも甘かったな。痛感したよ」


 日清戦争における日本の最大の敵は気候と補給だった。前者はもうどうしようもないから諦めるとして、後者については日本の国力不足である。これが現代アメリカならば、後ろで大規模な土木工事をして補給改善しながら進撃するだろう。今日の列強でも鉄道の一本くらいは通しそうなものだ。


 しかし、日本にそんな力があるはずもなく、馬匹や人力でえっちらおっちらと運んでいた。朝鮮も清国も道路事情は劣悪であり、雨が降った日には泥濘があちこちに生まれて物資の運搬には相当な困難が生じた。いくら戦場とはいえ戦闘糧食ばかり口にしていた気がする。宿営地として定めた場所にしばらく留まっていると、ようやく米にありつけた。まあ、地元民から購入できればそうしていたんだけども。


「とにかく輸送力の強化が第一。第二に装備の更新だ」


「何かありましたか?」


「清国軍にドイツのGew88を装備した部隊がいてな。これを鹵獲したので試してみると極めて良好な結果を示したんだ」


 無煙火薬が発明され、世界的に小銃の更新が始まっていた。その走りがフランスのルベルM1886で、上述のGew88もそのひとつだ。日本も村田銃を改良した二十二年式村田銃が製作されてはいたものの、管状弾倉を採用して平頭弾丸となった結果として射撃精度が悪化。試験でそれが問題視されて不採用となり、日清戦争は単発式村田銃(十八年式以前の形式)で戦った。勝ちはしたものの連発銃は必須であるとして急ぎ後継銃の開発と装備をしなければならない。


「小銃もとなると、銃砲を一気に更新することになりますな」


「ああ。金がかかって仕方がない」


 児玉が火砲の更新を示唆し、私も同意する。陸軍が使う主要兵器、小銃と火砲を一気に更新する考えだった。


 日本軍は数種類の火砲を運用しているが、主力となる野砲は青銅でできている。いわゆる青銅砲というやつだ。今日、大砲といえば鋼鉄製で、清国軍の大砲もまた鋼鉄製であった。にもかかわらず青銅製の砲を使っているのは大山巌の建議によるものだ。曰く、兵器の国産化を図るためにも製造容易な青銅を用いるべし、と。実際、西洋の国でも青銅砲は用いられている。そんなこともあり、日本軍の野砲は青銅製であった(丁度、素材の過渡期だったからという事情もある)。


「火砲もこのまま青銅砲というわけにはいきませんからね」


「そうだな」


 銃砲を一気に更新するのだからなかなかの大仕事だ。新規開発するにせよ輸入するにせよ、年単位で選定しなければならない。ただここはそんな席でもないか、とこの話は切り上げて雑談に興じた。


 二日後の四月二十日、日本は条約へ批准。史実なら三日後の二十三日に三国干渉が行われるが、遼東半島を「所有」しなかったため干渉は頓挫した。請求を放棄して交渉が妥結したのは急転直下だったから致し方ない。


 五月八日、今度は清国の芝罘にて批准書の交換が行われる。これも史実では大規模なロシア艦隊が居座って圧力をかけていたが、現世では平穏無事に執り行われ条約が発効した。










「面白かった」


「続きが気になる」


と思ったら、ブックマークをお願いします。


また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
小銃と野砲の話が出たが、小銃は38式相当に、野砲は液気圧式駐退復座機+開脚式砲架にしたいものですね 逆行ものだとよく日露戦争で浸透戦術するけど、ドイツ流の短期間集中砲撃のためには当時の日本軍の野砲(三…
三国干渉回避成功! これが日露戦争とか第一次世界大戦にどう影響するか楽しみです。
義和団の乱後のゴタゴタが問題になりそう。 この講和条約は日清両国に対しては法的拘束力を発揮するだろうけど、第三国が占領、割譲を要求したときはどうなのだろうか? 史実のトンビに油揚げを掻っ攫れるより…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ