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下関談判

 






 ――――――




 明治二十七年(1895年)三月十九日。李鴻章ら清国交渉団が門司に到着した。彼が外国を訪れたのは史上初であり、清国の実力者はじめての外遊ということで外国メディアが押しかけている。


 李鴻章一行は乗ってきた船で一泊し、翌日に対岸の赤間関(下関)に上陸。沿道を警棒のみ持った警官隊が厳重に警備するなか、会談場所としてセッティングされた旅館・春帆楼に向かう。ここは俊輔に縁故ある旅館で、ふぐ料理を公許された初めての店として知られている。


 大久保と陸奥は前日に到着しており、李鴻章一行の到着を待っていた。果たして両者は午後三時に対面を果たす。私はお行儀はよろしくないが、大久保の求めでその様子を密かに窺っていた。


 その姿をチラッと見たが、李鴻章は一八〇センチを超える長身で、一七〇ある私からしてもかなり大柄な人物だった。中華帝国をまとめ上げる実力者に相応しい容貌である。まあ、対する大久保も一八〇センチ以上あるので体格は互角だった。陸奥も一七〇はあるので議場の主要な人間は皆長身なのだが……巨人の巣窟かな?


「船旅はいかがでしたか?」


「幸いの好天で快適でした。一度、嵐に遭いましたが一日で過ぎていきましたよ」


 大久保が切り出すと、李鴻章もこのように応じる。両者は少し話した後、とりあえず最初の関門といえる全権委任状の確認を行うことにした。


 会談に先立って、日本はアメリカを介して清国側に李鴻章は全権か否かについて照会。彼が全権であるとの言質をとっている。その言葉通り、李鴻章にはきっちりと全権に足る権限が与えられていることが無事に確認された。それと同時に清国側から停戦を求める覚書も渡される。


 初日は元より資格の確認と顔合わせしか予定されておらず、これにて終了となった。ただ即解散とはならず雑談タイムに入る。まあ話しているのは主に大久保と李鴻章で、内容も政見であったり自国の政治状況についてだから単なる雑談ではないのだが。


 そんなわけで内容は乏しくとも会談は一時間と少しを費やした。最後に停戦を求める覚書については翌日の第二回会談で回答することを約束して今度こそ解散となる。


 李鴻章一行は乗ってきた船に宿泊することになっていたが、それだと不便だろうということで日本側が引接寺(江戸時代には朝鮮通信使の宿となっていた実績のある寺院)を滞在場所として提供した。その他、清国との電信についても特別に許可している。


 清国の交渉団が退室した後、入れ替わるようにして私が入室した。


「お疲れ様でした」


「ああ。なかなか疲れるな」


 さすがは清国を纏める人物だ、威圧感が凄い、と大久保は漏らした。確かに全身から覇気のようなものを出している様子を幻視する。あれが真のカリスマというやつなのだろう。高杉や西郷からも似たようなものを感じたことを思い出す。もちろん大久保からも。


「……それでだ。この停戦要求、軍は受けるべきと考えるか?」


「はい。ご存知の通り、大本営は直隷決戦に向けて息巻いております。放っておけばそのまま直隷へと雪崩れ込みかねません。彼らを鎖で繋ぐ意味でも停戦は望むところです」


 史実ではとんでもない条件を突きつけて清国から拒否させたが、この時点で日本は遼東半島と台湾全域を占領している。行先は直隷しか残されておらず、また政府としては直隷決戦はしないとしている以上、ここで止まるべきだ。現在の占領地域ラインで停戦し、その費用は清国が別途負担するという二つの条件で停戦に応じるべきだと答えた。


「外務大臣はどうか?」


「異存ありません」


 こうして軍と外交から同意を得て、翌日の第二回会談にて先の二つの条件で日本側は停戦の用意があることを李鴻章に伝達した。


「清国は歓迎します」


 圧倒的劣勢に立たされている清国は両手を上げて歓迎。現場部隊への周知期間を設けることとし、停戦発効は一週間後ということで合意した。


 また、この日は日本側から講和の希望条件が伝達された。その骨子は以下の五項目であるが、交渉の鉄則としてやや高めのボールを投げている。すなわち、


 ・清国は朝鮮の独立を承認すること


 ・賠償金として庫平銀四億両を支払うこと


 ・台湾と遼東半島を割譲すること


 ・日清間の条約を新たに調印すること


 ・経済上の優遇措置


 である。


「これは……」


 要求を突きつけられた李鴻章はしばらく閉口していたかと思えば、うわごとのように「過酷、過酷……」と呟く。そこへ陸奥が言った。


「もちろんこれは我が方の希望する条件に過ぎません。我らは交渉をしているのですから、双方が詰めていきましょう。時間はたっぷりとあります。ゆっくり話し合おうではありませんか」


 余裕たっぷりといった様子である。さらにパフォーマンスの意味も込め、私は清国へ向かう輸送船団が会談時間に関門海峡を通過するよう手配していた。既に兵士は渡海しているため、乗っているのは弾薬や食糧の類である。それでも海峡を数十隻の輸送船が航行する様は李鴻章を威圧するのに十分であった。


 陸奥の余裕ある口ぶりとは裏腹に、威圧的なパフォーマンスをしているのは内心、あまり余裕がないからだ。徒に交渉が長引けば列強が介入してくる恐れがある。表向きは余裕たっぷりに見せつつ、さっさと講和を纏めてしまいたいというのが本音だった。


「……本国とも打ち合わせる必要があります。回答は後日でよろしいか?」


「ええ。それではそうですね……次回は一週間後としましょう」


「感謝します」


 李鴻章はそう言うと会談を切り上げた。しばらくして憲兵隊から暴漢ひとりを捕まえたとの連絡が入る。李鴻章一行が宿所に帰っていたところ不審な人物を巡回中の憲兵が発見。不審尋問(現代の職務質問)をかけようとしたところ、慌てた様子で行列へ向けて突進した。しかし沿道には人が詰めかけて人垣を形成しており、群衆に行手を阻まれているところを憲兵に拘束される。詰所に連行して所持品を検査したところ拳銃が発見され、さらに事情聴取では李鴻章への害意があったと自供した。


「山口の警察は何をしていたか!」


 このことを知った大久保は激怒した。理由は山口警察の態度である。私が警備に懸念を示したことで大久保も山口警察に警視庁などから増援を呼ぶかと打診していた。しかし、山口警察は必要なしとの回答。何なら私の介入にすらいい顔をしていなかった。まあ官僚として横槍が入るのが嫌という気持ちはわかるが、事は国家の体面がかかっていることだ。地方警察の面子に配慮するよりも警備に万全を期したい。だが、山口警察の態度は変わらず、どうにか警備の方法について指導することはできた。


 このような経緯があるので、私が実際に動かせたのは直接の影響下にある憲兵隊のみだった。私は憲兵隊に、怪しい奴を見つけたら間違えてもいいからとりあえず尋問しろと言っていた。それが功を奏したわけである。他方、大口叩いた警察は沿道警備に注力するのみで、憲兵隊が誰何しなければ李鴻章に拳銃で襲撃をかけられていたかもしれない。その不手際を大久保は責めているのだ。


 講和会議終了後、山口県知事と警察部長はこの不手際を裏で責められている。もちろん李鴻章の襲撃未遂が原因だが、この件はひた隠しにされたため世に知られることはなかった。


 知らないところで命を拾った李鴻章であったが、彼もまた日本の知らないところで暗躍する。日本が提示した講和条件を本国に打電し、列強諸国にリークしたのだ。しかも日本が列強を懐柔するために盛り込んだ通商に関する項目を除いて。せこいと言いたいところだが、日本も日本で列強の顰蹙を買いかねない領土要求を除いてリークしているのでおあいこである。まあ、綺麗事だけで政治はできないということだ。


 次回の会合において、李鴻章は講和条件につて回答した。


「我が国は昨年末、既に朝鮮の独立を認める旨を声明しています。ですから朝鮮の独立について明記することに異存はありませんが、条文においては日本もまた独立を認めることを記すべきです」


「さらに貴国は勝者であり、我々は敗者であるという事実から戦費を支払うことに吝かではありません。しかしながら四億両という賠償額は多大であってこちらは到底、支払うことができず、支払いが滞ったとき、両国に再び戦端が開かれるという不幸を招かないよう減額を求めます」


「そして両国が将来、平和的かつ友好的な関係を築くために領土割譲は認められません。もしこれがなされたならば、清国の臣民はこれを恨み、両国に千年の禍根を残すことになるでしょう。東洋平和団結のため、また開戦時に貴国が声明した朝鮮の独立を支援し、清国を貪るものではないという旨を守る意味でもご容赦願いたい」


「両国間の新条約についてはこれを締結する必要はあるが、最恵国待遇は双務的なものを望む」


「その他、細々とした通商上の取り決めについては多岐に渡り、今返答することは難しい」


 とのことである。これを聞いた大久保はいやいやと首を振る。


「閣下。我々は所感を訊ねているのではなく、条件が受け入れられるか否かを問うているのです。受け入れられないならば、どの条項が受け入れられないのかを明示していただきたい」


 清国の回答は日本の要求に達していないとして突き返した。翌日にも会合が持たれ、清国は回答をやり直す。朝鮮の独立については前回と同様に日清双方が承認するものとし、賠償金は一億両(無利子)。領土割譲は台湾と朝鮮国境の一部(大東溝周辺)とされた。


 しかし、日本側は朝鮮について訂正をせず、賠償金は減額に応じるものの額は三億両で領土割譲範囲は変更なし――と清国の求めにはほぼゼロ回答。唯一、通商に関する要求について開港場を減らすことで清国の要求引き下げに応じた。


 これに李鴻章は難色を示す。


「まず賠償金が過大です。清国には三億両も支払うだけの財源がありません。賠償金の減額は必要で、またその税源となる開港場のひとつ(営口)を割譲の対象にしながら多額の賠償金を請求するのは不条理だ」


 この仕打ちは食い扶持を与えず象を養えと言っているようなものじゃないか、と訴える李鴻章。さすがは魑魅魍魎が跋扈する宮廷闘争を生き抜いてきた人物だけあって、その言葉には他人に訴えかけるものがあった。しかし、相手は大久保。幕末維新期を駆け抜けたこちらも傑物である。すぐさま反論した。


「しかしその象は世にも珍しい巨象です。貴国の人口はおよそ四億。日本の十倍にもなる。その民力もかなりのものです」


 広大な国土と膨大な人口、豊富な資源にそこで生み出される様々な産物。それらを使えば決して不可能ではない、と大久保は言った。


「なるほどそうでしょう。それでも清国は未開発であり、それらを開発するにも資金が必要です。しかしそのあてはない。となると外債に頼るしかありませんが、先ほど述べた通り財源がなく返済できる見込みも立ちません」


 ついでに戦争の勃発と敗戦により清国の信用は地に堕ちたとし、外国の資本家が金を貸してくれるのか不透明で支払い能力に疑問が残る。条約を履行できると責任を持って約束できるよう、賠償金についての減額と領土割譲の軽減を重ねて求めた。


 これだけ聞けば約束を守れるラインにしてもらう代わりに確実に果たそうとしている――と好意的に受け取ることもできる。しかし、私は性根がひん曲がっているので意地の悪い解釈をした。可哀想な自分を盾に譲歩を求めているのだと。そう考えれば却下するときに負い目を感じなくて済む。


「閣下や貴国の苦境に関しては察するところ余りあります」


「っ! ならば――」


「ですが、この要求は戦争の結果として生じたもの。通常の交渉とは訳が違います。多少の無理は聞いて頂かないと」


 正直、この時代の日本人で清国にここまで一方的に勝利できると思っていた人はそういないだろう。成功に伴う万能感からか人々は有頂天になっていた。民衆やメディア、対外硬と呼ばれる議員のみならず自由党議員(つまり議会勢力全体)に軍人や官吏に至るまで好き勝手に要求をし、それらが積み上がった結果として当初案はとんでもない化け物だった。それが容れられないならば北京まで攻め入ってしまえ、と実に勇ましいことを言っている。


 ……言うのは勝手だけれども、自分たちは前線に行かないのだから気楽なものだ。いや、安全地帯にいるからこそ言えるのか。国民は徴兵される可能性があるわけだが。


 しかし、大久保は冷静だった。積み上がった要求を見てさすがに過大すぎるとし、直隷決戦の放棄を前提とした現実的な講和案にどうにかこうにかまとめた。事情が事情なので抵抗は凄まじかったものの、大久保はその政治力を遺憾なく発揮している。


 ともあれ、清国からすれば過大に見える要求だが、日本側からするとこれでもかなり抑制したものなのだ。何にせよ朝鮮から清国の影響力を排除すること(朝鮮の独立)と賠償金、領土割譲は絶対に譲れない。焦点となっている賠償金はできれば三億、最低でも二億両。領土は台湾は全部が最低で、妥協できるとしたら遼東半島だろう。金州以南をもらえれば言い訳できる。今は半島全部だと吹っかけているが、本命は旅順だった。


 その後、何度か交渉を行なってすり合わせをを行う。清国の懇願に応じて営口を割譲範囲から除外。朝鮮の独立は清国が認めるという文章に変わりなし。通商に関するあれこれも通った。だが、賠償金と領土割譲については粘るのでここが最大の焦点となる。


 清国は相変わらず賠償金も領土割譲も可能な限り軽減しようとした。それらは決しておかしな行動ではないが、彼らはただ減らしてくれと要望するのみで、代わりにどんな利益を与えるのかについては述べない。さすがに焦れた大久保はこう言い放つ。


「閣下。失礼かと思いますが、我々は貴国の求めに応じて講和交渉に臨んでいるのです。ここまで渋られるのであれば結構。より打撃を与えて条件を呑ませるのみです」


 大久保は交渉決裂を示唆した。口ぶりはかなり苛烈で、交渉が決裂したときに李鴻章が北京の城門を無事に潜れるかは保障しかねる――つまり北京攻略を匂わせる。その上で大久保は最終提案だとする二つの講和案を提出した。


 どちらも賠償金と領土割譲は含まれている。ただし、両者はトレードオフとなっていた。案その一では賠償金が二億両になっている代わりに遼東半島ほぼ全域を割譲することとなっており、案その二では賠償金が三億両となっている代わりに割譲地域は大連湾と金州湾の最狭部以南(要するに旅順と大連)だけとなっている。金と土地どっちをとるのかという案だった。


 内容を伝えられた李鴻章は今までと余り大差ない内容に難しい顔をした。最終提案ということは議論しないつもりかと訊ねるも、


「そういうわけではありません。ご意見は拝聴します」


 言外に聞くだけで変更はしない、と言っていた。李鴻章もそれは察したらしい。


「本国とじっくり相談しようと思います」


 回答期限は明日ね、と言おうとしたら先回りして猶予を求められた。あまり長引かせるのもよくないが、あちらで議論する時間も必要だろうと期限は一週間後ということになる。


 かくして議論は山場を迎えることとなった。











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手に汗握る交渉で盛り上がって参りました! 続きが早く読みたいです。ここで止まるのはクリフハンガーだ
無事襲撃回避成功 いやでも史実明治日本の要人警護ガバガバすぎません? 下手に領土拡大しても史実通りの三国干渉飛んでくる危険性があるから要地(旅順)だけ抑えて金毟り取りたいですね…てかしれっと賠償金が2…
2025/06/22 00:33 カレーライ
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