厳冬の満州
――――――
大本営は戦争における大まかな作戦方針を開戦前に決定していた。万事上手くいけば清国の首都である北京周辺における直隷決戦を行う、というものである。これまでの戦いは将棋でいうところの駒組と仕掛けにすぎない。その戦いは幸い日本側の勝利に終わり、形勢有利のまま中盤から終盤へと移る。
ただ、勢いのまま直隷決戦へとはならない。一歩ずつ確実に詰みへと持っていくためというのもあるが、現実には直隷決戦を行われると困ってしまうというのが政府の考えで、そこから待ったがかかったからだ。
「このまま直隷決戦となれば清朝が崩壊しかねない」
大久保は直隷決戦で負けるとは更々思っていない。勝つだろうが、それで清朝が倒れるなんてことになれば収拾がつかなくなる。日本はどこと講和すればいいのかわからなくなるし、起こるだろう内乱によって権益を危険に晒される列強からは確実に恨みを買う。だから直隷決戦はやる姿勢は見せるがやらない。将棋でいえば王将を取るのではなく、詰みに持っていって投了させねばならなかった。
そのような事情のほか、講和に関する動きもある。列強――というかイギリスから、開戦間もない十月には早々に講和仲介の申し出がなされた。開戦の目的は朝鮮半島から清国軍を追い出すことで、それを果たせたのだから講和してもいいのではないか。よければ仲介しますよと言ってきたのだ。
しかし、日本はこの申し出を拒絶している。イギリスの仲介内容は朝鮮の独立と賠償金で決着をつけるというものだったが、こっちだって(建前はともかくとして)慈善事業で戦争をやっているわけではない。その程度でわかりましたと矛を収めるわけにはいかないのだ。もう少し戦果を拡大して得るものを増やしたいと戦争継続を決めた。
もちろん政府内にもイギリスの意に反して戦争を継続するのは問題にならないか危惧する者もいた。それに対して大久保は問題にはならない、ときっぱり言い切った。
「列強は足並みが揃っていない。実際、働きかけているのは英米の二ヵ国にすぎないだろう?」
さらに大久保は各国の思惑を言い当てていく。イギリスは清国における権益を守るため、アメリカは清国への進出が出遅れているのを挽回するため、それぞれ率先して活動している。他方、ドイツやフランス、ロシアはまだそのときではないと見て静観の構え。特にドイツは日清双方から武器の注文が入ってウハウハだ。可能な限り長引いてくれた方がいいから、ギリギリまで何もしないだろうというのが大久保の見立てだった。
十一月になると清国が列強を介した講和を要望。これにイギリスは飛びついた。だが他の列強は後ろ向きで、アメリカに至っては独自に講和の仲介を働きかける。このことを知ったイギリスは清国に日本との直接交渉を勧めた。
元々、清国は列強の調停で事態を収拾するというプランを思い描いていた。こんな大敗するのは想定外だっただろうが、ともあれ清国としては列強の仲介に期待した。ところが蓋を開けてみるとバラバラに行動されて日本への圧力にならない。これは望み薄だということで一ヶ国による仲介へと方針転換。その相手には柵の少ないアメリカを指定した。日本も講和交渉のチャンネルは開いておくべきだとアメリカの仲介を受けた(これを知ったイギリスは怒った)。
かくして講和交渉の準備が始まったが、これと並行して清国を寄せていくための作戦が大本営にて通過。現地の第一軍と第二軍に通達される。第一軍には山海関方面への進撃、第二軍には山東半島の威海衛攻略が命じられた。ただ、具体的な作戦で第一軍と大本営は少し揉める。
「ですから、それでは直隷決戦に間に合わない虞があります」
「間に合わせるからやらせて頂きたい」
大本営から来た使者と東條少佐が揉めていた。中身は遼東半島に残る清国軍の始末について。現在、日本軍は半島の北端と南端を制圧しているが、その間には各地から逃げてきた清国軍がおり、これをどうするかで意見が割れていた。第一軍はこれを掃討すべきと言い、大本営は直隷決戦に間に合わない可能性があるからさっさと山海関へ向けて進撃しろと言ってきている。話し合いをしているものの互いに譲らず。
「だから、どこの世界の軍隊に後方の敵を片づけずに進撃する軍隊がありますか!」
「武器弾薬の乏しい敵など気にする必要はないでしょう」
第一軍が懸念しているのは残党によって補給を脅かされることだ。これは単なる憶測ではなく、我々の苦い経験があった。
鴨緑江を渡河して満州に雪崩れ込んだわけだが、それと前後して朝鮮国内で東学党が再蜂起した。彼らは兵站部隊を襲撃。少なくない被害が出ており、補給経路が朝鮮半島を通っていたときにはしばしば補給が滞るということが起きている。民衆ゲリラでも苦戦したのだ。練度は低いとはいえ正規軍であるから侮れない。
そんな事情があっての要求だったが、大本営はそんなことはいいから前進しろとの注文。第一軍がこうして揉めている一方、第二軍は命令された威海衛の攻略に向けて準備をしている。作戦発動は来年の一月。彼らは直隷決戦において山海関の東岸から上陸することになっている。陸路を進む我々はさっさと移動しないと間に合わないというのは真であった。
「――ならばこれでどうだ?」
仕方ない、と私は激論に口を挟む。代替案の提案だ。西進するために第一軍は海城を攻略する。ただそこは北に遼陽と牛荘、南に蓋平がある交通の要衝。敵は奪還を試みてくる可能性が極めて高かった。
しかも第一軍の隷下にいる第五師団は戦争初期から戦い続けて疲弊している。彼らを休ませたいが、そうなると動けるのは第三師団のみ。一個師団で清国軍を相手にしろというのは物質的にはともかく精神的には難しい。そこで第二軍から一個師団を貰い受ける。半島南端にいる師団が北上して合流するついでに道中の敵を掃討するというものだ。
「それならば……」
東條少佐はこれで納得。大本営からも了承された。第一師団が転出して残敵を掃討しつつ北上。攻略目標南部の要衝である蓋平へ進駐することで決着した。
第一軍は陸を移動するため第二軍よりもひと足早く活動開始。十二月一日、桂の第三師団に海城の攻略を命じた。
「冬季ゆえに色々と困難はあるだろうが、第一軍の先駆けとして必ず成功させてくれ」
「お任せください」
そう言って出て行った桂。坂が凍って駄馬が越えられないというハプニングがありつつも海城に到達してこれを占領した。命令から約二週間後の十三日のことである。
海城は要衝ということで清国軍は何度も奪回を試み、四度にわたる攻防戦が行われた。そのいずれも桂率いる第三師団は退けている。報告では部隊に配備された機関銃が大活躍だとか。ご機嫌なようで何よりである。
桂たち第三師団が海城で奮闘するなか、私は後方の司令部にいた。第五師団は再編成中、第一師団は敵を掃討しつつこちらへ向かっている最中。取り繕わずに言えば、彼らを孤立無援にして安全地帯に居座っている。最低、クズなんて罵声が聞こえてきたような気がするが、私にも言い分があるから聞いてほしい。
まず大前提として戦場の広さ。私が目を光らせておかなければならない地域は遼東半島の北半分から次なる攻略目標と定めている鞍山まで。幅は一五〇キロほどになる。通信連絡の観点からも気軽にあっちこっち行くわけにはいかないため、後ろでドンと構えていた。
また、大本営との折衝もある。先日、大本営から台湾作戦の打診があった。なぜ満州の第一軍に台湾作戦の打診があったのかというと、第一軍隷下の師団を転用したいと希望されたから。
「断る」
答えはシンプルだった。なぜ? という顔をされたので言ってやる。
「直隷決戦にあたって正面を受け持つことになるのは我が第一軍だ。現状の三個師団でも充分とはいえないのにそれを引き抜く? 呑めるわけないだろう」
練度はともかく清国軍は数だけは多い。直隷――つまりは首都周辺での決戦となればその数は膨れ上がるだろうし、残っている精鋭をかき集めてくることも考えられる。そのような有力な敵を正面から相手にすることが確定的なところから部隊を引き抜こうというのは正気とは思えない。
「ですから第七師団をこちらに振り向けることにしています」
「それで第四と近衛は、大山のところ(第二軍)につけるのだろう?」
第一軍には第一、第三、第五、第七師団。第二軍には第二、第四、第六そして近衛師団が割り振られていた。直隷決戦は日本軍の全戦力を投じる文字通りの決戦なのだ。他所へ転用するなどもっての外である。
仮に大陸の軍から引き抜くのであれば、敵側面から急襲する第二軍からにすべきというのが私の意見だ。いや、第一軍の総意と言ってもいい。海城で激戦を戦っている桂からも引き抜き反対との意見具申が来ている。同様に第一師団の山地、第五師団の野津からも。
「では台湾作戦にはどこから手当てするのですか?」
「第二軍なり、留守部隊なりから抽出すればいいだろう」
台湾にまともな敵はいない。だから二線級の留守部隊(部隊の出征時に衛戍地で事務を担任する部隊)から出したとしても十分に通用する。即応性から出征が早かった第三、第五師団の留守部隊から出してはどうかと提案した。
そしてこの話は結局、留守部隊から二個連隊戦闘団が抽出、編成されて征台軍として派遣が決定される。台湾方面には一応、清国海軍が残存しているため連合艦隊から護衛が出ることになった。確実を期して伊東司令長官が第一艦隊を率いて護衛するというのだから恐れ入る。
征台軍は三月に進発して澎湖諸島を占領。そこを根拠地に台湾へ進出した。台湾出兵の経験もあり、比較的スムーズに全島を占領。裏で進んでいた講和交渉を大いに援護するのだった。
その他には冬営する兵士たちと過ごすこと。ふざけているのかと思われるかもしれないが、これも立派な仕事である。将官ともなれば住居を借りて司令部にしており、寝食も屋根の下という戦場としては贅沢な生活を送ることができた。
しかし一般兵や下級士官はその限りではなく、野外で風雨に晒されながら日々を過ごす。たかが雨とはいえ風邪や低体温症など馬鹿にはできない。特に十二月から一月にかけて最低気温は無論、最高気温ですら氷点下という厳しい気候だ。もちろん雪も降る。尋常ではない寒さが兵士たちを襲っていた。
「お〜、寒い寒い」
焚き火を囲む兵士たちの輪に入っていく。平社員のなかに社長が入っていくような、普通であれば迷惑な奴だがさすがに何度もやっていると相手も慣れてきたのか普通に対応してくれる。手土産の酒やつまみのおかげかもしれないが。
「おっ、ちゃんと靴を履いているな」
「はい。凍傷にはなりたくないですから」
「いい心がけだ」
陸軍では麦飯の導入などの改革によって脚気患者は格段に減っていたが、冬場になって凍傷患者が多数発生していた。これは兵士たちが普段、靴を履かないからだ。行軍中には履いているが、課業を外れると草履や下駄のような過ごしやすい靴に履き替えている。雪沓を持ち込んでいればいいのだが、そうでない阿呆は凍傷になっていた。
史実では冬営もかなり苦労したようだが、現世においてはある程度の対策をとっていたためあまり苦労はない。兵士たちには防寒具としてトレンチコートが支給されている。第一次世界大戦のときに広まったものだが、有用なので先取りさせてもらった。他にも手袋やトラッパー帽子なども導入しているが、最も活躍しているのがポンチョである。
雨具として支給されているポンチョは折り畳んでコンパクトに持ち運びができる上、傘と違って手が塞がらないため軍務に支障をきたさない。そしてポンチョが何よりも優れているのはその防寒性能。すっぽり体を覆ってじっとしていれば意外に暖かい。体温をポンチョが保ってくれるから。
ちなみに現代の本職は固形燃料を地面に置いて、その熱をポンチョのなかに溜め込んで暖をとるらしい。残念ながら固形燃料はないので、焚き火で体を温めてからすぐにポンチョを被って保温している。これでもかなり暖かい。ポンチョ被ったダルマたちが陣地のあちこちに転がっている。ただし手袋は着用して近くに小銃を携帯。後方とはいえ敵の襲撃がないとは言い切れないからだ。
冬営中は兵士たちと交流し、打ち解けたところで不満はないかと訊ねる。最初は大将相手に警戒していた様子だったが、徐々に警戒が解けて近所の爺さんみたいな関係になった。その頃から色々と要望が出る。万年金欠の軍隊なのでそのすべてを叶えることはできないが、工夫してできることはやっていきたい。
今回の聴取で私が最も問題視したのは鉄拳制裁(という名の私的制裁)。禁止されているはずが、複数の証言を得たので横行しているのは間違いない。師団長を呼んでダメ絶対と言っておいた。地方の慣習が持ち込まれているパターンが多くて上を叱ればいいという問題でもないのだが、指揮官責任も問わねばならないので注意はしておく。こればかりは近代的価値観の普及を待たねければならないが、士官学校を出た人間が完全に充足するまで待つ必要があるかもしれない。
そうこうしているうちに二月を迎える。一月に始まった威海衛攻略作戦は順調に進んでいた。台湾作戦の準備のために転出した第一艦隊に代わって第二艦隊の援護を受けた第二軍は山東半島に上陸。要塞線を悠々と突破して目標の威海衛を占領する。
同地に逃げ込んでいた清国艦隊の残存艦艇を包囲する形となったが、彼らは果敢にも抵抗した。こちらが艦砲と占領した陣地の砲台から射撃すれば自艦の艦砲で反撃する。しかし黄海海戦で受けたダメージや砲弾の不足もあって数日しか抵抗は続かず、物資不足に泣いて降伏した。
次はうちの番だと息巻いていたとき、本国から私に命令が出される。新作戦かなと思って見てみれば、それは第一軍の司令官から解任することと広島の大本営に戻ってくるようにとの召還命令だった。
……私、何かやっちゃいました?
「面白かった」
「続きが気になる」
と思ったら、ブックマークをお願いします。
また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。
何卒よろしくお願いいたします。