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清国乱入

 






 ――――――




 平壌攻略と黄海海戦での勝利は国内にも伝えられ、戦勝の報せは国民を熱狂させた。新聞各社は従軍記者を派遣して記事を日本に送っているが、内容については軍の宣伝部からチェックが入っている。防諜の観点から部隊名などは検閲対象てあった。


 宣伝部は陸海軍のメディア発表を一元的に担う組織である。大久保暗殺未遂事件の際、護衛にあたった森少将が部長をしていた。ここから公式に平壌、黄海での戦いに勝利したことが発表される。同時に従軍記者が書いた記事も掲載許可が下りて紙面を飾った。


 国内における歓喜の声は現地の将兵にも届いている。それは内地の新聞が届いたり、家族から手紙が届くからだ。


「司令官。お手紙です」


「ありがとう」


 私の許にも家族から手紙が届く。ほぼ毎回のように送ってくるのは海と水無子。誠や明、治は偶にしか寄越さない。まあ息子なんてそんなものだ。


 妻と娘からは主に私の体調を心配する内容の手紙が送られてくる。戦いのことはほとんど触れてこない。決まって日常のことが書いてあった。こちらも戦い以外に起きたことを書いてやる。


 戦場とはいってもいついかなるときも殺伐としているわけではない。大半はいつもの仲間と一緒に過ごす日々。無味乾燥ではなく、いつもとは違う環境ゆえのイベントも少なくないのでそれなりに彩りがあった。


 まずは普段なかなか目にすることはない余興の数々。戦場では娯楽が少ないので、給養班(内務班)の持ち回りで余興をさせていた。主に朝夕の野営地における食事のときにやるのだが、笑い声であったり揶揄いの声(滑ったとき)であったりが上がっている。特に面白かったものを家族への手紙に書いているのだが、これがなかなか好評であった。


 私も司令部のスタッフを巻き込んで参加している。見てるばかりでは申し訳ないからだ。男社会ゆえ下ネタのウケがいいのだが、女性にそんな内容を書き送るほどデリカシーがないわけではない。ちゃんと普通のネタを選んでいる。


 そんなことになったのは平壌での私の訓示が遠因だった。司令官として赴任してから少しドタバタしてなかなか落ち着けなかったが、平壌を落としたタイミングで将校たちを集めた。


「焼くな、犯すな、奪うな。――これを下士官兵に徹底させよ」


 苟も光輝ある帝国陸軍の将校がこれを黙認、ましてや主導するようなことがあってはならない、とも。この訓示はフィリピン攻略戦を指揮した本間雅晴中将のものだ。丸パクリである。


 人道上の理由のほか、もっと実利的な理由もあった。それは補給。史実よりも輜重兵を強化しているとはいえ、数百人(と馬匹)で万単位の人間を養うには無理がある。トラックはおろか鉄道すらない朝鮮では現地民の力に頼るしかない。そのとき少しでも協力的になってもらうため、普段はなるべく迷惑をかけないようにせよと言っていた。


 とはいえストレスはどうしてもかかるし、それを発散させねばならない。そこで色々考えた結果、余興を名目にして多少はふざけても問題ないとした。食事の時間だけは先ほどの禁止事項に触れない限りは何をしてもいいから、羽目を外して翌日に備えよというわけだ。部隊指揮官も基本的に見逃している。


 そこから自然発生的に芸を披露する者が現れ、負担が集中したりマンネリ化したりするのを避けるため班ごとの持ち回りという形に落ち着く。このシステムのおかげか、迷惑行為の発生件数は戦争中の他部隊と比較して少なかった。


 朝鮮の人心慰撫に関していえば、より直接的な行動をとることもある。事情が許すならばという注釈はつくものの、兵士を農村に派遣して農作業を手伝わせている。兵士には農村出身者が多く、田舎でやってたんだよと非日常のなかに日常を感じていた。


 今回も返信に珠玉のネタたちを添える。数万も人間がいれば秀でた才を持った者もおり、毎度毎度ネタを変えて大爆笑を攫っている。田舎で農業をしているらしいが、芸人にでもなればいいのではなかろうか?


 意外な才能の持ち主がいたことについては、ネットに通じるものがあるなと思った。ネット世界には無駄知識と才能の持ち主が転がっている。それと似たようなものかなと感じた。


 一方、息子たちからは戦いに興味津々で、手紙にもそのことが多い。男の子だからね。しかし既に軍人である誠だけならいざ知らず、明と治もか……。明は東京帝大の法学部、治はまだ中学生なのに。お父さんは心配です。


 息子たちにはどう対応するかというと、女性陣とは違ってリアルな事情を赤裸々に語っている。差別だなんだと言われそうだがあくまでも区別。彼女たちを気遣ってのものだ。女性陣は文章の端々に私のことが心配、という気持ちが滲んでいる。一方、息子たちは心配というよりも興味が先にきていた。そういう気持ちがないというわけではないだろうが……そうだよね? お父さん信じているよ。


 とはいえ、息子たちに戦争のリアルを話すわけにもいかない。軍機に関する事項もあるからね。では何を書いているのかといえば、朝鮮の風土や人々についてだ。


 我が家にとって朝鮮は意外に身近な場所だった。朝鮮で倉屋がビジネスを展開しており、海(母)や赤右衛門(祖父)から話を聞いている。だが私たちは実際に行ったことはないから、話には聞いているけどどんな場所なんだろう? という疑問や興味があった。そこに私が実際に行って何を感じたのかを書き送っている。


 私に限らず将兵は家族からの手紙を楽しみにしていて、仲のいい同僚などとどんな内容だったか話し合う。食事の時間は特別賑やかだ。……うん、嬉しいのはわかるけど子どもが出来たとか言わない。それフラグだから。


 ワイワイ賑わう兵士たちの声を聞きつつ、返事を書きつつで現在の戦局を考える。


 海軍が黄海海戦に勝利し、清国艦隊を壊滅させたことで大本営は直隷決戦方針に戦略を固めた。私の率いる第一軍には朝鮮半島から満州へと侵入せよ、との命令が出ている。気になるのは横っ腹にあたる遼東半島だが、ここには新編の第二軍を投入して攻略にあたらせるとした。


 第二軍は第一、第六師団を以て編成されている。本土では第二師団も出動準備を整えつつあり、攻略目標である旅順要塞の規模によっては追加で派遣される可能性もあった。司令官は薩摩の大山巌である。


 大山とは軍務省で上司部下の関係で、その後も政治について話し合ってきた。互いによく知っており、密に連絡をとって作戦計画を練っている。展開にあたっては海上輸送が必須なため、連合艦隊とも連絡をとりながら作戦が決定した。


 第二軍は十月X日を期して遼東半島へと上陸する。上陸地点は偵察の結果、花園口に決まった。その後の流れとしては金州城を落として橋頭堡を固め、食糧や武器弾薬を揚陸した後に旅順要塞の攻略を行う。


 なお、X日については部隊の準備状況を勘案して二十四日に決まる。大海戦を行った連合艦隊は意外に元気だった。中大破した艦を除けばいずれも作戦行動が可能らしく、陸軍次第だと回答された。実に頼もしい。


「――というわけだ。この第二軍の動きに合わせ、第一軍においても作戦行動をとる」


 上陸部隊は上陸後間もないときが最も弱い。物資は持てるものだけだからだ。それを奇襲性であったり,艦隊や航空機による密な援護があったりで押し切っている。しかし、この時代に後者は期待し得ない。ゆえに敵がまともであれば上陸後の部隊に陣地構築、物資揚陸の時間を与えないように攻撃するだろう。それを阻止するため、既に大陸に展開を完了している私たち第一軍が作戦行動をとって少なくとも北方の敵を拘束する。


 朝鮮半島を押さえた第一軍は満州への侵攻を企図。中朝国境を流れる鴨緑江へ主力を展開していた。司令部も平壌を離れて安州まで進出している。


「対岸を偵察した結果、この地域に展開する清国軍はおよそ三万と推定されます」


「砲兵による援護の下、歩兵が渡河を敢行します。渡河点は河口部と四キロ上流の二ヶ所。先遣隊が渡河して橋頭堡を確保し、工兵隊が舟橋を設置し本隊と物資を渡します」


 参謀たちがリレーしながら説明していく。攻撃日は第二軍の上陸予定日である二十四日だ。牽制の意味もあるが、第一の目的は満州への侵入。敵陣を突破しなければならないので本気でやる。


 作戦自体は突飛なものではない。事前に各師団にも相談していたため反対もなかった。ただ要望はあった。それが補給。大八車に荷馬車を導入していたが、朝鮮半島の道路状況が劣悪でまともに通行できない。そのせいで補給が滞りがちであった。


「鴨緑江を突破した後は安東県の港を利用して補給することになっている。それまでだが……兵站部と話はつけた。少々というか、かなり乱暴だがな」


「それは……不安ですな」


 どこか私を揶揄うような参謀の言葉に笑い声が上がる。そのうちのひとりは私だ。このくらいで気を悪くしたりはしない。軍人たちは私が砕けたやり取りを好んでいることを知っていた。だから司令部のやりとりもとても気安い。そんな雰囲気なので意見具申も多く、とても風通しがよかった。


「否定はしない」


 検討した上で仕方なくやった苦肉の策だ。ガダルカナル島でやった鼠輸送に近い。輸送船で沿岸部に来て小舟を使って岸へ運ぶということをしていた。ガ島と違うのはちゃんと輸送船を使えていることか。


 それも制海権を確保しているからだ。なら普通に運べよと言われるかもしれないが、それができれば苦労しないのである。まずまともな港が少ない。次に物資を揚陸しても前線へと運ぶ道がないのだ。道が悪く車両の類が泥濘に嵌まって動けなくなる。かといって人や馬が背負って運ぶ量では師団を賄えないのだ。


 このような事情なので、輸送船を部隊が展開する沿岸部に近づけて物資を下ろす方法をとっていた。なんどもいうが、それもこれも海軍が勝ってくれたからできることだ。


「しかし、これができるのも平地が黄海沿岸に集中しているから。内陸が戦地となった場合にはこうもいきません」


「君の言う通りだよ、東條少佐」


 横から耳の痛い指摘をしたのは参謀の東條英教少佐。東條英機の父親である。陸大を首席で卒業したエリートで、日清戦争には大本営の幕僚として参加していた。私、山縣有朋と確執があったことはよく知られており、そのせいで陸大首席にもかかわらず中将止まりだったとか、そのことを怨みに持って息子の英機に陸軍での栄達を宿命づけたとか言われている。


 だが、現世では大きな確執はない。原因のひとつとされるドイツ留学時の直言はあった。訴えの主旨である藩閥偏重についてはその通りだと私が受け入れ、実際に薩長以外の人材についても重用している(立見や秋山)。かく言う東條も気にかけているひとりで、第一軍を編成するにあたって私から是非にと声をかけて参謀に引っ張ってきた。


 東條は薩長の専横に批判的であり、私に対する態度も遠慮がない。人によっては不快に感じるだろうし、私もイラッとすることはある。それでも私が参謀に呼んだのは、こういう人間を側に置いておきたいからだ。自分がしていることを勝手にチェックしてくれるのだからイエスマンよりも使える。もちろん民党議員のように反対のための反対なら別だが、その辺は私自身が判断すればいい。


 それはともかく、輸送力が終わっている日本軍ではこうして補給を確保するので精一杯。今後、どう対策するのかについては戦後の要検討課題だなと思っていた。米軍よろしく重機大量投入できればいいが、日本にそんな力はない……というかこの時代は本家のアメリカすら貧乏軍隊であった。とりあえず無難に鉄道敷設部隊(鉄道連隊的なやつ)の創設か。


 手段はまともではないが、どうにかこうにか期日までに必要な物資を集積した第一軍。事前の計画通り、第二軍が遼東半島に上陸する二十四日に渡河作戦を開始した。


「撃てーッ!」


 師団砲兵はもちろん軍砲兵まで投入して援護砲撃を行う。これで対岸の敵を牽制しつつ、先鋒部隊が渡河を開始した。敵前で悠長に舟橋なんて設置できるはずもないため、先鋒部隊は身ひとつで川を渡る。彼らが橋頭堡を確保した後に工兵隊が橋を架けるのだ。


「お前たち、絶対にここを通すわけにはいかんぞ!」


「「「はいっ!」」」


 後ろから味方の砲撃はあるとはいえ、先鋒部隊が頼れるのはほとんど自分たちの銃火器のみ。それでも工兵隊が橋を架け、味方の増援が到着することを信じて先鋒部隊は撃退に来るであろう清国軍に備える。もちろん陣地構築もしている暇はないから、部隊指揮官が適当な窪地などを選んで即席の陣地にしていた。


 渡河してからしばし経ち、工兵隊が架橋作業に入ったところで敵の方を監視していた兵士が声を上げる。


「っ! 前方より敵騎兵! 数は……およそ二〇〇ッ!」


「迎撃準備ッ!」


 その声に弾かれたように動き出す兵士たち。大半は召集された者だが、現役時代に訓練で叩き込まれて年一回の召集訓練でも培われた技量は現役の初年兵よりも高かった。


「頼むから無事に動いてくれよ……」


 他の兵士たちが射撃用意をするなか、ひとり奇怪な銃を撫でる兵士がいた。側にいた同僚が呆れ顔で見ている。


「銃に願い事したって聞いてくれるわけないだろ」


「ふふん。出征前に八幡様(武運の神様)にもお願いしてきたからきっと大丈夫さ」


「馬鹿者が! 無駄口叩いている暇があったらキビキビ動け」


「「は、はいっ!」」


 上官に一喝されて飛び上がる二人。そんな彼らが扱う「奇怪な銃」とはマキシム機関銃(日本軍における名称はマ式機関銃、砲ではない)である。その名の通り銃弾を短時間で大量にばら撒くことのできる銃であり、寡兵で挑むであろう戦いにおいて大きな力を発揮するだろうと見込まれていた。


 しかし、ついこの間までガトリング砲やミトライユーズが使われていたことからも察せられるように、機関銃という兵器のジャンルは極めて新しい。新兵器あるあるとして、将兵の間では新しい装備に抵抗感があった。新しい日本軍も例外ではなかったが、私はどうしてもと言って導入させている。


 ……黎明期の兵器にありがちなこととして信頼性に欠ける面があった。初期も初期なのでマキシム機関銃の特徴ともいえる水冷式の冷却機構(銃身周りの筒)もない真っ裸のすっぼんぽん。ゆえに連続射撃では早々に銃身が過熱したり、弾詰まりを起こしたりとなかなかのお茶目さんだ。ついたあだ名は「いうこと聞かん銃」。62式に奉られるはずのそれは、現世ではマキシム機関銃が得ることとなった。


 とはいえ、ちゃんと動けば単なる白兵突撃は容易に粉砕する威力がある。そして八幡様にお願いしたご利益か、マキシム機関銃ちゃんはご機嫌に動作してくれた。


「撃てッ!」


 パンパン、と二十二年式村田連発銃が斉射するなかでタタタタッ、と連続した射撃音が響く。その威力は絶大で、馬蹄を轟かせながら突撃してくる敵騎兵を人馬もろとも薙ぎ払った。


「「「おおーっ」」」


 感嘆の声が部隊から上がり、射手はどーもどーもと応じる。もちろん上官からお叱りを受けた。


 なお後日の戦闘にて、よくもダーリン(射手)に雷落としてくれたわね、とマキシム機関銃ちゃんが怒ったのか弾詰まりしまくったのはご愛嬌。


 そうこうしているうちに舟橋の敷設が完了。本隊や各種火砲に物資が渡河を始めた。清国軍は平壌から駆逐された部隊の収容と再編成、また多数ある部隊の意思統一ができていないなど混乱していたために頭数は揃っていてもほとんどまともな戦闘にならなかった。


 士気も低く中朝国境の拠点である九連城、鳳凰城はいずれも十月のうちに陥落。遼東半島の北端は日本軍が完全に制圧し、黄海の制海権も喪失していることから半島の清国軍は孤立した。


 第一軍の清国領内侵入とともに遼東半島に上陸した第二軍は予定通り金州城を攻略(十一月六日)。そこから旅順を目指して南下して二十一日に総攻撃をかけ翌日までに占領する。


 旅順では占領後も残存兵が市街地で抵抗しており、その掃討が行われていた。それも数日で完了したのだが、ちょっとした問題が発生する。イギリス、次いでアメリカの新聞で旅順占領時に虐殺が起きたと報道されたのだ。特に後者の影響は大きく、米紙の多くがこの報道に追従したために条約改正に対して議会が時期尚早とか言い始める。


 これに対して日本政府は対応に苦慮していた。大久保から送られてきた手紙でも軍は違えど実際のところどうなのかと訊ねられている。第二軍がどうだったのかは大山から伝え聞いており、第一軍でも概ね状況は同じだった。


 連戦連勝とはいえ犠牲者はゼロではない。特に偵察に出た者にはドジをしたのか未帰還になる者が多い。概ね敵の手にかかったと見るべきだが、その後になって遺体が発見されることがあった。それだけなら白木の箱(戦死者の遺骨や遺品の入れ物)にちゃんと遺骨を入れられると喜べるのだが、問題はその姿であった。首だけにされたばかりか、鼻や耳を削ぎ落とされた挙句に軒先や木にぶら下げられるという有様である。


 これを発見した兵士たちは当然、憤慨した。こっちは面倒でも捕虜にしているのにこの仕打ちは何だと。それは単に仲間に対する惨い行いに対する怒りであり、同時に自身がそうなったらと想像しての恐怖による反動でもあった。復讐心に駆られる兵士たちを制止してはいるが、数万の人間を抑えられるはずもなく「復讐」をする者は後を絶たない。人道という言葉の薄っぺらさを何よりも感じる瞬間である。


 大久保には実際のところを話した。そした戦争では致し方ないと言い訳しつつ、それでも現地の軍は努めて国際規範を守ろうと努力している。決して組織的なものではない。外国でも規模の大小はともかくとして戦争ではある意味でつきもの。だから政府は恥じることなく、毅然と弁護の姿勢で当たってほしいと要望した。


 この要望は通り、大久保は米紙に政府としての公式見解を掲載させた。第二軍からの報告を織り込んだ内容で、市街戦では便衣兵(軍服を脱いで市民に化けた兵士)を含む二〇〇〇弱を殺害。このうちの大部分は軍人で、残りは敵軍より抵抗を命じられた者たちである――というものである。


 また、記事の一部には万単位で犠牲者が出たというものもあるが、旅順の人口はどんなに多く見積もっても一万ほど。仮にその数字が正確ならば旅順は無人となっているはずだとも反論した。


 この毅然とした対応は欧米諸国から好感を得るとともに、この件を下手に突くと自分たちがやってきたことも問題になりかねないことに思い至った各国は一斉に矛を収めた。まあ心当たりは山のようにあるだろう。今世紀に限ってもコペンハーゲン砲撃(英)、ローレンスの虐殺(米)など。人間扱いしている白人相手でも結構ある。特にアメリカは南北戦争における虐殺事件には困らなかった。そんなことで争うより、清国を一方的にボコってる日本と仲良くした方がいいとの判断である。やはり力あっての言葉だ。


 旅順を落とした頃にはこの地に冬が近づいていた。極寒の同地域では冬場に大々的な軍事行動はとれない、と拠点となる場所を定めて日本軍は冬営の準備にかかるのであった。










 皆様コメントありがとうございます。作者体調不良のため感想への返信ができていませんでした。幸い、体調も回復してきたので順次、返信したいと思います。今しばらくお待ちください




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息子の名前が真になってますが、誠じゃありませんでしたっけ
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