黄海海戦
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平壌で陸戦が戦われている頃、海でも戦いが起きていた。
日本海軍は清国海軍に比べて劣勢である。艦隊決戦に臨めば負けない自信はあったが、外形的な戦力でいえば劣っていることは間違いない。ゆえに艦隊決戦を志向しつつも、基本は弱者の戦術に甘んじていた。
その弱者の戦術とは何か。それは世界最強最大の海軍国家イギリスを苦しめたドイツ海軍の通商破壊作戦である。清国海軍の艦艇は水雷艇を除けば二十ノットも出ない。なので船足が二十ノットを超える高速艦を黄海(遼東半島と山東半島の間)に展開。通商破壊を行なっていた。
通商破壊の目的は二つ。ひとつは朝鮮半島で戦う第一軍の支援だ。海路を遮断して増援を遅らせる。その間に清国軍を朝鮮半島から駆逐するのだ。開戦前から清国の港には諜報部が拠点を作り、密かに船舶の出入りを監視していた。このような非正規戦は清国の想像の埒外なのか警戒はザルでとてもやりやすい。
そして第二は清国海軍の誘引である。清国海軍は現存艦隊主義方針を採用して港に引き籠もっていた。まあ、艦の整備が香港と日本でしかできないから消耗させたくない、というのもあるのだろう。そんな引き籠もりに出てきなさい、とドアをノックする役割もこの通商破壊は担っている。
通商破壊を実施しているのは第一、第二艦隊に所属する防護巡洋艦であった。交代で作戦にあたっている。連合艦隊の主力は朝鮮半島最西端である長山串に停泊。いつでも出撃できるような態勢をとっていた。
陸では平壌が陥落した日(九月十六日)、清国艦隊の動きを監視していた諜報員から緊急電が入る。
「北洋艦隊が陸兵を乗せた輸送船とともに大連を出港したとのことです」
「行先はどこかわかっているのか?」
伊東祐亨連合艦隊司令長官が訊ねる。
「詳しい行先はわからないそうですが、東へ針路をとったとのこと」
その答えを聞いた参謀の島村速雄少佐は黄海周辺の地図に齧りつく。
「東か……平壌への増援?」
参謀長の鮫島員規大佐が呟くも、島村が鴨緑江河口部の安東県(現代の中朝国境部)辺りで間違いないと断言した。
「なぜだ?」
「陸兵を乗せた輸送船を伴って出港したとのこと。陸で朝鮮半島を追われた清国軍が次に拠るのは遼東半島です」
日本軍が鴨緑江を渡河するとして、満州から直隷へ向かうには遼東半島を無視できない。そしてここには難攻不落といわれる旅順要塞が存在する。これを最終防衛ラインとし、鴨緑江の対岸を第一線にしようと部隊を派遣したのだと島村は分析した。
「北洋艦隊の出撃は、我が艦隊による通商破壊から護衛するためでしょう」
通商破壊は最近、慎重策から積極策に転換していた。最初は護衛艦がついている敵船には手出ししなかったが、近頃は有利と見れば構わず戦うようにしたことから清国の砲艦が何隻か犠牲になっている。そんな状況で部隊を海路で確実に送り込むため北洋艦隊がガチガチに護衛している――というのが島村の見解だった。
「よし、ならば安東県の沖を中心として、大連と威海衛の間で索敵を行う。念のため、半島沿岸部を喫水の浅い丙巡(防護巡洋艦)に北上させる」
伊東は島村の意見に従って安東県の沖合に敵艦隊がいるものと仮定。第一、第二艦隊を以て捕捉、撃破するとした。ただし、平壌の陥落を知らない敵が増援を送り込むためのものだった場合に備え、喫水の浅い防護巡洋艦に沿岸部を航行させ逃さないようにする。
命令は長山串に停泊する各艦に伝達され、慌ただしく出港の用意をする。連合艦隊は十七時に準備を整え、坪井少将率いる第二艦隊を先頭にして出撃していった。
「しかし、情報が入ったのがこの日でよかったな」
先陣を務める坪井は筑摩の艦長や司令部の幕僚たちを相手にそう漏らす。この日でよかった、というのは通商破壊に出ていた船が戻ってくる日だからだ。帰りは椒島に集合して長山串へと戻ってくると決まっているため、連合艦隊は一時的に椒島へ停泊。通商破壊から帰ってきた艦を合流させてから決戦場へ赴いた。
翌日の午前十時頃。
「排煙多数を確認ッ!」
見張りから報告が入る。確認のため近づいてみるとそれは清国艦隊であった。場所は安東県の大狐山沖。島村の予想は的中していた。
「逃さんぞ」
大本営の計画では朝鮮半島の確保が第一弾作戦であり、それは平壌の陥落を以てほぼ完遂されたに等しい。ここで次なる第二弾作戦を……といきたいところだが、その予定地は満州と遼東半島。黄海の制海権を確保することが大前提であった。作戦ができるか否かは連合艦隊の活躍にかかっているのだ。その使命感。また、陸軍には負けていられないという対抗心からやる気に満ち溢れていた。
連合艦隊は敵が逃走しないよう北西――大連方面へ向かう場合に同航戦になるように進む。これを見た清国艦隊は逃げられないと悟ったか戦闘準備に入る。
両艦隊は実に対照的であった。
連合艦隊は第二艦隊、第一艦隊の順に単縦陣をとる。先頭を行くのは第二艦隊の旗艦筑摩。これに利根、龍田、宇治、阿武隈、大淀、酒匂、矢矧と続く。その後ろに第一艦隊の旗艦鞍馬以下伊吹、生駒、阿蘇、吉野、金剛、比叡、扶桑と並んでいた。
対する清国艦隊は横一列に並ぶ単横陣をとり、左から済遠、広甲、致遠、経遠、定遠、鎮遠、来遠、靖遠、超勇、楊威と並ぶ。またこれとは別に平遠、広丙、福龍から成る別動隊もいた。
「やはり敵は単横陣できたか」
「司令官の予想通りですね」
「ああ。だから予定通りにやるぞ」
戦闘開始前、坪井は艦橋で得意顔であった。海戦の主流である単横陣と衝角攻撃。相手はこれをとってくるであろうと、坪井は対策を練っていた。未だ結果は出ていないが、この時点で既に得意満面になるのも仕方がない。
「打ち方始め」
海戦の開始は連合艦隊が告げた。坪井の命令一下、筑摩が主砲発砲。利根以下の後続艦も続く。清国艦隊も応射して黄海海戦が始まった。
戦艦鎮遠に乗艦していたアメリカ海軍の少佐はこの海戦を「闘牛」と称した。単横陣を組んだ清国艦隊が遮二無二突進し、連合艦隊はこれを見事な艦隊運動でひらりひらりと躱す。これを指して「闘牛」と言ったのである。
連合艦隊はまず端を狙った。標的となったのは西側――すなわち艦隊右翼の楊威、超勇である。猛射を浴びた両艦には命中弾多数。砲戦開始からわずか十分ほどで火災を起こした。こちらへ向かって突っ込んでくるから弾が面白いように当たる。両艦ともたちまち戦闘能力を喪失し、超勇にいたっては三十分後に沈没。楊威は戦場を離脱した。
もちろん連合艦隊も無傷というわけにはいかない。第二艦隊では大淀が被弾。運悪く弾薬に引火して火災が発生した。第一艦隊では旗艦の鞍馬が被弾するもこちらは損害は軽微。だが、問題は後続艦の金剛以下の艦齢が古い船たちだった。
金剛型や扶桑は速力が十三ノットと他の船よりも鈍足だった。そのせいで艦隊運動に三隻が遅れてしまう。チャンスと見た清国艦隊はこの三隻に狙いを定め、特に近かった定遠、鎮遠、来遠の三隻が衝角攻撃を行うべく突っ込んできた。
「「「面舵いっぱいッ!」」」
これに対して三隻の艦長は全く同じ決断をする。すなわち敵艦に対して平行になるよう操艦し、敵艦の間をすり抜けるよう動いた。これでわずかの間、至近距離での反航戦になる。
「撃て撃て! 撃ちまくれ!」
砲台長が絶叫。すれ違う刹那、敵の顔がよく見える。撃てば当たるから、撃たれる前に撃つ。撃たねばやられるから一発でも多く撃て、と部下を急かした。
すれ違った時間はほんのわずか。その間、当てまくったが当てられまくられた。壮絶な撃ち合いにより三隻の艦上は地獄と化す。整然としていた甲板は破壊された船のパーツが散らばり、戦死した兵士の骸、深傷を負って呻き声を上げる者がそこかしこに転がる。もちろん血肉も。火災も発生しており、ダメコンに負傷者の収容をしながら砲戦……と無秩序な状態だった。
排水量が比較的多い扶桑は未だ戦闘力を維持していたが、小型の金剛と比叡は被害が許容量を超える。両艦は落伍して退避行動に移った。
最初の撃ち合いで二隻ずつ脱落した艦を出した日清の艦隊だったが、更に殴り合いをする。本隊とは別グループを作っていた清国艦隊の平遠、広丙、福龍が敵中突破の後に退避していた金剛と比叡を狙う。
「いかん! 金剛と比叡が危ない!」
これを見ていた坪井は第二艦隊を間に割り込ませる。手負いの二隻ならともかく、まだピンピンしている第二艦隊を相手にしては敵わない、と三隻の清艦は挑んではこなかった。
第二艦隊は二隻の退避をエスコートした後に清国艦隊本隊との戦闘に復帰する。第一艦隊と反航して右十六点回頭。戦場を大回りする形で清国艦隊の後ろをとった。前には第一艦隊がおり、挟撃する形で砲戦を展開する。
連合艦隊は多数の速射砲を撃ちに撃ち、敵艦に多数の命中弾を与えた。定遠、鎮遠にとってはボクシングでいうところのジャブでしかなかったが、数が尋常ではない。意外にダメージは深刻で、遂に両艦で火災が発生した。それより小型の僚艦にとっては堪ったものではなく、致遠と靖遠でも火災発生。さらに挟撃されているためどちらに向かうべきか行先が定まらず、艦隊運動ができなくなっていた。
そしてこのとき珍事が起きる。不利な要素のオンパレードに耐えられなくなったらしい済遠と広甲が命令もなく離脱したのだ。これは近代海戦史において史上唯一の敵前逃亡である。逃げ帰った済遠の艦長は処刑された(残当)。
戦局は圧倒的に清国にとって不利だったが、ここで奇跡の一発が炸裂する。鎮遠の主砲弾が鞍馬を直撃。当たりどころも悪く、弾薬の誘爆を引き起こした。鞍馬はしばらく消火活動に追われることとなる。
鞍馬に重い重い一発を受けたものの、連合艦隊は未だ十分な戦闘力を保っていた。対する清国艦隊は混乱から脱することができずにいる。その証明となったのが致遠の謎行動であり、同艦は突如隊列を離れて第二艦隊(最後尾の矢矧)へと突撃を敢行した。
実に勇敢だが無謀である。第二艦隊は突っ込んでくる致遠に射撃目標を変更。滅多打ちに遭った上、喫水線の下に砲弾が何発か命中する。大火災と浸水に見舞われた致遠は力尽きて沈没した。
ここで清国艦隊は撤退を開始する。
「逃すな!」
定遠と鎮遠を残して離脱を始めた清国艦隊。これを第二艦隊が追いかけた。快速艦が揃う第二艦隊は経遠を捕捉。小一時間タコ殴りにしてこれを沈めた。
かくして戦場にポツンと取り残されることになった定遠と鎮遠。彼らの不幸は相対した敵が背伸びした松島型ではなく、地に足つけた鞍馬型だったことだ。
史実では鎮遠の主砲弾を受けた松島が大破。旗艦能力を喪失したため交代している間に両艦は逃げ帰っている。だが、現世において鞍馬は直撃弾と誘爆で中破こそしたものの行動に支障はなかった。
「扶桑は落伍した金剛、比叡の護衛に。残りは我に続け」
伊東は鈍足の扶桑に戦力外通告をした上で定遠、鎮遠への砲撃を続ける。第一艦隊の五隻からリンチに遭った両艦は装甲こそ破られはしなかったが、上部構造物は原形を留めないほど破壊されて廃墟同然となった。主砲を除けばまともに撃てる備砲が絶無になるほどの廃墟っぷりである。
まだ船は動くぞと旅順目指して逃走。機関が焼き切れんばかりに全速発揮するものの、第一艦隊の方が速いため逃げられない。特に世界一の快速を誇る吉野が勇敢にも肉薄して魚雷を発射。これが二隻に命中した。当時の軍艦は水雷防御が十分ではなく、また清国兵の練度が低かったためにダメコンにも失敗。結局これが致命傷となる。
被雷した後も両艦は全速で逃走していたが、ある時を境に速度がガクッと落ちた。船体もパッと見でわかるレベルで傾斜し、艦上は相変わらず火災――と実に絶望的な状況だった。
経遠を海の藻屑にしてきた第二艦隊が引き返してくるが、彼らが何もせずとも清国が誇る大戦艦の運命は決まったも同然であった。
連合艦隊の主力が見守るなか、まず鎮遠が静かに沈没。定遠もそれほど間を置かず海中に没した。
「「各艦は許す限り敵兵を救助せよ」」
伊東と坪井は戦いは決したとして、シーマンシップに基づき漂流する清国兵の救助にあたらせた。散々やってくれたなという恨みはあったが、ボロボロになって漂流している姿を見ると哀れに感じるなど内心は複雑だった。それでも命令は命令なので日が沈むまで救助にあたる。
拾い上げた捕虜によると、敵司令官の丁汝昌は敗戦の責任をとって沈みゆく艦と運命を共にしたとか。
日没後、連合艦隊は集合して隊列を整えると仮根拠地としていた長山串に帰投。そこで艦隊を二手に分けた。残って活動を続けるものと、修理のために日本へ帰港するものとに。帰国するのは被害の大きい金剛、比叡(以上大破)、鞍馬、扶桑、大淀(以上中破)。これに伴って第一艦隊の旗艦は伊吹に変更となった。
一方の清国艦隊は象徴ともいえた定遠、鎮遠をはじめとして戦艦二、巡洋艦三(経遠、致遠、超勇)が撃沈された。さらに撤退中に座礁したため巡洋艦二隻(広甲、楊威)を追加で喪失。旅順へ逃げ帰ったものも軒並み損傷が激しく戦力を低下させていた。
報告を受けた大本営はもちろん大歓喜。正直なところ引き分け(判定勝ち)くらいが関の山だと思っていたので、予想以上の戦果に最初は誤報ではないかと疑われたレベルだった。
ともあれ、大本営はこれで憂なく第二弾作戦を発動できるとし、直ちに第二軍の編成に着手。厳しい冬場が来る前、秋のうちに根拠地を得られるよう派兵を急いだ。
ちなみに当時の史料によれば、北洋艦隊を捕捉できたのは商売に来た中国人に「清国艦隊見た?」と訊いたら「あそこで見たよ」と答えてくれたためにおおよその位置を特定できたからだそうです。ちょっとした情報も大事とわかる事例ですね
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