日清開戦
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今年の六月と七月は私の人生で記憶と記録に残るだろう。それは毎日のように天皇のお召しを受けたからである。おそらく生涯この記録を超えることはないだろうし、胃が痛くなるこの日々を忘れもしないだろう。
「朝鮮に兵を送ると聞いたが、いささか多いのではないか?」
「朝鮮の王宮を占領したが、早計ではないか?」
「袁世凱(朝鮮における清国のお目付役)が天津へ向かったそうだが、これは如何なる意図だと考える?」
こんな感じで質問攻めにされた。それもこれも相手をするはずの陸奥が逃げたからである。何かしらアクションを起こす度に質問がされるので、陸奥は色々と理由をつけて滅多に参内しなくなった。その分、大久保や私に質問が集中する。
「反乱軍は数万。いかに烏合の衆といえど、まとまった数を送らなければ兵たちが苦しみます」
「王宮付近を移動中に発砲され、反撃した結果として占拠しました」
「清国が当方の意見を容れるとは思えません。従って、李鴻章より何らかの策を授けられるものと考えます」
陸奥と違って私は全てに付き合った。天皇と政府の間に隙間風が吹いていてはいけない。そう考えて答えにくいものだろうと全部に応じた。
「山縣、伊藤。……大久保と陸奥は清国と戦をするつもりらしい。そなたたちで何とか止められんか?」
十九日に行った清国への要求。これは条件を満たせば戦闘行動に突入することを可能にするものだった。それが「脅迫」という文言であり、外交用語としては開戦を意味する。
つまり、この要求はさっさと返事をしろという督促だけではなく、朝鮮に増援を送り込めば清国に開戦意思があるものとして先制攻撃を行うという意味を持っていた。
言葉の裏にあるメッセージを知れば政府が開戦も辞さない態度をとっていることは明らか。天皇は陸奥が画策して大久保がそれに乗ったと考えているらしい。そこで長州閥の私たちにストッパーになれと言いたいようだった。
だが、私たちも主戦派だ。俊輔と顔を見合わせ、アイコンタクトで説明役を押し付けあう。そして負けた。仕方ないので私から説明する。
「陛下。我らも首相と考えは同じです」
「そなたたちもか……」
失望がありありと感じられた。しかしこの程度で怖気づいていては政治なんてやってられない。元は非戦派だった俊輔を丸め込んだ手口で説得する。
「現在、朝鮮をめぐっては日清のみならず露国も介入しつつあります。彼の国はシベリアに鉄道を建設しており、これが完成すれば極東において絶大な影響力を発揮し、朝鮮をその勢力に収めるかもしれません。これに対抗するためにはまず、日清で決着をつけなければならないのです」
「露国が参入するのであれば三国鼎立にならぬのか?」
「仮にそうなったとしても我らは蜀漢であります」
曹魏はロシア、孫呉は清国である。三国志で例えれば曹魏は西晋になるじゃねえかとか言われそう。ソビエトの成立が西晋の成立?
……とまあ冗談はさておいて、何もしなければ圧倒的なロシアに押し負けるだろう。彼らが本気を出せるようになるよりも先に朝鮮情勢を確定させておく必要がある。そのための開戦だと説明した。
「開戦が止むを得ないことはわかった。最後にひとつ確認したい。……勝てるか?」
「無論です。陸海軍ともに勝利を確信しております。もちろん形勢に驕らずその実現に腐心いたしますが」
未来のことも含めた世界史を見れば、勝てないという分析を気合と根性で勝てることにして戦争に突入した日本とかいう国がありはする。だが、基本的に勝てるという見込みがなければ戦争はしない。勝てるといいな、という願望を抜きにしてあくまで冷徹に分析して勝てると判断した。
彼我の装備や練度などを総合して考えると日本有利。ただし長期戦になれば不利になる。中国大陸全土を制圧するような能力は日本にないからだ。
「ではその長期戦になればどうする?」
「ご懸念はもっともですが、我らが何も考えず北京へ雪崩れ込まない限りは長期戦になり得ないと考えております」
そう考える理由は列強の存在があるからだ。彼らは中国に様々な権益を持っている。その維持と拡大に熱心で、侵害されることを極端に嫌う。対清開戦を牽制してきたイギリスの動きを見れば明らかだ。
だが、彼らも一枚岩ではない。大きな権益を持っているイギリスは現状維持に拘る一方、米独仏など権益が多くない国はこれを拡張する機会を虎視眈々と狙っている。日本はそうした国々の要望に沿う形で動き、彼らの支持と圧力で以て戦争を終結させることが得策だ。
史実では場の流れで開戦したような面があるが、現世では大久保の意図があって対清戦争の研究がしっかり行われている。政府としても勝った場合、どこに着地させるのかは決まっていた。すなわち、
朝鮮が独立国であることを清国に認めさせ、朝鮮における日本の優位を確立する
戦争に要した費用を賄うだけの賠償金を獲得する
本土、朝鮮半島の防衛のため台湾と遼東半島を割譲させる
その他、列強に資する要項の追加
である。彼らの権益拡張を助ける対価として日本は朝鮮における優位と短期での終戦を得るのだ。ちょっとした取引だ。それが原因でロシアが満州と朝鮮半島に伸びてくるという問題が起きるわけだけれども、だからといって列強を引き込まなければ相手側についてしまいかねない。それを防止するためにも列強に飴を与えるべきだ、というのが政府の結論だった。
「……そこまで研究した上であればもう何も言うまい。だが、やるからには最善を尽くせ」
「はっ」
史実では開戦に後ろ向きだったというか、物事が自分の関知しないところで進んで不満だったらしく、宣戦布告は裁可したものの「不本意」と言った日清戦争。しかし現世では納得づくの上で開戦へと誘導した。
現地では戦闘が始まったことを受け、翌月の一日に清国が対日宣戦布告。翌日、日本も対清宣戦布告を決定。清国に通告するとともに、国内へは一日付けで詔勅を発した。
戦争勃発に伴って私は内務大臣を辞任。朝鮮半島に展開する部隊を統括する第一軍の司令官に就任した。九月半ばに仁川へと上陸して作戦指導にあたる。
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さて、ここで私が着任するまでに起きた出来事を紹介しよう。
七月二十五日。期限付きの通牒に対して何ら返事がなかったことから、宣戦布告は行われていないものの国際法的に日清は戦争状態に突入していた。
これに先立って日本側は戦時体制へ移行する。陸軍では出兵が予定される部隊に動員がかかり、海軍では既存の第一、第二艦隊を統括する連合艦隊が編制された。
第一艦隊は鞍馬型巡洋艦四隻に扶桑や金剛、比叡といった高火力低速の船が集められている。同艦隊司令官兼連合艦隊司令長官は伊東祐亨中将だ。
他方、第二艦隊は宇治型、利根型巡洋艦を主力に快速を誇る船が集められていた。司令官は坪井航三少将である。
伊東と坪井の相性はあまりよろしくない。坪井は史実であだ名が「単縦陣」となるほどその戦術に傾倒していた。対して伊東は保守的なところがあるので、両者はしばしば意見が対立する。さらに間に入るべき参謀長の鮫島員規大佐は仕事を部下に丸投げする人物で調停などできるはずもなく。結局、さらに下のヒラ参謀・島村速雄がフォローに回るという凸凹組織が連合艦隊である。
それを知っているならなぜ人事を変えないのかとなるだろうが、止むを得ない。伊東と並ぶ人物として江華島事件の当事者である井上良馨がいるが、彼はしばらく陸上勤務が続いていて不適任だ。坪井の昇進を繰り上げるという方法もあるものの、そうすると今度は薩長のバランス問題が生じる(陸軍の第一軍司令官が長州の私なので、海軍は薩摩がという話)。史実でも勝ったしまあいいだろ、と特に調整することもなくそのまま人事が通った。
人的な不安はあるものの、兎にも角にも連合艦隊が結成されて作戦行動をとる。大本営が海軍に出した最初の命令は黄海を封鎖せよ、というものだった。
清国から朝鮮に兵を送るにあたって最速の手段は海路を使うこと。これを止めれば陸路を使うしかなくなる。だが、自動車は存在せず(あったとしても通れる道もなく)、両国の間には鉄道も通っていない。ちんたら歩くしかないが圧倒的なタイムロスになる。
それとは別にもうひとつ狙いが。海域を封鎖する連合艦隊を排除しようと清国の北洋艦隊が出てくることが考えられた。彼らと艦隊決戦を行い制海権を確保する。日本もまた朝鮮派兵における事情は同じだった。
命令に基づいて連合艦隊は黄海の朝鮮沿岸にて哨戒任務に就く。このうち第二艦隊の一隊が清国の巡洋艦二隻(済遠と広乙)に出会した。
「味方かと思ったが敵だとはな」
第二艦隊の旗艦・筑摩に座乗する坪井は双眼鏡片手に呟く。
この時代は索敵は完全目視で航空機も存在しない。目印は煙突から出る排煙だった。見張りが遠くに二条の排煙を認める。付近には同じく哨戒任務に就いている味方艦がいるため、敵か味方か判断するため近づいたところ敵だったというわけだ。
「封鎖せよと言われてはいるが、軍艦相手にこちらから手を出す必要はないな」
坪井はそう判断して静観することにした。これで張り詰めていた艦内の空気は緩むが、程なくして見張りが異変を報告する。
「敵艦において、敵兵が慌ただしく動いている?」
この時代は交戦距離が短い。世界における海戦の常識は砲戦しつつ隙を窺い、ここだと思ったタイミングで単横陣を組んで艦砲ぶっ放しながら突撃し、横っ腹晒した間抜けな船に衝角攻撃を仕掛けて沈めるというもの。ほぼゼロ距離での接舷戦闘すらも考慮されていた。
撃ち合いが始まるのは戦艦でもせいぜい五〇〇〇メートル前後。射程が延伸されて水平線ギリギリとなり、測距のために違法建築となった某戦艦がいるがそれは後の話である。
「もしや合戦準備をしているのでは?」
「……法的には戦争状態だ。その可能性は大いにあるな。よし、こちらも合戦準備だ」
「はっ――総員、戦闘配置ッ!」
参謀の懸念はもっともだと、坪井は部隊に戦闘態勢をとらせた。命令は信号により後続艦にも伝達される。戦闘ラッパが吹かれ、清国巡洋艦と同じく艦上で兵士が慌ただしく動く。ただし砲口は向けない。それは戦う意思を示すことになるからだ。だが、
「敵艦の砲がこちらを向いているとのこと」
見張りからそんな報告が入ると坪井は決断した。
「先手をとるぞ。砲撃準備」
開戦前に詔勅を使って通過させた予算は船の改装に用いられている。備砲を新型に更新するとともに、艦齢十年以内の巡洋艦にはイギリスから輸入した測距儀を装備していた。
とはいえ、射撃指揮装置といえるのはそれと方位盤だけで肝心の射撃盤はない。そのため基本は独立打方(各砲が好き勝手に撃ちまくる方法)をとっていた。日本海軍の基本戦略は速射砲でとにかく大量に弾を撃ち込む――下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式。いちいち射撃統制などしていられない。そもそもとして伝達速度の都合で不可能なわけだが。
「第一目標は大きい方(済遠)だ」
この時点で艦級はわからなかったが、済遠は二〇〇〇トン級、広乙は一〇〇〇トン級なので見るからに大きさが違う。基本的に大きい方が脅威。そちらを優先するのは当然だった。
「準備完了ッ!」
「各砲、並射(無理のない発射間隔)にて射撃速度の維持に努めよ。……打方始め!」
筑摩は距離およそ三〇〇〇で発砲。利根、阿武隈(史実の千代田型)も続く。かくして日清の戦端は海上にて開かれた。
目標となった済遠の近くに水柱が立つ。ただし全弾近(手前に着弾)。敵も撃ち返し、日本艦の周りに水柱が立った。こちらも全弾近。
まあ、艦砲がいきなり命中するなんてことはない。最終的には砲手の勘なのだからそれも当然である。それでも両者は一刻も早く夾叉あるいは命中弾を得るために砲撃を繰り返し――日本が先んじる。
砲戦開始からおよそ五分。ようやく命中弾が出た。済遠の艦橋付近に砲弾が命中。爆炎が上がる。各自がほぼ無秩序に撃っているので、どの砲どころかどの艦が撃った弾なのかさっぱりわからない。だが、わからないからこそ様々な解釈ができるわけで、
「我が砲が敵艦に命中したぞ!」
「「「おおーッ!」」」
砲台長がこのように鼓舞し、兵士たちが歓声を上げる。こうして士気を盛り上げることは戦いを継続する上で必須であった。
この一発が呼水となったか、日本の砲弾が次々と済遠を襲った。一方の敵は未だに命中弾なし。すると心が折れたものか、済遠は白旗を掲げた。降伏の意思を示したのだ。
攻撃目標が失われたため、標的は未だ健在な広乙に移る。だが、四〇〇〇トンの船二隻を要する日本艦隊には敵わず、数的不利も相まって滅多打ちにされた。
「敵艦、回頭しました!」
「遁走する気ですかね?」
「だろうな。だが逃がさんよ」
坪井は阿武隈を分派して追撃にあたらせる。阿武隈も広乙に比べると排水量は倍。しかも無傷であるから、手負いの広乙にはなす術もない。海岸方面へ追い立てられ擱座。広乙艦長は乗員を退避させた上で、弾薬庫に火を放って船体を爆破した。
一方、坪井が率いる本隊は降伏した済遠の捕獲にかかる。ところがその済遠は白旗を掲げながら逃走した。筑摩と利根は慌てて追撃する。
それからも降伏すると見せかけて逃走することを繰り返した。降伏するんだな、と思って短艇派遣の準備を進めていると逃げ始めるといった感じで埒が開かなかった。
「司令官! 新たに二条の排煙を発見とのことです」
済遠の追撃戦中、両艦は別の船と遭遇した。汽船と護衛と見られる小型艦。これは朝鮮へ増援として送られてきた陸兵を満載した汽船・高陞号と護衛の砲艦・操江だった。
坪井はこの新たな目標に僚艦・利根を向かわせ、自身が乗る筑摩は済遠の追撃を続ける。
単純な速力でいえば筑摩が優れていたが、済遠はジグザグに遁走して翻弄。逃げることに関しては一流だった。とはいえ筑摩も優速を活かして追いすがり遂に捉える。……が、済遠は沿岸に舵を切って遂に振り切った。そこは浅瀬であり、筑摩の喫水では座礁する危険があったのだ。打撃を与えたものの、済遠を取り逃してしまった。
「逃したか……」
「惜しまれますが相手は小物。定遠、鎮遠が控えているなか、敢えて危険を冒す必要はないでしょう」
「逃げた船の艦長からすれば噴飯ものだろうが、至極もっともだな」
参謀のあんまりな言い方に苦笑しつつ同意する坪井。しばらく済遠が逃げた方を眺めていたが、視線を切って呟く。
「さて、利根の東郷は上手くやっているかな?」
坪井が気にしたのは利根の首尾だった。敵もいなくなったため、味方と合流すべく反転した。
さて、その利根はどうしていたのか。同艦の艦長は東郷平八郎大佐。彼は難しい判断を迫られる。
清国汽船・高陞号と護衛の砲艦・操江と接触したが、操江は利根を見るなり護衛任務を放棄して逃走。折よく阿武隈が戻ってきたためこれを追撃させている。操江は最高速度わずか九ノットでさすがに逃げきれず捕獲された。
だが、問題は高陞号である。この船には清国兵が乗っていた。甲板の上にその姿を確認できる。ところが高陞号のマストにはイギリス商船旗が翻っていた。
この珍妙な船を東郷は臨検する。結果、高陞号はイギリス商船であり、清国に雇用されて兵士千余名と武器弾薬を輸送中とのこと。封鎖命令が出ていることからここは通すわけにはいかず、船を抑留することにした。
乗っていたイギリス人の船員はこれを了承したが、清国兵が妨害。何度かやりとりした末に東郷は高陞号がこちらの指示に従わないものと判断して撃沈を命じた。
利根の砲撃で高陞号は沈められ、イギリス人の船員と若干の清国兵を除くほとんどの乗員が溺死したのだった。
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