国内情勢は複雑怪奇
すみません、今回の話は地味に時間があちこち飛びます
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条約改正交渉が行われていることは程なく世間に漏れた。すると国粋主義者を中心に現行条約励行運動が沸き起こる。聞き慣れないこの用語を簡単に説明すると、外人を居留地に押し込めておく現在の条約を維持して不便を与え、外国から改正を申し出させる……とまあ、お前現実見えてんのか? と言いたくなるような考えだ。
彼らとしては、一度で法権も税権も回復しなければならないらしい。中途半端にやるくらいならそのままでいい、というのが彼らの主張だった。漸進という言葉を知らないのだろうか? というかゼロ百で生きるの大変じゃない? と思う。
ところが意外に支持者は多く、改進党に加えて吏党勢力からも賛同するところが出た。政府の支持勢力として生まれ、前回選挙で強力な後援を得た国民協会までもがこれを支持している始末。あの……存在意義を否定するのはやめてもらっていいですか?
そんな彼らは六つの勢力が集まっていることから「対外硬六派」略して「硬六派」と呼ばれていた。民党と吏党の垣根を超えた団結である。政府にとっては迷惑この上ないが。
ところで自由党はどうしていたのかというと、この運動からは距離を置いていた。星亨をはじめ幹部のなかに陸奥宗光と親しい者が多く、批判には加わらなかった。その星が炎上していたという理由もあったが。
星が炎上したのは相馬事件に関連してのこと。相馬藩主であった相馬家でお家騒動が起こり訴訟騒ぎになった。この際、星(弁護士)が一方と面談しながらもう一方の弁護人となるという背信行為をしており、これに批判が集まった。当然といえば当然である。身内の自由党からも批判がなされ、星を擁護する板垣総理以下の存在も相まって大混乱となった。
なんだかんだ、議会が開設されてから存在した民党と吏党という構図が完全に崩れ去ったわけで、政治状況は実に混沌としていた。まさにカオス。
議会勢力がごたごたを繰り広げる横で、国外でも問題が生じていた。日本にとっての火薬庫とでもいうべき朝鮮半島である。
朝鮮半島が日本の国防上、重要な場所であることは明らかである。だが同時に、日本経済にとっても大事だった。というのも、八十年代から急速に進んだ産業化によって労働者向けの食糧需要が急上昇。これに供給が追いつかず、工場労働者に提供する米や大豆(味噌)が不足してしまった。そこで注目されたのが朝鮮半島の穀物類である。
不平等条約もあって安く仕入れられることから、日本の商人が挙って朝鮮へ渡って農村で穀物を買い占める。なかには先物取引までする者もいたとか。こうして安く仕入れた穀物は、主に阪神地方へ供給されていた。朝鮮の穀物が日本の産業労働者を支えていたのである。
しかし、朝鮮とて穀物の生産量に余裕があったわけではない。そこに買い占めが起きたわけだから穀物価格は急騰する。購買層である下層民を直撃し、民衆の不平不満は高まった。さらに一八八九年は凶作だったことから朝鮮の役人は域外への米穀移出を禁止する通達(防穀令)を出したのだが、これで先物買いをしていた日本商人は損をする。倉屋もそのクチだ。
「何とかならない?」
この件を海から相談されていた。朝鮮の輸出のうち九割は日本向けで、輸入の五割は日本から。そしてその輸送を担っているのも日本船であり、肝心の船を供給したり運行したりしているのは倉屋であった。また赤右衛門が穀物輸入も手掛けており、金にものを言わせて先物買いしまくっていた。よって今回の防穀令の影響をもろにうけて朝鮮部門の収支が悪化しているという。
愛する妻から相談されたというのもあるが、それを抜きにしてもこちらの利益を損なう行動である。商人たちから抗議してくれとの要望も出されており、政府として抗議し賠償を求めたのが九一年のこと。
まあ当然、揉めに揉めた。朝鮮は日本商人の抗議を受けて防穀令を撤回。発令した役人も更迭していた。防穀令は朝鮮の伝統的な救荒対策。貿易に不利益を与えることにはなったが、既に命令は撤回して発令者も処分している。だから賠償に応じる謂れはない、というのが朝鮮側の主張だった。
だが日本側もはいそうですかと引けない理由がある。政党が煩いのだ。制限選挙の下では議員自身、あるいはパトロンが商工業と何らかの関わりを持っている(資本家である)場合が多い。だからこそ凄まじい突き上げがあった。
辟易した大久保は自由党の大石正巳を朝鮮公使として送り込んで対処にあたらせた。最後通牒を出すまでに至ったが、その裏で大久保が李鴻章に話をして清国に調停してもらい、朝鮮側が賠償金を支払うことで決着している。
ここで活用された大久保と李鴻章のパイプは、一八八五年に甲申事変の後処理として日清間で結ばれた天津条約の交渉を行った際に築かれたものだった。大久保としてはあまり切りたくなかったカードだろう。だが、甲申事変後に日清にロシアまで加わった複雑な朝鮮半島情勢を思えば、十分な準備もないまま戦争へ突入していくわけにはいかなかった。
今回は日本側が自重したが、朝鮮半島は日に日にきな臭くなっている。甲申事変によって清国の優位が確立し、彼らの意向を汲む閔妃政権が国政を牛耳っていた。朝鮮も改革は行おうとしていたものの、財源がなく借金で賄っている。しかし借金は泡銭。改革に必要な継続投資は行えず、先細りしていった。腐敗が進行していて中抜き横領が頻発したこともこれに拍車をかける。民衆は政府に対して反感を抱き、反乱も年中行事かのごとく毎年起きているそうだ。
「これは近く大きな動きになるかもしれない……」
まあ時期的には来年、日清戦争のきっかけとなった甲午農民戦争が起こる。大久保の言葉は直感だろうがとても鋭い。
あれから大久保は対清戦争の構想を軍務、外務、大蔵の高官へ徐々に明かしていた。反応は様々で、賛成する者もいれば消極的な者もいる。しかし、もはや開戦は既定路線となりつつあった。
準備の一環として関係する省庁の人間を集めた会議が行われる。そこに私も参加していた。内務大臣として参加資格はないが、同時に現役の陸軍大将でもある。そちらの身分で顔を出していた。
「では戦備の確認から」
まずは海軍。海軍副部長の山本権兵衛が説明する。
「清国海軍は北洋、南洋、福建、広東の四個艦隊を編成しております。占めて軍艦八二隻、水雷艇二五隻。我が方は軍艦二八、水雷艇二四となります」
それを聞いてやや議場の空気が暗くなる。水雷艇の数は拮抗しているが、軍艦はほぼ三倍。さらにそのうちの二隻は東洋一の巨艦、定遠と鎮遠だ。勝てるのか? という疑問はつく。
その懸念を払拭するように山本は言葉を続けた。
「ただ、特に海戦劈頭において対決が想定されるのは北洋艦隊のみ。これは軍艦二二、水雷艇十二であり、我が方が有利です」
「だがそのなかにも定遠と鎮遠がいるのだろう?」
「はい。これに正面から対抗できる船は帝国に存在しません。しかし、鞍馬型以下の我が方主力は他の清国海軍の船を圧倒します。海軍はこれを以て定遠級を除く船を排除し、魚雷で仕留める方針です」
丸裸作戦である。艦隊は総合力。戦艦百隻揃えたからといって勝てるわけではないのだ。また、山本は補足として清国海軍の船は最も新しいものでも九十年に就役したもの、対するこちらは主力八隻のうち六隻は九二、九三年に就役している新鋭艦だと説明。それが「清国海軍の船を圧倒する」と口にした所以であった。
ならばワンチャンあるかも? と場の空気が緩んだところで陸軍の説明に入る。説明者は陸軍副部長の児玉源太郎。
「清国の陸軍兵力はおよそ三七万。最大で六十万と見積もられます。対する我が方は近衛を加え最大十二万」
こちらは五倍。出席者からはまたしてもため息が漏れた。
「各位が懸念されているように兵力差は大きく、また清国軍は新式の西洋武器を装備しています」
ただ、兵力はあくまで総兵力。仮に開戦したとしても、その全軍が日本との戦いに向けられるわけではない。加えてそのなかには李鴻章の淮軍に代表される事実上の私兵も相当程度含まれている。装備は新しくとも練度が低く、指揮命令系統も旧態依然としていた。いざぶつかれば勝てる、と児玉は力説する。
これは日本の自惚れではない。イギリスが秘密裏に調査した際、日清の戦闘を想定して「近代と中世の軍による戦争」と評したほどだ。
「つまり軍部としては勝てる、ということでいいな?」
「はい」
これだけは自信を持って言えた。必然、言葉にも力が籠もる。大久保は満足そうに頷いた。
続いて大蔵省からだが、こちらはやや悲観的な見通しだ。戦争によって武器弾薬が必要となり、貿易赤字により正貨が大量に流出することが懸念される。戦時国債発行により資金統制をかけることになるため、金融に打撃を与え不況となるという予測だった。
戦争は果てしなく非生産的な消費行動だから全体で見れば間違いなく好況だろう。報告をほーん、と聞きながらも私はまったく心配していなかった。大久保はある程度は受忍するしかないだろうが、影響は少ない方がよいから今後も検討してくれ、とコメントした。
「外交はどうか?」
「英国との交渉は順調に進んでおります。ただ、清国と最悪の事態に陥ることは避けるようにとの姿勢は変わりません」
青木の外相時代に締結目前にまで行った経緯もあり、条約改正の基本合意までは早かった。だが、清国との戦争は望んでいない、という姿勢だけは変わらないという。日本が譲歩を示唆しても同じ。
「まだ足りないか?」
「いえ、ここで退くと際限がなくなります。それよりも、他の列強を取り込みましょう」
陸奥はイギリスと朝鮮を狙うロシアを除く列強の支持をとりつける方針にしたようだ。列強にとっては悪くない。東アジア外交の主導権を握っているのはイギリスだが、彼らが支持する清国がコケればすなわち列強にとって権益を拡大する好機となる。
また、清国を見て戦えば勝てると頭の片隅で考えつつ、やはり眠れる獅子だという評判もちらつく。それが真か偽か、日本が確かめてやろうというのだ。タダでやってくれるのだからお墨付きくらいは与えてくれるだろう。
そんな方針が夏場に決まり、九三年後半から陸奥はイギリスを除く列強諸国の外交官と会談を重ねる。「カミソリ」の異名をもつ陸奥はキレキレだった。上手い具合に日清開戦を仄めかし、日本は炭鉱のカナリアになるということを伝えた。次第に日本の意図を悟った諸国は自国で相談し、ニュアンスは異なれど好意的な回答を返している。
アメリカ「干渉するつもりはない」
独仏「一発殴れば?」
といったような具合でイギリスとロシアを除く列強はこちら側に立つことになった。きっと、裏ではせっせと札束を揃えていることだろう。もちろん対中投資のためだ。支持するんだからそれなりに見返りはあるんだろうな? という日本への圧力でもある。そこは忖度しなければならないだろう。パトロンを持つということは、その意向に従わねばならないということも意味しているのだから。
と、政府が裏でそんなことを画策している間に時は進み第五議会を迎えた。これまでは開会して程なく政府批判に熱心だった政党だが、今回はいつもとは異なり衆院議長の星亨への批判から始まる。それは自由党を攻撃するためだった。
自由党は開会以前、条約改正についてはこれに賛成することを決めていた。これを推進する陸奥は星や中島といった幹部と親交が深く、またその必要性も理解していたからである。だが、条約改正を何としても防ぎたい硬六派は相馬事件のほか、収賄の疑惑も持ち出して批判した。
「議長は後藤大臣や斎藤次官ら農商務省の高官と謀り、収賄をしていたのではありませんか!?」
硬六派がアジり、自由党がヤジる。政府の面々は後藤たちに矛先が向かないかと冷や冷やしていたが、こちらをそっちのけで星を攻撃していた(なお汚職の疑惑が浮上した後藤たちは辞職。井上馨は農商務相にスライドし、松方正義が大蔵相に復帰している)。
開会翌日には議長への不信任案が可決され、星が応じないと今度は不信任の上奏案が飛び出してこれまた可決される。もちろん初めてのことであり、受け取った天皇も困惑したらしい。翌日、これは更迭要求か不適任者を選出したことへの謝罪か? との御下問があり、ちょっと揉めた後に後者であると奉答する。なお、自由党も一枚岩ではなく批判的な者が十名単位で離党。新会派を作り批判する勢力に加わっていた。
このように辞めろと圧力をかけられても風呂場に生えたカビのように辞めない星。ついに衆議院は強硬手段に出た。星を登院停止一週間の懲罰にかけることを議決し、それが明けるとさらに進んで除名処分を下した。
星を退場させたところで、ようやく硬六派は政府を見る。彼らは現行条約励行を建議。あわせて外国条約取締法、外国条約執行障害者処罰法という二つの法案を提出した。趣旨説明に議員が登壇したところで詔書が到着。すぐさま朗読される。
「――停会を命ず」
提案理由を読んでこれはヤバい、と私たちは停会の準備を進めていた。停会の期間は十日間。その間に対応を協議する。外交が焦点となっているので陸奥が反省を促す演説を行い、議事が変わればそのまま。そうでなければ停会させて議会解散ということに決まった。条約改正交渉をしている最中、議会で現行条約励行なんて建議を通させるわけにはいかない。
世間ではイギリス公使館の牧師ショウが日本人に暴行されるという事件が起き、怒ったイギリスは条約改正交渉の中断を通告してきた。これを第二の大津事件にしてはいけない。そう考える陸奥はかなり気合が入っていた。
停会明け。陸奥の演説は硬六派が盛んに野次を飛ばすなか行われた。
「維新以来、日本は開国主義をとってきた。それは御誓文や発せられた詔勅によく表れている。開国主義は日本の国是である」
陸奥は明治ゼロ年代から今まで、日本が如何に進歩してきたかを語り、鎖国攘夷に戻るのかと非難した。硬六派からの野次には誤解だというものがあったが、ただの言い訳にしか聞こえない。しかし陸奥はそれらにほとんど取り合わずに演説を続けた。
「しかしながら先に提出された建議、法案はこの国是に違背している。政府は国是に反するものを排斥する責任があり、論駁するとともに反省を促す!」
この演説は硬六派に対する非難であるとともに諸外国――特にイギリスへ向けたメッセージも帯びていた。日本は政府方針として今後も進歩的な政策を展開していく、というものだ。これは東京の公使より本国に伝わり、条約改正交渉は無事に再開された。
「歴史的大演説」と国内外で評価が高い陸奥の演説だったが、残念なことに硬六派へは伝わらなかったようだ。問題の建議案、諸法案を撤回することなく審議に移ろうとしたため、再び詔書が下され停会。翌日、議会解散となった。
翌明治二七年三月に第三回の衆院選が行われた。これに先立って私は天皇からお召しを受けて参内する。
「山縣。議会が解散されて選挙となったが、よもや前回のようなことはしまいな?」
「もちろんでございます。この山縣が内務大臣として目を光らせておる間は如何なる干渉をも許しませぬ」
買収は日常茶飯事であり、発覚すれば取締は行う。その他、法に触れる行為があった場合も同じだ。しかし、政府として干渉を行うようなことはしないし、全国の知事に対しては厳格に法を運用するよう訓令していた。拡大解釈して干渉するなよ、と釘を刺したのである。
このことを説明すると、天皇も安心したようだ。私はこのことを閣議で共有し、天皇が懸念を抱いていることを伝えた。大久保はこれを受け、改めて選挙には不干渉で行くようにと指示している。
果たして結果はどうなったのか。結論からいうと政府にとっては痛し痒しだった。比較的、政府に対して好意的な自由党が一二〇議席を獲得して第一党となる。前回の選挙干渉で大きく議席を減らしていたが、その反発による伸びによるものだ。同じ理由で改進党も六十議席を獲得している。
悲惨なのは国民協会で、第三党の地位にはあるものの議席は三五。改選前は六九議席だったことを考えるとほぼ半減していた。まあ当たり前といえば当たり前。松方と品川が政府与党にするためにあの手この手で支援して得た議席だ。その支援はなく、また吏党という地位をかなぐり捨てて硬六派に与したことで有権者離れを起こしたがゆえの惨敗だった。
とはいえ、自由党と硬六派のいずれも過半数は取れず。政府から見れば自由党が与党というわけではないからその伸長を素直に喜べないのだ。硬六派も無所属を上手く取り込めれば過半数を獲得できることから、現行条約励行の看板を下ろすとは思えない。実に微妙な選挙結果だった。
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