第四議会と光明
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第四議会を目前にして閣員がピリピリし始めたとき、前途多難を予期させるような出来事が起きる。第一は吏党の民党化だった。
これまでの政策に対して不満を抱いていた一部の吏党議員が離脱して独自会派を結成し、民党宣言を行う。民党と吏党のどちらも過半数割れという状況は変わらなかったが、残る中立派を取り込むハードルは民党の方が遥かに低くなった。松方が政権を吹っ飛ばしてまでやった選挙干渉による民党削減策は水泡に帰したわけである。
さらに悪いことは続けて起こるもので、
「俊輔が大怪我をした!?」
「はい。小松宮妃殿下の馬車と伊藤閣下の人力車が接触。車外へ投げ出されて歯をいくつか欠損し、意識が朦朧としているとか」
大久保との面会を終えて首相官邸を出たところ、小松宮妃殿下の馬車と接触。車夫が回避しようと急旋回したが慣性には抗えず人力車は転倒し、急なことで反応しきれなかった俊輔は投げ出されたそうだ。
意識が朦朧としているのは脳震盪だろう。医者によると命に別状はないらしい。それだけは救いだった。
「大事なときに申し訳ない……」
見舞いに行くと俊輔は申し訳なさそうにしていた。命に問題はないとはいえ、医者からはしばらく(二ヶ月)絶対安静と言われているらしい。
「とりあえず養生しろ」
女好きの俊輔、馬車移動では愛人と一緒に乗ってチョメチョメしていることもあるとか。天皇も見かねてほどほどに、と注意したほどだ。なんてことに使ってくれてんだ、という馬車の怨念が炸裂した結果……なのかもしれない。
ドクターストップが明けるまで俊輔は職務停止。次官が職務を担い、監督は逓相の経歴が長い後藤象二郎が担うことになった。
そんなハプニングがありつつ、議会開会の日を迎える。藩閥政府の首魁・大久保率いる内閣が相手ということで政党側もかなり気合が入っていた。彼らは鼻息荒く議会に臨み、例によって予算案に大鉈を振るう。
削減率はおよそ一割。これまで半ば聖域となっていた官吏俸給、軍事費についても減額更正がなされ、乙案である戦艦の建造費を軸にした海軍拡張費は削除されている。
理由は財源として当てこんでいた増税分の税収増は見込めないとのものだった。そりゃ増税案を否決したからね。まあこれは想定通りなので、甲案を軸にした案に切り替える。できればいいな、の増税も蹴られたので増税を織り込まない歳入見込みで作成されたものだ。
ところがこの予算案も同様の減額更正がかけられる。予算委員会で論争となり、弁が立つ尾崎行雄がこう批判した。
「政府原案でなければ、一銭一厘でも違えば、行政機関は運営できないのですか!?」
大袈裟ではあるが、その物言いにカチンときたらしい蔵相の井上馨が「その通り」と言ってしまった。これで議場は大炎上。政府の反省を促す、と議会は停会となった。
問題となっているのは第一、第二議会と同じく、予算の議決をめぐる憲法解釈である。政府としては官吏俸給や軍事費は「義務的な歳出」に含まれるという解釈であったが、これに待ったをかけたのが法制局長官を務めた井上毅。
「政府が義務的な歳出の何たるかを決定することは、議会における予算の議決権を侵害する惧れがあります」
「う〜ん、まあそうか」
あれもこれもと言って膨らむのが目に見えている。人間の欲望とは果てしない。外部から歯止めをかけなければならない、という井上の話には十分すぎる説得力があった。閣員たちも、憲法制定に深く携わった彼の意見を聞いて納得している。
「申し訳ないです。第一議会で片づけておく問題でした」
少し物事を単純化しすぎたかもしれない。もし気づいていれば、第二議会の混乱はなかったかもしれないのだ。
「山縣さんが謝ることではありません。そもそも憲法もできたばかり。誰も彼も暗中模索なのだから」
大久保をはじめ慰めてくれる。
「それで山縣さん。何か案があるのでは?」
「え? いや――」
話を振られて咄嗟に特に何も、と言おうとしたところで思い直す。たしかに案はあった。
「……そうですね、政府と議会とで『義務的な歳出』とは具体的に何なのかについて取り決めを交わすことでしょうか。それが何なのかわからず争っているわけですし」
債務支払いに関してはどちらも「義務的な歳出」という解釈で一致している。一致点を見出して妥協していく。それが議論でありそれをするのが議会だ。決して多数を恃んで言い分を押し通す場ではない。
「井上、どう思う?」
「名案かと。もちろん何を対象にするかは十分に考えなければなりませんが」
中身は要検討としながらも、協定を結ぶことになった。井上が叩き台の作成に取り組む。
「問題は相手がどう出てくるかだ」
これが悩ましい、と大久保。閣員もそれぞれため息が漏れる。どう考えても公債費しか認めそうにない。譲歩もしないだろう。いかにして相手を折れさせるか。そこが大事になってくる。
「それならば――」
意見したのはまたしても井上。もはや政府ではどうしようもないから、ここは詔勅を下して突破するしかないと主張した。
「お上の政治利用だ!」
そんな反発の声がほぼ反射的に出るが仕方ないだろう。天皇は「統治権の総覧者」であるから、こうだと言えば逆らえなくなる絶対的な力を持っている。だからこそそれを利用することは憚られた。何よりその神聖性を毀損することになってしまうから、と。
だが、井上は程度の問題だと言う。
「たしかに全面的に政府支持の詔勅ではそうなるでしょう。ですが、双方の言い分を聞いた妥協を促すのならば、その行いは調停者となります」
井上はいずれにせよ、停会が明けて審議が再開されても、政府が要求を丸呑みしない限りは弾劾決議が行われて議会から天皇へ上奏されるだろうとの観測を示した。そうなれば何らかのリアクションを天皇はとらざるを得なくなる。結果的に詔勅が出ることには変わりないからポジティブに使おう、という提案だった。
……言ってることはその通りだが、果たして予算を通す必要はあるのだろうか? 焦点となっている海軍費は戦力向上のための艦艇改装費用である。ぶっちゃけやってもやらなくてもいい。無理して通す必要はないのではないか、というのが私の考えだった。
休憩時間を利用してそっと大久保に訊ねたところ、
「それもそうだが、政府が折れたと見られるわけにはいかん」
と、政治的な面子だと回答された。それもわからんではないだけにモヤモヤが凄い。
それからも様々な議論がなされ、なおも反対意見はあったものの大久保は決断した。
「……衆院の過半は民党に属しており、またそのいきかがりから陛下の御聖断を仰ぐ他ないだろう」
内閣のメンバーは多くが首相を務めてもおかしくはない元老級のオールスター。それぞれ思うことはあるけれども、議論を尽くした上で大久保が下した決断ならばと全員が承服した。
そして迎えた停会明け。議会は政府に喧嘩を売ってきた。天皇に対して政府に全面譲歩するよう勧告するか、内閣を交代させるように求める上奏を行うというのである。つまりは、政府に議会の要求を丸呑みするか、自分たちは国政ができない無能です代えてくださいと言うかしろというのだ。
おうおうおう。喧嘩を売るなら買ってやろうじゃねえか、と今度は政府が停会させる。詔勅の準備をするためだ。政党の側もそれはわかっており、あちらもあちらで調整をつけているらしい。
再度の停会明け、政党は先に提出された上奏案を可決。その後、議長の星亨が天皇に上奏した。同日、政府も仲裁か議会解散かを求める上奏を行う。
その翌日、閣僚と枢密院顧問官が召し出されて参内。詔勅が読み上げられ、国務に関するものであるから憲法の規定に従って閣僚の副署を添えて公開される。後世に「和衷協同の詔」と伝わる詔勅だ。内容は、
・政府の憲法解釈は正しい
・予算に計上された海軍費用を賄うために宮廷費の一部を下賜するので、官吏も俸給の一割を献納すること
・議会の要求を容れて政府は行政整理を行うこと
・何が「義務的な歳出」かはそのときの政治状況で変わるから、政府議会が協定してこのような対立が生じないようにせよ
というものだった。
政府はもちろんこれを奉じるとし、自由党なども自分たちの主張が容れられた、とこれに倣った。改進党はその実効性を担保するためとして、行政整理にあたる委員会を発足させることを条件に遵奉するとした。政府も詔勅に従って無用な対立を起こさないようこれを呑む。
議会で委員の選定を終えると改進党の条件は満たされたことになり、関係者全員が詔勅を受け入れたことになる(貴族院はもちろん従った)。それを報告するため衆貴両院の議長が揃って参内して遵奉すると奉答。第四議会でどうにか予算を通すことに成功した。
辛くも苦境を乗り切って安堵する面々。もちろん私もそのひとりである。本当に内閣が倒れかねない状況であったから解放感はかなりのものだ。
そんな我々にご褒美ともいえる報告が入ってきた。外相の陸奥宗光によれば、
「英国との条約改正交渉は好感触で、現地の青木公使からも本交渉に臨みたいとの話です」
とのこと。松方内閣のとき、大津事件の発生で頓挫した条約改正交渉が実現へ向けて動き出そうとしているというのだ。先に陸奥は閣議に条約改正案を提出。閣議の了解と天皇による裁可を受けていた。
内容については前回とほぼ同じ。すなわち、日本が内地雑居を解禁する代わりにイギリスは法権の回復と双務的最恵国待遇を認め、税権に関しても一部のみであるが回復させるというものだった。しかも大隈の改正交渉とは異なり、外国人判事登用などの条件はなく、施行までの間に日本側が各種必要な法整備を終えるという程度に留まっている。気になるとすれば居留地における永代借地権だが、処理が後々面倒であるとしても条約改正のメリットの方が大きいとなった。
「やはり露国の南下に危機感を募らせているようですな」
その観測は正しい。イギリスはユーラシア大陸を舞台にロシアと競争をしている。なぜなら、ロシアが南下政策を行う先にイギリスの勢力圏があるからだ。
不凍港の獲得はロシアの悲願であるが、地図を眺めたときに行く先は四つ考えられる。欧州、中東(バルカン半島を含む)、南アジア、東アジアだ。
最初の欧州は列強諸国が犇く魔境であり、手を出せばロシアもただでは済まない。中東もバルカン半島はオーストリアとオスマントルコが睨み合い、その背後にはドイツがいる。さらに先にはエジプトを押さえるイギリスがいた。南アジアはインドであり、やはりイギリスの植民地である。
となると東アジアしかない。ここにはイギリスなどの影はちらつくものの日本や清国、朝鮮とロシアにとって格下の相手しかいない。活路は東である、とロシアはシベリア開発に乗り出した。その象徴がシベリア鉄道だ。
大津事件のインパクトが強すぎて忘れられがちだが、ニコライが来たのはそもそもシベリア鉄道の極東工区の起工式に参加するため。そしてこれはイギリスにとって看過し難い事態だった。
これまで列強諸国が東アジアに進出するには海路を使うしかなかった。その航路を支配するのはイギリスであることから、東アジアにおいて絶大な影響力を持っている。ところがシベリア鉄道が完成すればロシアに限れば陸路でアクセス可能となり、その優位性が揺らいでしまう。
工事現場がロシア国内である以上、止める術はない。だからイギリスは自国が主導権を握った上で東アジア地域を結束させようとした。そのような意識で東アジア外交は展開される。日本も当然、その影響を受けていた。
朝鮮半島問題においてはどちらかというとイギリスは清国の側に立っている。そこには獲得してきた権益が山のようにあるのだから当然といえば当然か。国力の差や失策に加え、そのような背後関係もあって日本は朝鮮において劣勢であった。
そんな外交状況だったが、開戦を企図している日本としては最低でもイギリスに戦争について了解を取りつけたいところ。そこで私は交渉案が出ていたときにある提案をして受け入れられていた。それは叩き台となった青木案からの後退である。
「この際、英国の好意を引き出すために青木案から税権に関する条項を退歩させるのはどうだろうか?」
「不平等条約の改正は我らの悲願で――」
「それはもちろんわかっている。だが、朝鮮問題に関して我らが強く出られないのも、清国の背後に英国がいるからだ。彼らをこちら側に立たせるか、少なくとも静観させるだけのアメを与えてやる必要があるのではないか?」
「それは……確かに」
史実では川上操六と計って日清開戦に主導的な役割を果たした陸奥。最大の障害がイギリスであることは外交のトップとしてよくよく承知しているだけに、私の提案は刺さったようだ。すると、
「そうしてくれ」
大久保が私を支持したことで、陸奥は税権については原案から譲歩してもよい、との条項を加えた。それを青木公使に訓令。水面下でイギリスとの正式な交渉が始まった。
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