大久保の企み
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第二次大久保内閣が発足して内務大臣に復帰した私。この政府にとって最大の課題は議会対策であり、私が音頭をとっていた。
交渉の基本だが、最初に示すのはふっかけた予算。まず否決されて減額更正をされるだろうから次に出す本当のラインで、最後に出すのが限界ギリギリ予算だ。これでも折り合いがつかなければ……そのときに考える。
例によって各省庁の間でギリギリの調整を続けていた。それもこれも予算は有限だからだ。足りなければ国債発行すればいいか、なんて話にはならないのである。日本は災害大国であるしインフラも不十分。毎年のようにどこかしらの河川が氾濫している。ゆえに不意の支出は避けられないわけだが、一般会計は収入の範囲内で組むようにしていた。パイの大きさは決まっているのであとは取り合いだ。
省庁に勤める官僚にとっては予算を分捕ることは至上命題。金がなければ何もできないのだから当然だ。ただ、前世と現世では予算編成の少し仕組みが少し異なっている。要求をとりあえず積み上げて大蔵省へ持っていく――わけではなく、大臣に持たせて閣議にかけるのだ。大蔵省からは自分ところの予算要求と歳入見込みを持ってくる。どう配分するかを決めるのは大臣たち。議会にはとても任せられないので考え出された方法だった。
予算配分を決める閣議では司会役が場を回す。その役を割り当てられたのはなぜか私。大久保に事故があったときは私が代行を務めることになっているとはいえ胃が痛くなる役目だ(法令では首相権限の継承順位を定めるよう規定されている)。まあ、最後は大久保の意思が大きく関わってくるのだが。
「――ということで、軍事費と勧業費には可能な限り割り当てようと思う」
その大久保は予算編成にあたって二項目を優先する方針を打ち出した。すなわち軍事と勧業。彼が昔から進めてきた富国強兵路線を貫いている。ブレない政治姿勢には非常に好感が持てるが、閣員として懸念事項だけは伝えておかねばなるまい。
「首相のお考えはわかりましたし、私としては大いに賛成です。ただ、内容によっては議会との調整が難しくなりかねません」
民党は相も変わらず「民力休養、経費節減」と唱えている。そのスローガンを掲げた第二議会では松方政権の予算案が事実上潰された。私が担任した第一議会こそ最初というご祝儀的な感情もあって通過したものの、それ以降は政府が負けているのである。槍玉にあげられているのが大久保が優先するものとした軍事費であり、衝突は避けられない。そこをどう考えているのか質さなければならなかった。
「山縣さん。あれらと調整がつけられると本気で思っているのか?」
「いえまったく」
即答した。だってこれっぽっちも思っちゃいないからだ。彼らは政府と対決することを目的としている。それはつまり、前にも言った通り反対のための反対だ。建設的な議論をして歩み寄る、なんて考えは微塵もない。
イギリス流、フランス流などと唱えてはいるものの、言行不一致も甚だしい。その理由は至極単純かつ明快で、権力に食い込もうとしているだけだからだ。綺麗事をなしにして本質を見たとき、初期議会とは政府と政党の権力闘争なのである。
「そう言うと思った。……少し考えがあるが、後で話す。ともかく、軍備と勧業を優先してくれ」
大久保は全てを語らなかった。まあ話してくれるということなのでそれを待とう。
「……では各省庁の予算要求書を見て、次の閣議から詰めていくことにしましょう」
今日の閣議に持ち込んだ要求書は必要部数が刷られている。それを精査して適宜修正を入れて政府としての予算案を決めることにした。その日は他に議題がなかったためそれで解散。各自が書類に目を通すのだが、私は気になることがあって翌々日に軍務大臣の榎本を訪ねた。
「榎本さん。お訊きしたいことが――」
あります、と続けようとした言葉が止まる。室内には先客がいたからだ。誰あろう、大久保である。
「何かあるなら日を改めますが……」
「いや、用件は同じだろうからそのままで」
そう言われたので入室する。用件とは軍務省の予算要求について。大久保も同じだった。彼らだけ予算案が甲乙の二通りあったのである。こんなもの見たことがない。だからどういうことなのか訊ねたわけだ。
「見たところ陸軍関係の予算は共通している。異なっているのは海軍のようだが……」
「ええ。実は――」
榎本はこのような事態になった理由を説明してくれる。
ひと言でいえば海軍部内の派閥対立だった。第二議会で潰された製艦費に計上されていた戦艦の整備計画。これが予算に盛り込まれているものが乙案、代わりに艦艇の改修費用が計上されているのが甲案だという。
あの後、私も色々と調べてわかったことがある。というのも、海軍部内では四四艦隊に対する反発があったようだ。
そもそも四四艦隊とは私が策定して以来、軍備の指針となってきた国防方針にある構想だ。軍備整備計画で陸軍は近衛師団含め八個師団、海軍は大小の装甲巡洋艦四隻づつの四四艦隊と定められている。
兵器や戦術の進歩も加味したので、先進的すぎるといってもいいくらいの代物だ。陸軍を見れば列強の水準から見ても潤沢な火砲、さらにはマキシム機関銃を装備している。火砲が多すぎるのでは? とか機関銃は使いものにならない、といった意見はあるもののそれらをねじ伏せてきた。それゆえに策定以来、改訂はなされていない。
対する海軍はといえば、戦艦は与えられず巡洋艦でお茶を濁されている……そう考える者が少なくないとか。なかには巡洋艦だけなのは陸軍が装備を整えるために海軍予算を圧縮するため、なんて説も出ているという。だから戦艦を建造しようという派閥が生まれ、一定の支持を集めているらしい。そのボスが樺山資紀であった(なお彼は第二議会の件で海軍部長を更迭されている)。他方、計画は守らなければならないという立場の者もおり、派閥対立が起きていたのだ。
だが、私に言わせればとんでもない誤解である。そもそも巡洋艦しか建造しないのは、戦艦を運用できるだけの港湾設備がないからだ。仮に造るとしても莫大な金がかかってしまい、使える金が限られている以上はどこかで妥協しなければならない。たしかにとり得る選択肢はいくつかあるが、そのなかで私は「有効な兵器に抑えて数を揃える」という選択をしただけだ。
加えて海軍技術は1890年代に飛躍的に進歩する。特に顕著なのが砲熕と装甲であり、前者では前弩級戦艦の標準砲となる十二インチ四十口径砲、後者ではハーヴェイ鋼が実用化される。弩級戦艦の登場までに必要な攻撃力と防御力が得られるのに焦る必要はない、と判断した。
――このことを説明できればいいのだが、頭おかしい奴認定されることは確実なので言わない。まあ、技術云々以前にお金の問題が常につき纏うので言い訳に頭を捻らずに済んでいるのだが。
「……なるほど」
榎本もなかなか苦慮しているようだ。旧幕臣の彼は外様。藩閥が色々なところでものをいう明治政府ではやりにくいことも多いだろう。今回も派閥争いをどうこうするのではなく、両方を成案にして閣議に放り投げている。あまり褒められたことではないが、逃げ方としては上手い。
「とはいえ、弥縫策であることも理解しています。今回はこれで凌ぎましたが、もっと根本的に解決しないと」
それを私を見て言ってくるあたり、自分で解決する気はないようだ。無責任なようだが正しい。榎本は海軍中将の身分を持ってはいるものの、軍務にはほとんど携わっていないからだ。事情を知らない人間が適当なことは言えない。だから何もしないことこそ責任を果たすことなのだ。
「そろそろ後継の計画も立てるか」
青写真くらい見せておかないと収まりがつかなさそうだ。実際にできるかどうかはともかく、そういう動きがあるというだけで時間は稼げるだろう。
「ところで、甲案の内容にあった艦艇の改修とは具体的に何だ?」
それまでずっと黙っていた大久保が訊ねる。
「私も気になっていた」
「ああ、それは技術の進歩と製艦費をできるだけ抑えながら戦力を向上させる策として考えられたものです」
具体的には既に就役している宇治型のほか丙巡洋艦(防護巡洋艦)について、備砲を竣工予定の鞍馬型(甲艦)や利根型(乙艦)に準じたものへ換装することが考えられているらしい。技術は日進月歩。ゆえに少し建造時期がずれるだけで装備が異なるなんてこともザラだ。そこで備砲を統一するために改装するのである。
とにかくコストカットに努めろと軍の創設時から散々に言い聞かせた。おかげで貧乏性が身についている。技術の進歩による攻撃力の向上にあわせ、使用する弾薬を共通化してコストカットを図ろうという狙いだった。なお、不要となった砲と弾薬については各地に整備されつつある陸上要塞に転用される予定らしい。
「山縣さん。どう思う?」
「いいと思います」
これくらいなら議会を説得することができるかもしれない。いっそ乙案をふっかけ、甲案を本命にしてはどうかと提案した。これなら戦艦派にも面目が立つだろう。成立しなかったのは議会が呑まなかったからだという言い訳が立つ。
私の提案に大久保は悪い顔をした。海軍で強いのはやはり薩摩閥。戦艦派にも少なからず含まれているが、議会をスケープゴートにすることで彼らからの批判を躱すことができる。薩摩閥からの受けが必ずしもよくない大久保にとって、この作戦は無闇に敵を増やさずに済むものだった。
「ところで大久保さん。軍事と勧業を優先させる理由を教えていただいても?」
「ん? ああ、そうだったな。……現状ではとても政党と妥協はできない。政府党の組織も陛下がこれをお許しにならないだろう」
大久保の見立ては正しい。そしてそれは政治の停滞を意味していた。これをどう乗り切るつもりなのか。私には見当もつかない。
そんな私にヒントを与えようというのか、大久保が抽象的なことを言う。
「この対立を一度なくしてやる必要がある」
対立をなくすために必要なのが軍事と勧業……いや、勧業政策は大久保の政治信条に基づくものと考えれば本命は軍事か。しかしなぜ軍備を……って、まさか!?
「……戦ですか?」
「そうだ」
「い、戦?」
榎本がとんでもない話を聞いてしまった、というような顔をしている。そりゃ、ただの面談だったはずが戦争の算段を始められたらそうなるだろう。それが普通の感覚だ。当然ながら軍備云々の話をしているのだから戦といっても内戦ではない。対外戦争である。
私と大久保が言葉少なにツーカーで話している。私は歴史の知識で大体のことを理解していた。だが、絶対に大久保の頭のなかで考えつき、世に未だ影も形もないものを普通はわからない。当然の疑問として、
「一体どこと?」
という質問が。それに私たちは異口同音に答えた。
「「清国」」
これを聞いた榎本は飛び上がらんばかりに驚いた。清国は大国であり、これに挑もうなんて無謀だというのが多くの人間の受け止めだ。まあ内実を見てみると図体はデカくとも中身はそうでもないのだが。
「ただし、このことはまだ秘密にしておいてくれ。必ずしも開戦と決したわけではないからな」
大久保から厳重に口止めされた。もちろんです、と答えつつ軍内では作戦計画を検討しなければならない。私は早速、四天王ほか陸軍のいつもの面子を招集。基本計画の策定を内話した。
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