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第二議会

 






 ――――――




 私の後継として成立した松方正義内閣。閣僚はほぼほぼ私の内閣から引き継がれたが、やや薩摩閥の人間が増えている。蔵相は松方が兼任し、内相に信吾が入った。


 この他には文相が榎本から大木喬任に交代していた。理由は榎本の職務怠慢である。認証式にあたって天皇から道徳教育の指針を策定するよう言われていたが、一向に手をつけなかった。私は慎重にやっていますから、と庇っていたのだが、内幕を知っている松方はやらないなら要らないと切ったのである。


 松方は元より議会や政党が嫌いであったが、第一議会を見ていよいよその度合いを深めて、私の内閣時代も妥協をかなり渋っていた。そんな姿勢なので議会が始まれば大苦戦するだろうなと思っていたのだが、その前に閣僚三人の首が飛ぶ大事件が起きる。世に有名な大津事件だ。


 シベリア鉄道の極東における工事の起工式に出席するため、ロシア帝国の皇太子ニコライが艦隊を率いて遥々極東までやって来た。目的地はウラジオストックだったが、途中で日本に立ち寄る。


 日本はニコライを国賓として迎えることとし、饗応役にはイギリスへの留学経験がある有栖川宮威仁親王(海軍大佐)が任じられる。私も当時の首相として準備に関与した。季節外れながら五山の送り火や武士の娯楽(侍踊りや犬追物)など各種イベントを準備。また、接待に供される菓子なども厳選して念入りに準備させた。


 だが、そういうことは他人に任せていても勝手にやってくれる。私が拘ったのは警備。ニコライが日本に来るということで大津事件だと直感した。そしてこれを防ぐため、警察を所管する内相の俊輔には特に国賓であるから警備には気をつけてくれ、と注文をつけていた。まさか警官が襲うなんて予言はできないので、バカがいないとも限らないから、とざっくりとした説明しかできなかった。それでも俊輔は厳重な警備態勢を敷く、と言っていたので私は安心しきっていた。


 内閣は交代したもののまあ大丈夫だろうと思っていたのだが、世の中そんなに甘くない。ニコライ一行は長崎、鹿児島と立ち寄って神戸に上陸。京都を観光した後に横浜、東京へ向かうことになっていた。威仁親王のエスコートを受けながら日程を順調に消化していく。だが、史実通り大津で事件が起きた。


 大津の街を人力車で通過中、警備を担当していた警官の津田三蔵が突如としてサーベルでニコライへ斬りかかる。その一撃はニコライを負傷させたが、同行していたギリシャ王国の王子・ゲオルギオスと車夫たちに津田は取り押さえられた。


 事件の一報は威仁親王の判断で直ちに東京へ緊急電として送られる。親王は天皇の行幸も求めた。天皇は直ちに了解し、まず北白川宮能久親王(陸軍少将)を派遣。松方を呼び出して京都行きを告げ、翌朝列車に飛び乗って京都に向かう。また、威仁親王を心配した兄の熾仁親王もその後を追った。


 天皇はニコライの滞在先を訪ね、今回の事件について謝罪。下手人は処罰することを約束した。また、より一層厳格な警備を敷くので是非とも東京を訪ねてほしいと勧めたが、ニコライは本国(ロシア皇帝)からの指示で日本での予定をキャンセルすることになる。


 ニコライの離日に伴ってお別れの晩餐会が企画されたが、ロシア側は日本側の神戸会場案を辞退し、代わりに軍艦を会場として招待した。周辺は拉致されるのではないかと反対したが、天皇はロシアが(諫言で引き合いに出された清国が大院君を船で拉致するという)蛮行をするはずがないと一蹴する。


 晩餐会でも天皇はニコライを気遣い、また改めて謝罪した。これに対してニコライも軽傷であるし、どの国にも狂人はいる、と返答。円満に別れたそうだ。


 まず事態の対処にあたった威仁親王、そして天皇の対処は見事だった。被害者であるニコライに日本への印象を悪くさせないよう、徹底的に気遣いの姿勢を見せて国へ返したのは上出来である。


 だが、問題はこれからだ。大津事件で国内はロシアが攻めてくるのではないかと混乱していた。それと同じくらいの混乱していたのが政府で、前述のように閣僚二人の首が飛んだ。外相の青木、内相の信吾が引責辞任したのである。特に青木の辞任は大きく、調印目前に迫っていた条約改正交渉が御破算になってしまった。


 とても惜しいことだが、いずれまた機会は巡ってくる。それよりも私の関心事は、首相在任時に警備をしっかりしろと言っていたにもかかわらず事件を防げなかったことにある。政府が混乱するなか、私は内相時代の人脈を駆使して事情を探索していた。そして判明したのは伝言ゲームあるあるの誤伝達であった。


「なんでそうなるかなぁ」


 そうぼやくが許してほしい。なにせ「警備には気をつけろ」と言ったものが、地方警察に届いたときには「威仁親王の警備には気をつけろ」という文言に変わっていたのだ。


 確かに誰の警備かは言っていない。言えないからこそ漠然とした指示に留めていたのだが、下にいくにつれてこちらが意図しない方向に具体化されていた。


 しかもその理由が私には想像もつかないものだった。現地警察の認識では、政府がロシア側から親王に何かしら危害が加えられることを恐れている、となっていたのだ。そういや多くの人間は頭のなか江戸時代と大差なかった、と今更ながらに気づいてしまう。私の常識は日本の非常識。改めて心に刻む。


 私の個人的な関心が解決したところで、偉いさんたちが頭を悩ませている問題に対処するとしよう。その問題とはもちろん津田の処分だ。閣僚に大久保なども加えたオールスターで対処を話し合っていた。


「死刑だ。死刑以外にない!」


 俊輔が口角泡を飛ばして死刑死刑と連呼する。お前はどこぞの中古車販売店の副社長か。……そんな現代人にしかわからないツッコミはさておき、彼の主張はかなり無茶だった。


 根拠としては、大逆罪の適用による。だが、これは日本の皇族のみを対象としたものであり、外国の王族が対象となることは想定されていない。類推すればいいと言うが、条文にはっきりと「天皇三后皇太子」と書いてある。「皇太子」なんだからセーフだろと言いたいのだろうが、天皇も三后も日本特有の呼称であり、それと併記されているのだから「日本の皇太子」と解釈するのが普通だ。さすがに拡大解釈が過ぎて無理がある。


 後藤象二郎が津田を拉致って射殺しようという意見を出すと、俊輔は日本は法治国家だからそんなことはできない、と嗜めているが私からするとおまいうだ。だがこれに松方、信吾、山田顕義などは賛成し、我々の間で話がついていないにもかかわらず担当する裁判官に圧力をかけていた。


 これに対して井上馨は変に黙っていた。俊輔があれだけ熱弁している手前、真っ向から反対とは言えないようだ。また、青木外相(辞職前)も激務でそれどころではなかったが、一応は反対の態度を示している。


 だが、事態をややこしくした責任の一端はお前にもあるんだぞ、と言いたい。というのもロシアの駐日公使に対して青木がニコライに何かあれば皇室に対する罪に準じて処罰する、なんて約束をしていたのである。ロシア側はそれを盾にやるんだな? と圧力をかけてきていた。このとき密約を公表されたので、お前なにやってんの!? と事件とは別に青木の責任問題が浮上していたのである。


 青木はこれに対して俊輔と井上の指示だと説明した。一方の二人はこれを否定。こちらでも泥沼の論争が沸き起こった。正直、どちらが本当なのか、外野である私にはわからない。当事者たちだけが知ることだ。ただ、青木の「手記が公表されれば二人の首が飛ぶ」という発言を聞くと、激怒した井上がドイツ公使に左遷している。明らかな過剰反応で、青木の証言が真なのではないかと思えなくもない。


 それはさておき、残る有力者で最も重鎮の大久保はいつも通り黙して語らず。こんな調子なので、会合は積極的(?)反対派の私と俊輔、松方らとの言い争いの場と化していた。


「死刑は無理だ」


「法の解釈でどうにかなるだろう」


「俊輔は後藤の意見を聞いて『日本は法治国家』だと言っていたけど、そっくりそのまま返すよ」


「ならロシアが攻めてきてもいいのか? 軍は勝てるのか?」


「無理だ。でも今はそういう話をしているわけじゃない」


 というような言い争いを続ける。その間に松方たちはしれっと裁判の手続きを進め、まだ処罰の根拠法令が決まってもいないのに大逆罪と同様に一審を大審院(最高裁判所)で扱うこととし、大津地裁に大審院を設置した。


 このまま松方たちに押し切られそうな勢いだったが、救いは司法界にあった。ときの大審院院長の児島惟謙を筆頭に、裁判官たちは概ね大逆罪の適用に反対する。児島は松方に呼び出されても意見を曲げなかった。松方と同席した陸奥宗光が国と法のどちらをとるのか、「天皇」の語は外国君主と解することができるなどといちゃもんをつけられても、罪刑法定主義や立法経緯(刑法の起草時には「日本国天皇」とされていたものを「天皇」にした)を引き合いに出して反論。さらに諸外国でも自国の君主と他国の君主では量刑に違いがあり何もおかしなことではないとした。


 また、児島は天皇に拝謁したときに「注意して」処罰するように言われると、これを法に則って処罰せよと解釈。司法権の独立、裁判官の独立を唱えてあくまでも通常の罪人として処罰した。結果、津田には無期懲役が言い渡されている。


 この行動は世間から称賛された。国内のみならず列強からも罪刑法定主義に則った文明的な行動という感じです高い評価を受け、条約改正の追い風となっている(厳密にいうと児島の行動は裁判官の独立を侵害しているので功罪両面があるのだが)。


 さて、かくして松方にとっては大変不本意な形で事件は決着した。なお先の天皇のお言葉については異なる解釈(大逆罪適用による死刑にすべし)をした者もおり、山田法相は天皇の意に添えなかったとして病気を言い訳に辞職する。これで大津事件に関連して都合三人の首が飛んだわけだ。上のゴタゴタも含め、とんでもない大事件だった。


 相次いで辞任した内相と外相、法相には当然ながら後任がつく。それぞれ品川弥二郎、榎本武揚、田中不二麿が就任した。品川はゼロになってしまう長州閥の補充要員、榎本はロシア滞在経験を買われて、田中は藩閥色を薄めるためという狙いで選ばれている(尾張藩出身)。


 この面子で松方内閣は第二議会へと突入するのだが、第二議会は第一議会とは比べものにならない難物だった。


 やはり焦点となったのは政府提出の予算案であり、民党は前回と同様に「民力休養、経費節減」をスローガンとして唱える。松方たちは丁寧にここはこういう理由で計上した、と説明するもそんなことは知らん、とばかりに予算へ大鉈を振るう民党。標的となったのは軍事費だった。


「まあでも、これはさすがに怒られるだろ……」


 政府提出の軍事費がことごとく削除された、との新聞記事を読んでさもありなんと呟く。


 議会で揉めるのはわかっていたので、大事な主力艦は初期議会以前にすべて予算を通した。結果、宇治型巡洋艦を皮切りに、甲艦こと鞍馬型巡洋艦、乙艦こと利根型巡洋艦が起工あるいは就役している。


 この四四艦隊で当面は賄うとしていたのだが、海軍部内では戦艦がないことに不満が相当燻っていたらしい。海軍部長の樺山資紀が松方に直談判し、軍事費のなかに戦艦二隻の建造費を盛り込んだらしい。ストッパーとなるべき大山は身内の面子があるからか、「海軍のことは海軍に任せる」と言って逃げている。


 児玉たちから話を聞いた私は松方を訪ねた。


「来年度予算に戦艦の建造費を盛り込んだそうだが、国防方針にある四四艦隊は完成しつつある。どこから戦艦を建造するという話になったのか?」


 その質問に答えたのは樺山だった。私が来る目的はだいたいわかっている。だから予め呼んでいたのだろう。


「閣下。お言葉ですが、相手が鉄砲を持っているのに弓矢で戦うのは愚かです。それは軍艦も同じであります」


「君の言いたいことはわかる。だが、その戦艦を拵えるのにいくらかかると考えているんだ?」


 前にも言ったが、船はただ建造して終わりではない。機械の塊だから日頃の整備は欠かせないのだ。運用できる港湾もない。戦艦はどう頑張っても一万トン前後。一方、日本の港湾施設が想定しているのはせいぜい六千トン。なので港湾の拡張を行わねばならないし、一ヶ所だと危険なので二、三ヶ所は工事しなければならない。それなりの年月を要す上、これらを突然の思いつきで進めるわけにもいかなかった。


「お忘れですか? 次期計画があることを」


「待て待て。あれはただの計画段階だろう」


 樺山が言う通り計画は存在する。私だって過激な青年学派ではないから、巡洋艦以下の艦艇だけでいいとは思っていない。将来的に一万トン級の戦艦を保有するつもりでいる。「適当の時機を見計らって」実施する計画として存在していた。ただ、まだ実施には移していなかったはず。


「我々は適当な時機と考え、計画を実施することとしました」


「……松方さん。貴方、散々私に言いましたよね? 財政の均衡を図らなければならないと」


 なぜ計画で止まっているかといえば、ひとえに金がないからだ。松方はずっと、財政支出が困難だと言って計画を実施に移させなかった。それを今になっていきなり実行するというのだから、どういう了見なのか当事者としては聞きたくもなる。


「それは財政の都合でしかなく……」


 松方の言い分は苦しかったが、横からすかさず樺山がフォローした。


「松方閣下には自分から計画の必要性をご説明し、ご理解をいただいた上で予算に盛り込んであります」


 どうかご理解を、と慇懃に言う樺山。なんだろう、この気持ち。すごく腹立たしい。だが、ここでキレ散らかしても何も生まないことは知っている。なので込み上げる怒りをぐっと腹に押し込んであくまで冷静に振る舞う。


「はぁ……。まあいい。どうせ政党が反対して予算は通らんよ」


「反対をどのように乗り切るかは他ならぬ閣下がお示しくださったではないですか」


 どのように乗り切るか……反対勢力の切り崩して予算を通すつもりなのだろう。減額更正は免れないわけだが、そこは松方が考えているか。


「上手くいくことを祈っているよ」


 反対のための反対――その恐ろしさを知るといい。あたかも敗者の捨て台詞であったが、私の言葉は現実のものとなった。


 第二議会を迎えるにあたって、最大勢力の自由党は組織改革を行なっていた。欧米周遊から帰国した星亨が党内派閥の関東派を掌握。第一議会で陰に日向に影響を与えた院外団の勢力を削ぐため、強大な権限を持つ総理の役職を新設し、板垣退助を据える。これを見て土佐派が復党。さらに改進党との連携も進め、民党は一枚岩になっていた。


 松方は土佐派を中心に色々なところに声をかけて回っているようだが、今回は民党側の結束が強くまったく靡かない。議場でも声高に軍事費削減の理由を述べていた。曰く、


「前回の議会で山縣前首相はこのような答弁をされた。『部隊を安全に輸送する航路を確保するため大小の装甲巡洋艦を発注した』と。この他にも防護巡洋艦に水雷艇をいくつも保有しているではないか。にもかかわらず、さらにまた戦艦を建造するために大金を請求する……。国民は打ち出の小槌ではありません。ですからこのような予算は認めるわけにはいかない!」


 前後してそうだそうだ! と民党議員からヤジが飛ぶ。これに焦れた堪え性のない男がひとり。海軍部長の樺山資紀だった。


「山縣閣下の発言を引くならばその全てを引くのが道理。閣下はこうも仰った。『清国の戦艦に対抗するためより一層の軍備増強を進めなければならない』と。今、議員が引かれた発言の直後にね」


 ――とまあ、ここまでなら真っ当な反論だったのだが、続く発言で流れが変わった。


「そもそも、現政府は様々な困難を克服して今日までこの国の安寧を保ってきた。四千万の国民を生活させたのは誰のおかげか!?」


 こんなことを言ったもんだから議場は紛糾する。翌日の新聞には「樺山部長の蛮勇演説」との記事が掲載され、散々に罵られた。元より政府に対する国民感情はあまりよいとはいえず、政党の機関紙であるマスコミは負の感情を煽りまくった。そのおかげで混乱は収拾がつかなくなる。


 東京はかなり騒いでいるようだが、私は事前に避難していた。総理退任後に元勲優遇、前官礼遇の詔勅を受ける。元老かつ総理大臣相当官であり、大久保と同じ扱いだ。まあ、だからといって公人としてやることもない。一方で個人的にやりたいことは多々あった。そこで激務で疲れたので静養する、と適当な言い訳をして暇を貰うと家族とともに京都へ向かう。


 俊輔も松方とのすれ違いもあって東京を離れており、東京に残っている派閥のボスは大久保のみ。その大久保からは助けてほしい、とすごい頻度で電報が届いていた。議会対策に知恵を貸してくれとのことだったが、あの結束を前には何をしても無駄である。応じる気はなく、松方へ適当な激励の言葉を送った。


 進退窮した松方は事態打開のために卓袱台返し――すなわち議会解散を決意する。その後、十二月二十五日にクリスマスプレゼント代わりに衆院解散となり、第二回衆議院議員選挙が行われた。










「面白かった」


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また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




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相手がやいのやいのうるさいので嫌になって放り投げちゃうのは社会人あるあるですが、 放り投げた結果好き勝手やられてもっと酷くなるのもまた社会人あるある。 政党がうるさいのでほっぽり出したら腐敗やらなん…
山縣に関する卒論書いていたので、山縣を題材にした作品で楽しく見てます。 当時も今も色々言われるところはありますが、結構頑張っていたのを知ってほしいところではあります…笑 よく伊藤と比較されてしまいます…
史実通り解散→総選挙となりましたが、勅命or大久保の一声で再登板となるんでしょうか? それとも関西で静養中に鳥人間コンテストの審査員?
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