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第一議会

 






 ――――――




 首相となった私は議会の開会が迫るなか、予算編成を行っていた。通したい法案は多々あれど、予算が通らなければ来年の行政に支障が出る。民党は絶対に文句を言ってくるぞということでどこまで妥協できるのか。予算緊縮が得意な松方正義とともに、各省庁とギリギリまで詰めていた。


「はぁ……」


 執務中、ついため息が漏れてしまう。大久保たちには威勢のいいことを言ったものの、いざ選挙結果と向き合うとどうしたものかと頭を抱えてしまう。各省ともに予算の圧縮には難色を示され、見通しが立たない状況であることも私を憂鬱にさせていた。


 そんなとき、俊輔からとある人物を紹介される。近代日本史における大物・陸奥宗光であった。


「陸奥くんは今回の選挙で和歌山から当選した。それに海援隊に属していたから、自由党の一派(土佐派)との繋がりも深い。きっと役に立ってくれると思う」


「陸奥宗光です」


 俊輔の横に立ってペコリと頭を下げる陸奥。なるほど、下関条約交渉のときにあたかも長官と属僚のよう、と評された関係は既にこのときから出来上がっていたようだ。


「山縣です。よろしく」


 欧米式に握手しようと手を差し出す。すると陸奥は意外そうにしながらこれに応じた。


 挨拶を終えて全員が着席したところで俊輔が用件を切り出す。


「陸奥くんを閣僚に?」


「ああ。さっきも言ったが、自由党の一派との繋がりが深い。それに議員ではないが、有力者の星(亨)との親交も厚く彼らの切り崩しにはうってつけの人材だ」


 俊輔は陸奥を農商務相として入閣させるつもりだという。先に井上と話をつけており、後は任命権者である私が頷けばいいだけだとか。


「いやしかし、陛下がどう思うか……」


 そう。この人事で最大の難関はそこだ。というのも陸奥はかつて政府に出仕しながら、西南戦争のどさくさに紛れて反乱勢力に加担しようとしていた。それが露見して投獄されたのである。獄中で火事があった際、消火に尽力したとして減刑の上申があったものの、天皇はこれを裁可しなかった。はっきり言って天皇から陸奥は嫌われているのである。ねじ込むのは正直なところ難しい。いや、能力は知っているので惜しい人材ではあるのだが。


「そこを小助の力でなんとかしてくれんか」


「……上申するだけしてみよう。善後策はそれから考えるということで」


 ぶっちゃけ、陸奥は是非とも欲しい人材だ。自由党の大物である星亨とパイプを持つほか、大臣秘書を務めるのが原敬である。単なる能力だけでなく、政党勢力とのパイプ作りのためにも欲しい。


「ならん」


 だが、上申はこのひと言で一蹴されてしまう。議会対策として入閣させたいと言ったものの、まずは自分でやれというのが上意であった。


「……承知いたしました。しかし陛下。私の不明によって議会運営が行き詰まった際には、陸奥の登用をお許しください」


 陸奥は行き詰まりを打開する伝家の宝刀であると形容し、言質をとるべく食い下がる。


「山縣がそこまで申すのならば……」


 天皇は不満そうだったが、いつもなら素直に引き下がる私がしつこく食い下がるので、不承不承ながら頷いた。この交渉の結果はすぐさま俊輔たちに知らせる。


「すまないが陛下を説き伏せることはできなかった。ただ、議会が行き詰まりを見せれば入閣させると言質はとったから、そのときに備えてほしい」


 ついでに言うと、いつ入閣させるかの判断は私が握っている。その時がくれば陸奥の入閣を奏請する手筈になっていた。天皇と交渉した結果である。


「待ってくれ。そんなことしたら小助は……」


「まあ辞職ものだろうな」


 議会を回せませんでした、と泣きつくのだ。情けないったらありゃしない。とてもじゃないが首相は続けられないだろう。だがそれも覚悟の上。どれだけ気に入らなくても、政党との協調なしには議会運営などできっこないということを示す。その気づきを得られるなら、首が飛ぼうと安いものだ。本当に命がなくなるわけでもないし。


「だが、そう易々と首をくれてやるつもりはない。一応、対策は打ってある。あとは相手が大人であることを祈るよ」


 それだけ言って面会を終わらせた。


 議会開設に向けた準備を進めていると、月日はあっという間に過ぎていく。そして十一月二五日――議会の開会日を迎えた。


 議事に先立って正副議長の選挙が行われる。もっとも結果はその場では決まらず、候補者をそれぞれ三名ずつ選出して裁断を仰ぐこととされた。まあ、最多得票者を選ぶので天皇の介入はほとんど形式的なものだが。ともあれ、結果として議長に中島信行(自由党)、副議長に津田真道(大成会)が選出された。


 そして十二月六日、施政方針演説が行われる。政府のトップである総理大臣が国政全般、次いで外務大臣が外交方針、大蔵大臣が財政と経済方針についてそれぞれ演説することになっていた。


 私は後に演説する大臣たちの内容を踏まえつつ、それらがどのような認識の下で編まれたものなのかを述べていく。


「前年、第二代内閣総理大臣の重責を仰せつかった山縣有朋です。まず、本年における姿勢方針について、詳しくは所管する大臣より後に説明がありますから、私からはその概略を述べたいと思います――」


 以下、長々と話したがその概略はこうである。


 まず一般大衆も意識してキャッチフレーズを出す。それは「強い国作り」だ。国を強くするために必要なのは国家の安全であり、これを確保するためには軍事力の強化とそれを裏打ちする経済力が必要となる。ゆえに軍事と経済に力点を置いていくとした。


 国家の安全を確保するには日本軍の活動領域を国内のみならず海外(安全上緊要なる地域)へ広げる必要がある(明言はしていないが、「安全上緊要なる地域」とは朝鮮半島のこと)。先に鎮台制を廃して師団制とし、また大小の装甲巡洋艦八隻を発注した(うち宇治型は就役済)。この意図は海外でも戦える部隊と、それらを安全に送り届ける航路を確保するためだ。


 しかしながら、あくまでこれは弥縫策でしかない。東アジアを見たとき、清国は(地域内において)列強すら凌ぐ戦艦を保有している。これに対抗するためにはより一層の軍備増強を進めていかなければならない。国家安全保障上の急務である。


 他方、経済力の増強も重要な課題だ。軍備増強は必要だけれども、それに伴う費用負担も生じる。これに耐える一方、より経済力を増進させることも重要だ。軍備と経済力は車の両輪である。


 具体的にどうするのか。細かいことは閣僚が述べるし、予算に盛り込んである。ただ今その概略を述べれば、産業振興と基盤となるインフラ整備だ。政治経済における重要地点を道路、鉄道、港湾で結ぶ。然る後にこれを地方都市にも広げていく。前者については既に計画を完了しており、特別会計にて執行中である。後者については目下、計画中だが議員のなかで地方有用の産物あれば考慮したい。


 とにかく、インフラ整備により行車自由となれば従来、腐朽していた産物も日本のみならず世界の市場に打って出ることが可能である。政府としてはこの可能性を開くため、開発に尽力していく所存だ。


 ――という感じで軍事と経済、たまに外交について述べていく。


 続いて外交方針について青木外相の演説が行われた。方針の第一は何よりも条約改正である。これは外務省の本省、各国の駐在外交官ともに交渉に全力を尽くす。それ以外については基本、列強と協調していくとした。


 松方蔵相の財政、経済方針についてはまず租税収入について語られた。原則、その枠内で予算を執行していくが、官吏俸給など固定費の他は先に私が述べた軍事力の拡大と経済力の増強に関する費目を優先すると説明。また、目下の経済状況は米価高騰や金融逼迫による不況局面にあるものの、それは起業勃興期における好況のなかで起きた過剰生産が大きな原因だ。その整理がつけば順次、回復していくというのが松方たち財政家の見解であった。


 翌日から質疑に移ったが、構えていたこちらが拍子抜けするほど穏やかに議事が進行する。このままいけるんじゃないか――と淡い期待を抱くも、平穏無事にとはいかなかった。


 民党が牙を剥いたのは予算委員会でのこと。彼らは突如として「民力休養、経費節減」をスローガンに地租軽減(2.5%から2%にすること)と、それに伴う予算の減額更正を行なった。これまで大人しかったのは何だったのかと思うほど激しく主張し始める。


 この一見するとちぐはぐな民党(特に自由党)の態度には理由があった。


「議員は傀儡?」


 対立が先鋭化するなか、政党の事情に詳しい後藤象二郎と陸奥宗光に相談したところ、そんな衝撃的な回答が返ってきた。自由党の議員は傀儡なので彼らに何を言ってもほぼ無駄である、と。


「自由党はその意思決定を常議員会で行います。ですが、これを構成する常議員は必ずしも衆議院議員ではないのです」


「今回でいえば、自由党所属の約一七〇名のうち常議員は約三〇名のみで、残る約一四〇名は非常議員となります」


 その多くは常議員にスカウトされた地方議会の議員らしい。ついでにいうと常議員はおよそ六〇名いるとか。


 議員団は院外団と呼ばれる非議員たちの指導を受けており、その指示を受けて先のスローガンを掲げて反発してきたのである。


「それでは議会が議会の体を成していないではないか」


 私たちがいくら言葉を尽くして議員に説明しても、彼らは院外団のロボット。その言葉が届くことはない。もちろん妥協も成立しようがなかった。彼らに決定権はないのだから。となるとその要求は反対のための反対であると見做し、政府も態度を硬化させなければならない。


 これを知ったとき、私の苦労は何だったのかと激しい徒労感に襲われた。民党側が予算の圧縮は求めてくることは想像していた。それに応じるため、妥協できるギリギリのラインまで必死で調整したものがすべて日の目を見ることすらなく御破算である。やってられるか。


「……で、どうすればいい?」


 私は切羽詰まっている。聞く耳持たず議論を全くしない政党に政府の一部どころか天皇を含め呆れ果てていた。彼らのなかには憲法を停止してはどうか、などと言い出す者もいる。それはさすがにできない、とどうにか抑えているものの、何か手を打たなければ本当に憲法が停止されかねなかった。


 これは由々しき事態である。東洋初の憲法と議会の開催ということで欧米からはそれなりに注目されていた。体面上、いきなり予算の不成立や議会の解散、はたまた憲法停止になったら、やはり日本は後進国だと見られてしまう。それはすなわち悲願である条約改正が遠のくということを意味しており、それだけは何としても避けたい。


「自分に任せてください」


 場に重苦しい雰囲気が漂うが、そこで陸奥が立ち上がる。


「できるのか?」


「やります。やって見せます」


「……わかった。例の話を進めよう」


 陸奥の覚悟を感じた私は腹を括る。その日、すぐさま参内して陸奥の登用を奏請。約束通り裁可された。井上に代えて農商務相として入閣した陸奥は後藤とともに土佐出身の議長・中島信行を介して自由党の一派(派閥)である土佐派の切り崩し工作を行う。


 そして時を同じくして議員団も権限強化に動いていた。現状に対する不満と、最初の議会を成功裏に終わらせたいという体面を気にする気持ちが彼らを動かす。常議員会に代議士の出席を認めさせ、院外団の統制を強めるための党則改正も止めた。


 トドメとなったのが陸奥たちによる土佐派の切り崩し成功だった。政府作成の修正予算案に対して吏党と無所属議員に加えて自由党土佐派が賛成。わずか二票差であったが、予算を通すことに成功する。これは貴族院でも可決、成立した。


 また、争点のひとつとなっていた議会による予算の廃減要求についての憲法解釈も、吏党提出の動議に対して土佐派が賛成して成立している。


 この憲法解釈問題を噛み砕いて説明すると、予算の廃減が議会で議決されたとして、それを要求されるタイミングが衆貴両院が議決した後か片方が議決したときかというものだ。


 貴族院は政府に好意的だから両院の議決の方が政府にとって都合がいいように思えるが、もし貴族院でも修正議決が行われれば政府は一気に苦しくなる。なぜならとり得る選択肢がこれを受け入れるか受け入れないかの二択となり、議会の敗北か予算不成立かという政府にとって都合の悪い事態に陥ることは避けられないからだ。


 こんな問題があったなんて学校で習っておらず、法制局長官の井上毅から話を聞いたときには驚いた。とにかくそうなっては困るので、それぞれが議決したタイミングで修正要求がなされるという解釈でいこうということになった。


 だが、問題の本質は予算の議決権が議会の権能として定められている一方、政府の義務的な歳出(例えば債務支払い)については変更できないとなっていることで、憲法上の「義務的な歳出」とは具体的には何なのかは未だ解決できていない。だが、私がそれに気づくのはもっと後なのである。


 話を自由党土佐派に戻すと、彼らが造反したのは二月の末のこと。その翌日には院外団に対する不平不満を書き連ねた抗議文「脱党理由書」を叩きつけ、独自会派の自由倶楽部を組織し吏党勢力に加わっている。


 これに対して党内から怒りの声もあったが、議員の多くは同情していた。


 結局、陸奥の活躍によって政府は少数与党ながら第一議会を乗り切ることに成功する。私は彼の手を取ってありがとう、ありがとう、と何度も感謝を述べた。


 そして議会が三月に閉会すると、翌月には辞表を提出した。陸奥の協力がなくては議会を乗り切れない人間がこれ以上、この職を勤めることはできない。


 想像以上の困難に天皇からは慰留されたが丁重に断った。話を聞かない人間を相手にすることほど不毛なことはない。


「わかった」


 最終的に天皇も納得してくれた。後継は誰がよいかと訊ねられたので、大久保と松方を推す。薩摩、長州と来たので次は薩摩だろう。薩摩の有力者には酒乱(黒田清隆)もいるが、正直あいつは嫌いだ。だから後継の総理には推さなかった。


 天皇はまず大久保に再登板をもちかけたようだが、復帰するには早すぎると拒否されてしまう。仕方がないので松方に組閣させる一方、大久保と私に後見を命じた。かくして松方正義内閣が成立したのだった。










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帝国憲法はアジアで2番目に作られた近代憲法だけど、最初のトルコが停止しちゃったからな。 日本も続けて停止となったら、欧米が『やはりアジア人に近代国家の運営は無理だ』と嘲笑うのは当然だろうし、日本人のプ…
最近はノンストレスな展開であんまり緊張感無かっただけに久々のピンチにハラハラしちゃう 続き楽しみ
議員じゃなく表に出ない連中が権力握ってるの日本らしいなぁ……
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