下関戦争
本日は13:00、21:00にも投稿する予定です。ぜひご覧ください!
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時は少しばかり遡る。進発論が罷り通り、藩兵は三家老に率いられて上洛していった。私は居残り組である。関門海峡の封鎖を続ける藩の方針に従い、来襲する異国の艦隊に備えて砲台建設に勤しんでいた。
そんななか、入れ違いで前年に英国留学へ行った伊藤俊輔(伊藤博文)、井上聞多(井上馨)が帰藩する。私は知己である俊輔の許を訪ねた。
「やあ、俊輔。元気だったか?」
彼らが帰ってきた理由は知っている。外国が下関を攻撃しようとしている話を聞きつけ、慌てて帰国したのだ。とりあえず御機嫌伺いに行って、その話に持っていければなという程度に私は考えていた。およそ一年ぶりである。単に旧交を温めたいという気持ちもあった。ゆえに、彼らの切実さを見誤ってしまう。
「小助! ご助力くだされ!」
会うや否や、俊輔はこちらに飛びかかってきた。そして、聞いてもいないのに事情をペラペラと話してくれる。曰く、
関門海峡の封鎖により貿易に支障が生じていた諸外国、および日本の開国政策が後退することを恐れたイギリス公使は武力行使を決定。(イギリス本国は費用のかかる戦闘行動に反対していたが)公使の裁量で連合艦隊を結成した。
この話を聞きつけた伊藤たちは急遽帰国。横浜でイギリス公使に面会し、藩主を説得すると言って時間的猶予を引き出した。そしてイギリスの外交官とともに軍艦で豊後へ送られ、そこから長州に帰ってきたそうだ。
そこまで聞いたところでどうにか俊輔を落ち着かせる。移動して仕切り直す。
「それで、藩は何と?」
「聞く耳を持ってくれない。困り果てていたんだ」
強硬論に支配されており、いくら危機感を訴えても相手にされなかったという。
「そういえば、小助は奇兵隊に入ったとか。あなたも藩と同じ考えなのか?」
「一応、軍籍に身を置く者であるから戦えと言われれば戦う。だが、先にも外国船にいいようにされている。私は実際目にしたわけではないが、普通に考えてこの程度で差が覆るとは思わん」
実際、俊輔が警告してきている艦隊がやってきて、長州藩はこてんぱんにやられる。砲台の欠点を改良したが、妥協案に落ち着いたために不完全な代物だ。そして何より、
「何より、今は藩の主力が出払っている。……実は大砲が足りないとかで、海峡防備のために据えつけられていたものも持って行かれた。だから普段よりも戦力はないのだ」
そう。致命的なのは主力部隊がいないことだ。逆立ちしても欧米列強に勝てないのは理解しているが、たとえまともに戦える戦力があっても主力がいない状態では戦いたくない。戦争の基本だ。
「それだ!」
軍の内実を話したとき、俊輔が食いつく。何に反応したのかわからず困惑していると、向こうから答えをくれた。
「それだよ小助! 主力が出払っている今、戦うのは愚策。その線で交渉したい。だから一緒に来てくれないか?」
「わ、わかった」
俊輔の勢いに押されて了承する。そうと決まれば早速行動、とその日のうちに藩の上層部に訴え出ることになった。曰く、時間が惜しいとのこと。その危機感はわかるため、大人しく従った。
「……なるほど」
なぜか私が説明させられた。もの凄く緊張したが、幸い噛むこともなく説明を終える。よくやった自分。
「京都で主力が敗れ、戦備も整わないなか敵と相対するは愚策にございます。ここは一度、矛を収めて臥薪嘗胆の精神で機を待ち、捲土重来を期すべきかと」
安堵する私の横で伊藤がそれっぽいことを言って説得にかかる。
「……相わかった。では伊藤。そなたに使者の役目を与える。敵艦隊へ向かい、こちらの方針を伝えよ」
「ははっ!」
俊輔の訴えが藩を動かした。かくして攘夷は一時中止と決まり、その日のうちに彼は漁船に乗り列強艦隊へ向かった。一方、私は別の任務を与えられる。
「とはいえ、敵の襲来に備えなければならん。こちらが矛を収めても、敵がそうするとは限らんからな。山縣。奇兵隊以下、海峡の守備に就いている諸隊は合戦準備を怠るな。赤禰(総監)にもそう伝えよ」
「承知しました」
念には念を、というところか。とはいえ、俊輔の熱意さえあれば何とかなる――そんな甘ったれたことを考えていた。私の甘い考えはその日のうちに否定される。俊輔から敵艦隊から拒絶されたとの報告が上がったのだ。
「……合戦準備」
それを聞いた私はそう命じた。
「は?」
「聞こえなかったか? 合戦準備だ。わかったらすぐにかかれ!」
「は、はい!」
一喝すると、隊員は慌てて動き出す。既に夕刻であるためできることは限られているが、やれることは最大限やる。準備を終えると見張り以外は就寝させた。払暁に攻撃してくる可能性があるからだ。日の出前に叩き起こすため、早めに寝ましょうというのである。
もっとも、彼我の戦力差は圧倒的であり、それを見せつけるために余裕をもった時間で攻めてくるというのが私の見立てだが。
その日は私も砲台に泊まり込んだ。近くの民家になどふざけたことを言うので、抗議の意味も込めて野外で筵に包まって寝た。上官がこれなら、民家で寝ようとは思うまい。
翌日。夏なので野宿には問題なかったが、硬い地面にペラペラの筵を敷いて寝たので身体の節々が痛い。ふかふか寝具の現代から煎餅布団の江戸時代に来たカルチャーショックは克服したのだが、さすがにこれは許容範囲を超えていたようだ。
「……敵はまだ仕掛けてこないようだな」
「はい」
敵艦隊は大胆にもこちらの砲台から見える位置に投錨していた。マストに掲げられた軍艦旗から判断するとイギリス九、フランス三、オランダ四、アメリカ一の合計十七隻。艦級は戦列艦からフリゲート、コルベットにスループなど様々である。搭載する砲の数はまちまちだが、一隻十門として百七十門。実際は二百を下らないだろう。
対するこちらは砲が百門ほど。しかも性能はあちらの方が上である。苦戦は免れないだろうが、地の利を活かして食らいつきたいところだ。
警戒して日の出前に起きたのだが、敵が動く気配はない。これならもう少しゆっくりしていてもよかったかなと思ってしまう。まあ、何かあってからでは遅いから、何もなくてよかったと思うことにする。
崖の上にある砲台は、海から見えにくいように木を残している。擬装の意味も込めて。なので私は木々の隙間から水平線を眺めていた。なかには全部伐採した方がいいのではという意見もあったが、却下している。敵の方が大砲の射程が長い。にもかかわらずこちらの位置が丸見えになるように砲台を造るのは阿呆のすることだ。
気づかず接近してきたところを狙い撃つ。
それが武器の差を覆すために考えた作戦だ。こちらの位置を隠匿するために旗指物は一切掲げさせていない。こちらも反発があったが黙らせた。
隣接し、壇ノ浦の砲台と十字砲火を形成する御裳川、八軒屋の砲台にも同じようにさせようとしたのだが、砲台を預かる人間に拒否された。曰く、正々堂々と戦うのが武士である、らしい。
……まあ、設計変更に巻き込んだこともあって私への好感度は低い上、理解不能なことを要求されては従わないだろう。もっとも、私に命令する権限はなく、お願いするしかないので断られても文句を言うくらいしかできることはないのだが。
とまあ、色々と策は講じたものの、どこまで通用するかはわからない。私が意のままにできるのは壇ノ浦の砲台だけ。やれることはやった。あとは天に運を任せるだけだ。
動きがあったのは夕方になってから。敵船の船腹から煙が上がる。
「敵、発砲!」
報告とほぼ同時に砲声が聞こえる。しばらくして、杉谷砲台の方角で土煙が上がった。続いて崖下にある旧壇ノ浦砲台(存在を偽装するために木製のダミー砲とカカシ、旗指物を置いていた)でも着弾が確認される。
「奴ら、撃ってきやがった!」
「反撃しろ!」
俄に騒がしくなる砲台。
「別命あるまで反撃は禁じる。撃ったら斬るぞ!」
喧騒を制圧する気概で、私は声を張り上げた。
「なぜです!? 敵は攻撃してきたのですぞ!」
「忘れたか馬鹿者が。敵を引きつけてから撃つということになっていただろう!」
反論してきた兵士に事前の計画に従うよう言い含める。不満そうだが、私が抜刀する素振りを見せると引っ込んだ。
「杉谷、御裳川などの砲台が撃ち始めました!」
他の砲台は応戦を開始した。連携するはずの御裳川、八軒屋の砲台もだ。
「軍監! 我らも応戦を!」
「勇ましいのは大変結構だが現実を見ろ」
私は海を指し示す。
「こちらの大砲は敵に届いていない」
砲弾が海面に落ちることで水柱が上がっているが、そのすべてが敵船の手前で落ちている。あと少し、ではない。よく飛んだものから見てもざっと百メートルほどはあるだろう。一方、敵弾はこちらの砲台に悠々と届いている。
「これが現実だ。今、いくら砲弾を撃ち込んだところで敵には当たらんよ」
もちろん兵器の性能がすべてではないが、有利不利に大きく関わるのは間違いない。発砲した砲台は猛烈な砲撃を受け次々と沈黙する。やはり大きいのは崖への着弾によって破砕された岩石の欠片が降り注ぐこと。それにより砲の操作すらままならない。
「くそっ!」
完全なワンサイドゲームを私たちは見ているしかない。それによるフラストレーションは相当なもので、ある隊員は悪態を吐いて地面を蹴った。別の隊員は、
「軍監! これでも黙していろと!?」
やられる味方を前にして、攻撃の許可を求めてくる。
「そうだ」
それに対する回答は是である。撃ったところで無駄。弔い合戦にはまだ早いのだ。
幸い、この砲台は沈黙しているおかげで敵に把握されていない。崖下にある旧砲台には盛んに砲撃が加えられるが、上にある本命には一発も飛んでこなかった。
「ん? あっ! 敵が陸に近づいてきます!」
猛烈な艦砲射撃を受けてこちらの砲台が概ね沈黙した後、制圧が粗方完了したと考えた敵が船を接近させる。陸戦隊を揚陸するつもりなのだろう。
「さてお前たち。いよいよその時が来た。恐らく、我々が撃った瞬間にここも特定され、猛烈な砲撃に晒されるだろう。しかし、今まで我慢してきたおかげで標的はすぐそこまで来ている。死力を尽くせ! 目にもの見せてやるのだ!」
「「「応ッ!」」」
隊員たちの士気は頂点に達していた。鬱憤を晴らすべくテキパキと動く。
「よし、撃て!」
命令すると、砲が一斉に火を噴く。完全な不意打ち、相手の油断、撃ち下ろす地形的な優位なども相まって、かなりの効果を上げる。
「見ろ! 敵が逃げていくぞ!」
陸戦隊を揚陸しようと接近していた船が慌てたように百八十度回頭して逃げていく。それを見て砲台の士気はますます加熱するが、即座に冷却される。
逃げる敵船に対して夢中になって砲弾を浴びせていた私たち。そこへ敵船からお返しの砲撃が加えられた。
不幸にもそのうちの一発がこちらの大砲を直撃。バラバラに砕け散った。その破片は近くの人間を容易く薙ぎ払う。物言わぬ死体と呻く怪我人。凄惨な光景に胃の内容物が逆流しかけるが、指揮官がそんな体たらくでは示しがつかないという意地で胃の中に押し戻す。
それからは弾雨を冒しながら逃げる敵船へと盛んに砲撃を加える。しかし、さすがは蒸気船。早々に射程外へと退避してしまった。
「退避だ! 一度、砲台から離れろ」
これ以上やっても戦果は見込めない。そう判断した私は砲台からの退避を命じた。だからといって真っ先に逃げるなんてことはしない。むしろ、負傷者を収容するために最後まで残っていた。
やがて夕日が水平線に没しようとする頃には敵も砲撃を中止する。収まったところで被害集計にあたらせた。それによれば死者二名と負傷者九名とのこと。猛攻を受けたが人的損害は少ない。
「我らはまだ戦えます」
「そうだな」
全体的にはワンサイドゲームだったが、敵船に集中砲火を浴びせ一矢報いたことで士気は高い。まだまだ戦う気だ。私は夜のうちに砲台を可能な限り修復させ、翌日の早朝に攻撃を行うこととする。
こちらを壊滅させたと思ったのか、敵はまたしても射程圏内に船を接近させていた。しかも錨を下ろしている。昨日できなかった陸戦隊の揚陸にかかっているのだろうか。そんな彼らに、砲声によるモーニングコールをお届けする。
距離が近いこともあって比較的よく当たる。光学照準ですらない目測でこれは大した戦果だ。命中した弾が敵船を破壊する様もよく見えた。ただ、敵の方が数が多い。こちらの手数には限界があり、攻撃できる敵も限られる。すぐさまフリーの船が反撃してきた。
「……潮時か」
敵は完全にこちらをロックオンしており、戦えば徒に被害を出す。そして何より、敵船からボートが降ろされ、陸戦隊がこちらに接近していた。船と砲戦している場合ではない。私は砲台を放棄し、上陸してきた敵を内陸へ引き込んで奇襲をかけることにする。
「敵は砲台を占拠しております。奴らを海へ追い落とさなければ――」
「海岸で戦えば敵船の砲から一方的に撃たれるわけだが、それでいいのか?」
「……」
さすがに拙いとわかったのか、反論してきた隊員は押し黙る。なお、同じ理由で水際防御は諦めた。太平洋戦争の例を引くまでもなく、制海権のないなかでの水際防御など不可能だ。
「いいか。小部隊に分かれて茂みなんかに潜め。敵部隊が来たら一気呵成に飛び込んで撹乱しろ。ただし、深入りはするな。騒ぎを起こしたらすぐ撤退しろ」
上陸して砲台を占拠、破壊して回る敵の陸戦隊。これらが下関市街へと移動しようとしたのを見て、私はゲリラ戦で対抗する。銃の射程も負けているため、乱戦に持ち込んでその強みを消すしかない。
「来た……行くぞ!」
私は攻撃を命じる。まず銃撃。不意打ちなので狙いを定める余裕があり、敵兵が倒れていく。敵が混乱しているうちに刀や槍を構えて突っ込む。
砲戦とは違い、近距離以下の白兵戦は戦いの惨状がよく見える。銃撃を受けて、刀剣で斬られて倒れる者。死なずに呻く者がいれば、即座に物言わぬ骸となる者もいる。
私も二人ほど斬った。前世はもちろん、今の人生でも人斬りは初めてである。しかし、戦いの興奮ゆえか特に何も思わなかった。
「撤退!」
二人目を袈裟に斬ったところで撤退を命じる。混乱している今ならいいが、落ち着かれるとこちらに勝ち目はない。負けないうちに引き上げる。
『逃すな!』
こちらが逃げると、敵も追ってくる。時折、銃撃も受けた。発砲音が聞こえると、当たるなよ! と念じる。銃弾が空気を切る音や木々に着弾する音を聞く度に肝が冷えた。幸運なことに被弾せず離脱に成功する。
その後も隙を見て襲撃を繰り返す。警戒されるようになったが、何個かの部隊に分かれているため別の方向に注意が向いたところに不意打ちをかけることができていた。
「いつまで続けるんですか?」
移動して戦闘して逃げるというのは体力的にはもちろんだが、精神的にも疲弊する。疲れた様子で隊員が訊いてきた。
「もう十分だろう。見ろ」
私は悲鳴を上げる身体に鞭打って遠目から敵を見ていた。敵は下関への進軍を諦めたのか、来た道を引き返している。
「もうすぐ日が暮れる。夜間の戦闘を避けたのだろう」
夜になれば今以上に不意を打たれるリスクが上がる。危険を冒すことはない、と乗艦への引き上げを決めたようだ。
「っ! ならば追撃を――」
「我らは疲労している。明日以降も戦いがあるかもしれない。今は休むのだ」
逸る隊員を制する。食い下がられるかと思ったが、彼も疲れていたのだろう。大人しく頷いた。
しかし、翌日の敵は本土ではなく関門海峡にある彦島を攻撃。同島の砲台(四ヶ所)を破壊、占領した。
また、同じ時期に幕府は総勢十五万にも上る軍勢を招集。長州へと差し向ける準備を始めていた。これは朝廷が長州追討の勅命を発し、幕府に追討を命じたことによる。これには耐えられない、と藩は戦意喪失。とりあえず外国船に対して和平交渉を申し出た。
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