女傑と女傑
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渡欧してしばらくの時が経った。
イギリスでの暮らしはそれなりに気に入っていたのだが、いつまでも滞在しているわけにはいかない。私たちはひとまずフランスへ移動することになった。
「仕事は任せてくれ」
「頼んだ」
ジョニーへの報酬は即金で払っておいた。口だけでなくモノでも信頼を示す。商売では信用が大事とはよく言うが、倉屋でも口酸っぱく言われていた。私もそれを実践したのである。
イギリス法人の事業内容は(内燃)機関の製造および研究開発。日本でやらないのは研究水準が高い欧州の方が環境がいいから。それ以外にも製造に必要な高品質の材料がなかなか手に入らないという事情もある。販売先は倉屋に限らず、要望があれば応じていいことにしていた。ただし、あくまで金を出している倉屋が最優先だ。
製造する機関は船舶用ということになっている。倉屋が造船業をやっているので不自然ではない。本命は航空用エンジンなわけだが、生憎と私に黎明期の航空用エンジンの知識は皆無。船舶用エンジンを隠れ蓑に研究してもらうしかなかった。まあ、すぐさま方針は一変するのだがそれは後のお話。
さて、ところ変わってフランス。革命騒ぎがあり、国内ズタズタの芸術の国だ。イギリスでは専らジョニーが付き添っていたが、フランスでは現地の外交官や軍人が付き添いとなる。そのひとりにとんでもないビッグネームがいた。
「申し訳ありません!」
目の前で深々と頭を下げている人物の名前は秋山好古。「日本騎兵の父」と呼ばれ、日露戦争では弟の真之とともに大活躍する人物だ。そんな彼がなぜ私の前で頭を下げているのかというと、まあちょっとしたミスである。
「酒に酔って居眠りしていたところを置き引きに遭ったわけか……」
秋山好古は戦場でも水筒に酒を入れていたほどの酒好きだ。フランスでも変わらず飲みまくっていたが、ついつい気持ちよくなって寝てしまったらしい。起きたときには、フランスの高官に届けるよう頼んでいた品物を置き引きされたという。それで平謝りしているのである。
「気持ちはわかるぞ秋山くん。電車に乗るとつい眠くなってしまうよな」
前世、通学で電車を使っていたがガタゴトという揺れがどうにも気持ちよくて、学校の疲れもありついついうとうとしてしまうのだ。懐かしいなぁ、と前世を思い出しながら共感する。
「は、はあ……」
大目玉を食らうと思っていたらしい秋山は目を丸くしていた。いやまあ、何やってんだよって気持ちはあるけれど、怒ったところで盗られたものが戻ってくるわけでもない。正直に報告してくるあたり反省もしているようなので、こちらから何か言うことはなかった。強いて言うなら、
「酒好きなのは結構だが、飲みすぎて本来の仕事ができないのは困るな」
節度を持ちましょう。
「――というわけで、これだ」
私は秋山に用意していた品物を手渡す。
「今度はちゃんと届けてくれよ?」
「はいっ!」
二度目は失敗せずお使いを果たしてくれた。
そういえば、なぜ陸大を卒業した秋山がフランスにいるのだろうか。経歴を思い出して納得する。旧藩主家の当主・松平定謨がフランスのサン・シール陸軍士官学校に留学することになった。その補導役に旧藩士の現役軍人ということで秋山が選ばれて渡仏したという経緯がある。
それから私は暇さえあれば秋山を連れて回った。周りには彼のことが気に入った、と吹聴している。幕末の動乱では私の出身である長州藩と伊予松山藩は敵味方に分かれて戦った間柄だ。地理的な要因もあって松山藩が先鋒となり、周防大島での残虐行為はよく知られている。秋山もそれを知っており遠慮というか萎縮した態度をとっていたが、私が気にせず振る舞っていると次第に心を開いてくれ、直言もしてくるまでになった。
「閣下。騎兵の活用には歩砲のほか各兵科との連携が肝要です」
「フランスでの研究成果か……。よし、帰国したらその知見を存分に披露してくれ」
秋山には帰国後、士官学校の馬術教官の席を用意した。そこで養成した弟子たちの成長を待って騎兵学校(史実の乗馬学校)にスライドさせる。史実通り、彼に日本騎兵の育成を任せることにした。
ただ、私はひとつだけ注文をつける。パリの自転車屋に秋山を伴って訪れた。そこに目当てのものがあるからだ。
ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン
現代で高級車の代名詞ともいえる有名企業ベンツが作った世界初の自動車である。私は秋山を連れて私的に開発者のカール・ベンツを訪ねていた
「これは……」
実車を目にして困惑する秋山。世界初の自動車といえば聞こえはいいが、実物はさながら大きな三輪車。自分は何を見せられているんだ、と思うのも仕方ない。私も未来を知っていなければこんなおもちゃが何になる、と思っていただろうし。
物珍しそうに車(?)を眺めるおっさん二人。だが、店員も慣れっ子なのか何も言ってこなかった。それをいいことに私は語る。
「秋山。ペリーが来るまで、我々は移動手段といえば徒歩か馬か船しか知らなかった」
「はい」
「陸蒸気(鉄道)なんて夢にも思わなかった。だが、我々はそれを大いに反省しなければならんと思っている」
「反省ですか?」
少し意味がわからないといった感じの秋山。私は頷いて続きを言う。
「外国との通交をほぼ断絶しておよそ二百年。ペリーに扉を蹴破られて外を見れば世界は一変していた」
蒸気船に蒸気機関車、ライフル銃に大砲。社会制度に国家の概念までまったく異なっていた。これには共感できるのか、秋山も頷いている。
「それ以来、我らは欧米列強に遅れてはならんと近代化に勤しんでいるわけだが……それで足りると思うか?」
「……いえ」
「そうだ。彼らは我々の先を行っている。後を追ってもまともにやって追いつくのは難しい」
レースでたとえれば我々は周回遅れでスタートしたようなもの。加えてマシンも平等ではない。普通にやったのでは追いつくこともできないだろう。「国力」という名のエンジンは千差万別だからだ。
「であればこそ、我々には進取が求められると思う」
「なるほど。列国の先を行くわけですか」
頷く。そのために先進的な設計の艦艇を整備し、飛行機開発に勤しんでいるわけだ。ここまで海、空ときているが軍隊にはあとひとつ領域がある。そう、陸だ。軍事史を見返したとき、陸の大きな変革といえば軍隊の機械化。自動車や戦車などいずれも戦前の日本が弱かった分野だ。
こうした工業生産物はなかなか誤魔化しが効かない。科学力、技術力、工業力が如実に出るからだ。まさしく「国力」という名のエンジンの性能を示すパラメーターなのである。これらは付け焼き刃ではどうにもならない。時間と人と金を費やして地道に高めていくしかなかった。
「今は見ての通りおもちゃに毛が生えた程度でしかない。これを戦場に持ち出したところで使い物にならないだろう。だが、近い将来、こいつが大きな役割を果たすと思う」
「たとえばどのような?」
「そうだな……君は納得できないかもしれないが、遠からず騎兵に代わるものになると思う」
騎馬よりも早く遠くへ。馬だと人ひとりしか運べないが、自動車なら複数人を運ぶことができる。その馬力を活かし、複数の馬で牽引する火砲を牽かせてもいいだろう。
「むむむ……」
「そう難しい顔をするな。今日明日の話ではない」
とはいえ彼らのアイデンティティに関わる問題であり、史実では自動車導入に伴う騎兵存廃問題にあたって将官が抗議の自殺を行うという事態にも発展した。そんなことされては困るので穏便に。
「騎兵戦術も貢献するところは大きい。騎兵も時代とともに姿を変えてきただろう。その流れだと思え」
それともお前は今時、甲冑と太刀に弓矢を持って戦場に行く気か? と茶化すとそんなことはしませんよ……と秋山は苦笑い。少し重くなった雰囲気は霧散した。
頑張れよ、と秋山に個人的な激励の言葉をかけつつフランスを発つ。なお、あまり出てこなかった海はというと、フランスでショッピングに勤しんでいた。花の都であり、おしゃれ最先端の街だ。お気に入りのメゾンを見つけ、そこで何着かの服を仕立てていた(オートクチュールというやつ)。帰り際に本縫いをかける前の試着を行うことになっている。目玉が飛び出そうな値段だが、儲けている上に普段は贅沢をしないので金はあった。ちなみにこれらはすべて彼女のポケットマネー。うちの嫁さん、収入は私よりも上である。いやだ頼もしい。
さて、次に向かったのはドイツ。ここで秋山にパリで見せたベンツ・パテント・モトールヴァーゲンの開発者であるカール・ベンツを訪ねる。目的は売られている車を買うためだ。
「三台ほしい」
内訳は倉屋と陸軍用で二台。もう一台は予備だ。オートクチュールが可愛く見える値段だが即金で払う。東洋人の信用なんてそんなものだ。
「アンタも妻の話を聞いて来たのかい?」
「ああ」
一八八八年、世界初の自動車での長距離旅行が行われた。それをやったのがベンツの妻であるベルタだった。
彼女はカールに無断で、二人の息子を連れて一九四キロ先の実家まで車で移動する。当然ながら、黎明期の自動車なのでそんな長距離移動は難しい。道中の燃料補給に加え、不具合の整備もしなければならなかった。それでもベルタはひとりでこなし、見事に行程を踏破。自動車の可能性を示した。ついでにいうと、彼女はベンツ・パテント・モトールヴァーゲンの開発資金を工面した人物でもある。
「是非ともお会いしたいのだけれど……」
ベルタの話になったところでタイミングよく海が割り込む。カールがなんだこいつ、みたいな目をしていたのでうちの妻も凄いんだぞ、とこれまでの実績をアピールする。
「ほーん。だがうちのベルタの方が――」
「いやいや海の方が――」
と夫同士で妻自慢の言い争いをしている横では、
「あらお客様? ……まあ、わざわざ東洋から」
「お話は伺っています。お会いできて光栄ですわ」
と妻同士で和やかな会話を繰り広げる。
そして私はカールとの言い争いのなかで口を滑らせてしまう。
「私だったらもっといいものにするね!」
「……ほう」
カールの目がギラつく。言った後でやっちまった、と激しく後悔した。自動車のパイオニアに対して俺の方がいい物作れるなんてどの口が言えるのかと。こりゃ関係終わったな。
「話を聞こうか」
だが、カールは意外にも怒らずこちらの言い分を聞く。怒らないのか? と訊ねると、
「そりゃ腹立たしいが、まだまだなのはわかってる。ものがよくなるなら何だって聞くさ」
と技術屋の顔をして言った。お詫びも込めて未来知識に基づく知識を吹き込む。雨露を凌げる幌をつけることや、車輪にこの年に発明されたゴムタイヤ(スコットランドで発明され、イギリス滞在時に資金提供をしている)を利用することなどを提案した。四輪車も考えたが、今はまだ不整地が多く速度もそんなに出ないため隠している。まあ十年もしないうちに作られるんだけれども。
それらの提案をふむふむ、と聞いているカール。また金がかかるな〜、と頭を掻いていた。わかる〜。開発にはとにかく金がいるよね。倉屋や陸軍でやりたいことは多々あれど、資金面で妥協していることは多い。
カールは泣きそうな顔でベルタを見た。彼女は旦那を困った人を見る目で見ている。あれは……海からたまに向けられる目だ。答えも予想がつく。
「いいですよ。好きにしてください」
お金は工面しますから、とベルタ。仕方のない人、みたいな感じに呆れつつも目は笑っている。言葉と表情が一致していない。呆れているけれど、旦那様らしいから嬉しくもある――とは海の談。ベルタも似たようなものなのだろう。
「……それでしたらこちらからも斡旋しましょうか?」
「「え?」」
ベンツ夫妻が海を見る。彼女はこれをチャンスだと捉えたらしい。すかさずイギリスに創った会社を紹介。そこからの資金提供を申し出る。
「それは嬉しいが、金を出してくれるのか?」
「大丈夫です。そこの経営者は旦那様のお知り合いで、日本の会社でも面倒を見ていましたから。私たちが口添えすれば、必ずや出資してくれるでしょう。――というかさせます」
「「「っ!」」」
最後の「させます」という言葉は恐ろしく冷たかった。これが大企業を差配する経営者の迫力か。海以外は私も含めてその迫力に呑まれてしまう。
同時に彼女はとても強かだった。ただ金を出すだけではない。見返りに製品提供や製造するエンジンの採用などの条件を盛り込んでいた。ただ、ベルタも負けずにエンジンの優先供給や資金の増額なども引き出している。
あらあら、うふふ、という擬音に似つかわしくない緊迫した空気に、通訳はしきりにお腹を押さえていた。しかし、険悪というわけではない。むしろライバルとでもいうべきか。とにかく似た境遇にあって通じるものがあったらしく、彼女たちは頻繁に連絡をとる仲になる。後に新聞などは二人を指して「日本とドイツの女傑」などと呼ぶ。私とカールもアイデアを出しあったり、時に競合したりしながら生涯にわたって交流することになるのだった。
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