二度目の渡欧
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内務省は戦前における超巨大官庁だ。内政全般を司るため大蔵省と外務省を除くほぼすべての官庁に口出しできる。具体的な所掌は時期によって変遷するが、基幹となっているのは地方行政の監督だ。
さて、明治初期から中期にかけての地方制度はというと、まったく整っていない。廃藩置県と府県統合などを経て47道府県が成立していた。ところがそれ以下となると江戸時代からほとんど変わっていなかった。これではいかん、と内務省では全国にごまんとある村落の統合を企図。あわせて地方行政制度を整備する計画だった。
内務省内に私を委員長とする地方制度編纂委員会を設置。お雇い外国人のモッセ(ドイツ人)のほか青木周蔵、野村靖を委員、大久保と松方を顧問に迎えて審議にあたった。初回では地方の行政単位として府県-郡市-町村を設けることが決まる。
ただ、江戸時代のままではあまりにも数が多いため合併させることにした。布告してから二年の猶予期間を設け、それぞれの町村が自主的に合併の話を進める。その間に政府としても調査を行い、期限までに合意できなければ政府が決めたように合併させるのだ。不都合も出るだろうが、そこは修正していく。
この改正には反対もあった。まず松方は地方財政は国と同等かそれ以上に悪い。それが解決しない間に大規模な制度改正には反対だと言ってきた。噂を聞いた知事たちからも反対の声が上がる。それでも私は実行を強力に推進した。
「地方の財政問題を解決するため、今回の制度改正は是非とも進めなければなりません。その要点は無駄の削減です」
「無駄とは?」
松方がやや不快そうに問うてくる。地方財政は大蔵大臣の監督下にもあり、問題があると言われたら快く思わないのは仕方ない。だが、これくらいで意見を引っ込めていてはやっていけないので気にせず続ける。
「星の数ほどある町村です」
役所を回しているのは人間だ。彼らを雇うにも金が要る。それが多ければ多いほど人件費が高くつく。役所の維持費も町村の数だけ増える。私はそれらを無駄だと言った。
金以外の点でも無駄というか非効率だ。国からの通達(法令や規則など)は府県を通じて町村へと下りてくる。上申はその逆だ。ともあれ、意思伝達はそのように行われるわけだが、町村の数が多いと下達でも上申でも間にある府県は大忙しである。だからこそ町村の数を削減し、間に郡を設けて効率化を図るのだ。
「ただ、郡の設置はあくまで臨時の措置だと考えています。今後、交通や電信などが発達したならば廃止も考えられます」
効率化を図るならば間に何も挟まない方がいい。だが人間には処理能力の限界があり、その範囲内に収めてやらなければ逆に非効率になってしまう。郡設置はその予防だ。インフラが整って情報伝達が容易になれば限界も引き上がるので、そのときは郡制は廃止するつもりでいる。
「妥当な案に思える」
松方はそれでもどうなんだと異議を唱えていたが、大久保がこう言うとそれ以上は何も言えなかった。まあ、事前にこんな感じでいきます、と話を通していたからね。やっぱり日本社会で根回しって大事だわ。ではなぜ松方を呼んだのかと言われそうだが、これは薩摩閥からの批判回避のためだ。委員会メンバーが長州閥で構成されているから仕方ない。
それから制度案は大急ぎでまとめられ、明治二一年(1888年)の年始に立案と審議が終了。市制と町村制、郡制、府県制の順に公布された。史実では郡域の確定に時間がかかり、遅いところでは明治三二年まで府県制の施行が遅れている。なので、郡域についても町村合併と同じく二年の猶予期間内に合意できない場合は政府が決定することとした。
ここまで駆け足で制度改正を進めたが、私にも事情がある。大きく分けて二点あり、一点目はタイムリミットが迫りつつある議会開設への準備だ。大久保への内話でもそこに触れている。
「いきなり衆庶を集めて国事を論じさせても迷走するだけ。まずは身近な地方の政から始めさせるのが良策かと」
イギリスの学者であるジェームズ・ブライスは後に言う。「地方自治は民主主義の学校」だと。教科書にも載っているので知っている人も多いだろう。これまで政治に関与してこなかった人間が国政を一端とはいえ握ると混乱する。戸惑いを最低限にする意味でも地方政治から慣れさせておくべきだ。
「確かに。私たちも苦労しましたからね」
大久保は苦笑する。彼は藩政に関与していたが、日本全土の政治となるとやはり勝手が違う。初期は制度も未整備であったことも相まってかなり混乱した。その反省もあって、議会人には地方政治からステップアップしてもらう。
なお、選挙制度は等級選挙とした。理由は変なことにならないようにするため。町村では未だに江戸時代的な名望家秩序が存続しており、変に壊すわけにはいかない。というかそういう人材にこそ国政への参画を求めているわけで、彼らが通りやすいようにするのはある意味で当然といえた。
一方で都市部はまちまちだ。城下町では武士がいなくなって町方支配のようになっているところもあれば、武士層が残っているところもある。士族の商法というやつで商売に手を出して失敗する者が大多数だが、なかには才能があって事業に成功した者もいた。武士と町人で対立している場合もあり、一律に規定するのは難しい。そこで等級選挙で棲み分けをさせる。議会での対立は知らない(そこまで面倒を見ていたらキリがないし)。
ただし、史実とは違って複選制はとっていない。予算の審議などはほぼ同じ時期に行われるのに、議会の構成員が同じでは支障が出るに決まっている。混乱は避けられないだろう。だから議員はすべて直接選挙で選ぶことにした。
急ぐ理由の二点目は私の個人的な予定だ。年末から欧州への視察旅行が控えており、それまでに目処をつけておきたかった。これらの法制は明治二三年にかけて施行されている。
官僚たちと細かな話を詰め終わったのは十一月の末のこと。出発まで半月もなかった。慌てて旅行の準備をし、十二月初旬にイギリス行きの船へ飛び乗る。今回は海も一緒だ。
「異国ですか……。楽しみです」
「まあ不快な思いをするかもしれんが、それでも実りのあるものになると思う」
「大丈夫ですよ。そういうのには慣れています」
差別全盛の時代である。黄色人種など欧米人からすれば人の形をした猿同然。欧米にいると様々な場面でそれを感じる。
しかし、本人が言うように海はもう慣れっこだ。事業の関係で欧米人と接する機会も多く、東洋人かつ女性という下に見られる要素の二点セット。人によってはあからさまに軽く扱われることもあったとか。まあ、そういう奴は別の人が相手をして、持てる技術と知識を絞り出したら放逐しているが。社員たちは海のことを敬愛しており、そういう扱いは許せないようだ。
二ヶ月弱の船旅を経てロンドンに到着。同地ではジョニーの出迎えを受ける。
「ようこそイギリスへ。歓迎するよ」
「出迎えありがとう、ジョニー。……おっ、大佐になったのか」
「そうさ。よく気づいたね」
「妻と娘に変化には敏感になれ、って言われてるから――なっ!?」
「どうしたんだい?」
「いや、何でもないさ」
ジョニーが私のリアクションに首を傾げているが笑顔で誤魔化す。見えないところで海が「余計なことを言うな」とばかりに背中を突いてきたために変な声が出てしまった。
「大佐、ごきげんよう」
「おお、ご婦人。相変わらずお美しい」
「うふふっ。お上手ですね」
それからもジョニーは海を褒めちぎる。……社交辞令にしてはちょいと遠慮がなさすぎやしないか?
「そこまでだジョニー。他人の妻に色目を遣うのはやめてくれないか?」
「おやおや〜? アリー、嫉妬かい?」
「そんなんじゃねえし」
自分のパートナーに悪い虫がつかないようにしただけ。これはそう、独占欲だ。だが、ジョニーは嫉妬だ嫉妬だと囃し立てる。その背後では、私の独占欲(断じて嫉妬ではない)に機嫌をよくしたらしい海が見えない方の手で背中をペシペシしてきた。機嫌はいいが照れてもいるらしい。
「いいから行くぞ」
場の空気に耐えられなくなった私は逃げるように先を急いだ。
今回の渡欧目的は二つある。ひとつ目は欧州の政治制度を学ぶことだ。地方制度だけでなく、開設の時期が間近に迫った議会についての見識を深めることが目的となっている。
二つ目は本来の役目である軍事について。普仏戦争の衝撃を経て、各国では参謀本部が相次いで設立されるなど大きく変化した。その状況について知り、軍に還元したいと思っている。
「……しかし、フランスは相当参っているようだな」
「まあ、あれだけ派手に負けたらね」
ジョニーと食後の紅茶を嗜みながらタイムズ紙を読む。そこにはフランスにおけるブーランジェ将軍事件――革命未遂事件――の記事が躍っていた。
普仏戦争以後、フランスは踏んだり蹴ったりの状況だった。戦争中に政体を(第三)共和制に転換して再出発を図ったものの、肝心の戦争では敗北。アルザス=ロレーヌ地方を失い、多額の賠償金も課された。おまけに戦後の不景気で経済も沈滞。工業生産はドイツとアメリカに抜かれて四位に転落……と、階段を転げ落ちるかのような転落ぶりである。
外交面でもドイツの鉄血宰相ことビスマルクによって封じ込め政策をとられ、フランスは孤立無援の状態に陥っていた。敗戦も相まってドイツ憎しとの感情は共通していたが、肝心の政治は無策だった。多党連立政権のため意思の統一もままならず、王党派もブルボンとオルレアン派で内部抗争の真っ最中。二進も三進も行かないなか、彗星のごとく現れたのがブーランジェ将軍だった。
フレシネ内閣の国防大臣となったブーランジェは時勢を読むのに長けていた。共和派に迎合したかと思えば、ドイツへの強硬姿勢を打ち出して反体制派の支持を受けるなどその姿勢はカメレオンもかくやとばかりに変幻する。ただ、それらの行動は一部の民衆から熱狂的な支持を受け、ブーランジェ運動が沸き起こった。
勢いを警戒されて予備役に編入されるが、これ幸いと選挙に打って出るや既成政党の候補を蹴散らして圧勝。遂には支持者たちがクーデターによって政権を奪取すべきと主張し始める。しかし、ブーランジェは実行を躊躇った。その間にこの動きを察知したフランス政府が逮捕状を請求。ブーランジェが安全のためにベルギーへ亡命すると、大衆は失望して運動は急速に萎んだ。
「随分と勝手な話ですね」
タイムズ紙を横で一緒に読んでいた海がそんな感想を口にする。そうだな、と同意しつつも大衆なんてこんなものさ、と冷めた感情が本音だ。
「我が国では庶民院と貴族院の二院制で、庶民院が優越するけれど貴族院の反対に遭ったら妥協するんだ」
法的にいえばイギリスの貴族院は法案成立を引き延ばせるだけで明確に拒否はできない。庶民院の優越により一年経てば成立するのだ。しかし、イギリスの人々はそれをよしとせず、貴族院の賛成を得られるよう法案を修正するのが慣例となっている。
「やはり政治に携わる人間の民度は大事だよなぁ……」
私がポツリと漏らすと、横にいた海もイギリスの方たちは立派ですねと言いつつ頷いている。どちらも、今の日本人ではそんなこと逆立ちしたって出来っこないと思っていた。いささか諦念すら滲ませた感想に対してジョニーは苦笑している。
「まあでも、そうなるためにアリーはヨーロッパに来たんだ。こちらでもできる限りの便宜は図るよ」
「それは本当によろしく頼む」
そうは言ったが、ぶっちゃけヨーロッパで学ぶことはほとんどない。二十一世紀、東側との境界線にありながらも政治的な安定度はある意味で最も高い現代日本から来た身。政治制度なども教育で教え込まれている。この時代のヨーロッパよりも進んでいる。あとは知識を見識に変えていくだけなので、概念を新しく仕入れる必要はほとんどなかった。
そんなことよりも百万倍大事なのはヨーロッパにおける技術の取得である。倉屋をますます発展させるために必要なもの――それは技術。テクノロジー。明治日本にはそういうものがない。導入は急務だ。
金はある。松方デフレは大久保の生存によって史実よりマイルドだったし、何より倉屋は製造業も手掛けているがやはり基本は運送業。加えて軍から軍艦の建造を定期的に受注しており、世間では不況だと言われつつ倉屋は平素と変わらない経営状況だった。おかげで資金は用意できている。
だが、どうしようもないものもあった。それが人種である。やはり黄色人種にスポンサーになられることには抵抗があるようだ。札束で殴って解決しない人もいた。それでも諦められなかった私は奇策に出る。
「そうだ。イギリスに法人を創ろう」
倉屋の子会社としてイギリスに法人を創り、そこから資金を提供するのだ。これなら表面上は白人から白人へ資金提供がなされる。代わりに倉屋は子会社の特許を使えるから完璧。
「だ、大丈夫?」
「法的にはきっと問題はないけれど……」
ジョニーはいくつか懸念点を話してくれた。大きいのはやはり金の出所である。子会社を創っても株主でどこが資金源かは割れてしまう。それも東洋人からのものとなれば、それなりに噂になるだろうというのが彼の見立てだった。
「ならジョニーに任せるか」
「えっ!?」
「私たちはかなり付き合いも長い。ジョニーなら信頼できる」
「いやでも仕事もあるし……」
「退役後の保障はないだろう?」
「うっ……」
言葉に詰まるジョニー。私のように軍中枢へ入り込めているならともかく、彼の場合はコネはあっても最終的には選ばれる立場。どうなるかはわからない。この仕事はセーフティーネットとなる。
そして私はジョニーという人間をそれなりに知っているから、彼は信頼できる人間であると同時に――、
「……資金はこれくらいと考えているんだが、受けてくれるならうち二割の額を個人的に渡そうと思う」
「乗った!」
札束で殴ればワン! と鳴く人間であることも知っていた。
海軍大佐という紳士階級をもってしてもなかなか手に入らない高額報酬を前にジョニーは屈する。内容がイギリスの不利益にならないことからも受けたのだろう。
こうしてイギリス法人をジョニーに任せることになったのだが、こちらが期待した以上の働きをしてくれた。会社の人員は倉屋で働いていた技師たちに声をかけ、軍務があるジョニーの代わりに印刷技術を伝授してくれたクリスが代表を務める。そうして人を揃えると、こちらが要望した目ぼしい技術を次々と引っ張ってきてくれた。
私が求めたのは内燃機関の技術だった。ジョニーたちは伝手を使って調べ上げ、発表前後の技術を青田買いしてきたのだ。なかでも重要なのがハーバート・アクロイド・スチュアートのグローエンジン(焼玉エンジン)と、ジョセフ・デイの2ストローク・ガソリンエンジン。
前者は構造が簡易で、小型の漁船などに使うことができる。これらの船も機械化が求められており、売り出せばかなりの需要が見込める。後者もオートバイなどに用いられ、部隊の機械化にひと役買うはずだ。実になるのは少し先のことになるだろうが、開発の最前線にある欧州で得られた知見は遠からず役立つ。
ディーゼルエンジンも欲しかったが、こちらは取得できず。しかし、訪れたドイツで運命的な出会いが待っていた。
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