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インフラ計画

 






 ――――――




 内務大臣に就任して三ヶ月あまり。前回は代理ながら政府首班という役割も負っていたためてんやわんやだったが、今回は省務に専念することができている。各所からの報告書にもじっくり目を通していると気づいたことがあった。


「補助申請が多いな」


 何かしらの事業をするので国家補助をお願いします、という申請が府県知事より鬼のように届いていた。その「何かしらの事業」とはほぼほぼインフラ整備。大半は道路であったが、一部は港湾であったり水道であったりした。


 江戸時代には五街道を筆頭にインフラは整備されていた。しかし、明治に入ると移動(運搬)手段に馬車や荷車といったものが加わり、従来の徒歩を主眼としたインフラは不十分なものとなった。


 加えて江戸時代は結果的に見ると平和だったが、やはり武士。幕府や諸大名はいつ戦が起きてもいいように行軍が容易になる道路整備は必要最低限に留めていた。だからこそ大井川を筆頭に橋が架けられていない場所があったり、道を整備しても敢えて曲がりくねっていたりと合理性を欠いている。


 水運は江戸時代でも盛んだったが、そこで使われていたのは主に中小型船。ご存知のように幕府は長らく五百石以上の大船建造を禁じていた。そのため港湾は大船の寄港がほぼ想定されていない。幕末に禁令が解かれて蒸気船も建造されたものの、政治は大混乱していて大船に対応した港湾修築なんて大規模事業をやる余裕はどこにもなかった。


 これらを改修し、あるいは整備して近代国家に相応しいインフラを整えていくことは明治政府にとって喫緊の課題だ。インフラには新たな交通インフラである鉄道も含まれている。府県知事や人々も程度の差はあれどそれを認識し、盛んに声を上げているのだ。


 それは政府もよくよくわかっている。引き継ぎでは、前任者の大久保も予算に補助枠を設けて先着順で助成していたことを知らされた。その他にも申請があって大久保が必要と考えたものに対しては私費で補助していたらしい。自身の財産ではとても足りないので、知り合いの商人に片っ端から借りて回っていたという。負債総額は一万円を超えるとか(現代でいうと二億円くらい)。


 大久保の志は称賛されるべきものだが、それは決して健全とはいえない。一方で政府財政も限られている。松方デフレの影響は史実よりかなり緩やかかつ、物価の安定や金融緩和による景気が上向く気配はあった。とはいえ各々が好き勝手に開発していったのでは少ない資本を有効活用できない。やはり先着順ではなく、計画的に開発していく必要がある。来たる好景気へ向けて基本計画の策定を急がなければならない。


「――と考えます」


 閣議の後、大久保をはじめ松方、大山、信吾、俊輔ら関係閣僚を呼び止めて基本計画の必要性を述べる。


「いくら入用かわかるのはありがたい」


 松方は支出の見通しが立つとして歓迎する。もちろんその規模によって態度は変わるだろうが、そこさえ間違えなければ障害にはならない。


 ただ、


「やはり計画の概要でもいいので出してもらわないことには……」


 お前やれよ、みたいな視線が交わされた後に外れくじを引かされた大山が言った。まあそうだよね。インフラ整備に関連する閣僚集めたけれど、自分たちの利益にどれくらいかかわってくるのかわからなければ態度も決めかねるのはわかる。


「そうだろうと思って用意してあります」


 仕事の合間を縫って計画を練り上げていた。机に向かってあーでもないこーでもないと唸り、書いては消しを繰り返す。そうして出来上がったものを今度は清書だ。学校の作文や習字以来である。こいつにも時間がかかった。パソコンやスマホって便利だなと思いました。


 コピー機なんて便利なものはないので、清書した紙一枚を回し読みしてもらう。そして得たコメントが、


「小助さん。これは無理だ」


 という俊輔のもの。先ほどまで歓迎ムードだった松方もこれは……と苦い顔。まあわかる。なにせ渡した紙には日本列島にびっしりと道路や鉄道が書き込まれているからね。とても出来っこない。


「山縣さんの考えは?」


 と、ここでこれまでひと言も発しなかった大久保が初めて口を開く。言葉こそ少ないが、その問いは見事に核心を突いていた。ただ列挙しただけではない。何か考えがあるのだろう? と。


 私は大久保に向かって頷きつつ、整備計画の実現に向けた方策を話す。


「たしかにこれら全てを今すぐにやることは不可能です。少なくとも数十年はかかるでしょう。なので優先順位をつけます」


 大都市を結ぶ主要な道路や鉄道、地域の重要な港湾を最優先で整備し、それから中小都市につながる交通インフラを整えていく。


 国内防衛のため東西連絡を確保することが第一期計画の要諦だ。まず東京を起点に京都、大阪、さらにその先の広島まで道路と鉄路を引く。神戸までの東海道線の整備(鉄路)は順調で、経路で揉めなかったこともあって史実よりも早い明治二十二年(1888年)には完成しそうだ。神戸からは民間で山陽鉄道を敷設する計画が持ち上がっており、これを国費で助成して早期完成を目指す。


 北へは同じく東京を起点に青森まで路線を引く。青函トンネルなど明治の土木技術では到底不可能なので大人しく船を使う。函館から苫小牧または小樽へ至る航路である。ただ、小樽はいざというときに制海権が怪しいため、苫小牧に上陸して札幌までは鉄路で行かせたい。そのためには現代でいうところの千歳線(と室蘭本線の一部)の速成を期したいところだ。


 東北への鉄道については高島嘉右衛門(横浜の実業家)の提言を受けた故岩倉具視が主導して日本鉄道会社が設立され、路線の建設が進められている。実は私も誘いを受けて倉屋から出資していた。なのでよく知っている。既に鉄路は宇都宮まで伸びており、その先も工事が進んでいた。五年と経たないうちに完成するだろう(実際に青森まで開通したのが1891年)。


「かなり進んでいるようですね」


「はい。調べて工事の速さに驚きました」


 鉄道事業は逓信省の管轄だが、それ以前は工部省が管轄していた。史実では工部省の解体に伴って鉄道局が内閣に移管されたが、現世では後継組織である逓信省に移管されている。なので私も大久保もほぼノータッチで詳しいことは知らなかった。開業式典に呼ばれたので大宮や宇都宮へ伸びたことは知っていたが、その先の区間については全く知らない。結果を知ったときには思わず「早っ!」と漏らしてしまったほどだ。


 まあそれはともかく、このルートには東海道や奥州道中が整備されており、道路も改修や架橋の必要はあれど抜本的な整備はほぼ必要ないだろう。当該府県に任せて補助してやるだけでいい。


 問題は次である。


 第二期としては第一期で整備した場所に接続するインフラの整備だ。これで各地の府県庁所在地を結ぶことを目指す。具体的には山陽鉄道を下関まで延伸。同地を九州からの玄関口にする。四国も含め基本は船で本州の鉄路へアクセスしてもらう。九州と四国に鉄道ができれば鉄道連絡船を設けるのもいいかもしれない。


 府県庁所在地は幹線上に立地していない限りは道路で接続する。こちらで道の規格と路線を定め、それに沿ったものについては補助を与えるのだ。財政状況で規模は増減するだろうがそれは仕方ない。とにかく補助金というニンジンをぶら下げて整備に動かすのである。どこをどう通すのかは絶対に揉めるだろうが、それは各府県に任せるとしよう。そこまで国が立ち入るのは難しい。


 なぜ鉄道にしないのかといえば金がかかるからだ。予算がカツカツで、道も先述のように近代の道路としては不十分。物資運搬の観点からこれは極めて不都合である。また、軍隊に関与する身としては部隊の迅速な展開にも鉄道ないし整備された道路は必須。とにかくゼロをイチにすることが先決なので、造りやすい道路を優先する。


 もちろん鉄道があれば言うことなしなのだが、技術的な問題が多い。本州の中央に山が連なっており、太平洋側と日本海側の連絡が難しいのだ。ループ線だとかスイッチバックだとか越える手段がないわけではないが、そこまでしなくても……というのが正直なところ。こちらは素直に技術の進歩を待つ。


 鉄道の代わりに連絡を担うのが道路と船だ。とりあえず横浜や神戸といった主要港と青森、函館、小樽、新潟、下関、広島、博多など重要港湾にも手を入れる。こうなると絶対に東京や大阪が黙っていないだろう。ただ、お前らはそれなりに財政規模が大きいから自力でなんとかしろ。言わないけどね。


「この他、北海道も函館から海沿いに進んで苫小牧、そこから札幌、旭川に通じる道路も整備していきます」


 それが完成すれば屯田兵も師団に改編していいだろう。


 大久保たちにはさらに道路を国、府県、それ以下の自治体で区分して整備、補修の費用負担の割合を決めることを提案した。大まかなものなので細かいところ(規格や費用割合、経路など)はこれから詰めなければならないが。


 ここまで説明すると風向きが変わる。


「いいんじゃないでしょうか」


「各地への展開が容易になるのは嬉しいです」


「通商もますます盛んになるでしょう」


 と、俊輔や大山、信吾が賛成意見を述べる。一方の松方はむしろ慎重になった。


「かなりの予算が必要になります。現在の財政状況では不可能です」


 せめて府県以下に対する補助はしない方がいいと主張する。


「ですが松方さん。地方が十分な財力をつけるには長い時間がかかります。主要な道だけでもつけられるよう補助してやるべきでは?」


 現代でも地方自治を謳いながら、現実には国からの補助がなければやっていけず「三割自治」などと揶揄されている。地方で完結することなど現実として不可能だ。


 また、開発することで産業振興が見込める。取引が増えれば税収も増えるだろう。昔も戦国時代には織田信長の楽市楽座を筆頭に武将たちは国を豊かにしようとした。


 あるいは雇われた人足が賃金を消費する。今は不景気だからこそ国が金を出してやり、冷え込んだ消費を喚起するのだ。私は「神の見えざる手」など信じていない。


 するとまたしても大久保が口を開いた。


「これを何年ほどでやろうと?」


「松方さんが言うように、財政が苦しいのはわかっています。ですがこれはやり遂げなければならない。よって第一期は十年。第二期は二十年程度を見込んでいます」


「……それならば大丈夫でしょう。では各員、山縣さんの計画を基に詳細を詰めていくように」


 大久保はインフラ整備によって商取引が盛んになれば、自然に増収が見込めると踏んだようだ。彼はどちらかというと殖産興業を重視するタイプ。そうくると思っていた。


 松方も大久保が決めたことには逆らえない。その後の具体的な計画決定では反対論を引っ込め、現実的な計画になるよう協力してくれる。各自が好き勝手に持ち寄った路線計画や規格を突き合わせ、予算も含め実現可能な最大限のものへと落とし込んでいく。


 数ヶ月の調整を経て「道路鉄道整備基本計画」として編み上がった。私の計画を土台にして特産品(主に生糸)の輸送路を確保するために若干の修正が加えられた。軍は演習地への道路や鉄道を整備してほしいとか言ってきたが、そんなものは自分でやれよと思う。代わりに兵站拠点となる広島(宇品)に鉄道を引くことで手を打った。これで本州にある部隊すべてが宇品に鉄道でアクセスできるようになる。大陸への移動が迅速かつ安全になるというわけだ。


 計画にかかる費用の支出方法だが、十年と二十年の継続費として支出することになった。第一期は路線がほぼ固まっているところに通す上、補助が中心となるだろうから金の工面さえできていればいい。揉めるとしても山陽鉄道だろうが、国費をかなり入れることでコントロールできるだろう。一方、第二期は様々な選択肢があるため十年のうちに確定させる。後にやるのにはそんな狙いもあった。


 かくして兎角揉めがちなインフラ整備の大方針が定められ、明治政府はその実現に向けて邁進していくことになる。










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また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


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