海運よもやま話
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私が海とともに向かったのは大阪。倉屋の主力事業である海運業は日本海側にこそ赤右衛門たち代々が開拓してきた流通網が存在したが、江戸を中心に発達した全国的な海運網には及ぶべくもない。もちろん汽船という武器を引っ提げて顧客を獲得することもできたが、手っ取り早い反面、既存の業者を敵に回すという欠点もあった。
そういうことをしているといつか手痛いしっぺ返しがくる。因果応報だと考える赤右衛門たちは、既存の業者に船を貸すことにした。大店だろうが中小零細の集合体だろうが要望と船の余裕、対価を払うならば分け隔てなく貸している。
元から海運は盛んであり、和船の需要は山のようにあった。それらに代わる汽船の需要はかなりのもので、倉屋の造船所は毎日フル稼働。イギリスから主要な部品は輸入しなければならないためペースは本来の能力を発揮できてはいないものの、千トン前後の船を次々と建造していた。出来上がった船は試験を終えると海運部門に引き渡され、各種の運送業務に従事する。
だが、肥大する需要にはまったく追いついていないのが現状だ。私の入れ知恵もあって、倉屋が中小零細に共同運航も認めてしまったために需要は史実の比ではない。素人の私からすると大丈夫なのか? というほど職工を増やして増産している。
さすがに払い下げを受けた石川島では手狭になってきたので、これを機に今後の拡張が見込める場所へ主力の造船所を移すことにした。既に場所は見繕っている。愛媛県今治だ。ここの対岸に海軍の一大拠点となる(予定)の呉がある。同時に八幡や徳山など鉄鋼業が興る場所も近く、材料の運搬も困らない。さらにさらに瀬戸内海はその名の通り内海であり、海峡部を守ればいきなり攻撃されることもないのだ。
移転計画は動き出しており、今治での用地買収は行っている。据えつける機材についてもイギリスに発注済みだ。もちろん最新式のものである。
ここまで説明して、ならばなぜ大阪に来たのか。早く今治へ行けよと思っただろう。しかし、大阪にも大事な用事があった。それは出資者に対するご挨拶である。
「感触はよかったな」
「ええ。資金をもっと融通してくれるそうだから大成功よ」
大規模な事業の拡張を行っている倉屋だが、あれこれやっていて資金に余裕はない。そこで関係のあるところから出資を受けていた。特に財閥と呼ばれるようになる三菱や三井、住友などは大口の出資者だ。
江戸時代には「天下の台所」として物流の中心地だった大阪。お株は東京に奪われてしまったが、昔の名残で豪商といわれる商家は未だ残っている。先に挙げた住友がいい例だ。
大阪に来たので折角だからと件の住友を訪ねたのだが、住友を預かる総理人である広瀬宰平から増資と引き換えにとある要望を受ける。それは瀬戸内海における船会社の整理に協力することだった。
「元はといえばうちに原因があるし、お金も融通してくれるんだから断る理由はないのだけど……少し申し訳ない気になるわ」
海の言葉に同意する。彼女が言ったように、広瀬の協力要請は元を辿ると倉屋の行いに行き着くのだ。
西南戦争は士族反乱のなかでも最大規模で、期間も長かった。この間、主要な海運会社であった倉屋と三菱は軍事輸送のために多くの船舶を政府に徴発され、輸送力が低下した。チャンスと見た各地の人間が商船会社を興す。その数は瀬戸内海だけで七十ほどあった。倉屋もビジネスチャンスだとそれらの会社に船を売却。また、一部の会社には臨時で航路を任せるなど経営も助けていた。
かくして瀬戸内海は商船会社の戦国時代を迎えたわけだが、西南戦争が終結して大手二社の輸送力が回復すると、鬼の居ぬ間にと勃興した中小零細の商船会社は途端に苦境へと陥る。価格やサービスで太刀打ちできなかったのだ。
瀬戸内海ではスピード競争や整備不良による事故も発生しており、別子銅山を経営する住友にとって他人事ではなくなっていた。そこで進んでいる倉屋の計画に増資する代わりに、騒動の沈静化に協力するよう持ちかけてきたのである。
「いいじゃないか。丁度、海外航路を増やすって計画だっただろう? この際だ。国内航路を任せるくらいの勢いでやろう」
「……そうね。三菱との競争もあるし」
今まで倉屋の稼ぎ頭は国内航路だったが、最近は海外への航路を拓いていた。きっかけは政府方針である。日本周辺の航路は国内線、国際線問わず外国の商船会社に牛耳られていた。これを日本資本の下に取り戻す、との号令が政府から下ったのである。
倉屋は私の、三菱も大久保や大隈の庇護を受けて様々な恩恵に浴していたことからそれに従うしかない。実業界の風雲児である岩崎弥太郎と女傑である海は話し合いの末、両社が共同でアメリカのパシフィック・メール(太平洋郵船会社)の事業を買収することに合意。倉屋は手に入れた船舶と施設を獲得しない代わりに、三菱はPM社の関連会社である東西汽船への支払い(日本近海と中国における三十年間の優先権を認めてもらう見返り)を全額賄うことになった。
だが、共闘したのはここまで。そこからは仁義なき争いが幕を開ける。今も激闘は続いているのだ。そんななか、躍進の鍵を握るのが今治に造る造船所である。期待を胸に抱いて海路、今治へ向かった。近くには住友が経営する別子銅山を擁する新居浜があり、大阪の住友を訪問したのもお膝元の近くにお邪魔しますという挨拶の意味もある。
「広いなぁ」
「ええ……」
造船所の建設予定地はだだっ広い平野。今治はまだまだど田舎と言って差し支えない場所であったが、そこに近代産業の結晶を生み出す造船所が生まれる。ほとんどの住民は何が起きるのか理解していないが、建設に従事する人足はほとんどが地元民。海に慣れ親しんだ彼らは「造船所」ができるということは理解しており、概ね歓迎ムードであった。
地元の有力者と会合し、倉屋をよろしくお願いしますと言っておく。海が経営しており、集まりにも彼女が行くのだが女だからと舐められることも多い。東京や山口周辺なら知れているためそんな態度はとられないが、地方では違う。だから私や赤右衛門が最初は同行し、バックに誰がいるのかを知らしめておく。政府(軍)の高官ということで地元側が緊張していたが、概ね問題なし
今治での用事を済ますとすぐに東京へ蜻蛉返り。東海道線の工事は財政難のなかでも進められているものの、京阪神と東京–横浜間が結ばれているのみ。間の愛知や静岡には鉄路は通っていなかった。なので全行程が船での移動である。
「帰ったぞ〜」「帰りましたよ〜」
「「「おかえりなさい!」」」
家に帰ると子どもたちが出迎えてくれた。元気そうで何よりだ。あちこちで買ったお土産を渡す。普段お姉さんぶっている水無子も夢中だ。
「変わりはなかったか?」
「はい。皆さん普段通りに過ごされていましたよ」
お守りをしていた幸さんが答えてくれる。椿山荘に引っ越してからも倉屋の従業員は近くに住んでいた。具体的には離れに。家族の世話をしてくれる人たちを住まわせている。幸さんもそのひとり。彼女には子どもが三人おり、息子二人と末娘がひとり。下の子が水無子と同年代だ。学校を卒業し、近いうちに行儀見習いとして本邸に出入りする予定になっている。
不在にしていた間のことを聞き、その日は子どもたちに旅先での思い出話を語った。出発前も行きたい行きたいと連呼していたが、話を聞いて欲求を刺激されたのだろう。またしても大合唱が始まった。
「父上を困らせてはダメでしょう」
お忙しいんだから、と海が叱るがずるいと思う気持ちはよくわかる。だから子どもたちには必ずどこかへ行こう、と約束した。いつになるかはわからないが、必ず家族で旅行へ行くのだ。
さて、そのためには仕事である。東京へ帰った翌日に登庁。海も早速、倉屋の仕事を始めた。その倉屋は三菱と激しい競争を行なっていたが、航路の拡張と顧客の奪い合いになる。
三菱はパシフィックメールの買収前に拓いた上海への航路を軸に拡大を図っていた。倉屋は海外展開に出遅れた形だが、その代わりに国内航路の過半を握っている。出遅れも外国との繋がりでカバーした。例によってジョニーの紹介を受けてイギリス系のP&Oと提携。香港と日本の間の船便を委託された。
「せっかく外国の船会社を追い出したのに、また招き入れるのか」
三菱を率いる岩崎弥太郎からは文句が出た。しかし、その指摘は的外れだ。
「むしろ守ったと言って頂きたい」
業務委託ではあるが、サービスがP&Oの要求を満たすと判断されたら譲り受けるという契約になっていた。海外資本に取り込まれたと見るか、防波堤になったと見るかは立場によって異なってくる。倉屋は後者だと思っているので意には介さなかったが。
両社の商業戦争は国内にも波及した。元々、海外航路は船の数や質の関係で日本と中国を結ぶ便のみしか設定できない。なので拡大するとなると必然的に国内航路となる。そこには倉屋が既に展開していたが、三菱はこれに食い込むために安さを売りにして参入を図った。採算を度外視した破格の低運賃。客はこれに釣られたため、倉屋の海運部門は瞬く間に業績が悪化した。
倉屋もただ手を拱いていたわけではない。こちらも赤字になる手前まで価格を引き下げた。だが、三菱は市場がとれればいくらでも回収できる、とばかりに赤字になるような運賃でも構わず運航。あくまでも収支を気にした倉屋は価格で太刀打ちできない。
ならばと、速達性をアピールした。三菱と競合する航路の船を他所へ転出させ、代わりに最新の船速が速い船を集める。運賃を元に戻す代わりに、これまでよりも早く目的地に着けますよと言えば全てではないが客が戻ってきた。迅速に新型船を手配できるのは、造船を手掛けている倉屋ならではといえる。三菱から売ってくれと言われたが、こちらを潰しにきている相手に武器を渡すほどお人好しではない。丁重にお断りした。
その腹いせかはしらないが、三菱もとんでもない手を打ってくる。旧式船にもかかわらず、燃料費や罐の消耗を気にせず無理矢理に出力を上げて運航したのだ。完璧ではないが、少し差が縮まる。それでいて価格を据え置いたのだから客は再び三菱に流れてしまった。
「どうしよう……」
かくなる上はこちらも採算度外視してでも値下げするしかない。倉屋の会議ではそんな方向に話が進んでいるという。海が拙いと思って結論を持ち越している。それもそうだ。ダンピングは現代で禁止されている行為。正常な経済活動ができなくなってしまう。
しかし、遅滞も限界を迎えつつあるようだ。独禁法などダンピングを禁止する法律がない以上、対抗するには同じことをするしかない。さもなくば事業を畳むか。それは海もわかっている。いずれにせよ重大な決断になるため、スポンサーである私に相談したのだろう。
「それには及ばない」
「え……?」
「上と話をしてくる」
上……すなわち三菱を庇護している政府の有力者・大久保と大隈である。たまには旦那も役に立とう。
「――という次第なのです」
話のしやすい大久保の許に話を持っていく。だが、何が問題なのかと取り合ってくれない。実はダンピングという概念が生まれたのは二十世紀初頭のこと。未だ明文で禁じられてはいなかった。だからこそこの反応。しかし、そこで私は引き下がらない。
「このような不当廉売を許せば競争がなくなり、市場の原理から反してしまいます」
アダム・スミスは『国富論』のなかで、見えざる手によって導かれたかのように市場は成長すると説いた。しかし、人間は常に合理的ではなく、むしろ欲望により非合理に走ることもしばしばだ。経済活動においても同じであり、近年ではマルクスとエンゲルスが資本論を唱えて社会主義が生まれている。
現代日本から来た私は決して社会主義を全否定するものではない。何なら、日本は最も成功した社会主義国家などと揶揄される国だ。長所も短所もそれなりに知っている。だが支持するものでもなく、やはり是々非々の態度が大事だ。
それはさておき、以上のような背景を踏まえて今一度、市場経済や自由主義(資本主義)の原点に立ち返りたい。これらが目指す「成長」とはすなわち競争による生存競争だ。ヘーゲル的に説明すれば、テーゼとアンチテーゼがアウフヘーベンされてジンテーゼが生まれ、それがまたテーゼとなって……という繰り返しにより成長していくのである。
だが、市場では必ずしもそうはいかない。資金力という暴力があるからだ。原価割れの安売りでは経営の体力勝負。要するに金がある方が勝つ。……正直な話、倉屋には金がない。今やっている事業を整理して海運に注ぎ込めば負けるとは思っていないが、それはとても不健全だ。こうして上で決着させるか、あるいは勇気ある決断をしなければならないだろう。
初日は説得に失敗したものの、一度で諦めず何度も足を運んで説得を試みる。そしてようやく大久保が折れてくれた。決着の要因は三菱を除く財界人からの働きかけである。
「三菱さんはちょっとやりすぎですわ」
「倉屋さんにはお世話になっていますしね」
明治政府の黎明期、経済政策の面倒を見た三井や財界の大物となった渋沢栄一らが三菱独占の阻止に動いてくれたのである。軍や倉屋で関係があったことが奏功した。史実でも彼らは三菱が海運を独占したことに反発して共同運輸会社を設立して対抗。大規模なダンピング合戦を繰り広げる。結局、不毛な争いは止めようということで両者は合併。日本郵船となる。だが、この世界線ではその不幸は阻止された。
特に渋沢は働きかけに熱心であった。令和に新札の肖像に選ばれて知名度をさらに上げた人物は真の人格者だ(女癖は見なかったことにする)。公益性を重視する彼は富の偏在を嫌い、社会全体が豊かになることを望んで活動している。第一銀行の役職を三井が独占しようとしたのを阻んで自身がトップになり、公益性に重きを置いた経営を行っていた。
そんな気骨のある人物だから、三菱の企みを吹聴すると私を支援するために動いてくれた。財界人たちも私だけではどうにもならなかったかもしれない。そんな彼らが動いてくれたのも渋沢のおかげである。
「閣下や倉屋さんは自分と共通するお考えをお持ちです。お助けするのも当然ですよ」
様々な分野で儲けを上げる傍ら、中小零細の海運業者に対する様々な支援や広範な事業展開が評価されていたようだ。
大久保が折れたので大隈の説得も上手くいき、史実では第二次世界大戦後に制定されることになる独占禁止法が制定された。内容はシャーマン法とクレイトン法を先取りしたものとなっている。
法律が施行されてさあ安心ではなかった。大久保たちから言われていたにもかかわらず、三菱は不当廉売をやめなかったのだ。倉屋が盟主となった海運連合はこれを告発。大久保は庇って裏で是正を求めたが三菱は知らんぷり。さすがに見かねたのか三菱を見限る。これに慌てた三菱は価格を元に戻したがもう遅い。私はなんて見事なざまあ展開なんだと逆に感心した。
価格が戻ると客は倉屋にかなり戻ってくる。特に東京大阪を中心とした主要航路には自社製の新型船を次々に投入。速力や輸送力に優れ、サービスで常に三菱の一歩先を行った。おかげで倉屋が業界第一位に躍り出る。対して三菱は業界二位に転落。しかし、倉屋に負けるなと造船業などにも手を出し、両社は激しい競争を繰り広げていく。
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