来訪者の真なる目的
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斬新な艦艇整備計画を示し、エドワードの興味を引くことには成功した。施設の視察中、彼の相手を川村に任せてジョニーと二人ほくそ笑む。そう、先日の質問攻めはジョニーと事前に打ち合わせていた。サクラだったのである。なぜそんな手の込んだことをしたのかはじきにわかる。
「いやー、興味深い」
日程を消化し、見せられるところはほぼすべて見せた。ご満悦、といった様子だ。もっとももてなしが上手くいったと無邪気に喜ぶほどこちらはピュアではない。その喜びが、動物園でペットボトルのキャップを上手く回すサルを見て喜んでいるようなもの――と考えてしまうのは穿ちすぎだろうか。
さて、私たちは今レストランにいる。来日歓迎会を開いたところだ。公式日程を消化した後の送別会みたいなものである。
「楽しい夜だった」
「ええ。お料理も美味しくて。極東にいるとは思えなかったわ」
「お口に合ったようで何よりです」
飯が美味い。シェフを呼べと言ったのはさすが本場の人間だと思った。そうして呼び出されたシェフの口から、フランスやイタリアで修行してきた。行かせたのは私と海である、と明かされている。すると婦人は、
「まあ、そうなの? マナーも随分と学ばれたのね」
「はい。わたしの会社にも欧米の技師がおりまして、彼らや欧米を訪れた旦那様に指導していただきました」
うふふ、と貴婦人の風格を漂わせる海。育ちは決して悪くはなく、また猫を被るのが得意な彼女は家ではオカン、外では淑女の役目をこなしていた。
「旦那様のためならいくらでも努力しますよ」
どうやら彼女も束縛しているといった自覚はあるらしく、それに応えてくれている私に恥じないよう求められる役割をこなそうと努力しているという。曰く、いい男を捕まえておくためにいい女である努力は欠かさない、と。私がいい男かはさておき、そう言われるとこっちが小っ恥ずかしくて仕方ない。
……段々、海の言動が現代チックになってきている。心がけてはいるが、中身が現代人ゆえにどうしても現代的な価値観であったり言動が出てしまう。暮らしていくうちに彼女がそれを受け入れ、徐々に染まっていた。いい女だ何だというのもその結果である。何なら海以外の家族にも広まっているが、今さらどうしようもないので気にしないことにした。なるようになれ(自棄)。
山縣家は日本で最も欧化が進んでいる家だと自負している。そしてそれが思わぬ形でプラスに働いていた。
明治は欧米列強に追いつけ追い越せがスローガンであり、上流階級ほど見かけ上の欧化に熱心である。今日のようにパーティーを開いて集まることもあったが、そこで私と海は注目の的だ。そういった場に招待される列国の公使や軍人と通訳抜きで話し、またマナーもほぼ完璧だからだ。彼らにはとても日本人とは思えない、というありがたいのかよくわからない言葉をもらっていた。
そんなわけで、海は会社経営で忙しくする傍ら、旧大名や公家といった名家や維新の功績で上流階級の仲間入りをした家の妻子にお茶会などと称した集まりに頻繁に招待されている。お茶会といっても実態は海さんのマナー講座みたいなもので、そういった縁もあって政府要人の奥様たちと仲がいい。ちょっとしたヒーローであった。
「またご一緒したいわ。この国のこと、もっと聞かせて頂戴」
リード婦人は目を輝かせて海に日本の話をしてもらいたがる。母国語で聞く異国の知識というのはやはり新鮮なのだろう。そしてそんな二人のやり取りを見て、川村婦人が海を憧れの表情で見ていた。うちの妻がイケメンすぎる。
「妻もそう言っている。また会おうじゃないか」
「しばらく日本に滞在しますから、それがよろしいかと。アリー、大丈夫か?」
「もちろんだ」
エドワードが提案し、ジョニーがすかさず拾い、私が同調する。流れるような会話のキャッチボールだ。
「楽しみにしているわね」
「はい。今度は奥様にもイギリスのお話をお聞きしたいです」
「わかったわ」
うふふ、と海はお淑やかに笑う。
川村夫妻を完全に蚊帳の外に置いたこの会話。本気でもあり演技でもあった。本気なのはご婦人の色々と聞きたいという要望。演技は川村夫妻抜きで私たちが会うというものだ。
そう、エドワードの来日は扶桑の引き渡しや日本海軍の状態を見たい、という彼の願望に私とジョニーが便乗したものだ。ならばと倉屋からエドワードに取引をもちかけた。また会いましょうというのは商談をするため、会見しても不自然でないようにするためだった。
なぜこんな手の込んだことをしたかというと、公私混同だと指摘されないためだ。エドワードは軍務省のゲストということで接待している。そんな相手を堂々と倉屋に呼び込めば、私のアンチから叩かれるのは間違いない。以前に半ば言いがかりで告発されたのだ。同じ轍は踏まない。
数日後。本来の仕事がひと段落したところで早めに切り上げて倉屋に顔を出す。この辺は融通が利くのでとてもありがたい。
「いらっしゃい、旦那様」
「どうも」
倉屋は海が取り仕切っており、家でアドバイスはしても営業所にまで顔を出すことはあまりない。ゆえにお客さんみたいな挨拶になっていた。
「リードさんは?」
「ドックを見てるわ。わたしはご婦人のお相手を」
まあドックなんか見ても貴婦人には面白くないだろう。進水式くらいのものだ。暇をすることになるが、そこは抜け目のない海。天気もいいのでお茶会の用意をしてそちらに誘ったようだ。ドックの案内はイギリス人技師がしているという。それでいい。今は私が来たという連絡を受けて中座しているそうだ。
「ならまずご婦人にご挨拶するか」
「ええ」
お茶会の会場となっていた造船所の端に向かう。テーブルと椅子、そしてパラソル代わりに野点傘が置かれており、そこでリード婦人が優雅に紅茶をキメていた。
「あら、山縣閣下」
「こんにちは。いい天気ですね」
トークデッキが尽きたときの常套句だが、貴婦人と何を話せばいいのやら。であれば無難に天気の話題を振る。幸い今日は快晴だ。
「そうですわね。景色もいいですし」
造船所がある石川島から東京湾が見える。江戸時代に埋め立てこそ行われたが、ほぼ自然のまま。さすがは海。こういうもののセンスがいい。だが……
「景色はいいですが、少し情緒には欠けますね」
鳥の囀りや打ち寄せる波の音も聞こえるが、最もよく聞こえるのはカーンカーンという乾いた金属音。そして怒号である。情緒なんてない。造船所の側でお茶会をやる限界といえた。
リード婦人も苦笑していたが、だからといってこの場を離れるわけにはいかないことも理解している。出てきた言葉は海の心遣いに感謝するというものだった。人ができている。
久しぶりの造船所がどうなっているのか興味はあるが、エドワードの視察に便乗する以上は彼の都合に合わせないといけない。あまり見る時間はないなと踏んだ私はしれっとお茶会に交ざった。海の誘導があったことも理由のひとつ。少しでも一緒にいたいじゃない、と可愛いことを言われたら聞き入れるしかない。
「おお、来ていたか」
一杯目を半分ほど飲んだところでエドワードがやってきた。視察は終わったらしい。
「ご婦人、お茶をもらえるかな?」
「はい」
海に促すと、従業員に指示して用意させる。イギリス人技師をもてなすため、お茶汲みをする従業員には紅茶の淹れ方を指導していた。倉屋がジョニーの伝手で集めた人材で成長しているため、イギリスの文化が少しずつ浸透している。
「ところでリード技師にお願いがあるのですが――」
話が途切れたところでタイミングよく海が切り出す。最初から商談するつもりでこの場に席を設けたらしい。
「わたしたちは軍から軍艦の建造を持ちかけられています」
するとエドワードが確認するような視線をこちらに向けてくる。私は頷いた。たしかに軍として倉屋に軍艦建造を持ちかけている。水雷艇や駆逐艦ではない。巡洋艦級の中型艦だ。
民間に建造を任せるのは別におかしなことではない。現にイギリスでは艦艇を民間造船所に発注している。だからエドワードもなるほどと頷いた。
「しかし、わたしたちには軍艦を建造した経験がありません。そこでサミューダ・ブラザーズにクラスリーダー(一番艦、ネームシップ)の建造を依頼することにしました。ついてはその設計を引き受けていただきたいのです。……条件つきで」
「……条件?」
「はい」
倉屋がサミューダ・ブラザーズに示した条件は、一番艦の建造を依頼する代わりにこちらが派遣する日本人を作業にあたらせ、設計図の一切を日本側に譲渡するというもの。金剛型戦艦の構図と同じだ。
「それは……造船会社もそうだが、海軍が納得しないだろう」
エドワードの反応ももっともだ。船というのは最新の科学技術の結晶体であり、おいそれと他国に流せるものではない。しかも小国の日本が寄越せと言ったところで反感を買うだけだ。普通なら。
しかし、私はそのハードルをクリアできると確信している。理由はいくつかあって、第一は同時代の船からすると特異な船型であることだ。
今回発注するのは巡洋艦。前にエドワードに示した前後に砲塔を備えた船型をしたものではない。中心線上に備砲を配置している点では同じだが、単装砲四門である。イメージは天龍型軽巡洋艦だ。機関出力や装甲技術などがまったく足りていないが、目指すべき船の形を具現化した。
「これもまた随分と珍妙な船だな。……だが、珍妙な船ならば図面などくれてしまえ、と上は考えるというわけか」
「ええ。失敗しても日本が損をするだけ。仮に当たりでもイギリスには図面と経験がある」
「日本にも技術を渡すことにはなるが、すぐに差が覆るわけではない、か……」
イギリス海軍からすれば盛大な実験を日本がやってくれ、その技術は持つことができる。この取引で流出する技術にしても、日本では規模が小さすぎてさほど脅威にはならない。イギリスにとっていい取引と言えた。
「なるほど。海軍が納得するだろう見込みはわかった。その上でサミューダ・ブラザーズはどうする?」
「それこそ簡単ですよ。誰のおかげで会社が保ったのかよくよく考えてもらわないと」
1866年に起きた金融危機とその後の造船不況はサミューダ・ブラザーズも襲った。同時期、ロンドンにあった造船所の生産量に単独でダブルスコアをつけるほどの大手である。その大きさゆえに影響も大きかったが、それを克服できたのは日本やドイツ、ロシアから艦艇の注文があったからだ。特に日本は軍艦の発注こそ金剛型と扶桑のみだが、倉屋として商船を大量発注していた。日本の貢献は大きく、足を向けて寝られるのかお前と脅してやれば頷くしかないだろう。
「恐ろしい話だ」
エドワードは関わりたくないとばかりに肩を竦める。
「話は理解した。こちらとしては契約がまとまるのであれば異存はない。喜んで引き受けよう」
現実的であると見るや話を受けるエドワード。純粋に仕事がとれるというのもあるのだろうが、イギリス海軍当局への論法が利いているように思う。当たりであればパイオニアとして仕事が舞い込むだろうし、外れてもよくわからん東洋人に強請られて仕方なくやったんだと言い訳ができる。どちらに転んでも彼には損がないのだ。
「ではそういうことで。よろしくお願いします」
「ああ。受けた以上、仕事に妥協はしないさ」
そこには技師としての矜持が見てとれた。用意のいい海は既に契約を交わす段取りを整えており、倉屋とエドワードとの間で軍艦設計の契約が交わされる。
ただ、これで終わりではない。話は具体的な要求事項に移る。なにしろ新しい様式の船であり、エドワードとしてはクライアントの要望を聞き取っておきたいのだろう。そこで私の要求(計画で決められたもの)を伝え、ほぼ実現可能であると回答を得た。
主要諸元は以下の通り。
排水量 四〇〇〇トン程度
武装 五・五インチ単装砲四門、三インチ単装砲四門、魚雷発射管四門
速力 二十ノット
速力に関しては船体を縦に伸ばし、無理のない範囲で可能な限り機関を搭載した結果である。速度のために砲力を犠牲にした。こんな速度要らないだろうと言われたが、敵より高速で航行して常に優位なポジションを取り続ける必要があるとして譲らなかった。
その後、イギリス海軍やサミューダ・ブラザーズにもこの話を呑ませ建造が決定。イギリスで一隻、倉屋で一隻が建造される。艦級は巡洋艦で艦名はそれぞれ宇治、龍田と命名された。
これは国防方針の策定と同時に「海軍艦艇の分類基準」および「海軍艦艇の命名基準」を制定しており、それに沿ったものとなっている。既に明治七年の時点で川村が山川や国名および人名からつけるという大まかな命名規則を作っていたが、この際だからと艦種を整理するとともに何にどんな名前をつけるのかを明文化した。
内容は史実とさほど変わらず。戦艦には旧国名、巡洋艦には山と川から(なお五〇〇〇トンを目安に大型艦には山、小型艦には川をつけるとした)、駆逐艦には天象、気象、海洋、季節に関係のある名、フリーゲートには植物名、海防艦には島嶼名、水雷艇には鳥類の名前といった具合だ(いずれも便宜的に番号を付すこともできる)。なお人名が天皇の意向で採用されなかったのも史実通り。
今回の会談は実りのあるものだった。そしてリード夫妻とジョニーが離日する日。私と川村は婦人同伴で見送りに来た。
「お気をつけて」
「ありがとう。日本での生活は楽しかったよ」
「また来たいですわ」
おもてなしの甲斐あって、夫妻は日本を気に入ってくれたようだ。入念に準備したのでそう言ってもらえると嬉しい。
「お待ちしております」
おもてなしを主に引き受けたのは倉屋であり、その主人である海が代表して応える。出発までのわずかな時間、五人が談笑するのをチャンスとばかりに私とジョニーはヒソヒソと話していた。
「リード技師が言っていたように快適に過ごせた。今度はアリーがイギリスに来てくれ。今度は賓客としてもてなそう」
「期待しておくよ」
近いうちの訪英を約束する。イギリスには平炉や鉄道技術など得たい技術が多い。乗り込んでこれらを獲得してやる――と、胸の内で闘志を燃やす。恐らく同じことを考えている海が遠目からこちらを見ており、二人でアイコンタクトを交わし頷きあった。
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