明治十一年帝国国防方針
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大久保利通の暗殺を食い止めることに成功した。襲撃を受けたからといって前といささかの変わりもなく、大久保主導の政治運営が行われている。
西南戦争によって起きたインフレ。大久保が推進していた殖産興業は積極政策的なものだった。必要な予算を外債で調達しており、元よりギリギリの予算編成だったが、それが戦争に伴う臨時支出で崩壊してしまった。その結果がインフレである。
このインフレがどのようなものだったかといえば、史実において五年の間に貨幣価値がおよそ四割落ち、米価はおよそ二倍、その他の品目も二割ほど上昇するものであった。貿易収支も黒字だったものが戦争を経て赤字に転落してしまう。
経済指標の悪化にさすがの大久保も政策を修正せざるを得なくなる。閣議で大蔵卿の大隈重信に対して対応策を検討させていた。当面は財政支出を抑えつつ、可能な範囲で殖産興業政策を続けるという方針で政府は動いている。
「――という次第で、やはり当面は予算は増えなさそうだ」
軍務省において部下たちを集めた会議を開き政府方針を説明する。軍への風当たりは強い。戦争で金を湯水のように使ったのだから我慢しろというような感じだ。そう言われると返す言葉もない。
「しかし、支出の抑制はもう……」
目につくところは既に手を入れた。探せば無駄はまだあるだろうが、いちいち洗い出して削れる費用は微々たるもの。さすがにタイパ悪くない? というのだ。ごもっともである。
「いや、今日はそういう話をしたいわけではない」
今の政府支出云々の話はそういう話になってるから、残念だけどすぐに予算が増えることはないよというお知らせと牽制だ。そして本題へと繋ぐ前座でもある。
「話したいのは将来起こるであろう戦争についてだ」
「どういうことでしょう?」
「我が国もいずれ他国と戦争になるだろう。そう感じている者もいるのではないか?」
見回すと何人かが頷いていた。日本は近代国家のなかでは生まれたての赤ちゃん。周辺国との領域も確定していないところがある。北は千島・樺太交換条約が明治八年(1875年)に結ばれて一応は確定した。とはいえ弱肉強食の世界ゆえ安心はできない。
だが、目下の焦点は南だ。沖縄は琉球処分によって一応、日本へと併合された。これで江戸時代に日本が影響力を持っていた地域はほぼ回収したことになる。
さらに台湾や朝鮮へも進出しようとしていた。この時代、植民地はいわば国家のアクセサリー。一等国のステータスである。言い方を選ばなければ、友達がおもちゃを自慢していて僕も欲しい! と駄々をこねているわけだ。
しかし、この植民地獲得に希望は単におもちゃ欲しいとおねだりしているというわけでもない。その裏には猛烈な危機意識があった。朝鮮半島をどこかの国が押さえた場合、仮にその国と戦争になったとすると戦場は九州――本土になる。九州には三池炭鉱や筑豊炭田など産業時代には必要不可欠なエネルギー源である石炭資源があった。西回り航路における安全も期し難い。国防の観点から朝鮮半島の確保は必須である。
その意図は強引に開国させたことからも明らかであり、琉球の件も含めて清は日本に対する警戒感を高めていた。八十年代に入ると対立は本格化し、甲申事変など朝鮮を舞台に日清間で闘争があり、軍拡競争も起こるのだがそれはまだまだ先の話。
ともあれ、清の他にも北にはロシアがあり、中国に利権を持つ列強が進出してこないとも限らない。少しの隙が命取りになる弱肉強食の時代だ。独立を守り生き残るためには強くあらねばならない。
「軍備が整っているとはとても言い難いが、あれもこれもとなれば際限がない。そもそも限られた予算では出来ることにも限りがある」
「閣下はどうなさるおつもりで?」
「国防の方針を示した計画を立て、政府の了解の下でこれを進めようと思っている」
明治四十年に策定された帝国国防方針を先取りしたような計画を立てようというのである。どの国が敵で、対抗するにはどれくらいの兵力が必要となるのか。どのような用兵を行い、如何なる作戦をとるのか。その他の様々な要因も含めて検討した計画を立て、政府と軍が協調して実現を図る。
国防方針の計画とは何ぞやということを説明すると、幕僚たちからなるほどと納得の声が上がった。だが、こんな批判も。
「政府を介す必要はないのでは? 特に作戦を見せるのは危険ではないでしょうか」
その人の口が軽ければ漏れる可能性がある。懸念はもっともであり、またも幕僚たちから確かに……と同意する声が上がった。しかし、その反論は織り込み済みである。
「いや、むしろ政府を噛ませるからこそ意味があるのだ」
「? どういうことでしょう?」
「計画は政府と軍の約束手形だ。軍がこれこれの計画のため、それそれの軍備が必要となるから予算を出してくれと言う。政府は当然、修正してくるだろうから議論して最終的な計画が出来上がる。政府の意見も容れた以上、我々はこれを盾にして予算措置を迫ることができるのだ」
政府がやっぱできません、と言えば話が違うだろふざけんな、と軍は責任追及できる(もちろん経済状況などを見つつ妥協は必要になることもあるだろうが)。史実ではそうしなかったばっかりに、二個師団増設問題が拗れた。結局のところ、いくら統帥権だなんだと軍が独立して動こうとしても、国家の仕組みとしてその枠内に囚われてしまうことは避けられない。ならばその中で賢く活動すべきだと私は考えていた。
反論してきた幕僚も、これを聞いて納得したのか引き下がる。他にも二、三の反論があったがそれ以上のメリットがあると言えば了承した。
「計画は私が責任を持って政府に実現を交渉しよう。だから諸君らは渾身の計画を持ち込んでほしい」
「「「はっ!」」」
そんな発破をかけて会議は終わる。その後、仮称「帝国国防方針」の検討会が立ち上げられた。流れとしては陸軍部、海軍部が部内の検討会(会長はそれぞれの部長)にて計画案を作成。それらを私が会長となった省部会にて検討し、最終成案にまとめる。省部会の部員は私を除くと陸海軍の部会の代表者だ。
これらの作業は半年ほどかけて行われ、十月に最終案がまとまった。
まず陸軍。
鎮台は十年後を目処に廃止し、代わりに師団を設置する。これに合わせて師団を統括する四個の方面軍が編成される予定だ。すなわち北海道・東北方面軍(第二、第七師団)、関東方面軍(近衛、第一師団)、中部・関西方面軍(第三、第四師団)、中四国・九州方面軍(第五、第六師団)である。師団長は中将、方面軍司令官は中将ないし大将が補職されることになっていた。
装備に関しても(原料はともかくとして)国産に努めようということになる。北清事変で列強から「馬の形をした猛獣」と言われた馬の改良は必須だ。戦闘に使われる騎馬の他に、兵器や物資の運搬に使われる輓馬や駄馬も不可欠。
「馬なんてどれも変わりませんよ」
なんてことを言っていたが、大山や桂といった留学経験者とともに違いを説明する。明治二年に招魂社に競馬場が設けられており、そこで例大祭にあわせて競馬が行われていた。これは海外馬の見本市みたいな側面もあり、軍が輸入した馬を実際に走らせて払い下げる。なので海外に行かなくても見ることはできた。
江戸時代を経て大規模な騎兵隊など誰も知らないわけだが、そういう場で馬を見るだけでも違いはわかった。馬体が走ることに特化した機能美を持っている。南部馬などよりもスマートで、それでいて筋肉質。維新を経て軍に奉職している人間の多くは徒士であり、馬なんて乗ったことがない。そんなど素人だからこそ視覚的な訴えは効いた。なるほど馬匹改良は必須だと理解を得る。
善は急げと軍務省の外局として馬政局を立ち上げた。海外からアラブ馬やサラブレッド、ペルシュロンを導入。海外の馬政を研究した上で去勢などの処置も普及させていく。ただし、これで在来馬が絶滅されては困るので、軍馬の育成施設だけでなく在来馬の保護施設も併設する。馬籍の作成、登録を義務づける法律を作ることも決めた。
兵器開発の面では、絶賛開発中の小銃に加えて野砲についても開発を検討することになった。もっともゼロから開発することなどできないので、人を遣ってこれならいけそうという兵器を見繕ってこなければならない。技術移転というやつだ。
これとセットみたいなところはあるが、材料となる鉄鋼の生産計画を練っている。俊輔がトップを務める工部省とともに、釜石の鉄鉱石を利用した製鉄所を同地に造ることになっていた。これには当初、先方はあまり乗り気ではなかった。
「こんな時になって言われても……」
話を持っていくと俊輔は苦い顔をした。工部省にはこの製鉄所について既に計画があり、私たちが後乗りする形になったから内部の官僚が反発。トップである俊輔も反対と言わざるを得なくなったのだ。
「まあ聞いてくれ」
悪い話ではないから、と俊輔に軍の計画をプレゼンする。計画を端的にいえば、金を出すから後で人と技術を寄越せというものだ。いわば投資である。すべてが軍用というわけではないが、鉄鋼は軍備に必要不可欠。反対派は例によっていたが、生産量を増やす余地を残しておくことは必要だと力説して納得させた。
俊輔との交渉でも同じような論法で説得する。史実では官営での製鉄所運営は失敗するのだがそうはさせない。そのための鍵がジョニーに依頼した訪英技術視察団である。造船をはじめ兵器生産など諸々の近代産業を視察することになっていた。
国防方針で軍備整備計画を打ち出したはいいものの、日本の産業の現在地を把握しないことには国産化の見込みも立たない。そこで人を派遣して実際の現場を見学させ、目標までのロードマップを作ることにした。派遣先は列強といわれる諸国家だが、なかでも私の伝手というかジョニーの尽力でイギリスは見学先のなかでも特に内容が充実している。そのため、派遣される視察団も国別のなかで最大規模だ。
そして鉄鋼業とほぼダイレクトに直結している造船業。この造船業が支える海軍についてもようやく手を入れることになった。その検討を進めている最中に、とある人物が訪日してきたのである。
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