大阪会議
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台湾出兵は一応、日本の勝利ということで幕を下ろした。明治政府はこれを盛んに喧伝している。それに乗せられて人々は溜飲を下げている状態だ。だが、軍務省は違った。ひと仕事終えた後のような疲れた顔をしている。
「交渉が決着したか」
よかったよかった、と私。疲れているが満足もしている。
「無駄になってしまいましたが……」
部下は不満そうだが、それは違うと諭す。
「それでいいんだ。今、間違っても清と開戦するわけにはいかない」
このところ忙しかった理由は騒ぎの原因である台湾出兵にある。これで日清関係は緊張し、ひょっとすると戦争になるんじゃないかという空気になっていた。明治政府は大慌て。緊急で予算が組まれ、鎮台の編制を早急に完了させよとの指令が出た。おかげで陸軍部は猫の手も借りたい忙しさだった。
急に兵士を増やせと言われても限度があるため、困ったときの士族兵である。まあ、建前として徴兵の延長線上にあるということにはしてあるが。ともあれ、これで三年計画で充足させる予定であった鎮台兵の充足が概ね完了した。……揃ったのは兵士だけで装備は不足しているのは秘密である(旧藩の装備をとりあえず与えている)。
台湾出兵が取り沙汰されていたものの、軍務卿として私は反対。他にも細々とした要因があって延期となっていたが、信吾が独断で出兵したおかげで要らない苦労をする羽目になった。個人として思うところはあるものの、世間的には台湾出兵を成功させたということになっている。東京では凱旋将軍を迎えようと歓迎の準備がされていた。
「……遅いな?」
ところが、信吾はなかなか帰ってこない。交渉が決着したことは知らされており、多数の病人を出していたことからすぐさま台湾を引き上げた。なのに二週間ほど経っても帰ってこない。おかしいと思って問い合わせたところ、彼は長崎へ戻るとすぐ薩摩に向かったという。
何をしに行ったのか不明だが、東京は凱旋将軍の到着を今か今かと待っている。後で休暇をやるから戻ってこい、と催促してようやく東京に戻ってきた。天皇以下、政府高官が勢揃いし群衆が喝采を浴びせる。そのなかを歩く将兵は誇らしそうではあるが、疲れたという雰囲気も感じられた。精一杯の式典であるが、どこか虚しさもある。
それはともかくとして、台湾出兵の成功は不安定な国内情勢を多少なりとも安定させることとなった。とはいえ、内政が行き詰まっているのは否定しようがない。特権の剥奪により困窮した士族、大久保の専制政治への批判、自由民権運動の高まりなど政治的な阻害要因が多すぎた。これを突破せしめるため、明治政府を主導する大久保は要因の二を解消しようとする。
「山縣さんは木戸さんと旧知の仲。仲介してもらえませんか?」
閣議後、大久保からそんなことを持ちかけられる。先に下野していた井上馨が現状を憂慮し、俊輔(伊藤博文)とともに大久保、木戸、板垣という有力者を政府に再結集させようとしていた。その話を持ちかけられた大久保は同じ長州藩で自分に近い私を仲介人に選んだという。
「わかりました」
井上はともかくとして、俊輔は水くさいじゃないか、なんて揶揄いつつ会見の場をセッティングする。これには大阪で活動していた政商・五代友厚の強力なバックアップもあった。彼の邸宅が会見準備の事務所として提供され、会談にも深く関与してその進行に欠かせない役割を果たしている。
大阪会議は五代邸による交渉、料亭での確認という流れで進む。交渉はまず、木戸と板垣との間で持たれた。ここに私は参加していない。仲介はしたが、あくまでも大久保と木戸の間であって板垣は管轄外だったからだ。
木戸と板垣は政治的な方向性が似通っていた。ともに議会の必要性を感じ、実際に行動しているのだ。木戸は集議所(明治元年)、公議所(明治二年)といった議会的なものを早くから設置していたが、議会の「ぎ」の字も知らない人間をいくら集めようと無駄である。
一方の板垣は明治六年政変で下野するや『民撰議院設立建白書』を出し、同志とともに自由民権運動を展開するなど議会設置に向けて動いていた。
「議会の設置は必要不可欠と思うが、木戸殿は如何?」
「然り。議会を設け、機能させてこそ近代国家と考える」
元より議会の設置を志す両者。建前の上で合意するのは難しくなかった。
続いて大久保と木戸の会談が行われる。これには私も同席することになっていた。それを前にして私は大久保と碁を打つ。囲碁は遊びだが、それをするなかで本音を語るのである。
パチ、パチ……と互いに一手ずつ指していく。そのとき、不意に大久保が口を開いた。
「山縣さん。板垣さんについてだが……」
仲介した俊輔と井上は木戸だけでなく板垣も政府に復帰させようとしていた。だからこそここに呼ばれているわけだが、大久保の構想に板垣は入っていない。
「近代化もまだまだ途上だ。世人は御一新で旧弊改まるなどと言うが、実際に西洋を見た身からするとまだまだだからな」
「そうですね」
色々と改革は進めており、一般の人々にとってはまさしく大改革だ。もういいいだろうという気持ちは元小市民としてわからなくもないが、見習うべき西洋との差はその程度では埋まらない。ようやくスタートラインに立ったというくらいか。
「同意見で安心したよ」
大久保は笑って盤の横に置いてあったお茶をひと口。喉を潤したところで険しい顔になり懸念を述べる。
「詰まるところ、彼らの言う近代化は虚飾に満ちている。言うまでもなく、中身が伴わなければ列強に対抗することはできん」
それを理解せず、徒に西洋の真似をして議会政治をやろうとする板垣は受け付けないそうだ。気持ちはとてもよくわかる。
大久保の狙いはあくまでも、自分に権力が集中して政治を壟断しているとの批判を和らげること。そのために自分と並ぶ藩閥のトップである木戸を政府に復帰させようとしているのである。板垣は――こう言っては何だが――最初から眼中になかった。それがしゃしゃり出てきてギャーギャー世迷言を吐くので冷めた目で見ていたのだ。
「お気持ちはわかりますが……行き掛かり上、それは難しいでしょう」
実は、ということで事前に木戸から聞いていた話を伝える。曰く、木戸は政府への復帰に前向きであるが、大きな懸念を抱いていた。それは、今の政府に自分の発言力がどれだけ残っているのか、ということだ。木戸がトップでいられたのは維新期の実績と名望があったから。その後も何かと藩閥で対立するなか、取りまとめ役として振る舞いボスであり続けた。
だが、台湾出兵に反発して政府を離れると私や俊輔は木戸を介さずに政治をするようになった。必要なピースではなくなったことを悟り、不安なのだ。いくら英傑といっても人の子であるということだろう。
そこで木戸は政府への復帰にあたり、板垣を巻き込むことにした。彼を仲間にすれば自分の方が大久保より数が多くなる。不安だから群れようというのが木戸の考えである以上、板垣を政府に入れざるを得ない。彼らはセットなのだ。
「なるほど……」
それを聞いた大久保は黙って考え始める。会談の時間になるまでそのまま過ごし、私も釣られて黙っていた。
ちなみに対局には負けた。この人強い。
大久保と木戸の会談は、先に行われた木戸と板垣の会談のように簡単にはいかなかった。板垣の主張を容れて議会設置を求める木戸と、単に政府への復帰を求める大久保とですれ違いを見せる。
「憲法を制定し、議会を設けてこそ真の近代国家となれるのだ」
「それは理解しますが、かつての失敗を忘れたわけではないでしょう?」
大久保の言う「かつての失敗」とは集議所や公議所のことだろう。木戸の意向によって設けられたが、結局は不平士族があーだこーだ文句を垂れる場所でしかなかった。あのイメージが強く、日本に議会は早すぎるというのが多くの政府首脳の見解だ。
「今はまだ我々が主導して近代化を推し進める時だ」
「それが今の不満を作っているのではないのか?」
今度は大久保が二の句を継げなくなる。必要に迫られたこととはいえ、改革が士族を追い詰めていったのも確かだ。秩禄処分では下級士族ほど有利になるような制度設計にして配慮したが、財産が少ない下級士族にはさほど効果がなかった。政策の意図はともかく、結果として人々には大名や上位の公家しか見ていない施策に映ってしまう。
庶民に対しても徴兵令による軍事的な貢献を求められ、さらには地租改正も断行された。しかしこれは収穫の増減による負担を為政者から農民に転化するもので、また負担も増したことから激しい反発を受けている。特に入会地はその多くが国に没収されてしまい、反発から地租改正反対一揆も起きていた。
こんな感じで話はまとまらず、時間も経っていたことからしばし休憩がとられる。その間に仲介人たちがそれぞれのところへ行って説得にかかった。私は無論、大久保の担当である。
「なかなか話がまとまらんなぁ」
「板垣さんに上手くやられましたね」
我々が呼んでおいてこれを言うのは違うかもしれないが、大久保と木戸の会談を邪魔しているのが板垣の存在だ。彼が木戸を丸め込んで立憲制と議会制を政府への復帰条件にしたことで、漸進派の大久保が受けにくくなっている。
「危険ではありますが、あちらの意見を多少は容れないと収まりはつかないでしょう」
「はぁ……」
大久保は深い深いため息を吐く。そしてたっぷり沈黙した後に、
「山縣さんならどうする?」
と訊いてきた。
「そうですねぇ……私なら時間的な猶予を求めます」
急にはできないからと理屈をつけ、年単位の猶予を設ける。その間にやれるだけのことを一気にやってしまい、こちらの体制が固まった頃に立憲制へと移行するのだ。
「しかしそれは――」
「確実に大きな反発はあります」
漸進派の大久保からすると期限を定めて急進的に事を進めるのは違和感があるのだろう。だが、やらずに立憲制や議会制が始まってしまえばこちらのコントロールが効きにくくなる。それで明後日の方向に向かうよりは、多少の痛みを伴っても今やれる最善を尽くすべきだ。
「一理ある。だが、それを相手は受けるだろうか?」
「木戸さんなら受けてくれますよ」
大久保が指摘した通り、木戸は議会制っぽいものを実際に作って失敗している。その経験があるからこそ、世人を啓蒙するとか何とか上手い具合に説得すれば応じてくれるはずだ。となると今度は大久保-木戸のラインで板垣を縛ることが可能になる。
「なるほど。逆手にとるわけか」
「ついでに板垣さんをこちらに取り込めば、民権運動にも動揺が生じるでしょう」
実は板垣、この会談に参加しておきながら他方では愛国社設立運動を行なっていた。二股をかけていたのである。板垣を取り込むことは民権運動を挫きつつ、政府の体制を強化する一石二鳥の策だと勧めた。
「面白い。それでいってみよう」
この提案はこちらが拍子抜けするほどあっさりと受け入れられた。もう少し悩めよと思うのだが、わずかな間に脳内で算盤を弾いたんだなと思うとやっぱり英傑はスペックが違うと思わされる。
休憩が明けた会談では宣言通り、大久保からこの提案がなされた。木戸は当初、反故にされるのではないかと疑っていたが、ならばと大久保は天皇に詔勅を出してもらうと言う。後でいうところの漸次立憲政体樹立の詔である。
これを聞いたときにさすがだ、と思った。献策したとき、渋られると思い説得する材料として詔勅を出してもらうという案を残していた。だが、あっさり受け入れられたために言えずにいたのである。それを自分の頭で考えたのだから流石だ(まあ史実では本人が考えたのだから当たり前といえばそうなのだが)。
「それならば」
木戸は天皇が公に立憲制への移行を宣言することの重大性をよくわかっている。だからこそ自分の勝ちだと思い、大久保の提案を受けた。……ここからが本当の勝負であることに気づかずに。
本来の木戸ならば気づけたのだろうが、在野の彼は政府へ復帰するために焦燥感に駆られており、冷静さを欠いていた。それが敗因である。
なぜここからが勝負なのか。それは私の献策に起因する。大久保に話を持ちかけたとき、私は説明で言った。期限を設け、その間に出来るだけのことをやる、と。そこで力を発揮するのが詔勅だ。立憲政体への移行準備として行う改革を、詔勅を盾に押し切ろうというのである。私はここに大久保の覚悟を見た。
これでようやく大久保と木戸の話がまとまる。会談は成功に終わった。木戸とある意味でセットになった板垣も参加して二月に料亭で宴会を行い参加を以て合意を確認。三月に人事が承認され、木戸と板垣は参議として政府に復帰した。四月には大久保たちが相談した上で約束通りに漸次立憲政体樹立の詔が出され、立憲制への移行を睨みながら政治が進んでいくことになる。
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