倉屋騒動
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兵部卿の山縣は省の金を私的利用している。
そんな告発が行われた。何でも会計を担当する種田政明(少将)が造船補助金の支出先である倉屋が妻の実家であることを問題視。資金提供が抵当なく行われたのは私的利用だとして即時返還に加え、私の公職辞任を求めてきた。予定調和のようにこの動きは薩摩系の軍人に広がる。
「はあ?」
私が言うのも何だが、この時代の人間は気骨がある。裏であれこれ陰口を叩くのではなく、その人の前に来て堂々と辞めろと言うのだ。その気概は褒めよう。気概だけは。
「その件に関しては説明しただろう?」
倉屋が作ろうとしているのは西洋諸国が作るような蒸気船で、施設の整備や技師の招聘などに金がかかる。そういったものは本来、国がやるべき仕事だが兵部省は鎮台の設置に徴兵制の施行などやることが多いが予算の制約もあり手が回らない。それを民間がやると言うのだから助けるべきで、会議で説明し理解を得たはずだ。今更ちゃぶ台返しをするとはどういう了見だ、と喧嘩腰である。
「まさか抵当もなく貸し付けるとは思っていませんでした」
「貸し付けではない。補助だ」
そこを間違えるな。我々は金貸しをやっているのではない。そう釘を刺したが政治で頭がいっぱいな彼らには理解できなかったようだ。
「とにかく、いくらもっともらしい理由を並べ立てようと卿がしているのは公金の私的利用に他なりません。即刻、返還した上で責任をとられるべきです」
それから小一時間ほど補助金を支給した真意について話して聞かせたが、彼らの意見はまったく変わらない。彼らはこちらの言い分を聞く気もないのだろう。あれこれ言っているが、落ち着く先は辞めろということだった。
「……」
なんだろう。急に馬鹿らしくなった。この時代では藩閥が大事な要素だからと、バランスに注意を払って人事をやってきた。例えば鎮台司令官。本当は腕を見込んで取り立てた立見鑑三郎のような有能な人材を据えたいところだったが、薩摩閥ということで桐野利秋にした。
兵部省のトップだからと省内のことを専断することなく、次官の信吾であったり薩摩閥のボスである西郷や大久保に話をつけている。今回の補助金支給はトップと話はつけていないものの、会議に諮り認められたものだ。そこには文句を言いに来た種田はもちろんいた。文句は出なかった。にもかかわらずよく糾弾できたものだ。
補助金が自分の、というか海の利益につながると思っていないわけではない。だが、それ以上に造船は周りを海に囲まれた日本において死活的に重要な産業だ。一刻も早く育成したい。国のためと思ってやったことが藩閥の利益によって邪魔をされる。あまつさへそれを私的利用だ、地位を退けとまで言われるなど心外だ。
「わかった」
もう萎えた。私は机の上にあった紙と筆を手に取りその場で辞表を認める。
「これを陛下に提出する」
くるりと一八〇度回して文面を見せた。そこには兵部卿と近衛都督、陸軍中将を辞めます、と書いてあった。それを見た薩摩閥の軍人たちは実にいい笑顔で頷く。
高杉さんには申し訳ないが、話も聞かず一方的にこちらを糾弾してくる相手と一緒にやっていける自信がない。しばらく大人しくして自由民権運動が起きれば政治家として身を立てる、なんてことも考える。うん。考えてみれば今のやり方だけが国を動かす方法ではない。やり方を変えるのもいいだろう。そう思うと気が楽になった。しばらくは海の仕事を手伝うのも悪くはない。
辞表を提出してから自宅に引き籠もっていたところ、司法省から捜査員が派遣されてきた。何でも私がいなくなり、また次官の信吾もいない(天皇の西国巡幸に随行している)隙を見計らい、倉屋にガサ入れしようとしていたらしい。司法卿の江藤新平は裁判権の掌握を目指していたためこれを快く思わず、先に捜査に入って兵部省の動きを掣肘しようとしたようだ。
「何も疾しいことなんてないわ」
私も海も潔白である。好きに捜査させたが、支給された公金はジョニーと連絡をとっている段階であることもありそっくりそのまま残っていた。その金は押収されることとなった。後になって兵部省の人間(ほとんど薩摩出身)が捜査に来たが、司法省に締め出されたそうだ。ざまあ見ろ。
……
…………
………………
辞任が認められたとの連絡を受けるまで仕事を忘れて家にいたのだが、そこへ西郷兄弟がやってきた。
「お二人は陛下と西国へ行っていたのでは?」
「陛下のご命令で舞い戻ってきたんだよ」
西郷曰く、辞任は認められなかったという。辞表は巡幸中の天皇の許へ届けられたのだが、急な申し出に何があったのかと驚かれ、その場で供奉していた西郷兄弟に慰留させるよう命じて帰京させたという。
「一体何があってこんなことを?」
訊かれたので、あったことを正直に答える。そして、
「――というわけで、薩摩の皆様はこれを公金の私的利用だとされるので責任をとって一切の職を辞することにしました」
と締める。話を聞いた二人は天を仰いでいた。
「はぁ……。呆れたものだ」
「この件は公に省内の会議で決め、私も了解していたはずです」
西郷が率直な感想を述べ、信吾は不快感を示す。この件は種田たちの独断なのだろう。西郷たちが天皇の西国巡幸に供奉して不在なのをいいことに私を追い落とそうというのだ。背景が明らかになると益々イライラする。私はそれを隠すことなく言った。
「このようなことが罷り通れば省庁など最早不要となります」
決めたことを正規の手続きを経ずにあれこれ難癖つけてひっくり返すなんてことを許してはいけない。西洋諸国ではありえないことで、こんな体たらくでは近代化など夢のまた夢である。私は語気を強めて訴えた。これは近代化を志す明治維新への反逆に等しい、と。
「その会議にいたわけではないが、それほど重要なことなのか?」
「もちろん」
私は西郷の疑問に頷いた。
そもそも日本は島国である。日本列島は北海道、本州、四国、九州と大きな四つの島とその他の島々で構成されており、移動に船は欠かせない。もちろん中国やヨーロッパ、アメリカに行く場合もそうだ。
ところが、肝心の海運はほとんどが外国に担われている。明治政府も幕府や諸藩から取り上げた蒸気船を三井や鴻池といった豪商に与え対抗させたものの、まったく歯が立たない状況だった。成功しているといえるのは岩崎弥太郎の九十九商会くらいのものだ。それ以外はほとんど外国船が運行している。
船舶に並ぶ近代的交通機関である鉄道にしてもようやく新橋〜横浜間で開通する段階で、財源も外債に頼っていた。これでは全国津々浦々に通じるのは一体何年後になるのだろうか。数十年単位であろうが、それを悠長に待っている暇はない。
近代国家となるには単に欧米列強の制度を模倣するだけでは足りない、と私は考える。限界はあれど、可能な限り自立しなければならない。商船は言うに及ばず、ゆくゆくは軍艦も国内で作る。そこまで産業を育てなければならないが、財政に苦しんでいる国がそこに手をつけるのは何年先になるか……。ならば金のある民間にやらせればいい。政府は多少補助を与え、それを後押しするのだ。
「旧態依然とした体制に安穏とする者ならばともかく、新時代の到来を悟り進んで行動しようとする者の足を引っ張ろうという姿勢は理解に苦しみます」
もしかすると政府が統制すべきという考えを持っているのかもしれない。だが、動かない者の尻を蹴飛ばすならともかく、動こうという者の邪魔をする必要はないだろう。そもそもとして政府があらゆる物事を統制しようというのは傲慢以外の何物でもない。
「それは道理だが山縣さん。なぜ倉屋なのだ?」
申し出たのが倉屋だけだったから――という答えは不正解だ。倉屋が海の実家で、私がトップである兵部省から取引や造船所の払い下げなどの支援を受けている。私が唆したということは看破されているだろう。この問いの真意はなぜ倉屋に任せるのかということだ。
「信頼できるからですよ」
もし指摘されたように公金を私的利用――己の懐を満たすために支出――していたなら辞職するどころか腹を切る案件だ。そんな案件を信頼できない相手には任せられない。だが、倉屋ならば信頼できるし言っちゃなんだが海も近くで監視できる。
そこまで言ったところで、西郷がわかったわかったとそれ以上の言葉を止めてきた。
「山縣さんの考えはわかった。……信吾。今回の件は山縣さんに手落ちはないように思う」
「自分もそう思います」
西郷兄弟は意見を一致させる。
「この件についてはこちらで収めるから、山縣さんも収めてくれないか?」
「はぁ。まあ、お二人の体面もありますからそうします。もちろん、それなりの処分はしますが」
「それで構わない」
言質はとった。ならば即行動あるのみ。私は二人を伴って兵部省に乗り込む。種田たちは驚いていたが、そんな彼らを西郷が一喝した。反論しようとするも、西郷はもの凄い剣幕で黙らせる。
しこたま怒られて大人しくなったところで、兵部省のトップとして無駄な騒ぎを起こした責任を問い種田らを更迭する処分を告げた。具体的には種田を会計から解任、桐野も熊本鎮台司令官の職を解く。その他、騒ぎに関与した者を軒並み非職とした。陸海軍に分かれていないために処分は海軍にも及び、さすがに拙いと思い中堅以下には減給程度にする。さもなくば人がいなくなるところだった。
司法省に押収されていた金も騒動に決着がついたため返還される。もちろん倉屋にお咎めはなし。完全勝利であったが、ここにきてさらに嬉しい報告が。ジョニーから見習い工を卒業した技師二人を確保したとの知らせが入った。しかもハーランド・アンド・ウルフ、テムズ鉄工造船所と商船どころか軍艦の建造実績もある企業出身だという。三年契約で相場より高い給料を提示したら訪日を決断してくれたそうだ。
「たくさん船を造って儲けるわよ」
「造るだけが仕事ではないがな」
造った船を運行するのも仕事のうちである。なにせ造船業は景気の波が激しい。六十年代の不況でかのイギリスにおいても造船所の破綻が相次いだ。船舶の建造と運用によって経営を安定化させることで、多少の不況では倒れないようにする。
当面は国内だけだが、経営が軌道に乗れば海外航路への進出も果たしたい。船員は倉屋の人間がいるものの、蒸気船を扱うノウハウがないので基幹要員は外国人を雇うことになる。これはジョニーに頼らなくても、横浜などで紹介を頼めばいい。仕事もこれから内乱が始まるから困らないだろう。未来は明るい。
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