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部内不和

 






 ――――――




 明治四年(1871年)十一月十二日、岩倉具視を正使とする使節団が派遣された。有名な岩倉使節団である。目的の第一は友好親善。各国の元首に謁見して国書を渡すことになっている。折角、海外へ行くのだから西洋諸国の姿を直に見るという狙いもあった。


 最後に条約改正の予備交渉。江戸幕府が結んだ修好条約の改正時期に来ており、不平等な条項を是正するため交渉を申し入れる。政府内では近代化に向けて改革してきたことから上手くいくのではという楽観論も聞かれるが甘い。歴史を知っているからではなく、実際に西洋を見たからわかる。日本はまだまだだ。江戸時代からすれば大変革だが、それでも道半ばである。


 使節団には私の知り合いも何人か同行することになっていた。木戸や大久保、俊輔(伊藤博文)などだ。私も行かないかと誘われたが、家族もいるしやらなければならないことも多いので日本に残ることにした。


「そうか……」


「では留守を頼みます」


 俊輔は残念そうに、木戸は留守をよろしくと言われた。大久保とも餞別として一局打って別れる。まあ、よろしくと言われたところでお目付役にはなれない。私はしがない兵部大輔。兵部省は日陰官庁であり、政府を動かすような影響力はなかった。


 政府首脳の半数が離日するということで、内政は慎重に進めると申し合わせている。使節団は欧米を歴訪することになっており、出国すると一年はまず帰ってこない。現代なら外遊も長くて一週間だが、移動手段が船しかないため移動は数ヶ月がかりとなる。メールもないから意思疎通にとにかく時間がかかるため、事前に申し合わせておく。


 各省の大輔以上が合意したこととして、廃藩置県に関する事項を除いては使節団が帰国するまで原則として現状維持というものがあった。勝手なことはするなというわけだ。例外とされた廃藩置県に伴う諸々の事項についても、大久保らは事前に説明を求めている。待ったなしなのでやらせるが、何をするのかある程度は把握しておきたいということだろう。


「――という風にしたいと思います」


「なるほど。わかりました」


 大蔵卿の大久保に鎮台の設置や徴兵についてのスケジュールを説明する。納得してもらいゴーサインも出た。それでは失礼しますと言ったのだが、彼から待ったがかかる。


「そういえば、兵部省は六月に宮様が退任されてから卿が不在でしたね」


「はい。私が最上位者として省務を執っています」


 六月末に行われた太政官の改革で卿や大輔らは一度、辞任している。ほとんどは後に再任されたが、有栖川宮熾仁親王は違った。松方正義が福岡藩の太政官札贋造を告発。知藩事が責任を問われて辞任したことでその後任として派遣されたのだ。廃藩置県後も県令をしている。


 そんなわけで、今の兵部省は長である卿が不在。私が次席として動かしていた。もっとも転任前からもそうだったので実態は何も変わっていないのだが。


「これから兵部省は廃藩置県に伴って様々な改革の中心を担うことになります。その長が不在というのは体面がよろしくない」


「それは確かに」


 何を今更? と思ったが言わないでおく。


「後任は西郷殿ですか?」


「いえ、貴方ですよ」


「私ですか? 力不足かと思いますが……」


 しかし、大久保は私だと言った。西郷は確かに優れているが、政治への興味を失っている。参議として影響力を行使させた方がいい、と大久保。徹底して反対すべきところだったが、あまりに説得的だったので思わず同意してしまう。これが拙かった。


「ではそういうことで」


 大久保の政治力により私は兵部卿に祭り上げられてしまう。この人事には大久保と政治的に対立する木戸も反対はせずあっさりと実現した。


 せめてもの願いとして、空いた大輔職には気心知れた西郷従道をつけてもらった。官制改革で兵部省は陸海軍部に分かれ、薩摩の川村純義が海軍整備を担当している。同じ薩摩閥の西郷兄弟のバックアップがなければ省内の統制が緩みかねない。ゆえにこの人事は絶対だった。


 かくて、最後に大きなサプライズを残して大久保らは船上の人となる。残された私たちで廃藩置県に伴う諸々の改革を進めていくことになった。


 国内政治を任されたのは居残りとなった太政大臣・三条実美である。しかし、実務はその下にいる参議以下が担っているのが実情であった。特に三条の信任を得た参議・大隈重信と大久保という要石が外れた井上馨が躍動する。


 井上の振る舞いは「今清盛」などと呼ばれた。権力の源泉は大蔵省の所管にある。このときの大蔵省は民部省を吸収したことで地方行政をも担っており、国の中央から地方に跨る巨大官庁となっていた。


 そんな大蔵省は守備範囲の広さから各省と衝突しがちであった。文部省は学制に必要だと予算を要求し、地方裁判所の設置と司法権の独立を目指す司法省とは利害関係でも対立した。そのくせ、井上はボスである大隈が手筈を整えた東京、横浜間の鉄道敷設には予算を出したので政府内から反感を買っていた。


 政府財政が乏しいのはわかっているし、鉄道敷設も必要である。井上とは同郷であるからというわけではなく、あくまで現実にとり得る方策としてその振る舞いを容認していた。まあ、責めるならば外国人に詐欺られかけた挙句、鉄道の軌間を狭軌にしたことか。交渉担当は大隈なので井上を責めるのはお門違いであるが。


 かく言いながら私も兵部省として鎮台設置に必要な予算は請求した。その席で、


「はぁ。わかりました。鎮台設置の予算は認めます。ただし、これを実現してもらいたい」


 と言って渡されたのは「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」という文書。内容を簡潔に言えば城の扱いを決めろというものだ。


 現在、兵部省は全国の城郭を管理している。城に意味があるんですか? と言われたら返す言葉もないが一応は軍事施設。軍事を所管する兵部省の預かりとなるのはおかし話ではなかった。だが、維持管理もタダではない。それなりに金がかかるため、大蔵省としては要らないものは売り払って金に換えたいようだ。まあ、数百ある城を見ればそう考えるのも無理はない。


 兵部省では全国に鎮台や部隊を置くにあたって城郭の利用が考えられていた。大蔵省もそれは知っている。その上で必要ないものは売るから大蔵省に引き渡せ、と。


「部内で検討する」


「検討使」とあだ名された某総理大臣みたいなことを言いながらその場を後にした。後日、省内の会議で各地にある城や陣屋の処分について諮る。もっとも部隊の設置費用を安く上げるために城や陣屋を利用するという案は既にあり、メインとなる検討課題はどこを残しどこを引き渡すのかという具体的な選定だった。


「基本的に全廃でいいのでは?」


 それが意見の大半を占めた。どこを残すのかについても鎮台設置の計画で決めてある。それ以外は要らない、と考えたようだ。ちなみに要る要らないというのは城を残す残さないの議論であるようでそうではない。陸軍が価値を見出しているのは城がある立地であり、城そのものには何の価値も見出してなかったりする。


 ああ、史実でもこんな感じだったんだろうな、と思うほどあっさりとしている。まあ、あまり否定できるものでもない。新しいものが受け入れられると、古いものは何もかもが悪みたいな錯覚に陥ってしまう。近代化の波に直面している彼らもまたそんな考えに陥っているのだ。


「待て。まず取り調べの上、城郭を保存するか否かを決めよう」


「え? それはもう済んでいますが……」


「評価基準は軍事的利便性のみならず、歴史的意義も含めてだ」


 明治政府が軍事的な利便性を重視して城郭の保存を考えずにぶっ壊して回った結果、太平洋戦争での戦災もあり現代に残る天守閣はわずかに十二となってしまった。何とも勿体ない。


「私は欧州に行ったことがあるが、かの地では数百年前の城が未だに残っている。人々はそれを見て、かつて騎士が戦った時代を偲んでいるそうだ。我らもそれに倣って城を武士の時代を想い起こすものにしようではないか」


「卿の仰る通りだ」


「すべては難しいかもしれんが、それゆえに城の特性を見極めて結論を出さねば」


 よくわからないがやる気になったのは結構なことだ。省内で再検討が行われ、部隊が衛戍えいじゅする都市の他に城の歴史を考慮して兵部省で管轄する城を最終決定した。それを井上に報告する。


「……かなり多いですね」


「文化的な価値も考慮した結果だ。それとこれを」


「? 意見書ですか」


 そう。城の処分方法についての意見だ。そこでは今回、兵部省が管轄しない城郭は基本的に旧大名家に売却するなど引取り手を探し、それでもダメなら解体するというプロセスが提案されている。また、城のみならず美術品などについても「文化財(仮称)」として保護すべきと提言していた。


「これはどちらかというと文部省の担当では?」


「予算がつかないと何もできないからな」


 それに話は文部省にも通している。所管することが増えるから大喜びで受けてくれた。


「はぁ」


 わかりました、と井上。深い深いため息を吐いていた。「今清盛」と呼ばれるほど絶大な権力を持ってはいるが、立場は大蔵大輔。大隈や三条の後援があるとはいえ、自身より上の卿からは省益の対立や立場が下なのに偉そうにという反感から激しい突き上げを食らっており気苦労が絶えない。まあ、私も省内では薩摩閥から突き上げられているし、どこも同じようなものだから頑張ってもらいたい。


 城の処分問題を片づけた私は兵部省の問題への対応にあたる。このところ定期的にとある話題で議論が二分される事態が起きていた。それは陸海軍の分離問題である。この件は陸軍部と海軍部を設けることで一時沈静化したが、また思い出したように騒ぎ始めた。


 陸海軍の仲が悪いというのは万国共通であるが、これには薩長の派閥争いという側面がある。陸軍は私が面倒を見ているが、海軍は川村純義が主に担当していた。薩摩閥としては兵部省を陸海軍に分ければ海軍の川村がトップとなり省を掌握できる。そして何らかの手段で私を追い落とせば次席の西郷従道が繰り上がるので陸軍も押さえることができるという計画だ。


「ですから、欧米列強に倣って陸海軍で省を分かつべきなのです!」


 と声高に叫ぶのは(一応)身内の陸軍少将・桐野利秋(薩摩出身)。熊本鎮台司令官であるが、上京して兵部省に顔を出したかと思えばこの話を蒸し返す。私に対する反対派、その急先鋒である。彼とは悉く意見が合わず、喧嘩しているイメージしかない。私の追い落としは西郷の力を背景に進めたいようだが、こちとら西郷に大久保と親しくしている。彼らに見捨てられても木戸がいるから桐野の企みは実現しないだろう。


「それはできない。官制については大きな変更をしない、と我々は確認している」


 一方の私は洋行組との約束を盾に原則論を展開して要求を突っぱねる。それにあと五十年もすれば飛行機も登場し、陸海空の共同作戦などが叫ばれるようになるのだ。分けてやる必要もない。とりあえずは約束、原則を盾に凌ぐ。


 だが、さすがに何度も何度も言われるのは腹立たしい。そこで彼らがボスと仰ぐ西郷の許を訪ね黙らせてほしいとお願いした。


「これから徴兵令を発布し、本格的に建軍にあたります。そんなときに部内の不和はよろしくありません」


「申し訳ない。だが、山縣さんも少し緩くしてもいいのでは?」


 西郷は私を支持すると言ってくれたが、同時に改革の手綱を緩めたらどうかとも提案された。それが保守派の考えなのだろう。だが、


「これ以上は無理です」


 そこだけははっきり言っておく。近代化にあたって急進論と漸進論があり前者は木戸、後者は大久保が代表格だ。私は急進論者だが、西郷や大久保とも縁があることから両者のパイプ役としての政治的地位を築いていた。ある時は木戸の政策を大久保らに説明して通し、あるときは大久保らの意向を元に修正する――そんなバランサー的な役割を担っている。


 今回も構図は同じ。西郷は徴兵令に反対で壮兵(武士の志願兵)を使うべきだという意見だったが、時間をかけて説得した。ちゃんと義理は果たしているのだから、薩摩出身者の反対はそちらで抑えてもらわないと困る。一度は頷いたのだから翻意されても何を今更となってしまう。……こう考えると今回の訪問は「お願い」というよりは「苦情」に近いな。お宅の統制どうなってんの? ちゃんとして、という苦情だ。


「それに、大久保殿らが洋行中に大改革をしないという合意をしたはずです。今回の話はそれを明らかに破るものですよ」


 と言ったところで勝負あり。私が頑なな態度を見せたことで西郷もこれ以上の譲歩は見込めないと思ったのか、大人しく薩摩閥の引き締めをしてくれた。これで五月蝿い人間もしばらく大人しくなるだろう。










「面白かった」


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[気になる点] 交渉の結果結ばれた契約その結果の狭軌なのに詐欺師扱いするのはどうなの?と思う 当時も植民地の鉄道は狭軌も多かったから取り敢えず鉄道引きたいって考えなら間違いではないし。重要な区間は後か…
[良い点] おお、もしや我が地元の福岡城にも天守閣保全の可能性が……。 なんとか軍政機構の分割は阻止出来ましたか。後は帝国憲法の条文を少し弄れば将来の空軍創設のハードルも下がりますね。
[気になる点] 大隈の一生の不覚と言われる狭軌の話を出しながら、なぜ標準軌採用に動かない? 大隈と繋がりがないからかな?
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