御親兵
――――――
故郷から戻ってくると兵部省はやけに賑やかだった。
「何かあったのか?」
「小助殿、知らないんですか? 実は――」
このとき欧州で戦争が勃発していた。普仏戦争である。開戦の報を聞いたとき、誰もがフランス優位だと考えていた。強大な常備軍を抱えるフランスに対してプロイセンは徴兵制を敷いている。戦争となれば部隊を編成するところから始まるため、このときは不利と思われていた。さらに人口でもプロイセン側で参戦した国々を合計してなおフランス側が上回っている。だから誰もがプロイセンはフランスに圧倒される――と思っていたのだが現実は違った。
序盤こそフランス側がプロイセンの都市を占領するなど攻勢側に回っていたが、本格的な戦闘が始まるとどうだ。事前の予想とは異なりプロイセン側が連戦連勝。開戦から二ヶ月と経たないうちに親征していた皇帝・ナポレオン三世が捕虜となり(セダンの戦い)フランス第二帝政は崩壊してしまった。フランスは第三共和制に移行して継戦するもプロイセン軍の勢いは止まらず、パリが包囲される。
パリ包囲の最中、占拠したベルサイユ宮殿において戴冠式が執り行われた。プロイセン王・ヴィルヘルム一世がドイツ皇帝となり、同時に南北のドイツ系国家が統合される形でドイツ帝国が成立する。
「フランスがドイツに休戦を申し込んだそうです」
「パリを包囲された状態で休戦……つまりドイツの勝利が決定的になったということか」
「ええ」
それでちょっとした騒ぎになっていたそうだ。まあ、今の明治陸軍はフランス式の兵制をとっているからな。敗戦国の兵制で大丈夫なのかという危機感もわからんではない。
「……そういえば、小助殿は最初からドイツの勝利を予言していましたね」
「ん? ああ。そうだな」
帰国する途上で私たちは開戦を知った。それでどちらが勝つのかという話になって私はドイツ、信吾はフランスと予想したのだ。
予想が的中したわけだが、これは私が歴史を知っているから当然である。だが、後世の戦争を知って実地見学をすればなるほどドイツが勝つわけだと納得できた。
ドイツは軍のシステムが近代化されている。兵站を担う組織から発展した参謀本部による戦争指導、各部隊に幕僚を配することで戦略を徹底させ、鉄道と電信網を整備して輸送能力と命令伝達速度を向上させた。その真価が発揮されたのが普墺戦争であり、今回の普仏戦争であった。
「今回の戦争が落ち着けば教官を招きたいところだな」
まあ、実際には国軍としての日本軍が存在しないも同然なのでそちらの整備から始めなければならないのだが。
「しかし、これで信吾の従兄弟(大山巌、普仏戦争の観戦武官)も程なく帰れるな」
「ええ。たっぷりと話を聞きたいものです」
大山は戦争勃発に際して欧州にいたことから観戦武官になった。開戦時期を知っているから私も欧州滞在を延ばしていれば見れただろう。近代国家の戦争というものに興味がないといえば嘘になる。だが、それ以上に家族に会いたいという気持ちが強かった。
「だが、その前に仕事だ」
その仕事とは御親兵の編成である。維新から間もない明治政府には課題が山積しているわけだが、何から手をつけるにせよ真っ先にやらねばならないことがあった。それは財源の確保である。
明治政府が直接支配しているのはそのほとんどが旧幕府領。他は江戸時代と同様に藩が治めていた。一応、版籍奉還は行われているものの徴税権と軍権は藩に残されている。これらをどうにか穏便に明治政府へと一本化する必要があった。そこで必要になってくるのが廃藩置県である。藩を介して支配していたものを、藩をなくして直接統治に切り替えることが近代国家建設に不可欠なのだ。
問題は藩に軍権が残されていることだった。彼らは独自に軍隊を抱えており、連合して攻められると明治政府は抗えない。ゆえに慎重にことを進める必要があるが、同時に大胆な改革を行わなければいつまで経っても前へ進まない……という痛し痒しの状況だった。
そして当然だが、この問題は私(兵部大輔)の裁量でどうにかなるものではない。他部署の協力が必要不可欠。ということで私を支持してくれている木戸と知り合いである大久保を頼った。
「なるほど。山縣殿の話も一理ある」
呼びかけた人を集めた会議で計画を話すと木戸たちからは好意的な反応が得られた。
「大蔵省でも財政面を強化すべきという話になっていましてね」
大久保からは大蔵省でも近代国家を建設するために軍事、教育、司法、財政の四点を確立すべきという案が部内で検討されていることを知らされた。そのために藩を廃止すべきだとも。これは程なく「全国一致之政体」という建議となる。立案者は大蔵大輔である大隈重信だ。
私も今回、大隈と似たような提案をした。といっても彼は税制のことを考えており、私は軍制のことを考えているという違いはあるのだが。まあ何にせよ、どうにかして藩を廃止したいという点では共通していた。
提案の中身はこう。まず、強力な新政府軍を編成する。これには戊辰戦争で主力となった薩長土の三藩から天皇の護衛を名目にして精鋭を差し出させ、これを以て御親兵を創設するのだ。その武力を背景に廃藩置県を実行する。騙し討ちに近いが、これくらい強引なことをしないとなかなか動かない。特に薩摩藩は強大な軍事力と維新の功績があり、半ば独立国となっている。藩制の維持を求める島津久光の影響も大きい。
御親兵は三単位制の師団とする。各藩ごとに一個連隊、それが三つで一個師団だ。編成するにあたって供出元の各藩に話を通さなければならないのだが、問題がひとつ。金がない。明治政府の予算は限られており、ほとんど有名無実に近い兵部省に割り当てられているものでは一万余りの将兵を養えないのだ。
「その点については宮内省から十万両を移管することにした」
事前に大体これくらい要りますという概算要求はしてあったので、政府の内部で予算の融通を行う話はついていた。
その後も細々としたことを決めて会議はお開き。各々が退席するなか、私は大久保に呼び止められた。
「山縣殿。久しぶりに一局どうだ?」
「いいですね」
互いに忙しくあまり顔を合わせられなかった。仕事をサボるなといわれそうだが、やるべきことをやっていれば問題ない。時代の過渡期、まだ明治政府を作っている段階なのでいつ始業でいつ終業なのか明確には決まっていなかった。なので昼過ぎに登庁し、適当に仕事をすると帰っていく……なんて輩もいる(前任の兵部大輔・前原は典型)。フレックスタイムといえば聞こえはいいが、まだまだ制度が未発達なのだ。
大久保の家にお邪魔して碁を打つ。現代の手筋を駆使して食らいつくものの、地力の違いで負けてしまう。まあ、いつものパターンだ。私が投了するとあーだこーだと感想戦が始まる。それがひと段落したところで、徐に大久保が話を切り出した。
「話は変わるが山縣殿。今度、新設しようとしている御親兵の指揮官は誰にするつもりだ?」
「言い出した以上は私が……と言いたいところですが、諸藩の兵をまとめるとなると少し力不足でしょう」
戊辰戦争ではそれなりに活躍したがネームバリューが足りない。大久保も同意見らしく頷いた。
「そこで宮様にお願いしようかと」
「兵部卿の宮(有栖川宮熾仁親王)ですか。それなら納得するだろう」
戊辰戦争においては東海道軍を率いて東征を成功させた人物だ。これならトップとして戴くに不足はない。
「だが、問題もある」
「下に誰をつけるか、ですね」
大久保はその通り、と頷く。有栖川宮はあくまでも象徴であり、その下に実質的な指揮官を置く必要がある。戊辰戦争でも皇族や公家の総督の下で参謀が指揮を担ったのと同じだ。そしてここにも私が入ることはない。ほぼ無名であり、兵士たちを伏するカリスマがないからだ。
「そこでひとり、推薦したい人物がいる」
「――待ってください。多分、私が考えている人物と同じはずです。貴方が推薦しようとしたのは西郷殿ですよね?」
「……ああ」
意外そうにしているが西郷以外に適任はいないだろう。強いて挙げれば木戸や大久保であるが、いずれも文官の側面が強い。大村も亡き今、日本の兵士を名前でまとめられるのは西郷しかいなかった。
「山縣殿。貴方は話がわかる人だ。少し、話を聞いてくれますか?」
私が黙って頷くと、大久保は本音を話してくれた。
曰く、今の木戸や大隈が進めようとしている改革は急進的すぎる。だが、薩摩出身者は半分が西郷について国へ帰ったので支持者が少ない。ここで彼を呼び戻すことで、国に帰った西郷シンパをも呼び戻して木戸たちの抑えにしたいそうだ。ここでその話をするということは、そこに私も加われというのだろう。
「お話はわかりました。ただ、この件については是々非々という立場をとります」
「それはなぜ?」
「たしかに急進的な改革は問題を起こします。近い例では大村さんが暗殺されたように」
漸進的な改革を行いたい大久保とはこの部分で一致する。
「しかしながら物事には緩急順序がありますから、必要があれば今回のように急進的に動くこともあります」
もっともしっかりと根回しはする。聞いてくれなかったら話は別だが。
「……なるほど。是々非々というのはいいかもしれません」
最初からダメだと決めてかかるよりも、必要か否かを考えて態度を決めるべきだ。それを優柔不断とか言われるかもしれないが、理想を掲げて盲目的にそれに従う方が危険だと私は思う。
とにかく人々の考えが世紀末なので、気に入らなければ暗殺されかねない。信念に殉じるというと聞こえがいいが、妻子がいる身で死にたくはなかった。優柔不断、蝙蝠野郎――何と言われようと是々非々の現実主義で私は行く。
この考えに大久保も納得してくれたようだ。彼も近代化の必要は感じている。それが急すぎると考え反対しているだけ。ならば本当に今必要なのかを考え態度を決めるという考えは受け入れやすかったようだ。私と大久保はこの路線で行くことを互いに了解する。以後、私は主に木戸と大久保の間に立つ調整役を担うことになった。
かくして御親兵創設について政府内で話はまとまったわけだが、西郷が引き受けてくれるかは別問題。そこで十二月、島津久光に上京を促すという名目で岩倉具視が勅使として鹿児島へ下向することとなり、それに私や大久保などがぞろぞろとついて行った。岩倉の派遣はカモフラージュで、本当の目的は西郷の説得である。
「事情はわかりました」
と、西郷を政府に呼び込むことに成功した。政策には色々と思うところはあるものの、とりあえず喫緊の課題である軍制を整えようという点で一致。私は西郷とタッグを組み、御親兵の創設に尽力する。
政府内の合意、財政面における課題もクリアしており、人を集めるフェーズにきていた。ここでようやく勝手に巻き込んでいた土佐藩の板垣退助にも協力を要請。二藩がやると言ってる以上、土佐藩も受けざるを得ない。もっとも板垣も国民皆兵を旨として国防にあたるべしと考えており、既に土佐で練兵を行っていた。提案は渡りに船であり、こちらが引くくらい前のめりになって乗ってくる。
西郷が担当した薩摩藩も、戊辰戦争で肥大化した軍を抱え困っていた。始末に困っていたところでその一部を明治政府に移管できる機会が巡ってきてこちらも快諾している。この交渉で苦しい藩の台所事情を知った西郷は、島津久光の影響で藩制存続を考えていたがこれを転換。廃藩置県に積極的になる。
順調に話が進むなか、私が担当した長州藩は消極的だった。彼らは藩政改革によって諸隊を切り捨てる形で軍のスリム化を達成しており、それに乗るメリットがないのである。普通に藩兵を出してほしいと言っても断られた。
……まあ、ここまでは想定通り。だから私はある提案を行う。それは赤右衛門たちのところで世話している元諸隊の面々を中心に御親兵へ送り込むことだ。彼らを解雇したときに騒乱が起きそうになったことは記憶に新しかったのか、思った以上にすんなりとこの提案は通る。不穏分子をこちらで引き取り、さらには明治政府の要請にも従ったことになるのだから願ったり叶ったりだろう。代わりに小銃などの武器を都合してくれないかと知藩事である毛利元徳に依頼したが、余剰武器を処分できるというのでこれを認められた。
「体面がありますので、新式をお願いできますか?」
「むむっ。……いや、そうしよう」
一応、藩兵という体をとる以上は長州藩を代表する存在だ。それがクビにされた人間で、旧式装備を引っ提げていたのでは藩の面目が失われる。そういう懸念を話せば新型の武器を巻き上げることができた。
かくして三藩から兵力が供出され、御親兵が組織される。その長は予定通り有栖川宮熾仁親王で、その下に薩摩、長州、土佐の三兵団が置かれた。薩摩は西郷、長州は私、土佐は谷干城が率いる。谷は本来、廃藩置県後に明治政府に出仕するが、板垣と対立して干されていたところを私がスカウトした。
総数は号して一万。実際は薩摩四〇〇〇、長州が一五〇〇、土佐が二五〇〇なので実数は八〇〇〇であった。盛ってると思われるかもしれないが、これくらいのハッタリは可愛いものである。そしてこの軍隊の完成が周知されただろう頃合いを見計らい、在京している知藩事たちを皇居へ呼び出した。
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