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遅れた帰郷

 






 ――――――




 兵部大輔として軍制改革を担う立場となったが、正直なところ不安が大きい。改革以前に省内の支持を得られるのかという問題があるからだ。


 大村の手足として動いていたのは山田顕義。兵部大丞として軍制改革に尽力し、斃れた大村からその要綱である「兵部省軍務ノ大綱」を授けられた。だから山田との協力は欠かせないが、大久保との関係もあるから大村案をそのまま実行するわけにはいかない。必然的に山田と距離が生まれるだろう。いくら木戸の後ろ盾があるとはいえ、自分の組織を掌握し切れていないなどお粗末にも程がある。


「――という次第なので、共に洋行した西郷殿を部下につけていただきたい」


 木戸へ素直に要求したが、元よりそのつもりだったと信吾が権大丞として入省することになった。


 この人事が発表されると当然ながら前任の前原から私に文句が来た。一応、更迭ではなく辞職となっているため後を襲ったことについては何も言ってこなかったが、今後の兵制については問い糾される。


「山縣。お前、農兵論で行くつもりじゃないよな?」


「そのつもりだが?」


 元より大村と私の描く未来は似通っていた。軍事を任された以上はその実現に全力で努めるのみだ。そんな覚悟を語ると、前原は勝手にしろと言って去っていく。友情は終わったと感じたが、不思議と喪失感はなかった。


 一方、山田は私の考えにある程度ではあるものの同調してくれた。急進的な大村の施策が大久保らの妨害を招いてしまったことは認識しており、それを避けるためには漸進的に進めていかざるを得ないと考えていたようだ。


「それで、徴兵の時期はいつにしましょうか?」


「まだ先だよ」


 しかし、あくまでも前のめりな山田はいつ何やるかを決めたいらしい。会う度に徴兵や常備軍を創るのはいつかと訊ねられる。さすがに辟易した。


 とにかく準備ができていない。まず第一に各藩が保有する軍権と徴税権を剥奪しなければならないからだ。洋行中に版籍奉還が実施されたとはいえ、まともな軍隊も財政基盤も持たない明治政府にとって諸藩の存在は脅威である。特に軍権の剥奪は反乱の芽を摘むという意味で重要だ。それらが実現しないことには近代軍など創れやしないのである。


 とはいえ、実現に向けた方策を示さなければ省内の人間がついてこない。どうしたものかと思案していたところに、故郷からの手紙が来た。差出人は海である。


「げっ……」


 ウキウキしながら手紙を読み始めたが、すぐに変な声が出た。早々に詰られたからだ。曰く、帰国したと聞いて一ヶ月。一向にお帰りにならないのでお手紙を差し上げました云々……。伝えたいこともあるので帰ってこいとのこと。九月に帰国して今や十月に差しかかろうとしている。気は進まないが悪いのは私だ。しばらく政務を信吾に任せ、一旦帰郷することにした。


「随分と遅いお帰りですね」


 家に帰ると海が至近距離に近づいてきた。私は一七〇センチ余、彼女は一五〇少しと身長差があるため見上げられる格好となる。詰問すべく目が鋭くなっているため、睨み上げられるような感じだ。


「すまない。東京で仕事があってな……」


 さほど意味はないとわかっているが反射的に言い訳をする。海はなるほど、と言いつつ身体をゼロ距離まで寄せるとくんくんと匂いを嗅ぐ。


「……嘘ではなさそうですね。変な匂いはしません」


 匂いで判別するな。お前は犬か。そう言いたくなったが火にガソリンを注ぎそうなので止めておく。


「それで、伝えたいこととは?」


 手紙じゃダメだったのか? と言ったら怒られた。女心はよくわからん。


「まあまあ、それくらいで」


 ガミガミと怒られる私を救ってくれたのは祖母だった。その足許には水無子がいた。一年以上経っているが、愛娘を見間違うはずもない。


「ととしゃん?」


「そうだぞ〜。大きくなったな、水無子」


「ととしゃん!」


 私を父親だと確認をとると笑顔になる。ててて、と駆けてくると抱きついてきた。私は膝立ちになって腕を広げて愛娘を腕の中に迎え入れる。


「父上に会えてよかったね」


「うん!」


 祖母の語りかけに頷く水無子。腕の中にある我が子は一年前よりも重く、確かな成長を感じた。正直、忘れられてないか不安だったのだが取り越し苦労だったようだ。


「……ところでお婆様。腕に抱いている子は?」


 ひと安心したところで、ずっと気になっていた事を訊ねる。祖母が出てきたときから腕に抱いている子ども。見たところ生後まだ一年経っていないのではなかろうか? 誰かから預かっているのかなと思ったが、祖母は海に訊けと彼女を目で指名する。


「子どもです……」


「???」


 その言葉を聞いても理解できなかった。察した海が補足してくれる。


 曰く、私が出発してしばらくしてから妊娠が発覚。連絡しようにも外国にいることしかわからず、仕方がないので帰ってから相談しようとなった。だが、一年ほどと聞かされていた洋行はそれ以上の期間であり、そうこうしているうちに生まれたという次第らしい。


「男の子ですよ。男の子。名前がないから坊やって呼んでるけど」


 名前がないのも山縣家の世継ぎであるから私と一緒に名前を考えたかったそうだ。可愛いじゃねえか。


「何かいい名前はありませんか?」


「う〜ん」


 急に言われても困るのだが、期待には応えねばと頭をフル回転させる。この時代でも通りそうな名前……といくつか浮かべた末、


「誠はどうだろう?」


 近代化を迫られて色々と文化や風俗は変わるだろう。そんななかでも誠実に生きてほしい――という願いを込めたと説明。二人からはいい名前だと言われ、腕の中にいた水無子も弟の名づけを寿ぐようにキャッキャとはしゃいでいた。


 その夜。子どもたちを寝かしつけ、夫婦二人きりの時間が訪れる。その場で海がところで……と話を切り出した。


「気になっていたのですが、左手のそれは何ですか?」


 海が指摘する「左手のそれ」とは私の薬指で黄金に輝く金属の環のことだ。


「これか? 指輪だよ」


「指輪?」


「ああ。向こうでは結婚したとき、夫婦が互いに指輪を身につける習慣があってな。結婚したことを示すために買った」


 西洋では一夫一妻で不貞は御法度。既婚者であることを示して女避けに使っていた。東洋人である私に寄ってくるのはまずいない。だが、つるんでいたのは海軍士官――上流階級であるジョニー。私をたらし込み、それをきっかけに彼に近づこうという者が後を絶たなかった。そんな馬鹿者を予防するため結婚指輪をして既婚者だと示していた――というのは表向きの話。完全に嘘ではないのだが、本当の目的は別にある。


「これを」


 ヨーロッパで色々なものをお土産として買ってきていたが、そのなかでも一番大切なものを取り出す。今、私が身につけているものと同じデザインの指輪だ。


「同じ物……」


「ああ。私だけ身につけているのも変だろう?」


「ええ……」


 困惑しているようだったが、私は海の左手を取ってその薬指に指輪を嵌める。出国前に密かに測ったサイズを元にジョニーに紹介してもらった職人に作ってもらった。さすがというか、ピッタリだ。指輪は耐久性も兼ねて純金ではなくイエローゴールドにしている。デザイン料諸々含めていいお値段がした。昔は給料三ヶ月などと言われていたそうだが、そんなものじゃ利かない。だが、日頃から贅沢しない暮らしをしていたためお金はそれなりに持っていた。費用は現金一括払い。大きな買い物は気持ちいいね。


「お揃い……ふふっ」


 嵌められた指輪をうっとりと眺める海。喜んでくれているようで何よりだ。お揃い、というのが彼女の琴線に触れたのだろう。


「ありがとう。これで離れていても旦那様のことを感じられる」


 ……ちょっと怖い。


「こほん。ところでひとつ相談があるんだが」


 空気を変えるように咳払いを挟み、ひとつの提案をする。それは東京か大阪への引越し。


「今後、私は基本的に東京や大阪を行き来することになると思う。忙しくなるから山口に来ることも難しくなるはずだ。私も会えないのは寂しい。大変かもしれないが、引越しをしないか?」


 海の返事を待つ。しばらく間があって、


「……確かに旦那様と会えないのは寂しい。誠がもう少し大きくなってからだけど、引越ししましょう」


 提案に同意してくれた。具体的な時期については誠が乳離れしてからとなる。あと数ヶ月の辛抱だ。受け入れられてよかったと思っていると、海からも別に話があるらしい。それは私が日本を離れていたときに起きた騒動のことだった。


 私が危惧した通り、長州藩は軍備の整理に舵を切ったらしい。相次ぐ戦争によって分不相応に軍拡をしていたものを整理。戊辰戦争での功績に関係なく、士族を藩に残す一方でそれ以外の階層出身者を追い出した。


 そんなことをすれば当然、追い出された側の反感を買う。しかも論功行賞すらない解雇だ。武士であることを重んじながら、その基本原則である御恩と奉公の関係を守らないのだから聞いて呆れる。


 ともあれ、解雇された諸隊の隊士を中心に千名余が激昂して暴動になりかけたそうだ。そんなとき、私の家を頼れという言伝を彼らは思い出したらしい。代表者数名が来訪し、助けを請うたという。


「父にも相談して、しばらく倉屋で働いてもらうことにしたの」


 私が事前にお願いしていたことでもあるので赤右衛門も快く引き受けてくれた。だが、さすがに倉屋だけでは千人もの人間を引き受けることはできないので、知り合いの商人にも声をかけて下関全体で引き受けたそうだ。


 とりあえず大騒動になることは防がれた。とはいえ全員をいつまでも抱えておくわけにはいかず何とかしてくれ、と言われているらしい。


「わかった。舅殿(赤右衛門)には私から話そう」


 近々それを何とかできるかもしれない。直接行って説明することにした。これには海もついてくる。孫の顔を見せに行くというのもあるが、東京へと引越すにあたって倉屋の支店を設けたいそうだ。そのために人を出してほしいと相談するのだという。


「――お話はわかりました。そういうことなら今しばらく、彼らをお引き受けしましょう」


 赤右衛門は快諾してくれ、海の東京出店についても番頭らのスタッフを派遣してくれることになった。


「あっ、山縣さん。ご厄介になってます!」


 話を終えたタイミングで解雇されたかつての部下たちが挨拶してくる。赤右衛門が気を遣って呼んでくれたようだ。


「おう。また活躍する舞台を用意するからしばらく待っておけ」


「「「わかりました!」」」


 現状を憂う彼らの志は本物だ。励ましの声をかけると、目をキラキラさせて異口同音に頷いた。彼らのためにも頑張らねば。










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