長岡の戦い
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旧幕府軍の撤退を受けて新政府軍は柏崎を占領。我々は次なる目標を長岡に定めた。長岡近郊にある新潟は安政の五ヶ国条約に基づいて開港されており、奥羽越列藩同盟側への武器の供給源になっている。これを断つのが目的である。
新政府としては一応、諸外国に対して旧幕府勢力への武器供給を止めるよう要請していた。彼らは局外中立を宣言しており国家的には支援していなかったが、商人は別である。利益のため新潟に武器を運び込み旧幕府勢力へと売り払っていた。
「これを断つ必要がある」
新潟の状況を見て私はそう判断した。補給を断って弱体化させるのは戦争の基本である。問題は敵も新潟の重要性を理解し守備隊を派遣していることだ。長岡と地理的に近いこともあり援軍の派遣も容易。これを制圧するのは簡単ではない。
そこで私は考えた。将来的に新潟を占領することに変わりはないが、それは手段に過ぎない。目的は敵の補給を断つこと。列強が武器を新潟へ持ち込むには海路しかない。ならば艦船を使って海上封鎖すればいいのではないか。我ながら名案である。
軍内でも列強が乗ってくれるかという懸念事項はあるにせよ、実現すれば敵の戦意を削ぐことができるという好意的な意見が支配した。そこで中央に封鎖用の艦船を派遣してもらおうということになり、交渉のため私が派遣されることになる。
「後は頼むぞ」
「お任せください」
北陸軍の実質的な指揮は残る参謀の黒田が担当するとして、別に長州軍の統率をする人物が必要となる。副長格の福田侠平はいない(大坂で別れた)ため、奇兵隊参謀だった時山直八に任せた。
中央で軍務官副知事となっていた大村を通して軍艦を派遣するという話をつける。また外国官を通して欧米列強にも通知した。特に凋落の兆しがあるとはいえ、世界帝国であるイギリスにはよくよく説明。公使のパークスから支持をとりつけ、大英帝国の威光を借りて諸外国を説得した。まあ、早く落とせという注文はついたわけだが。
ともあれ大きな成果であり、これを引っ提げて北陸へ戻る。その道中で北陸軍の敗北と時山の戦死を知った。時山は旧幕府が陣取る朝日山の奪取を試みた攻勢で戦死したそうだ。
「帰ってきた山縣さんを喜ばせるんだ、と参謀(時山)は……」
「悲しませてどうする。なぁ」
最前線で戦死した時山。遺体を持ち帰ろうとしたが、混乱するなかそんな余裕はなく何とか首だけ持ち帰ったそうだ。私は丁重に弔うよう指示した。
奇兵隊の参謀として苦楽を共にした時山の死は辛いが、私は北陸軍を預かる身。部下ひとりの死を悲しむばかりではいられない。翌日には弔いの心を片隅に追いやり、作戦指導に専念する。
時山が戦死した朝日山には桑名、長岡藩兵が詰めているそうだ。そして長岡藩兵は近代化を急速に進めており、小銃などは薩長と大差ない物になっているという。大砲はこちらの方が性能が上らしいが、火力でごり押せるほど持っているわけではない。
「やはり奇策に出るべきだな」
というのが結論だった。折しも要請した艦隊が到着。早速、旧幕府方の船を撃破した。幕府艦隊は未だ江戸に留まっているとのことなので、これで日本海の制海権は握ったといえる。動くなら今だ。
作戦はこう。まず新政府軍の主力は前線の敵軍へ攻撃をかける。ただしこれは戦線の突破を企図したものではなく、敵の耳目をこちらに引きつけるための陽動だ。本命は海路。海から部隊を送り込む。新潟へ直接上陸するのは危険なため、近隣の新発田藩領――現代でいうところの新潟市北区へと上陸する。そこから新潟の町と長岡城を攻撃するのだ。
上陸部隊の主力は薩摩藩兵とされ、指揮官も自然と黒田に決まった。艦隊を指揮するのは長州の山田顕義であったから私がやるものだと思っていたのだが、時山の戦死で部隊の再編成が必要だろうという黒田の配慮である。
時に、北陸軍の総督は高倉の病気により西園寺公望に交代していた。後世のイメージでは人のいいお公家さんというイメージの西園寺だが、今は若さゆえか尖っていた。王政復古を果たさなければならないと強く想い、気持ちが暴走して着任してから自ら小銃を手に最前線に立とうとする。引き下がらせるのが大変だった。そんな調子なので、黒田から面倒を見ろと押しつけられたわけである。
何はともあれ六月になって作戦開始。主力部隊は手持ちの火砲を撃ち込み、威力偵察がてら限定的な攻勢をかける。突破できればラッキーという程度で、もちろんそう簡単にはいかない。難敵である立見鑑三郎に加え、長岡藩家老の河井継之助がおり、こちらに劣らない新型の武器も揃っている。まともに戦えば少なくない犠牲を払わねばならないだろう。
他に取り得る手段があるのになぜ防備が最も厚いところを攻撃しなければならないのか。人は名誉だとか何とか言うのだろうが、私は徹底的に楽をしたい人種なのでそんなものは二の次である。適当に攻撃しながら黒田からの連絡を待った。
数日後。何度も実戦を経験してきたおかげか、何となく肌感覚として「戦場の空気」というようなものを感じるようになってきた。敵陣が動揺したのが感じられる。それと同時に黒田から敵の後背へと上陸して新潟の町および長岡城を占領したとの知らせが届く。
時は今。
「敵軍の監視を厳にせよ。退くと同時に我らは進むぞ」
北陸軍に追撃態勢をとらせた。
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「新潟と長岡が!?」
「はっ。敵が上陸。新発田(藩)は寝返りました」
「うむむ……。退路を断たれたか。立見殿。如何したものか」
長岡藩のご家老・河井様が訊ねてきた。
「直ちに奪回へ動くべきです」
選択肢のひとつに会津への撤退もあるが、城が攻略されてから日も浅く敵の防備も薄いはずだ。その期間を逃す手はない。
「我らがここに残ります。長岡勢は城の奪還を」
当然、敵は追撃してくるだろう。それを止める役は我々しかいない。長岡勢は城の構造を知っているから攻略しやすいだろう。自明のことだから面倒な調整などなしに即日行動する。すると予想通り、敵がこちらに攻撃をしかけてきた。
「絶対に通すな!」
後背を脅かす敵を撃破しに行った長岡藩兵を信じ、目の前の敵を食い止める。これを率いるのは山縣小助。その名前は知られている。小倉において快進撃を見せ、九州の征長軍を瓦解させた張本人。当然、我々も警戒していた。
果たしてその寄せ手は大胆不敵。何と敵が味方が砲撃するなか突っ込んできたのだ。味方の弾が当たるとは思わないのだろうか? ……いや、戦い続けてきた長州兵の技量と山縣の将器があってこそか。おかげで深くまで切り込まれてしまったが、だからといって退くわけにはいかないのだ。
「ガトリングを出せ!」
秘密兵器を投入する。長岡藩が外国から購入していたガトリング砲だ。銃弾を連射できる優れもので、二挺あるうちの一挺を託された。
その威力は抜群であり、射撃するや殺到する敵兵を薙ぎ倒していく。だが、敵も馬鹿ではない。すぐに退いていった……かと思ったら半刻としないうちに再び攻め寄せてきた。ならばとガトリング砲を持ち出すのだが、途端に敵兵がこちらを指差す。戦場の喧騒に紛れてその声が聞こえてくる。
「あれだ! あれだ!」
『あれ』というのはガトリング砲のことだろう。気をつけろということか? と思っていると大砲が顔を見せた。
「まさか!?」
そのまさか。敵の大砲が火を吹く。狙いは無論、ガトリング砲。敵弾は見事に命中し、ガトリング砲を破壊した。
指示したのはおそらく山縣だろう。単純だが効果的。しかも使われたのは射程の短い旧式砲だ。たとえやられても損害は僅少ということか。なるほど。なかなか手強い相手だ。
こちらの秘密兵器を破壊したとあって敵軍の士気が盛り上がる一方、味方は意気消沈。猛烈な銃砲撃を受け逃げ腰だ。そんな兵たちを叱咤激励する。
「我らが抜かれては長岡に言い訳できんぞ!」
彼らに背中を預け、また背中を預かっているのだ。武士の名誉、信義から我らが崩れるわけにはいかない。
この激で士気は幾分か持ち直し、敵に対して抵抗を続ける。綻びが生まれたらそれを埋めるという繰り返し。だが、敵はこちらより多勢であるということを上手く利用し、昼に夜に攻め寄せてくる。長州、加賀、高田などが交代し絶え間がない。
こちらはその都度、全力で当たらねばならず人的損害はともかく体力的に激しく消耗した。そんな状況でも耐えていられるのは精神力の賜物である。彼らこそ勇者といえよう。だが、その崩壊は一瞬だった。
「申し上げます!」
激しい戦闘の最中、味方――長岡勢の伝令が飛び込んできた。必死の形相である。これはただ事ではない。そして凶報である。そう直感したが、努めて冷静に訊ねた。
「何事か?」
「お味方は城外にて薩摩勢の待ち伏せに遭い、ご家老(河井継之助)が負傷。総崩れとなりました!」
長岡勢は負傷したご家老を伴って敗走しているという。城を奪われた彼らは根無草。今はご家老の指示で我らと合流を図っているそうだが、
「こちらも旗色は悪い。後背地の奪還が望めない以上は致し方ないゆえ、会津に向かわれよ。我らが殿を務める」
「承知!」
指揮官が負傷している長岡勢の統制はとりにくくなっているだろう。こちらも疲労困憊だが、最後の力を振り絞って殿を行う。
「……聞いての通りだ。悪いがもうしばらく踏ん張ってくれ」
「まだまだ戦えますよ!」
「ええ。これくらいなんてことありません!」
兵たちは笑っていた。とても頼もしい。
その夜。敵が寄せ手を切り替える瞬間を見計らって撤退する。気づいた敵も追ってくるが、適当に反撃して追い払う。敵も我らを壊滅させるという気はないらしく、撃退は容易だった。追って来たのが長州兵だったらこうはならなかっただろう。
ともかく、我々はどうにか栃尾を通り会津領へと逃げ込むことができた。長岡勢も無事だ。ただ、その道中でご家老が破傷風になり亡くなられたという。惜しい人を亡くした。
かくして我らは越後から追い出されてしまう。今は最前線となった会津にて態勢を整え、来襲するであろう敵に備えるのだった。
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