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赤坂口の戦い(表)


 前話にて多くの方からご指摘いただきました通り、バルカン砲をガトリング砲に修正いたしました。ありがとうございます。

 

 






 ――――――




 撤退後、物資や戦力の補充を行なって次の戦いに備える。私たちの撤退に気づいた敵は大里を奪還して守りを固めているという。不思議なことに、そこに出てきているのは小倉藩兵だけ。他は小倉から動かない。


「嫌々出兵しているのだろう。ほとんどの藩は懐が寒いからな」


 方針を打ち合わせていた高杉は辛辣だ。まったくもってその通りではある。諸藩にとってこの戦いは美味しくない。ただ、幕府の面子を守るための戦いなのだ。やる気が出るはずもない。


「だからといって彼らが出てこない、と決めてかかるわけにはいきません」


「それはそうだ」


 高杉も肯定する。強く出られては従うしかないだろう。しかし、それを恐れて躊躇っていては戦えない。難しい話だ。


 ともあれ、主導権を握るためにはこちらから仕掛ける必要があった。向こうが来ない限り、もう一度渡海する。


「我らは最大限、援護しよう」


 幕府海軍に対してこちらは海軍力において劣勢である。先に周防大島で戦火を交えた富士山を含む艦隊が小倉に展開しており、艦砲射撃があることも予想された。それでも高杉は我々の安全確保のため敵の妨害を買って出る。危険な仕事であったが、それを厭う人間ではない。私はひと言、お願いしますと言った。


 そして前回の侵攻からおよそ半月が経った七月三日。私たちは再び関門海峡を渡った。前回戦いが起きた門司城跡に敵はおらず、大里に防衛拠点を構えているようだ。


「まずは大里を落とすぞ」


 今回の目標は小倉への経路を啓くことだ。そのため絶対に確保しなければならないのが赤坂口である。門司と小倉を遮るように聳える弾正山。その出入り口となる赤坂口を確保する。


 だが、その前に横っ腹を窺う位置にある大里の敵軍を駆逐しておく必要があった。そうしなければ安心して赤坂口を攻めることができない。


「行くぞ!」


 前回は撤退したが、負けて撤退したわけではない。小倉口に関していえば連戦連勝。勢いそのままに大里を守る小倉藩兵に長州諸隊の兵士が襲いかかった。我々とは逆に連戦連敗の敵。最初から腰が引けていた。


「山縣さん。敵艦です!」


 隊員のひとりが後方にある海を指差す。その先では大きな船を先頭にした幕府艦隊が海上を堂々と進んでいた。戦闘の船はおそらく富士山だろう。排水量にして千トン。現代の船からすると大した大きさではないが、この時代の日本ではまさしく巨艦と呼ぶに相応しい大きさだ。


 凄いなぁと思っていたそのとき、発砲炎が瞬く。ややあって、少し離れたところに着弾。土煙を上げる。着弾地点から距離があるとはいえ、音と振動は凄まじい。迫力がある。


 だが、迫力ならば下関戦争で列強の連合艦隊から浴びせられた艦砲射撃が上を行く。その経験をした我々に対して数隻の艦砲射撃をしたのでは戦意を挫くには至らない。


「構うな。進めぇっ!」


 平気とはいえ、当たれば損害は出る。それを避けるため前へ進み――結果、寄手はより苛烈になった。


 幕府艦隊の来援で小倉藩兵の戦意は多少マシになっていたが、我々が構わず攻撃を続けるのを見て遂に戦意が挫けた。堪らず撤退を始める敵。私はこの時を待っていた。


「追え! 一気に赤坂口へと雪崩れ込むのだ!」


 そう。逃げる敵について行き、その先の拠点へと駆け込むのだ。名づけて駆け込み乗車作戦。大変危険ですので駆け込み乗車はご遠慮ください、なんてアナウンスもない。


 この作戦、個人的にはとても悪辣だと思っている。正しく対処しなければ敵の分断を招くからだ。逃げてきた味方を迎え入れたいが、敵がピタリと後ろについていると雪崩れ込まれてしまう。こういうとき、指揮官は難しい判断を迫られる。敵が来ることを覚悟して味方を収容し続けるか、それとも味方を見捨てるか。前者を選択すればベスト、後者を選んでもこいつらは味方を見捨てる薄情者だとか何とか言ってプロパガンダを打つことができる。


 ……まあ、撤退するときに足止めをする部隊を置かれると目論見は失敗してしまうのだが、今回は殿はいない。敵に冷静な人間はいなかったようだ。誰しも我が身は可愛いからね。犠牲になることがわかっていることを進んでやる人間はなかなかいない。ゆえに英雄的行動は賛美されるのである。


 追撃の足が残っていたのは駆け込み乗車作戦に備えていたというのもあるが、一番は小倉藩兵が弱腰だったことだ。獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすというが、あれは嘘であると個人的には思っている。だってライオンは狩りが上手くないから。そりゃ兎一匹にも全力だろうさ。生活もかかっているし。


 それはともかくとして、戦力が潤沢にあるわけでもないのだから、適切な場所に適切な戦力を送り込まなければならない。常に全力では息切れしてしまう。そういう視点で見たとき、小倉藩兵が籠もる大里には総攻撃をかけるまでもないと判断して追撃部隊を予め編成していたのである。


 話を戦場に戻すと、私の目論見通り赤坂口の守りが整わないうちに雪崩れ込む駆け込み乗車作戦は成功した。乱戦に持ち込んだので白兵戦――西洋式装備を有している利点は消えたものの、戦う準備をしていない敵と戦う気満々の味方。この時点でかなりの差がついていた。


 赤坂口は本拠地(小倉)に続く最後の砦。敵もこれまでにない粘りを見せる。だが、大里を攻めていた部隊が合流したことで形勢は一気にこちらへと傾き、私たちの圧力に耐えられなくなった敵は敗走した。約二時間の激闘の末、我々は赤坂口の確保に成功したのだった。


 作戦は大成功。それなりの損害を受けはしたものの、赤坂口を確保できたという戦果は非常に大きい。正直、これまでは我々が渡海している間に下関に侵攻されたらどうしようという不安があった。しかし、小倉への玄関口である赤坂口を確保したことにより流れが変わったのだ。


 下関に侵攻しようとすれば我々が小倉へと雪崩れ込むリスクを敵が抱えることになる。小倉は九州から長州を睨む重要拠点。放置などあり得ない。ゆえに幕府側はリスクを避けるため赤坂口を奪還しなければならなくなった。攻め手を我々が制限したのである。戦術的のみならず、戦略的な大戦果であった。


「急げ急げ! 敵は時間をくれんぞ!」


 大勝利ではあったが、安心してはいられない。小倉に屯する幕府軍が奪回に動くことは容易に想像がつく。私たちは疲れた身体に鞭打って防衛の準備にとりかかった。


 簡単な陣地構築が終わった頃、敵がやってきた。旗印はここまで散々に打ち破られた小倉藩の三階菱。しかし、今回はそれだけではなかった。


「九曜紋……熊本藩か」


「はい」


 肥後細川家。戦国時代に活躍した細川幽斎、忠興の末裔だ。いや、ネームバリューなどどうでもいい。問題は彼らの装備である。


「さすが、と言うべきか。アームストロング砲とは……。重砲のない我々には羨ましい話だな」


 誰に言うでもなく愚痴ったが、熊本藩は我々と同じように西洋式の装備で固めていた。しかも小銃のみならずアームストロング砲まで持っている。小型の砲しか持たない我々にはとんでもない脅威だ。


 赤坂口の奪還にはこの他にも幕府海軍が参加し、沿岸砲撃を行う構えである。ただ、その陣容は前回と比べて寂しいものとなっていた。理由は富士山の脱落である。砲撃の際、暴発を起こして船が損傷したのだ。迫力に欠ける。何より富士山が軍艦であるのに対して、今いる船は輸送船に武装を施しただけ。違いも出ようというものだ。


 攻撃は激しく、前線も極めて流動的となる。敵が重砲の射程と威力に援護されながら味方の陣地へ突撃。善戦虚しく奪取されたと思ったら、長州の逆襲で逆戻りといった一進一退の攻防が続いた。


 その間に修理を終えた富士山が帰ってきて艦砲の威力が増したが、戦況を大きく変えるほどの影響はなかった。七月に入って新たに回天(プロイセンの軍艦でイギリス商人の手を経て幕府に売り渡された)が加わったが、同様にさしたる影響はない。


 また、周防大島から小倉口に戻ってきた高杉とその麾下の艦隊も劣勢ながら時折、攻撃を仕掛けて茶々を入れていた。まともな戦いをしようとは思っていないため、さながら死人と怪我人の出る可愛くないじゃれあいであった(やっている方は至って真剣だが)。


 熾烈な攻防を繰り広げること約一ヶ月。当然だが双方ともに少なくない損害を出していた。代表は山田鵬輔以下の奇兵隊第一小隊だ。隊長の山田が戦死するなど全滅判定であった。そんなとき、


「た、大変です!」


 今日も今日とて戦いだ、と気合を入れていた。七月末ということで暑い日が続く。戦闘で負傷するならともかく、熱中症なんかで倒れられては困るので水分補給などには気を配るよう言おうか。そんなことを考えていると、陣内に伝令が慌てた様子で駆け込んできた。


「どうした?」


 痺れを切らした幕府軍が総攻撃でもかけてきたのかと思ったが、現実はその逆だった。


「諸藩が軍を引き上げています!」


「「「は?」」」


 その場にいた幹部も含めて伝令の言葉が理解できなかった。しばらくして何が起きたのかは理解したが、理由を説明できない。おかしいだろ。敵が目と鼻の先にいるのに、味方を放置していなくなるなんて。


 特に熊本藩。彼らとはおよそ一ヶ月の間、血みどろの戦いを繰り広げてきた。そんな彼らが何事もなかったかのように引き上げるとは……。にわかには信じられない。


 最初は見え見えの誘引策かと思ったが、しばらく動きを見守っていると本当に引き上げていた。それぞれの藩が国元へと続く街道に沿って行軍。各宿場に先触れまで出しているそうだ。


 さらに、これまで海上から盛んに艦砲射撃を行い、高杉艦隊と戯れていた幕府海軍もどこかへ行ってしまった。どこにも影も形もない。


 突如として敵が消えてしまった。あり得ない現実に私以下、小倉口の指導者は混乱する。なぜこんなことをしたのかは理解に苦しむが、敵がいないならば進撃するべきだという話になった。日付の切りもいいことから八月一日を以て小倉へ進発――しようとした矢先に、


「小倉城が燃えております!」


 またしても意味不明な報告が上がってきた。










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