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薩長同盟

 






 ――――――




 勢いで結婚したが後悔はない。むしろいい縁談だったと日を追うごとに実感していた。


 第一印象とは違い、海はいたって出来る娘だった。赤右衛門が言ったように芸事はひと通り仕込まれているし、客人への応対も見事である。物腰も柔らかく、いいところのお嬢さんといった様子だ。


「家のことはわたしにお任せを。旦那様は外でご存分に」


 などと言ってくれる。まったく、いい嫁さんを貰ったものだ。


 海と結婚して気付かされたのだが、桂たちとのコネクションを求めていたと思っていた相手のかなりの数が私目当てで接触してきていた。それらの相手を彼女が引き受けてくれるので、私は本来の仕事に専念できる。軍事に外交に、仕事内容が増えてキャパオーバー気味だったのでかなりありがたい。


 外交といえば、私と同様に忙しくしているのが俊輔。彼は外国商人と薩摩藩名義で行う取引を任されている。最近では外国船の購入で問題(ユニオン号事件)が起きたらしい。私のところにも薩摩側からどうなってるんだ、と照会が来た。もっとも、長崎での交渉は知らないのでどうなってるも何もないのだが。


 そんな俊輔が私の家にひょっこりと顔を出した。


「小助、元気か?」


「ああ。暫くぶりだが、俊輔も元気そうだな」


 久方ぶりの再会を喜ぶ私たち。そのとき、俊輔の目線が海へ向く。


「可愛らしい娘さんだな。小助も女中を雇ったのか……」


 などと言いつつ徐に海へ手を伸ばす俊輔。その手を私は叩き落とした。


「知らせはやっただろう? 私の妻だ」


 式に呼んだものの、都合がつかず来れなかったのだ。なので俊輔は海の顔を知らない。しかし、結婚したことは知っているので私の言葉で相手が誰か理解したらしい。


「ああ、御新造様でしたか。これは失礼を――」


「い、いえ……」


 初対面であることに加え、俊輔の奇妙な行動に人見知りしない海も困惑しているようだ。そんな彼女に寄り添いながら、俊輔の悪癖を説明する。


「こいつは生粋の女好きでな。海が綺麗だからと手が伸びたのだ。まったく、困った奴だよ」


「すまん。すまん」


 俊輔は申し訳ない、と言いながら海にも詫びを入れる。女好きということでなるほど、と海も彼の性格を理解したらしい。それからは少し壁を感じさせながらも普通に接していた。


 居間に移動するなかで祖母とも挨拶した俊輔。彼と互いの近況について語り合った。そして夕方に差し掛かるといった頃、唐突に俊輔から夕食に誘われる。


「ちょっと飲みにいかないか?」


「急だな……」


 私は海の方を見る。夕飯の準備をしているなら断ろうと思っていた。しかし、


「せっかくだから行ってきては? あまりたくさん食べないでくださいね」


 帰ってきたときに軽く食べられるものを用意してくれるという。既に食材の買い出しは済ませていたので、それを無駄にしないためだ。ご厚意に甘えつつ、もったいないのでほどほどにしておくとしよう。


「じゃあ行くか」


 と言って俊輔に連れ出された。家族に気を遣いつつ、久方ぶりの友人との食事ということで内心では楽しみにしていた――のだが、


「おい」


 俊輔に連れてこられた店の前で真顔になる。


「茶屋じゃないか」


「ああ。行きつけなんだ」


 行きつけなんだ、じゃねえよ。茶屋――現代でいうところのカフェだが、ただのカフェではない。いや、普通にカフェやっているところもあるのだが、人が商売をすれば儲けたくなるもの。もっと利益を、もっと客をと追求した結果、彼らはキャバクラのような営業形態に行き着いた。


 幕府や諸藩は質素倹約こそ美徳とし、風俗や娯楽に対して統制を加えている。そのため、風俗店は吉原をはじめとしたごく限られた地域のみにしか存在しないことになっていた。あくまでも建前では。


 しかし、実際には人々の要望も踏まえて街道筋にある宿場には茶屋や旅籠の仮面を被った風俗店が存在し、公権力も目立たなければ黙認している。俊輔に連れてこられたのはそういった店のひとつだった。


「小助は真面目すぎる。少しは羽目を外して遊ぼう」


「はあ」


 私が真面目すぎるのではなく、お前が遊びすぎているだけだ。そんな言葉を呑み込んで俊輔に続いて店に入る。酒と料理をほどほどに楽しみ、早々に退散した。


 ……


 …………


 ………………


 そして現在、


「……化粧の香りがする」


 家に帰った私は海に詰められていた。出迎えを受けたとき、異変を感じたらしい。端正な顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。そして体についた化粧の匂いを嗅ぎとると、瞳のハイライトを消して詰めてきた次第。


「伊藤様とお食事に行ったのですよね? ね?」


 怖い……。


「案内された先が俊輔の行きつけだという店で接待もあったがあいつの手前、断れなかったんだ。ただ、誓って酒肴を口にした以外は何もしていない」


 無実を証明してくれる俊輔は今ごろ店でよろしくやっているのだろう。そのことを恨めしく思うが、今は海の誤解を解くことが先だ。ハイライトが消えた深淵のような瞳は恐ろしいが逃げるわけにもいかない。違います、という念を込めて彼女を見つめ返す。


「……確かめます」


 しかし、疑念を晴らすには至らず、彼女によって検査された。結果は問題なし。疑いは晴れたのだった。




 ――――――




 結婚という人生における大きな節目を迎えて私生活において大変動があったが、藩を取り巻く政治状況も大きく変化した。


 幕府は長州征討に乗り出して勝利を得たが、肝心の長州藩に対する処分は不十分であった。特に幕府が重視していた藩主父子の江戸拘引は実現せず、また長州藩も非協力的な態度をとる。これを見た幕府は将軍の上洛、二度目の長州征討の勅許という手段で圧力をかけてきた。


 そんなときに欧米列強との間で兵庫開港問題が持ち上がり、その対応に追われた幕府はしばらく長州との折衝を後回しにする。しかし、その問題が片付くといよいよ本格的に長州再征討へと乗り出す。


 慶応元年(1865年)十一月七日、幕府は諸藩に対して長州への出兵を命じた。幕府軍の本陣はまたしても広島に置かれ、そこで幕府と長州の間の最後の交渉の席が持たれる。


 幕府側も長州への処分を決めていなかったが、最終的に以下のような内容に落ち着く。


 一、藩主父子の朝敵認定を解除


 二、十万石の減封


 三、藩主は蟄居、世子は永蟄居。家督は別の人間に継がせる


 四、三家老の家は断絶


 しかし、長州側が受け入れるはずもなく交渉は決裂。幕府側は主要人物の出頭を何度も命じたが、病気だといって拒絶される始末であった。拒否することは最初から決まっているものの開戦時期を引き延ばすため、長州はこの茶番劇に付き合っていた。


 幕府側もようやくこの遅滞戦術に気づき、五月を回答期限と定めて長州が従わなければ六月五日より武力行使に出るとした。


 さて、その間に長州側は何をしていたのか。それはもちろん、軍事的な緊張の高まりに応じた対抗策の準備である。その鍵を握っているのは嘗ての怨敵、薩摩藩。


 京都において一大勢力を誇っていた長州が今日の窮地に陥ったのは薩摩のせい――そう考える長州藩士は残念ながら少なくない。私からすると完全な逆恨みでしかないのだが、人間は思い込んでしまうとそこからなかなか脱却できないのである。


 しかし、窮地に陥った長州に対して藩論が変わった薩摩が融和的な態度を示し始めたことで潮目が変わった。私も坂本(龍馬)たちと共に随分と骨を折ったが、どうにか桂たち上層部を説得して関係改善に漕ぎ着ける。以来、薩摩藩名義での武器調達や京都における幕府の朝廷工作の妨害など、密かに協力してもらっていた。


 そして今回、そこからさらに踏み込んだ関係にしよう――と薩摩側から提案を受ける。最初に受けたのは勿論、交渉の窓口となっている私だ。すぐさま桂に報告した。


「なるほど。まず山縣さんはどう思う?」


「無論、受けるべきです」


 答えはノータイム。孤立していたところを救ってくれたのは薩摩だ。我々に損があることでもない。断る理由がなかった。


 さすがに議題が議題であるため私の意見は参考意見として扱われ、藩主も参加する会議へと提案がなされた。ここでも特に反対意見はなく、早速誰を送り込むかという話になる。


「やはり山縣殿が適任でしょう」


 桂は私を推薦してきたが、待ったをかけた。


「大変光栄なのですが、某は下関を守る御役目を承っています。今日の情勢で京へ行くのは憚られるかと……」


 私は下関方面(小倉口)の方面軍司令官といった立場にあり、長州海軍を預かる高杉とともに九州方面の幕府勢力を一手に引き受けることになっていた。そんな要地を固める人間が、軍事的緊張が高まる中で任地を離れるなどあり得ない。


「左様ですな」


 会議に出席していた村田も援護してくれる。彼もまた石見方面(石州口)を担当しており、同じ立場にある者としての言葉だった。


「ならば井上殿か伊藤を――」


「井上殿も芸州口(安芸方面)の担当ですし、伊藤殿は長崎から動かせません」


 桂の言葉を遮る。今言ったように井上も司令官となっており、長崎の交渉役は伊藤ひとりとなっていた。長崎における交渉役は長州藩の武器調達を担う重大な仕事だ。外国語の素養も求められるため、留学経験者である二人を除いて適任はいなかった。


 ……今まで気づかなかったが、このやりとりで察する。薩摩に対する桂の隔意を。なるほど、窓口役を私にやらせていたのも薩摩の人間となるべく関わらないようにするためか。好き嫌いがあることは構わないが、角を立てないよう上手くやってほしい。大人なんだから、嫌な相手とも付き合うしかないのだ。


 その後も桂は残っている家老などを使者に仕立て上げようとしたが、彼の意図は明白であった。それを看破できない愚鈍な人間はこの場にはいない。


「桂――」


「はっ」


 抵抗する桂に対して、黙っていた藩主が彼を呼ぶ。


「京へ行き、薩摩との談判に及ぶべし」


「……承りました」


 藩主の命には従わざるを得ない。後日、薩摩側の使者としてやってきた黒田了介(清隆)に連れられて上京した。そして無事、薩長同盟は結ばれる。


 それからは私が任地を離れられないことから桂が代理の交渉役を務め、各地で薩摩藩の幹部と会談を重ねる。交流を重ねたことで彼のなかにあった蟠りも解けたらしく、彼らとの関係は強化されて薩長の結びつきも比例して強くなるのだった。










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また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




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[一言] 博文公の女好きは大帝陛下から窘められても止めなかった程の筋金入りですからね。 >彼女によって検査された。 どんな検査だったんでしょうねぇ(すっとぼけ)
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