衝動に突き動かされ
――――――
色々と準備がある、ということで海が奉公に出てくるのは数日後になった。赤右衛門たちは今晩、萩に一泊するそうだ。それを聞いた祖母はこんな提案をした。
「でしたら荒屋ですけれど、ウチに泊まっていかれては?」
すると赤右衛門は我が意を得たり、とばかりに膝を叩いて応じる。
「それはいい。海、奉公前の予行だ。一晩ご厄介になりなさい」
「はい」
君たちグルなの? と疑いたくなるほどスムーズなやりとり。いやさすがに気持ち悪い。特に海。君だよ君。町で見せたお転婆な様子はどこへ行った? 淑女みたいに振る舞っているが、本性は違うだろう。――そんな疑いの眼差しを向けていると、不意に海と目が合った。
じとー
ふいっ
目を逸らされる。彼女も私が言いたいことを察したのか、いささかバツが悪そうだ。
これは何かある。
直感的にそう感じた私はある提案をした。
「そうだ。家や周りを案内しましょう」
これを口実に海を連れ出すのだ。我ながら完璧な計画である。
「いいじゃないですか。こちらも二人で少しお話ししたいと思っていたからいい機会だわ。小助さん、海さんを案内してあげなさい」
「承知しました、お婆様。半刻ほどで戻ります。……行きましょう」
「はい」
私は半ば無意識に手を差し出す。立ち上がるのを補助してあげようという親切心からきた行動であったが、この時代としてはあり得ない動きだった。おっと失礼、と誤魔化そうとしたのだが、海は私の意図を察したのか手をとって立ち上がる。
「ありがとうございます」
「いや、別に……」
と言ったっきりで沈黙が場を支配する。ふと視線を感じたので見てみると、祖母と赤右衛門がニヤニヤしていた。
なぜか知らないが恥ずかしくなった私。今、絶対顔赤い。
「さあ、行きましょう」
耐えきれなくなり、握ったままだった海の手を引いて家を出る。人集りは伝七が散らしてくれたらしく、戸口に人はいなくなっていた。
いつぞや祖母が飛び降りた橋に来たところで海と向かい合う。ここは町屋から少し外れたところにあり、昼間にもかかわらず人は少ない。落ち着いて話をするには丁度いいところだ。
「さて、そろそろ猫かぶるのをやめたらどうだ?」
「そうするわ。疲れるのよね」
言っておいてなんだが、海は意外とあっさりと淑女の仮面を外した。まあ、慣れないことをすると疲れるのはよくわかる。私も偉い人と会うときは心労がマッハだからだ。薩摩藩との取次役になってからというものの、そういう場面が多く困っている。
「それで、なんでまた家に押しかけてきて奉公に出るなんてことになったんだ?」
「押しかけたって……何かあれば萩の山縣を訪ねろ、って言ったのはそっちじゃない」
「それはそうだが、商売敵とのいざこざは解決しただろう?」
「だからお礼に来たのよ」
来訪した目的の第一はそれだという。……ん? 目的の第一は???
「他にも目的があるのか?」
「父にはね」
わたしにはないけど、と付け足される。言われなくともそれくらいは予想がつく。無反応でいると、期待通りのリアクションがないことに口を尖らせながら説明してくれた。
「他の目的は貴方との繋がりを得ることよ。丁度、悪漢から娘を救ってくれた上に商売敵を成敗してくれた恩義があることだし。あの人がそれを利用しないわけがないわ」
商売は生き馬の目を抜くもの、などと言われるが赤右衛門さんも例外ではないらしい。なるほどな、と納得していると海から呆れた目を向けられた。
「……あのねえ、貴方がどれだけ注目を集めているかわかってないんでしょう?」
下級藩士でありながら台頭し、軍部の中核を担う傍らで薩摩藩との取次役を担うようになった私。昔馴染みの商人もいないため、その立場に立てればそれなりの利益が見込める。下関――いや、長州の商人は誰もが私に取り入ろうとしているらしい。
藩内の政局にしても、正義派の反対派閥は壊滅したため少なくとも十年は安泰。こんな優良人材はなかなかいないのだそうだ。以上は赤右衛門が海に話したことらしいが、彼女らはそういう認識らしい。他者の評価は私がどうこう言って改まるものではないので諦めるしかないだろう。
だが、得るものがなかったわけではない。海と話すなかで考えがまとまり、赤右衛門の狙いに気づくことができた。なぜ、彼女を奉公に出すことが利益になるのか。最初は生活のなかに溶け込ませ、心理的ハードルを下げることで商売方面の関係を築こうという遠回りなやり方なのかと思った。だが、それは違う。もっと直接的だ。
女性が武家に奉公した場合、女中として扱われる。その主な仕事は山縣家で考えると祖母の世話だろう。健康体ではあるが、年齢的な衰えは否めない。介護とまではいかないものの、代役として主に外での用事をこなすことになるはずだ。買い物も当然そこに含まれる。そのときどこを利用するか? もちろん実家の倉屋だ。季節の挨拶やお役目で必要となる贈答品を調えるのも倉屋。
「……なるほど。たしかに繋がりは欲しいだろうな」
関係者が多いので、贈答品もかなりの量に上る。これらを受注できたならかなりの儲けが見込めるだろう。――そんな予想を話すと、海が呆れたようにため息を吐く。
「いや、そういう利益もあるかもしれないけど、父がその程度のことしか考えていないわけがないじゃない」
そんなことをしなくても己の才覚で商圏を拡大するという。倉屋が期待しているのは私による庇護だそうだ。
「商売の肝は信用。今回の件で貴方への期待は確信に変わったわ。だから挙って関係を築こうとするのよ」
海の言うところによると、権力者とコネを築きたがるのは何かあったときに融通を利かせてもらえるようにするためなのだそう。いわば保険だ。そこで喜ばれるのがなんと言っても実績。倉屋を助けた今回の事例はまさしくその実績になるという。
この人は困ったときに助けてくれる。商人たちは今後、そのような認識を以て私に接触してくることになるそうだ。倉屋としてはその取りまとめをし、商人たちに恩を売って影響下に置きたいらしい。海が奉公に出てくるのも、窓口から外れて接触しようとする輩を防ぐ防波堤になるため。
「貴女が来るのも、近くで監視して出し抜かれないようにするためか」
「悪く言うならそうね。……ただ、それだと貴方はもちろん、周りからも不平が出るわ」
たしかに。監視役ですとぶっちゃけられた手前、どうしても彼女をそういう目で見てしまう。警戒感を抱かないかというと嘘になる。それに、周りの商人にしてもいくら救ってもらった恩があるといっても、倉屋が出しゃばって関係を仕切ることは嫌がるはずだ。
「だから、父はわたしにそれを納得させるようにしろと言っているわ」
「それは説得しろということか?」
「違うわよ。ここに来るまでに聞かされて、お婆様にも確認をとったのだけれど……貴方って独身よね?」
「そうだが。……っ! まさか!?」
とても嫌な予感がした。ハッとなって海を見ると、してやったりとばかりにいい笑顔で笑っている。
「夫婦であれば言い訳がつくじゃない」
妻の実家に配慮してます、あるいは任せていますという言い訳はできる。だが、問題はそこではない。
「貴女はそれでいいのか?」
見合い結婚が一般的な時代ゆえ、私もそれが悪いと言うつもりはない。恋愛と結婚は別(結婚は生活していくための手段)ということはこれまでの生活でよく承知している。しかし、この縁談は「期待」であって「強制」ではない。こちらに裁量がある以上、それを尊重したかった。
「別にそういう相手はいないから問題ないわ。むしろいい人だな、って思ってるのよ?」
意外な言葉だ。
「……前に会ったときは罵倒されたが?」
いい人に見えるのだろうか? 散々罵った相手が。特に虐めるつもりはない。純粋な疑問である。
「あのときは悪かったわよ。少し気が立ってて……」
倉屋の後継者という立場を目当てにすり寄ってくる男が多く、警戒心がマックスだったらしい。そのためいいなと思う相手はいないという。
「それで、貴方はどうなのよ?」
「どう? とは?」
「わたしをどう思ってるのかって。……行き遅れだけど、容姿には自信があるのよ?」
言われて海をまじまじと見る。濡羽色の髪に二重瞼のパッチリとした目、女性らしい丸みを帯びながらもメリハリのある体つき。彼女の言う通り、容姿はとても整っている。行き遅れとは本人談であるが、とてもそうは見えない。
「いくつなんだ?」
ゆえに気になって訊ねてしまう。女性に年齢を訊くなんて、と現代ならばデリカシーがないなどと言われてしまうが、ここは江戸時代。そんなクレームを入れてくる者はいない。
「……………………十七」
よっぽど恥ずかしいのか、しばらく躊躇ってから蚊の鳴くような声で明かしてくれた。
なるほど、たしかにこの時代の感覚からすると行き遅れといわれても仕方がない。だが、中身現代人の私からすれば何も問題なかった。何よりこんな美少女が結婚しよう、と言ってきているのだ。第一印象はじゃじゃ馬という感じだったが、話すと意外にもちゃんとしている。これからも付き合っていけそうだと思った。
「何も問題ないな」
そう答えると、海の表情が明るくなる。それから意を決したような顔でおねだりを始めた。
「もうひとつ、望みがあるの」
「言ってみて」
無茶苦茶なお願いならともかく、ちょっとしたものなら叶えてあげようと思う。何より、彼女の真剣な様子に影響された。
「女の身でって言われるかもしれないけど、家の家業を継ぎたいと思っているの」
なるほど。それはたしかにネガティブな言葉が先に出てくるのも頷ける。銘々稼ぎ――現代風にいえば男女共働きの社会といえど、武家や公家、裕福な商家では専業主婦となるのが一般的だ。その上で働くことを許容してくれるのか、というのが彼女の懸念事項だったようである。
「まったく問題ないぞ」
まあ、武家に来る以上は周りの目というのもあるからあまり大っぴらにやられるのは体面上困るが、バレないようにやる分には問題ない。
「これで懸案はとりあえずなくなったな。なら、善は急げだ」
来たときのように海の手を掴む。
「へ……?」
事態を呑み込めていない彼女を引き連れて家へ戻った。そして奉公の話を白紙に戻させる。二人は慌てて翻意を促してきたが、私はそれらを遮って言った。
「彼女を妻に迎えたい」
二人はポカン、とした後に大歓喜。孫(娘)の相手がやっと決まった、よかった、と互いが泣きながら喜んでいた。
それからは早かった。私たちの気が変わらないうちにとでも思ったのか、一ヶ月と経たないうちに式が行われた。急なことなので都合がつかない招待者も多く、出席者は少ない。それでも桂や村田などは来てくれた。ありがたいことだ。
「これからよろしく頼む」
「はい。旦那様」
後から考えるといささか性急だった気もするが、同時にこの人だという運命を感じたので後悔はない。ともあれ、私は海と結婚した。慶応元年、私が二七で海は十七。十歳の歳の差夫婦の誕生である。
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