下関の顛末
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下関は古くから交通の要衝として栄えてきた。それは唐や朝鮮といった大陸のみならず山陰や北陸、蝦夷からの荷が通る位置にあるから。そんな街の栄華を支えてきたのは武家ではなく商家。わたしの家は下関でも一、二を争う大店だ。
「ただいま〜」
「「「おかえりなさい」」」
『倉』と書かれた暖簾を潜って帰りを告げる。番頭さんをはじめ、その場で働いていた人たちが迎えてくれた。
「おお、海。おかえり」
「ただいま帰りました、父上」
やや遅れて奥から父が出てきた。わたしが生まれてすぐ、母は亡くなった。それからは従業員の人たちの助けも借りながらだけれど、男手ひとつで育ててくれた。とても感謝している。従業員の人たちも家族みたいな存在だ。
「店主! こちら――」
「店主! 宍戸様から――」
倉屋は船問屋(廻船問屋)を営んでいる。元は日向の出で、戦乱から逃れて下関に来たのだとか。ご先祖様が商いを始め、お店を大きくしていったことで下関でも一、二を争うような大店となった。商家や武家とも多くの取引がある。手代や番頭さんが仕切るものの、大きな取引は父の領分。出迎えの言葉をかけると、すぐに仕事へと戻っていった。
話ができたのは夜になってから。手代の亀吉も呼び出して昼の件を説明する。
「次郎吉屋の……」
「ええ。亀吉が絡まれたところに通りすがりのお侍が間に入ったけど、余計にややこしいことになったわ」
お侍はゴネる悪漢に対して奉行所への訴訟までちらつかせた。確かに追い払えたけれども、本当に訴訟になったときには分が悪い。次郎吉屋は下関で一番の商家。お奉行所にも顔が利く。
「お侍は『任せろ』って言っていたけど……」
見た目は木っ端侍――侍は侍でも足軽あたりの小者だろう。藩の上層部に顔が利くとか言っていたけど、それも怪しいものだ。
「そのお侍様はどなた様なのだ?」
「さあ?」
別れ際に何か言っていた気がするけど忘れてしまった。
「亀吉は何か覚えていないかい?」
父が脇に控える亀吉に話を振った。
「何かあれば萩の山縣を訪ねろ、って言っていたかと……」
自信なさそうに答える。亀吉は手代のなかでも優秀なんだけれど、弱気なのが玉に瑕だ。父や番頭さんたちもよく愚痴っている。とはいえ、仕事はできるので信頼されてはいた。
その亀吉の口から出た「山縣」という名前に、父は激しい反応を示す。
「なんと! あの山縣様か!」
「ご存知なのですか?」
「もちろんだとも」
長州で先ごろ起きた内乱で活躍した人らしく、今は諸隊と呼ばれる町民や農民で編成された部隊の訓練を担当しているという。さらに軍学にも明るく、その見識は藩内でも一目置かれているそうだ。
「最近は薩摩との談判を任されているらしく、何度か薩摩や京に足を運んでいるようだ」
その任務は薩摩との外交。首脳部と会って書簡を届けたり、何事かを相談したりしているらしい。下関の商人の間でも、お近づきになりたいと思っている者は多いのだとか。かく言う父もそのひとり。商いを大きくするために大口の客や儲けの種には貪欲でなければならない。
「そんなに立派な人だったんだ……」
身なりがいいようには見えなかったけど、そんな注目株だとは思わなかった。
「これは絶好の機会かもしれないぞ。上手くいけば次郎吉屋を出し抜けるかも……」
父が悪い顔をしている。でも、次郎吉屋とウチの因縁を考えると無理からぬことかもしれない。何代も前からの深い因縁だ。
次郎吉屋とウチは今でこそ敵対関係にあるが、昔は良好な関係にあった。なぜなら、次郎吉屋はウチから暖簾分けされてできた店だからだ。それが三代か四代前のときに次郎吉屋の店主がウチの取引先を横取りするという不義理をした。下関の株仲間も向こう側に味方し、四面楚歌状態。先代たちは苦労しながら失地挽回し、勢力としては同格にまで戻した。それでも村八分状態のときに離れた取引先は戻っていない。
最近はウチが押されている。倉屋に跡取りがいないからだ。父の子どもはわたしひとり。こういう場合は他の家から婿をとるのだが、先の因縁があって商家は信用ならない。さりとて適当なところから婿をとるわけにもいかず、棚上げ状態で今に至る。そこに目をつけた次郎吉屋は次男を婿に出す、などと言ってきていた。
「倉屋さんの跡目がいないのはよくないですからね」
などと言っているそうだが、本音では結婚で取り込む気なのだろう。そんなのは嫌。父も同じで、最近は結婚について話すことはなくなった。店も番頭の誰かに継がせるか、と言っている。暖簾を残せればよく、血筋は関係ないと。わたしたちはそのつもりなのだけど、外野はそうではない。だから次郎吉屋みたいに求婚してくる輩が後を絶たない。
……相手を、それもそれなりに力のある人を結婚相手にすれば収まるのだろうけど、生憎とそういう相手はいない。近づいてくるのはわたしの家を乗っ取ろう、っていう下心のある男ばかりだからだ。従業員にしても、力量のある番頭になると年が離れすぎている。まさか手代や丁稚から婿をとるわけにもいかない。
はぁ。いい人いないかな。
わたしだって結婚したくないわけではない。家の状況からして婿をとって切り盛りしていくんだろうな、と幼い頃から考えていた。でも、周りの環境が許してくれない。家のことが片づくまでは――それが父の養子か私の婿養子かはわからないけれど――独り身だろう。
「はぁ……」
結婚について最近は考えないようにしていたのに、嫌なことを思い出してしまった。最悪だ。父が悪巧みをする横で、わたしはため息を吐いた。
――――――
しばらくして。
あれから父は忙しそうにあちこちを飛び回っていた。次郎吉屋に一泡吹かせるための悪巧みに精を出している。
その次郎吉屋も動いた。言い訳の準備ができたのか、お奉行所に訴え出たのだ。対策をしているとはいえ、相手はお役所との繋がりが深い。わたしは心中穏やかではなかった。
吟味が開かれる日の前日。やはり不安で落ち着かない。そんなとき、店にお役人がやってきた。
「延期ですか?」
父とお役人が話をした後、わたしに聞かせてくれたところによると、お奉行所での吟味が延期になったという。なんでも、お奉行様が急に呼び出されて奉行所を空けなければならなくなったからだそうだ。
何があったんだろう?
当然、父も調べた。そしてお奉行様が解任されたことが明らかになる。しかもその理由が次郎吉屋との癒着が明るみになったためだという。これを知った父は、
「悪巧みに時間をかけたのが敗因だな」
と笑っていた。
次郎吉屋もこの件で取り調べがされれたが、その傍らで壺の一件についての吟味も行われた。といっても形式だけ。こちらにお咎めはなし。逆に訴え出た次郎吉屋の側に非があるとしてお叱りを受けた。
この件も次郎吉屋とお奉行様との間で話がついていたことだ。両者が結託していたからこそ訴えられたもので、それがなくなれば罪や罰を受ける謂れはない。
「いやー、よかった」
「次郎吉屋もざまあみろってんだ!」
目の上のたん瘤であった次郎吉屋が公儀に罰されたのはまさしく快事であり、従業員たちもワイワイ騒いでいた。噂では、あちらの派閥は軒並み何らかの罰を受けるという。小さなところは商いどころではないし、大店といえどその規模を小さくせざるを得ない。何にせよ下関における前代未聞の疑獄事件であり、事態を重く見た公儀も徹底的な取り調べを行うそうだ。
一方、流通に混乱が生じないように倉屋以下の商家には公儀から便宜を図るようにとのお達しがあった。販路を取り戻す、いや拡大する又とない機会であり、父はこれまでとは違う意味で忙しくしている。
そんな父が珍しく早く帰ってきた。ここ一ヶ月ほど、わたしが起きている間に帰ってくることはなかったのに。
「何かあったの?」
「おお、海。ちょうどいいところに」
わたしに用事があるらしい。
「明日、萩へ行くからついてきなさい」
「え? あ、はい」
なぜ? どうして? という疑問が湧き出たけれど、いつになく真剣な父の雰囲気に呑まれて了承してしまった。
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