下関にて
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私は多忙を極めていた。諸隊の訓練を統括する傍らで、桂や村田に呼び出されて軍事的な協議を行う日々。そこに薩摩藩との交渉窓口という役割が加わった。これまでたまに出仕する程度だったのに比べると雲泥の差である。
藩内での地位が上がり、幹部のひとりと目されるようになった。それに伴って面会希望者というのも増えている。桂や村田と親しいということは知られており、彼らに取り次いでほしいというような要望が主だ。権力に人は寄ってくるのである。そして、私は会うのにそこまで敷居が高くない。いわば丁度いい存在であり、面会希望が多いのだ。
権力という名の甘い蜜に集る蟻どもの相手をするなかでも要人との関係は絶やさない。今日も坂本龍馬と会うために下関へ来ている。会談場所である商家に向かっているところだ。ちなみに翌日には桂たちとの話し合いがあるため、とんぼ返りしなければならない。少しはゆっくりさせてくれ。
下関は赤間(赤馬)関などの名前もあり、本州最南端の港町として栄えている。大陸から京阪神方面へ向かう際、瀬戸内海へとアクセスする船が必ず立ち寄る要所だ。朝鮮通信使も博多をスキップすることはあっても、下関には必ず寄港したという。
通りは賑やかだ。旅人や船員が行き交い、それらを相手にする商売人が威勢のいい声を上げている。現代日本の東京や大阪、それこそ他の地方都市にも及ばない喧騒であるが、しかしそれを想起させるためここの空気が私は好きだ。
……しかし、人が集まればトラブルもつきもの。あちこちで喧嘩をしている様子も見られた。下手すると凶器が出てくるし、こちらが武士といえども刀を軽々しく抜くことはできない。切り捨て御免などといわれているが、実際は厳しい構成要件があるのだ。家族にも迷惑がかかるのでやりたくない。だからこういうときは我関せずとスルーしているのだが――
「ちょっと、あんたたち!」
こういった場には相応しくないトーンの高い声が響く。思わず視線を向ければ、ガラの悪そうな男数人の前に少女が立っていた。裕福な町人階層らしく、綺麗な着物に簪を身につけているが、何よりも目を引くのは意思の強そうな目。その双眸が男たちを睨みつけている。
「何だ嬢ちゃん?」
「怪我したくなかったら引っ込んでな」
男たちが凄む。が、少女は肝が据わっているのか怯むことはない。
「そうはいかないわ。ウチの人足が絡まれているんだもの」
ウチの人足、という言葉に目を向けると少女の背に男が数人。気弱な質なのか明らかに怯えている。
「そうかい」
ガラの悪い男は少女が引かないのを察すると一歩踏み出した。小柄な少女と大柄な男。体格差からかなりの威圧感があるはずだが、少女に怯んだ様子は見られない。いや、本当に気が強い。
空気はまさしく一触即発。周りの野次馬に動く気配なし。……こういう場合、あまり首を突っ込むべきではないのだが、私は思わず声をかけていた。
「少しよろしいか」
「こ、これはお侍さん。何事ですか?」
「いやなに、険悪な雰囲気だったからな。天下の往来では邪魔になろう」
「それは……いえ、すいやせん」
ガラの悪い男は何か言いたそうだったが、言葉を呑み込んで謝罪してくる。
「何があったのだ?」
事情を訊ねる。が、概ね察しはついていた。ガラの悪い男が人足に難癖をつけたのだろう。歩いていたら肩がぶつかったとか、失礼なことをしたとか。
なぜ難癖をつけたのかはわからない。単に機嫌が悪かっただけかもしれないし、あるいは誰かに頼まれたということも考えられる。「人足」や少女の言葉、そして身なりから察するに彼女は商家のご令嬢なのだろう。商売敵からの妨害行為とも考えられる。
私の質問に答えるところによると、ガラの悪い男は身体がぶつかったから謝罪を求めたという。そのときに商品の壺が割れたとか。なんという古典的な……。呆れてものが言えない。しかし、気弱そうな人足のことだから強く出られたらすぐに謝りそうなものだが。
「謝ったのか?」
「は、はい。もちろん。ただ……」
「ただ?」
何か言いたそうだったので先を促してやる。そうすると話しやすいからだ。
「ただ……あちらの方からこちらに向かってきて、避けようとしたのですができなかったのです」
当たり屋かよ。
「何よそれ!」
「デタラメを言うな!」
少女と男が同時に声を上げ、また睨み合いを始める。最終的な目的はどうあれ、当たり屋相手にまともな話し合いで収めることはできない。ここは強引に終わらせることにした。
「よし、お前たち。もう一度謝れ。それでこの件は終わりだ」
「なっ!? そりゃないぜ、お侍さん」
男から待ったがかかる。曰く、この壺は伊万里焼の高〜いやつで、唯一無二の珍品。届け先も相当迷惑しているとか。
……彼らが後生大事に持っている件の壺。骨董品なんて美術館やテレビ番組でしか見たことないが、そんな私でも贋作とわかる。だって素焼きなんだもの。彩色などまったくされていない。このレベルの真贋の判定なら人足はともかくとして、商家の生まれである少女は気づく。
「はぁ!? どこにでもある素焼きの壺じゃない! 何が伊万里焼よ」
ごもっとも。しかし、見る目がないなぁ、と男。その態度にだんだん私も苛立ってきた。
「……はぁ。ならどうしろと?」
投げやり気味に訊ねる。
「そりゃあ、倉屋さんに補償してもらわないとなぁ」
男の視線が少女へ向く。生理的な嫌悪感か、彼女は心底嫌そうな顔をした。
倉屋というのは少女の家の屋号だろう。商売関連のトラブルの匂いがぷんぷんする。これを普通に解決するとなると面倒なのだが、追い払う程度ならばとっておきの手段があった。
「なるほど。相わかった。そういうことであれば、私から上申しておこう」
「「「え?」」」
私の言葉に、その場の全員が呆気にとられたのか素っ頓狂な声を上げる。しかし、私は気にせず続けた。
「だから、この件を公儀に届け出ると申しているのだ」
「え、ちょっと――」
「いやいやお侍さん。何もそこまでしなくても……」
少女と男の双方からに止められる。しかし、私は聞く耳を持たなかった。
「いや、私は寡聞にしてそのような伊万里の様式を知らない。大変な珍品だというならば大事だ。ここは公儀の判断を仰ぐべきだろう」
公儀――江戸時代的には幕府を指すのが一般的だが、地方においては藩政府もまた「公儀」だ。審理においては件の壺も目利きによる鑑定が行われる。そこで真贋がはっきりするだろう。
しかし、私の狙いはそこではない。少なくともこの場では公儀に訴えることはないと思っている。その態度が何よりの証拠だ。
果たして予想通り、
「そこまですることじゃないさ、お侍さん」
「そうだよ」
公儀に訴える、と言った瞬間に男たちの態度が目に見えて軟化した。焦ったようにつらつらと言葉を並べ立てた上で、
「とにかく、この件は報告させてもらうからな」
という捨て台詞を残して去って行った。想定通りである。難癖をつけられたとき、公権力に訴える姿勢を見せると大抵の場合は引っ込む。
「ちょっとアンタ、何してくれてるのよ」
狙い通りになってひとり満足していると、横から少女がクレームを入れてきた。
「悪漢を追い払っただけだが?」
それが希望だったろうに、何が不満なのか。
「お武家様。あの者たちは次郎吉屋の手下でございまして、この町で一番の商家なのです。お役所にも顔が利くので、訴えるのは少しばかり……」
ああ、なるほど。コネのあるパターンか。彼らによって役人に山吹色のお菓子が配られ、裁定が歪むことを心配しているらしい。
「それなら心配には及ばない。私も公儀には顔が利くからな」
しかも藩政府の上層部に。まあ、ここで言うことではないが。
「はあ? アンタのような木っ端武士にお奉行所が話を聞いてくれるわけないじゃない」
「ず、随分だな……」
言葉が強い。舌禍事件起こして損するタイプだ、この少女。私でなければ無礼な、とか言われて問題になってるぞ。
「お嬢様。いくらなんでもお武家様に失礼ですよ」
「亀吉。あんたは黙ってなさい」
「あ、はい」
弱っ! 人足弱っ。雇われの身ではあるけど、もう少し諌めた方がいいのではなかろうか?
「とにかく、この件は私に任せられよ。何かあれば、萩の山縣家を訪ねるといい。……私は先約があるのでこれにて」
外向きの堅苦しい言葉に疲れた私は、坂本と会談の約束を盾にして足早に立ち去るのであった。
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