長州藩の改革
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高杉たちがやらかした。彼と井上、俊輔は揃って雲隠れしている。理由は実に下らないものだった。
三月に長崎へ向かった高杉は商人のグラバーと会見する。その席で高杉は下関の開港を提案したのだ。下関は長府、清末の支藩が支配しているが、これを長州藩の直轄にした上で開港するというのだ。
この案はグラバーに却下される。それだけならよかったのだが、話が外部に漏れてしまった。当たり前だが、支藩は怒った。功山寺挙兵では支援したのに、恩を仇で返すような話だからだ。
怒りを収めるため、長州藩はそんなことはしない、と言明。この話は立ち消えになった。しかし、それだけでは怒りは済まず、高杉は両支藩の藩士から命を狙われるようになる。さらに攘夷論者にも狙われることとなり、堪りかねた高杉は逃亡した。愛人を連れて四国まで。いいご身分である。
同じく開港運動に携わっていた井上も逃亡。こちらは九州へ。俊輔も下関へと逃げ隠れた。いずれも正義派幹部であり、権力の空白が生じかねなかった。しかし、そうはならない。高杉に代わる統率者が現れたからだ。その名は桂小五郎。後に木戸孝允と名乗る維新の志士である。
桂は禁門の変に参加。蜂起が失敗すると同志の助けも借りて但馬の出石に潜伏していた。彼の居場所を知っているのは、潜伏先から桂が連絡をとっていた村田蔵六と俊輔、そして野村靖(入江九一の弟)だけだったそうだ。高杉すら知らされなかったらしい。
幕府による長州征討が始まると村田と野村は桂に帰国を要請。しかし、その使者で桂の協力者が路銀をギャンブルで擦ってしまい雲隠れ。幸いにも同行者がおり、彼は私物を売却して旅費を捻出し、桂にメッセージを届けたという。
そんなトラブルもあり、桂の帰国は遅れて一連のドタバタが終わった後のこととなった。丁度、高杉たちが雲隠れした直後くらいのことで、彼に代わって正義派――ひいては長州藩の舵取りを担うことになった。
桂は帰国後、藩政のアドバイザーである用談役に就任したが、まずやったのは高杉の復帰である。
「彼(高杉)がいないと話になりませんよ」
破天荒な問題児であるが、確かなカリスマの持ち主で優秀だ。そんな人材を放っておくわけにはいかない、ということらしい。彼を狙う攘夷論者に話をつけ、矛を収めさせた。これで逃亡していた高杉ら三名は戻ってきている。
また、桂は自身が推挙した村田蔵六を用所役軍政専務に引き上げ、幕府と戦うための軍隊を育成する軍政改革の責任者とした。
そんな村田が私の許を訪ねてきた。
「山縣殿。貴殿に話がある」
「はあ」
何の用だと思いきや、今やっている軍政改革に協力しろ、ということだった。
「私が?」
「その見識、某に勝るとも劣らない。高杉殿もそう言っていた」
「そんなことは……」
ネット知識にすぎないので謙遜したのだが、
「既に桂殿にも話を通している」
村田はひとり話を進めていた。
話を聞け。
喉まで出かかった言葉を呑み込む。これはあれだ。決定事項だ。どうあっても覆らないやつ。村田はそれを伝えているだけだから、私の言い分など聞く必要がない。
察した私は大人しく話を聞いていた。そして、あれよあれよという間に城へ連れ出されてしまう。村田曰く、桂が私と面会したいそうだ。
「某と高杉殿の推薦を受けた貴殿に桂殿も興味を持ったらしい」
なるほど。本格的に私が松下村塾の人間と関わり始めたときには、既に桂は江戸詰めとなっていた。絡む機会は京都に上ったときくらいだったが、話した記憶がない。挨拶くらいはしたと思うが……。
桂との絡みを必死に思い出している間に面会する場所に到着した。藩政の旗振り役ということで忙しいらしく、桂は三十分ほどして部屋にやって来る。
「貴殿が山縣殿かな?」
「はい。以前、京で一度お会いしたかと」
「そうか」
この反応、桂も話した記憶はないようだ。事実上の初対面、ということで話をする。
「村田殿と高杉殿から聞いている。一流の軍学者だとな」
「私なんてまだまだです」
「ふっ。聞いていた通り謙虚な人物だな」
と言いながらも、松下村塾にてその才を認められていた高杉と、見識を買われて登用された村田に推されているのだからそれを誇れ、と嗜められる。嬉しいことだが、調子に乗ってしまうので、内心ではそう思うことにして、外では謙遜することにした。
「それで、だ。山縣殿、貴殿の見立てをお伺いしたい」
見立てとは何だろう? そう思っていると、すぐに江戸(幕府)との戦について、と補足してくれた。
「そうですね……」
どう攻めてくるか、対応するためにどのような備えをすればいいのか……そういうところだろう。なので、史実の第二次長州征討を持ち出した。
「江戸は前回と同じように五つの攻め口から寄せてくるでしょう」
「前回と同じということは……」
「ええ。芸州、石州、大島、小倉、萩です」
陣立ても概ね似たようなものだろう、という見込みを示す。
「道理だな」
「攻め口はいいとしよう。貴殿はどう当たるべきと考える?」
「江戸の軍が前回と同じと考えると、いくら防長二州の総力を挙げるといってもまともに戦えません……このままであれば」
「このままであれば?」
「どういうことだ?」
言い方に引っかかるものがあったのか、二人が一斉に私を見てくる。その視線を受け止め、頷いてから言葉を続けた。
「慶長以来の軍制ではとても太刀打ちできません。しかし、西洋の軍制ならば可能です」
開国と前後して欧米列強との衝突が起きている。直近の事例では薩英戦争と下関戦争だろう。いずれも日本側は善戦したが、戦いには負けている。
「そして、驚くべきはいずれも海軍……こちらでいうところの水軍に負けているのです」
そう。下関戦争において敵が上陸させたのは陸戦隊だった。水兵に銃持たせただけである。それに我々は負けた。急増の部隊でこれだ。正規軍ともなればより精強となる。私の主張は西洋の軍制や兵器を取り入れて藩軍の近代化を図り、その力で幕府軍に対抗しようというものだ。
「なるほど……」
「ふむ……」
桂と村田はしばし考え込んだかと思うと、顔を見合わせて頷く。そして次の瞬間には破顔した。
「我らが考えていたこととほぼ同じだ」
「いや、恐れ入った。これなら共にやっていけるな」
よくわからないが、ともかく彼らのお眼鏡に適ったようである。それからは少し砕けた雰囲気になり、先ほどの案について具体的にどう進めていくかという話になった。
「知識はあるので人とモノが必要ですね」
「人とモノか……」
とはいえ、人に関してはそれほど心配していない。武士以外の層からも兵を募ればいいからだ。なにせ、相手は十万は超えるだろう幕府軍である。防長二州の武士階級全員を動員したとしても足りない。しかし、武士以外の階層から募れば差は小さくなる。……他の産業もあるから、動員できるのは全体の一割が限界なのだが。
ここで生きてくるのが諸隊の存在だ。彼らは武士以外の階級で編成されている。つまり、これから創ろうとしている新時代の軍の先駆け的な存在ということ。二人からはそのひとつである奇兵隊を事実上、統率してきた私のノウハウに期待している、とのことだ。
無茶を言わないでほしい。赤禰が幽霊隊長で、高杉の後援もあることから支持されて仕方なく隊長代理みたいなことをやっていたが、それにしたって流されるままにやってきた。ノウハウなどない。……が、そんなことも言えないので精一杯やります、と答えた。
現実的な話として、近代軍制を長州において敷けるのか。私は可能だと考えている。それは武士階級以外に熱意があるからだ。先日の功山寺挙兵に際しても、私たちは住民に各地で歓迎された。物資の寄付どころか、志願兵としてともに戦うことまでしてくれたのだ。彼らのエネルギーには凄まじいものがある。
「――ということがありまして、その想いを上手く取り込めば兵員に関する心配はないかと」
そのときのエピソードを交えつつ、桂たちに説明する。村田も、それならば可能かもしれないと前向きな姿勢だ。
「となると問題は――」
「武器、ですな」
「……はい」
はぁ、と三人のため息が重なった。これが現状、最も頭の痛い問題であった。
長州藩にも武器はある。しかしそれは旧式のものだ。ここは思いきって新型の武器が行き渡るようにしたい。
「しかし、異国は我らに武器を売るだろうか?」
「うーん」
桂たちは難しいだろうな、と考えていた。一応、外交的な建前として日本の政府は幕府ということになっている。下関戦争でイギリス本国が慎重な立場をとったように、東洋における軍事行動はかなりコストがかかるのだ。単純なお金はもちろん、政治的なコストも。
元々、日本は鎖国体制にあった。ペリー来航により開国したが、まだそれが当たり前ではない。そのため、外国との関わりは常に緊張感があった。商取引も幕府に気を遣う面があり、彼らが敵視している我々に西洋が武器を売ってくれるのか……現状ではかなり望み薄だ。
「そこでひとつ考えが――」
頭を悩ませる桂たちに、私はとある抜け道を提案した。それは薩摩藩を介した武器購入である。
「薩摩だと!?」
「お気持ちはわかりますが、功山寺において五卿に同行していた浪人たちが話していたのです」
中岡慎太郎ら浪人は私たちよりも遥かにフットワークが軽く、あちこちを行き来していた。人脈も広く、そのなかにあって薩長の変化をよく捉えていた。
薩摩藩は公武合体路線をとり、幕府を佐けて今後の政治運営を行おうとしていた。そのため幕府に協力的で、禁門の変や第一次長州征討にも出兵している。特に前者は薩摩によって長州が追い散らされたも同然で、当事者である桂としては彼らと手を組むのは面白くないだろう。
しかし、薩摩藩は大きく変わった。大きなきっかけとなったのは薩英戦争――イギリスとの軍事衝突である。欧米の力を実感した薩摩藩では佐幕派路線が後退し、代わって幕府の打倒も辞さない倒幕派が台頭した。それが大久保利通や西郷隆盛である。
特に西郷は長州征討において幕府軍の実態、体制の限界を感じていた。最初は戦わずとりあえず和平をし、適当なタイミングを見て正式な処罰(小領への減転封)をすべきだと考えていた西郷。それが後半になると、長州へは寛大な処置をすべきだと考えるようになっている。
私は憶測だとか、五卿とともにいる浪人からの情報だとか断りを入れながら、薩摩藩の変化について語った。彼らは功山寺での活動を知らない。そのため新鮮に映ったことだろう。
「実は私も、薩摩の西郷と会談しまして」
好感触であったこと、また大久保利通とも私的なやりとりがあることを伝えておいた。その上で、
「桂殿。我らと薩摩は細かな点は異なれど、大きな点は同じです。なれば小を捨てて大につき、本懐を遂げるべきでは?」
と、大同団結運動みたいな文句を投げかけてみた。
「……検討しておこう」
桂も思うところがあったのか、少しは前向きな回答をしてくれた。
「武器のことは今後の課題として、今は軍の編制にとりかかるべきだ」
「「そうですね(だな)」」
村田が話をまとめ、私と桂は同意する。その後も話し合いを続け、改めて私が村田の補佐をすることが確認された。仕事は改革への意見と、諸隊の取りまとめである。諸隊を受け皿とした志願者の受け入れと訓練に責任を持つのだ。
上司となる村田からは、要である諸隊の強化は偏に私にかかっている、とプレッシャーをかけられた。胃が痛くなるからそういうのはやめてほしい。
そして、村田は桂の後援の下で藩士で編成される部隊についても改革を行う。従来、武士の移動は従卒の存在が不可欠だった。武士は時代劇のように、重い甲冑を着て行軍はしない。部下に運ばせ、いざ戦うというときになって着用するのだ。武器なども同じである。近代軍ではありえない。ゆえに村田はこれを改めさせ、武士単独で行動できるようにした。
また、軍事教育も彼が担当しており、部隊長クラスを集めて自作のテキストで講義している。何か意見があれば、と言ってそのテキストを渡されたのだが、的確にまとめられていてとても勉強になった。もちろん意見などない。
私は前世で歴史シュミレーションをやっていたから戦略的、大局的な知見はあれど、戦術的な知見はない。なので、空いた時間に村田のテキストを使って勉強したのだった。
【変名について】
本作では読者の皆様の混乱を防ぐため、登場人物の名前は可能な限り変えないようにしたいと思っています(山縣の呼び名についても「小助」で統一)。なので、本来なら谷潜蔵と改名する高杉晋作のままとします。
【謝辞】
遅くなりましたが、皆様の応援のおかげで日間ランキング上位(初めは一桁台、最近は十位台)を彷徨っております。改めて感謝を。よりよい作品に、皆様に面白いと思っていただけるように精力的に投稿していきたいと思います。これからもよろしくお願いします!
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