聖断
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緊迫した日露関係――というのは日本側から見たときの話。ロシアはそれほど重大事とは捉えていなかった。
欧米列強としては後発組のロシア。近代化の時期は日本とそう大差ない。だがあちらはいわばフィジカルエリート。広大な国土に豊富な資源を持ち、陸軍力では世界最強とも目されていた。海軍も世界屈指の規模であり、総合的に見て間違いなく強国であった。
一方の日本は海軍こそ世界レベルの装備だが、陸軍力や資源などを総合的に勘案すると中堅国。清国を破って株を上げたもののロシアと比べると見劣りする。そんな国が格上のロシアに喧嘩を売るはずがない。誰しもがそう思っていた。
しかし日本は既に腹を決めた。ロシアの態度が軟化しなければ開戦だと。もっとも軟化しなければという条件がついている通り開戦は確定的だが確定したわけではない。外交的な努力が続けられていた。
「この件につき一月中に回答願いたい」
外相の小村は駐日公使のローゼンを呼び出すと満韓交換論を基礎とする日露協定案を示し、一月中と期限を区切って回答を求めた。小村曰く、大国と事を構えるきっかけになると思うと緊張したらしく、自分を含む外務省の人間は揃って硬い表情になったそうな。ローゼンもただ事ではないと感じたのか、いつもより真面目に対応したらしい。
私も新年の挨拶がてらクロパトキンに周旋を依頼する手紙を送っていた。ロシアと戦争はすべきだ。しかしそれは私個人の見解。元首たる天皇はあくまでも非戦を望んでいる。主君の意向に沿うように動くのは臣下として当然のことだった。まあ、手応えはないのだが。
ところで、対露開戦は奇襲攻撃を前提としている。かの国と正面からガチンコ対決したとしても、日本の国力では逆立ちしたって勝てっこない。それでも勝たねばならないということで考えに考え抜き、ロシアの国情に勝機を見出した。
ロシアは建国以来、東へ東へと領土を拡大してきた。しかし広大な国土を持つがゆえに開発が追いつかず、東の領土は大半が田舎といって差し支えない。人口も経済もヨーロッパ側に偏っている。極東軍は増強されつつあるものの、兵員にせよ物資にせよ、その大半はヨーロッパ側からシベリア鉄道を通して供給されるわけだ。
奇襲的に開戦して満州に地歩を築き、補給線を締め上げつつ敵に消耗を強いて勝利する
以上が陸軍の結論だった。武士道だ卑怯だとかそんなこと言ってられない。勝つ。何が何でも勝つ。そのためには手段を選ばない。史実通りに革命派の支援も予定していた。既にロシア駐在武官の明石元二郎やイギリス駐在武官の宇都宮太郎らがイギリスと協力してスパイ網を構築。各種工作の下地を築いていた。
奇襲を成立させるため情報統制には細心の注意を払っている。動員を隠すため軍部では「明治二十七、八年戦役戦勝十周年記念陸海軍連合演習」を企画した。関東特種演習と同じで演習の名を借りた戦争準備だ。演習地は瀬戸内海を予定。これなら西に軍が動いても不審に思われることはない。大々的に宣伝させており、口さがない者は極東のサルが浮かれてる、なんて言っていた。狙い通りである。
「急なことだがよく対応したな」
「用意はしてありましたから」
ロシアとの関係が緊迫しているからというわけではないが、軍は万が一に備えて動員計画を立てていた。それに沿っての行動なので支障はない。
観覧のため天皇をはじめ陸海軍の主な高官は広島に移動する。陸軍については総司令部および各野戦軍司令部のスタッフを集める予定だ。
総司令部は司令官に私、参謀長には川上操六が内定している。高級参謀として田村恰与造、福島安正、東條英教を招いた。福島はその語学力を活かして満州における工作を担当。東條も日清戦争時に部下のひとりで、その見識には一目置いているところ。是非とも発揮してほしい。
第一軍司令官は薩摩から黒木為禎。参謀長には井口省吾を就けた。田村をここの参謀長にという声もあったが、川上が右腕として欲しいと望んだためこの配置に。感覚派の黒木と理論派の井口でバランスをとった形だ。
第二軍司令官は奥保鞏。参謀長は落合豊三郎だ。奥は軍人としての能力が非常に高く、指揮能力はもちろんのこと作戦立案も参謀の補佐がなくとも十分な計画を立てることができた。落合も参謀としての経歴は十分。玄人がトップにいる重厚な司令部となっていた。
第三軍司令官は乃木希典。旅順要塞を相手にする軍司令官……乃木以外には考えられなかった。単に史実をなぞるロマンを求めてのものではない。やれと言われたことをやり遂げる実直さ、将器というべきカリスマ性を備えている。いくら軍隊とはいえ、屍山血河の旅順要塞に命令だけでは士気旺盛に突撃させられない。この人のためなら死ねる、というカリスマが必須で、その持ち主は乃木以外にいない。
第三軍の参謀長は長岡外史だ。私が築いた戦術に対して理解がある。航空参謀として総司令部に置いておく手もあったが、要塞攻略まで航空部隊の主力は旅順要塞攻略に投入される計画だ。総司令部が担任する戦線においては副次的な任務に留まる見込みなので、その人事は後回しとされた。なお、要塞攻略の暁には航空参謀として総司令部に置き、代わりに伊地知幸介を参謀長にあてる計画だ。
その伊地知は年明け早々、朝鮮に送り込んでいる。朝鮮半島において第一軍の展開を容易にするための工作に従事させるためだ。彼の他にも工作員がいる。
朝鮮北部にはロシア軍がいた。第一軍の目的はこれらの排除と満州東部、鴨緑江に戦線を築くことにある。……朝鮮が自力でロシア軍を排除できるならこんなことをしなくてもいいのだ。とはいえ、西洋列強に対して朝鮮がどれだけのことをできるのかと言われればできることはない。ただの愚痴だ。それに、遼東半島のみに戦線があると大量のロシア軍を狭い戦線で相手にしなくてはならなくなる。そう考えると悪くはないのかもしれない。
年が明けて明治三十七年を迎えた。1904年――日露開戦の年である。我が家でも新年のお祝いをしたが、私としてはとても祝う気分にはなれない。一世一代の大一番が待っているのだ。とはいえ表面上は平静を取り繕って日々を過ごす。
「来月からは広島だったわね」
「ああ。演習があるからな」
俊輔との合意で政治の第一線からは退いてほぼ楽隠居状態。基本は東京で過ごしており、出張は滅多にしない。久しくできていなかった家族サービスに精を出していた。
一応、軍人としての身分はあるし、部隊の様子などを確認するために各地の演習に家族同伴でちょくちょく顔を出していた。休職中の乃木とよく顔を合わせたものだ。ともあれ、今回もその一環という建前で家族を連れて広島に行く予定だった。我が家の女性陣は融通が利くので嬉しそうについてくる。
「凄い数の汽車ね」
現代のように新幹線で、というわけにはいかない。西へ行くついでに京都で途中下車した(別荘に寄った)ために京都駅で汽車に乗り込む。そのとき私たちはホームを埋め尽くさんばかりに犇めく汽車の群れを目にした。
演習に動員予定の兵士たちは演習のためという名目で広島に集結しつつあった。東海道線と山陽線は軍用列車が増発され、汽車がひっきりなしに走っている。兵員の他に食糧弾薬といった物資も宇品へ向けて輸送されていた。それらにぶち当たったのである。
「これだけの汽車……日本も大きくなったものだ」
つい半世紀前まで髷を結って刀を差してた国とは思えない。紆余曲折はあったが、国は目に見える形で発展していた。不意にそんなことに思い至り感じるものがあった。
「お父様?」
水無子が不思議そうに私を見る。
「お国のことに熱心だったからね」
海は私の内心を見透かしていた。ただ、その後に家のことはあんまりだったけど、と後になって刺してくる。申し訳ないとは思っているんだ。まあ彼女も本気ではない。むしろ家族サービスに感けていたら怒っただろう。その証拠にすぐ冗談よ、と溢した。
京都から広島までは興味を持ったらしい水無子から質問責めに遭った。私もなかなかに濃い人生を送ってきたわけで、武勇伝というほどでもないが語れることは多くある。愛娘が相手ということでつい色々と話していた。
我が家は相変わらずであるが、一方の国は変事を迎える。国内では着々と軍備が整うなか、外交でも動きを見せたのだ。一月中としていた期限にロシアが回答を寄越す。
「変わりなし、か……」
日露交渉におけるロシア側の最終提案は、朝鮮半島の北緯三十九度以北を非武装地帯とするものだった。合意が果たされれば既に展開しているロシア軍は引き上げさせると言ってきているそうだが、
「まあ信用ならんわな」
直近で清国との撤兵の約束を反故にしている。いくら約束だと言ってきても信じられない。
「かくなる上は陛下にご聖断を仰ぐ他ありません」
内閣は既に腹を決めた、と桂は言う。政府は一致した。議会も概ね開戦を支持している。後は開戦へ向けて粛々と手続きを踏むのみ。桂は御前会議を開催した。私たちが広島に移動を始める前のことだ。
「政府といたしましてはできる限りの外交的努力により事態の打開を図りましたが力及ばず……」
「事ここに至りましては前回方針に則り、武力を以て帝国の意思を貫徹すべきと愚考いたします」
小村が外交交渉は不首尾に終わったと報告。すぐさま桂が引き継いで武力行使――戦争に訴えるべきだと述べた。
「……」
天皇は会議中ひと言も発しなかった。会議では外交交渉の結果が報告されたが、これは形式的なもの。為政者にとって最大の関心事であり、出席者全員が知っていた。天皇とて同じで既に心の整理は終えていたのだろう。沈黙を以て開戦を承認した。
「軍務省および参謀本部では二月初旬から作戦行動が可能なように準備しています」
「政府もそれまでに準備を整える」
戦争をするにあたっては、相手に宣戦布告して攻撃を始めればいいという単純な話ではない。外交館の引き払いに伴うあれこれや詔書の起草が必要で、それなりに準備が必要だ。政軍の調整と連携がしっかりしていないと、太平洋戦争みたいなことになってしまうのである。
実務的な連絡も終わり御前会議は終了。解散となるが、御所を辞そうとした私に侍従が近寄ってきた。
「山縣閣下。陛下がお呼びです」
お召しとあらば応じなければ。侍従に先導されて御所の奥へ向かう。大久保と俊輔も一緒だった。
「……来たか」
天皇は私たちが入ってくる音に反応してこちらに目を向ける。侍従を下がらせて四人だけになった。
「いかがなされましたか?」
「そなたたちだから言うが……」
天皇は自身の苦悩を語る。今回、ロシアと戦争をすることになったが自分の望むところではない。戦争回避に力の及ぶ限り努力したが、結果として失敗してしまった。そう悔いていた。
「万一、万一にも何かあれば……如何にして祖宗に詫び、国民に顔向けできようか」
瞳の端には涙が滲む。日露開戦に抵抗してどうにか条件を設けたが、ついには非戦の条件は満たされず開戦が決定的となった。強国ロシアとの戦争――未来が明るいとはいえず、万が一の未来を想像して頭を悩ませていた。
多大な心労をおかけして申し訳ないと思っているとふと視線を感じる。大久保と俊輔が私を見ていた。開戦を主導したのはお前なんだから何か言えよ、と言いたげな視線が突き刺さる。
「陛下」
呼びかけられた天皇がこちらを向く。それを確認してなるべく柔らかく、ただし確固たる決意を込めて言葉をかけた。
「多大な御心労をおかけしましたこと、臣として大変申し訳なく思います。しかし現下の情勢を鑑みますに今起たなければ将来、大きな禍根を残すことになります。そして何より、陛下が慈しむ民の労苦は続くでしょう」
国としてのポテンシャルはロシアの方が上。しかし未開発の極東での戦いならばまだ勝負になる。それに日清戦争以来、ロシアに対抗するために大軍拡を行った。元手は賠償金も含まれるが、その大部分は国民の税金だ。
不相応な軍備は国民の過大な負担という形でのしかかっている。このまま何もなければ平和の代償として国民の苦しみは続く。負け戦ならばそれこそ「臥薪嘗胆」の精神で耐え忍ばなければならないが、ロシアとの戦争は勝算が十分にある。ならば決起して終わりを見通せるようにすることが民を慈しむことになると訴えた。
「むう……」
困った顔をする天皇。話はわかるが気は進まないといったところか。
「今回、私も現地軍の司令官として出征する予定です」
「?」
それがどうした、みたいな顔をされるが構わず続ける。
「先の戦を思い出してください。清国軍を散々に撃ち破りました。今回も陛下に吉報をお届けすることをお約束いたしましょう」
「そんなに簡単にいくわけなかろう。……だが、その気概やよし。楽しみにしておるぞ」
天皇は笑った。そして日本は二月六日に軍事行動を開始。八日に旅順への艦隊夜襲が行われ、十日には宣戦布告と開戦の詔書が出された。
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