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決着

 






 ――――――




 萩は鎮静部隊の相次ぐ敗戦により恐慌状態に陥っているらしい。椋梨藤太ら俗論派は鎮静部隊の敗北を知ると支藩や岩国の吉川氏へと援軍を要請したそうだ。


「大丈夫なのか?」


「無視しているようだ。岩国は兵を集めているようだが……」


 私を含めた諸隊の幹部と話しているのは東光寺派の杉孫七郎。萩から山口へ来て情報を教えてくれているのだ。


 東光寺派とは、俗論派にも正義派にも与しなかった集団である。思想的には正義派に近いものの、派閥間での紛争を武力解決することについては反対という考えであった。


 しかし、最近は私たち正義派と頻繁に連絡をとっている。中立であった彼らがこちらに靡いているのは、ひと言でいうと俗論派がやりすぎたからだ。


 萩にあって中立を保っていた東光寺派。だが、幕府の意向を受けて俗論派が正義派を排斥していくのを目の当たりにしてやりすぎだと思ったらしい。藩主に謁見し、諸隊討伐の中止と俗論派幹部の免職を訴えるようになった。


 俗論派は自分たちの意に沿わない勢力が邪魔だったようで、東光寺派に何度か解散を命じていた。そんな干渉を嫌った東光寺派は正義派に接近することになる。提携したわけではないが、情報を流すなど好意的な態度をとっていた。


 そして、次の会合でビッグニュースが飛び込んでくる。やってきた杉は喜色満面。私たちが何事かと訝しんでいると、


「我々の訴えが届いたらしい! 近々、休戦のための使者が出されるそうだ」


 と言った。藩主の意向もあり、俗論派はとりあえず我々と休戦することにしたらしい。それをきっかけに和平まで持ち込みたいようだ。


 東光寺派としては武力衝突が解消されるのならば万々歳なのだろうが、正義派にとっては嬉しくない。状況はこちらが圧倒的優勢。隊員に休息をとらせつつ、味方と合流するために山口へ向かったが、その目的は既に果たされた。勢力も拡大し、いよいよ萩へ向かおうかなどと話していたところである。


「交渉を引き延ばして時間的猶予を引き出そうというのではないか?」


「あり得るぞ」


 俗論派への不信感は天元突破しており、幹部たちからは疑う声が続出。交渉を拒否するとの結論になったのは当然であろう。


 しかし、私たちは交渉の席につくことになった。弱ったことに、使者が我々に理解のある清末藩主・毛利元純だったのだ。厳しいときに庇ってくれた恩人であるから、彼の顔も立てなければならない。結局、戦場の後始末を名目に休戦した。


 数日後、再び元純が来訪。今度は藩主が主導しての派遣だ。やはりというべきか俗論派が邪魔をしたようだが、敗戦によって影響力が低下しているためか止められなかったらしい。これを聞いた私は、ついに藩主が動いたか……と事態がいよいよ切迫しているのを感じる。


 藩主(毛利敬親)は後の世で「そうせい公」といわれる人物で、政治は臣下に任せて自分は滅多に動かない。そんな態度なので、藩論が右へ左へ嵐に巻き込まれた船のように大きく揺れ動く。あるときは正義派、あるときは俗論派といった具合に。不思議なのは、それが最適とまではいわずとも難局を乗り切っていることである。有能ではなく、さりとて無能というわけでもない。不思議な藩主だ、と私は思っている。


「もうしばらく時間をくれないか?」


 元純は何とか事を収めると言って休戦の延長を求めた。これに高杉は諸隊を代表して曰く、


「もう十分でしょう。それに、我々は有耶無耶にするつもりはない。事ここに至っては、雌雄を決する他ありません」


 和平すれば、また正義派と俗論派に分かれて対立することとなる。口で戦っていたならばそれでもいいが、既に武力衝突が発生しているのだ。形勢も傾いている以上、そんな生ぬるいことは言っていられない。恩人に対して申し訳ないが、私たちは藩の要求を拒否した。


 一月末、部隊を萩へ向けて発進させる。また、高杉が説得して取り込んだ軍艦も萩の沖合を遊弋して威嚇した。形勢は明らか。藩主もついにはっきりとした判断を下す。俗論派を軒並み免職したのだ。このことは諸隊に通知された。藩の中枢から俗論派が排除されたため、私たちも進撃を中止する。


「皆、我らの要求は容れられた。これを以て停戦しようと思うが、どうか?」


「「「異議なし!」」」


 高杉の問いに否はなく、満場一致で決まった。私たちは藩主に対して停戦に合意するとともに、紛擾を引き起こしたことについて謝罪する文書を提出する。


 俗論派はこの処置に反発し、彼らの実動部隊である撰鋒隊に動きが見られた。しかし、藩主はこれを召し出して解散を命じる。直接言われたのでは反抗することもできず、動きは沈静化した。


「喜べ。会議で追討の取り消しと、諸隊の建白が受け入れられたぞ」


 山口にやってきた東光寺派の人間が、萩の様子を伝えてくれる。藩主以下、支藩の藩主と重臣を交えた会議にて決まったそうだ。


「どうだろう? 藩論が定まった今、我らの間に溝はない。ここは手を結ばないか?」


「応とも」


 これから主導権を握ることになる正義派と仲良くすることは東光寺派の人間にとっても悪い話ではない。むしろ望むところだ、と提携が実現した。


 彼らは気分よく萩へと帰っていたが、その途上で刺客に襲われる。ひとりが重傷、他は死亡した。


「これは正義派の仕業だ!」


「藩の実権を自分たちで独占しようとした!」


「そんな奴らに政を任せられるのか!?」


 この暗殺は正義派によるものだという噂が立ち、俗論派はこのように絶叫しているという。しかし、それはすぐさま嘘だということが判明する。


「下手人に覚えがある。奴は俗論派の人間だ」


 生き残った東光寺派の人間はそう言ったという。当事者の証言ということで信憑性は抜群だった。そこまでやるか、と逆に俗論派は白眼視されるようになったらしい。


 そして、これは私たち正義派のなかで決意を新たにさせる事件でもあった。


「このようなことをする奴らを放置はできん」


「俗論派は滅すべし」


 過激な表現であるが、私も含めて俗論派を完全に排除することで一致。万が一に備えて兵力も必要であることから、諸隊の萩への進軍を再開させた。


 高杉は萩沖にある軍艦で空砲を撃って威嚇すると言っていたが、それはさすがにやりすぎだと止めさせている。あくまでも敵は俗論派なのだ。町民などを威嚇する必要はない。若干の喧騒はありつつ、諸隊は萩へと入った。


 高杉は捕えられていた正義派の生き残りを解放する。そして逆に、俗論派を捕えるべく動き出した。諸隊の萩入りの前に俗論派の幹部は逃亡していたが、程なく捕えられている。


 戦後、乱立した諸隊の整理と称して正義派諸隊の改廃が行われた。十の部隊(奇兵、第二奇兵、御楯、鴻城、遊撃、南園、膺懲、八幡、集義、萩野)に再編し、俗論派の反撃に備えるため各地に分屯するとされる。


 また、東光寺派もこれとは別に干城隊を結成した。彼らは長州藩士のみで構成されており、高杉はこれを理想だと言っていた。


「山縣。俺はな、百姓は百姓、商人は商人として生きるべきだと思うんだ」


 諸隊の上に干城隊を置いて統括させる、というのが高杉の考えらしい。戦時には農工商による部隊があっても構わないが、平時は武士のみでいるべきだとする。諸隊はその受け皿なのだと。


「高杉さん。それは難しいかもしれません」


 私は諸隊の側に身を置く人間として言った。彼らは知ってしまったのだ。自分たちの力を。


 刀剣の時代、武士と農民兵が戦えば前者が勝った。戦闘を生業とする人間とそうでない人間の違いだ。刀の扱いひとつにしても相応の訓練が必要となる。つまり、殺すには技術が必要だったのだ。


 しかし、今は違う。今や銃砲の時代。銃は凄まじい。どんな剣豪も引き金を引くだけで殺すことができる。百姓だろうが、赤子だろうが。こうなると技術は不要。代わって数がものをいう。数を揃えるためには武士だけでは足りない。たった数パーセントしかいないのだから。戦闘員を増やすためには他の階層からも募る必要があった。諸隊はその実現である。


 そして、諸隊は藩と戦いほぼ独力で勝利した。成功体験を手にした彼らを解散に追い込むことは不可能である。むしろ政治参加に動き出すであろう。


「何とかならんか?」


「しばらく時を置いてみては?」


 高杉としては都合のいいときだけ自分を担ぎ、その割には指示に従わない諸隊が邪魔なのだろう。何とかしたいのだろうが、こればかりはどうもならない。後でまた話し合おうということにして、現実を突きつけることにする。


 私の予想通り、諸隊は指示に従わなかった。分屯することになっていたが、そんなことは知らんとばかりに萩へ留まっている。名目は藩主の警護。格好つけて「御親兵」などと称していた。


 高杉は悲嘆して俊輔と一緒にイギリスへ留学するなどと言い始めた。私は高杉がいないと諸隊が統率できない、と泣き言を吐いていた井上とともに慰留する。


「俺も御せないぞ」


 しかし、高杉も完全に操縦できていない。仕方がないので、私が助け舟を出す。


「彼らを抑えておきますから、高杉さんは存分に」


 諸隊の要求は私が取りまとめ、高杉と相談する。間に私が入ることでやりやすくなるだろう、との考えだ。


「わかった」


 高杉も納得したことで留学の話は立ち消えになる。


 正義派内部が落ち着いたところで、俗論派の処遇が話し合われた。萩に帰ってきて調査したところ、正義派への弾圧が幕府の使者からの要望に端を発することが判明。処分を躊躇する声も上がった。しかし、私はやるべきだと主張する。


「我らに対する弾圧は江戸の意向であった。ならば情状酌量の余地ありと言えましょう。しかし、奴らは東光寺派を暗殺し、それを我らの仕業だと喧伝した。これは彼ら自身がやったことです。断固たる処置をとり、将来の禍根を除くべきでしょう」


 これには確かに、と賛同する者も現れ、議論は次第に処分を行う方向に流れていった。最終的に首魁と目された椋梨藤太は斬首、幹部クラスも軒並み処刑される。俗論派のなかには自決する者もいた。


 厳罰に処したことで俗論派は壊滅。東光寺派も事実上、正義派に取り込まれた。これで長州藩は正義派が支配するところとなり、幕府との対決に備えることとなる。










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― 新着の感想 ―
[一言] ようやくスタート地点に立ったというところでしょうか。これからは内向きの長州藩から外向きの長州藩へと変わらなければならないのですがそうなると薩摩とのパイプがある山縣の価値ば高まりますね。薩摩と…
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