プロローグ
本日から三日間、5:00、13:00、21:00に連続投稿する予定です。ぜひご覧ください!
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近代日本について多くの人々は漠然とこのようなイメージを持つだろう。
栄光の明治・大正
暗黒の昭和
と。
戦争に勝った負けた、イデオロギーなどによりイメージが形成され、戦後日本においては戦前を肯定的に評価することは忌避されてきた。
学校でも昭和戦前期に触れるのは学年末で、受験に多忙な時期。進みが遅いと教師もカリキュラムを消化するために駆け足になりがちだ。
そして暗黒の昭和を決定づけているのが軍部の台頭であろう。大正期に所謂「憲政の常道」が確立されて政党政治が行われていたが、軍がそれを武力で覆した。ゆえに軍部は悪であり、彼らが蔓延った昭和は最悪の時代だった、と。
なるほど、軍部の台頭によって国が右傾化して戦争に突き進んだというのは正しい。戦争へまっしぐら、ではなく時にブレーキが踏まれながらも、着実に一歩ずつ戦争への道を歩んだ。それが昭和という時代だった。もちろんそこには紆余曲折があり、とても複雑で語りきれないのだが……問題の所在は別のところにある。
すなわち、政党政治は果たしていいものだったのか。
おそらく、大正の善たる要因は「憲政の常道」と言われた政党政治にある。大正期といえば日本社会がいよいよ近代化していった反面、世界大戦や相次ぐ恐慌、震災と凶事の連続でもあった。それでも大正はいい時代だった、と考えられているのは政党政治という民主的な政治制度をその時代に採っていたからだろう。
そして、大正期に「憲政の常道」が形成されるまで(大正デモクラシー)の過程を説明されるなかでは、護憲運動のスローガンが登場することだろう。
憲政擁護、閥族打破
この二つである。後者の「閥族」とは、明治に行政府の要職をほぼ独占した一部の藩出身者(とそれに連なる者たち)を指す。彼らは藩の名前を冠して〇〇閥と呼ばれ藩閥政府を形成するが、これは寡頭制であるとの観点から批判を受けていた。
そして、藩閥の対抗馬として挙げられるのが政党である。政党(あるいは政治家)は国を牛耳る藩閥勢力に対して果敢に挑み、大正デモクラシーによってこれを打倒。政権を獲得するも軍部によってその座を追われる――という具合だ。
まさしく政党は悲しき正義のヒーローである。ついでに言えば、政党は戦後にGHQがやってきて民主化を進めると不死鳥のごとく蘇るのである。日本の政党は消えていない! と。
このように善なる政党政治が確立された大正が善となり、打倒された昭和が悪となったわけである。ややふざけた表現だが、概ね間違っていないだろう。
さて、こう考えたときに新たな疑問が浮かぶ。政党を善とするならば、政党政治がなされていない明治期はなぜ善なのか。こちらももの凄く乱暴な言い方をすれば、戦争に勝ったからである。まさしく勝てば官軍、負ければ賊軍という世界。都合よく物差しを変えてしまうのである。
だが、私が言いたいのはそういった善悪論ではない。そんなものは政治家なりジャーナリストなりに任せておけばいいのだ。歴史家(研究者)は――記述に思想が出てしまうのは仕方がないが――証拠に基づいて自身の見解を淡々と描くだけでいいのである。
話を戻すが、ゆえに私は違和感を抱く。日本近代史の半ばが、政党政治の完成(「憲政の常道」の確立)をクライマックスにするように描かれていることに。
しかし、事はそう単純ではない。現実は多くの人が様々な思惑で動いており、必ずしも政党政治に収斂するようなものではないのだ。あくまでも結果に対してストーリー性を持たせたにすぎない。そして実際には恋愛シュミレーションゲームのように、多様な結末が待っていたのである。
近代の日本は可能性の塊だった。その全てがハッピーエンドというわけではないだろうが、実に夢のある話だ。
残念なことに、すべての可能性を明らかにすることはできない。これは当たり前で、分岐が無限にあるためだ。そのすべてを明かすことなど、例えAIが発達しても無理であろう。
ならば断片だけでもというのが人の性。とはいえこちらも難しい。証拠が乏しいからだ。日本は災害が多く自然の猛威によって失われてしまうことは珍しくない。他にも人為的になかったことにされた、記録に残らなかったものもあるだろう。そんななかで事象を正確に明らかにすることは不可能だ。タイムマシンでも発明されて過去に飛べたならば、明らかなることは増えるだろうが。
とはいえ、夢想する分には自由なので私は日々、とり得た可能性を考えている。ひとり空想日本を思い描く。これがとても楽しい。私は顔に出やすいらしく、周囲からは変な奴認定されてしまったが。
そんな私は歓喜していた。
なぜか? それは現在の私の境遇にある。
「小助。今日も務めを果たしたか?」
「はい、父上」
小助、と呼ばれたのが私である。令和の日本で暮らしていた私は不幸にも工事現場の足場の崩落に巻き込まれた。死んだのだろう。しかし、私は閻魔大王の顔を見ることもなく山縣小助と呼ばれる青年――後に山縣有朋と名乗る男に生まれ変わったのだった。
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山縣家は長州藩における蔵元仲間組の家系である。そのお役目は武具の運搬。普段は下級官吏として働いていた。一応、両刀差しが許されてはいたが、武士としては低く見られている。その要因はお役目にあった。武具の運搬という役目は非戦闘員に近く、戦うことが本分である武士からすれば下に見られてしまうのはやむを得ないのである。
しかし、父の三郎(有稔)は誇り高い人間だった。下級武士ということで生活は楽ではない。そんななかでも学問に励み国学や詩歌に通じた。生活は苦しくとも学を修めれば心は豊かに暮らせるし、他人と接する際に学があれば話のタネになり、交流を持つきっかけになる。そう言って憚らない父は私にも教養を教え込んだ。
「小助は賢いな」
詩歌はともかくとして、読み書き計算など私にとっては序の口である。伊達に前世で大学に通っていない。父は私を神童と言って褒め称えた。
ちなみに、母は私が五歳のときにこの世を去ったそうでいない。子どもは私の他に二人の姉妹がいる。それから祖母がおり、私たち子どもの面倒を見ていた。祖母はかなり厳格であり、姉妹には少し敬遠されている。もっとも、私からすると当然のことであるし、見た目と中身の年齢は合っていないために祖母から躾けられることは少なかった。
私は十五歳で元服した。手子役(下級役人)を命じられ、色々な役所で働く。そんななかで学識を見込まれて代官所へと配属となり、農村を巡って徴税業務などに就いた。
「頭はキレるが、武士たる者は腕っぷしもなければいかんぞ」
当時の上役にそう言われ、彼の誘いで武術を本格的に習い始めた。江戸時代の武士は言っちゃなんだが暇である。どれだけ暇かといえば、一日仕事に行けば二日は休みという具合に。職場環境超絶ホワイト。なぜこんなことになっているかというと、武士が多いからだ。
言うまでもなく、江戸時代の前は戦国時代。戦乱の時代だ。当然、組織は戦争に最適化されたものになる。そこへ兵農分離が起きた。地域によってどれくらい進んだかの違いはあるものの、ともかく身分をある程度確定させるために人間を選別せざるを得なくなった。
戦国武将として後世に知られる――要はゲームに出てくるような人物に関してはすんなりと武士という身分に決まる。問題は足軽身分にある半農半武士だった。彼らを武士とすべきか農民にすべきかはかなり微妙なラインである。
合理的な判断に従えば、必要な人間を残して他は抱えない方がいい。特に関ヶ原で西軍につき減封されてしまった家は――往々にしてそういうところに限って広大な領地を持つ大々名だったりするために――多くの家臣を抱えており、石高との著しい不均衡をきたした。
しかし、これは経済的な合理性である。他方、軍事的に考えるとなるべく残しておく方が合理的である。抱えている武士の数すなわち軍事力。いざ合戦となったときに有利になるのだ。
各大名家はこの狭間で揺れ――多くの家は軍事的合理性をとった。やはり戦乱の時代を生きただけあって脳筋だったのである。
かくして(戦がない限りは)必要以上の武士を抱えることになった大名家では武士が余り、毎日仕事をしなくてもよくなっているのである。
また、武士の生活もなかなかに辛い。なにせ武士を多く雇用しているものだから、分けられるパイ(石高)はその数に比して足りないことが多い。上級武士にはそれなりの待遇を用意したが下級武士まではとても手が回らず、薄給で雇わざるを得なかった。
制度設計された際は戦で活躍すれば褒美がもらえて楽になる――と安直に考えていたのだが、いざ江戸時代が始まると平和な時代が長く続き加増の機会には滅多に恵まれない。武断政治の時代はまだ改易が相次いでパイも増えていたが、牢人問題をきっかけに文治政治に移行するやその件数は年々減少。おまけに新田開発によって米の収量が増えたことで米価が下落した。武士の給料は米の現物支給でそれを換金してお金を得ていたから、米価の下落は手取りの減少を意味する。そのため、時代が下るにつれて下級武士は困窮していった。
もちろん下級武士である山縣家も例外ではなく、家族そろって内職や副業をして家計を支えていた。それでも時間が余るため、鍛錬の時間もとれるのである。
武術の鍛錬は意外と楽しく、ついついのめり込んでしまった。現代のように携帯ゲームみたいなものがあるわけでもないので、やることがなくて暇を持て余している。実用的な娯楽という側面があった。
仕事や鍛錬をするなかで友人もでき、私の生活はそれなりに充実したものになっていた。
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