プロレタリア文学
(犬という知恵のかたまりはもちろんニャアと鳴く獣でもわかる話)
自己主張をともなう白樺派を尊敬しながら、社会運動家たちが堂々と文学に参入する。
素人・初心者でも書きやすい話の形式がわかるかも?
平凡社新書の荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』を参照しつつ、今回は書きます。
プロレタリア文学といえば小林多喜二の『蟹工船』や壷内栄の『二十四の瞳子』とか。
プロレタリア文学の作家、宮本百合子や小林多喜二は白樺派の志賀直哉を師と仰いだそうです。
志賀直哉には『小僧の神様』という作品があって【小説の神様】とか呼ばれていました。
白樺派の身勝手パワー。
客観的な【人格】の完成とか気にしなくても、個性万歳で自分の理想を語ります。
個性万歳。
書きたい者は書けばいい。
そういう具合に書かれた多数のプロレタリア文学は下手だったみたいです。
志賀直哉と別にもう一人【小説の神様】と呼ばれる横光利一がプロレタリア文学について「小説は内容よりも先に形式(文章技術)だな」とコメントして始まったのが、【形式主義文学論争】です。
プロレタリア文学側は「形式も内容もどちらも大切」と反論したわけですが・・・
しかし、プロレタリア文学は革命的な話であれば相当アレでも機関誌に載る。
行き詰まれば、
「労働者よ、団結せよ!」
「革命万歳!」
「資本家を倒せ!」
で簡単に終わらせることができます。
さて、悲惨な社会の状況を見て、こうなってほしいと理想を語れば白樺派。
理想が通用しない理由を社会の構造に求めればプロレタリア文学になります。
最後の敵は自分も属している社会そのものなのです。
なかなか勝てるものではありません。
バッドエンド基本。
作者が作品に持つ【操縦権の放棄】とか荒俣は論評しています。
、設定が作り込まれた絶対に勝てない敵が用意されていれば、その設定が物語の展開を次から次へと自動的に決めてくれます。
個人的に思うのですが、プロレタリア文学って、クトゥルフ神話に似ています。
事件が起きて、真相を探るうちに旧支配者の存在に気づき、いかなる抵抗をしても、最後には旧支配者の恐怖を警告する手記を残して死亡。
論文でいうところの目的・理由・方法・結論という目理方結形式。
・設定のしっかりした敵がいれば、話の展開に悩まなくてもすむ。
・下手でも遠慮せずに書く。
・書くのに飽きたら「政治が悪い!」で終わらせる。
これらはプロレタリア文学から学べる技法かもしれません。
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