危機と好機
「キャハハハハ!ご名答!その通りぃ!」
肉屋の声音には喜びが現れていた。
俺はその様子に唖然とするしかなかった。
「誰に頼まれた!?」
俺は感情に任せて声を張り上げた。
それは、目の前に立つ非常識に対する威嚇だった。しかし、俺のその声に含まれた紛れもない怯えが隠しきれていなかった。
「ふむ、質問に答えるとは言ったが。ごめん!それには答えられない。それを言っちまったらボクが殺されちゃう」
相変わらずおどけた態度を見せる肉屋に、とうとう俺の理解は追いつかなくなった。いや、理解するのをやめた。
こいつの考えをほんのわずかでも理解してしまうと、俺はまともじゃ無くなる気がした。
「ふぅ、そろそろ飽きてきた。もう殺そうか」
その言葉で空気が凍る。
先ほどまでの理解しがたい混沌とした雰囲気から一変、ただ単純で強烈な殺意が表れた。
「動かずに大人しく殺されてくれたら嬉しいけど、どう?」
肉屋の言葉に背筋が凍る。
正直なところ、今すぐここから逃げ出したい。
しかし、そうはいかない。逃げることもしない、大人しく殺されもしない。
なぜなら
「お前はユウナを殺した」
剣を握りしめた俺を見て肉屋は察する。
「なら、退屈させないでね!」
俺の言葉を聞いた肉屋は、地面を蹴り、俺との距離を瞬時に詰める。
一瞬で俺の懐に飛び込んだ肉屋は、短剣を俺の首筋に突き立てる。
俺は紙一重のところでその短剣を剣でいなす。
肉屋の短剣は狙いを外し、空を切ることとなった。
「へえ、少しはできるね。じゃあ、もっと頑張って!」
そう言った肉屋の短剣の速度は先ほどのものとは比べものにならない。
全ての攻撃をやり過ごすことは不可能だと考えた俺は致命傷になる攻撃を確実に防ぐ。
剣同士がぶつかり、火花を散らす。その一瞬の輝きは、辺りに落ちる闇の帳を瞬間的に掻き消す。
激しい剣戟の中、俺は致命傷をかろうじて防ぎ続けていた。しかし、それ以外の攻撃が俺の肌をかすめ、傷を増やしていった。
一つ、二つ、三つ。次々と増えていく裂傷から血が流れ、気づけば俺は全身から流血していた。
血を失いすぎたのか、体が重くなり、腕を持ち上げるのも辛くなる。
やがて俺は俯き、腕をだらしなく下げた。
顔、腕、腹、脚。全身におびただしく刻まれた傷から流れ出た鮮血は、俺の足元に赤い水溜まりを作る。
それを認識した肉屋の攻撃はおさまった。
「あれあれぇ?限界かな。まあよくやったと思うよ、『短剣の申し子』持ちのボク相手に」
こいつが『申し子』スキルを持っていることはうすうす感づいてはいた。
しかし、命の取り合いをしてようやく分かる、『申し子』スキルの強さが。
こいつの短剣の技術は凡人には到達不可能な領域にある。実力とはまた違う、圧倒的な格の違いを感じさせられる。
「それじゃ、もう楽になろうか」
そう言って肉屋は短剣を、疲弊しきった俺の首めがけて突き立てた。
短剣が俺の喉笛に到達するまでに刹那、俺の脳裏にはダグラスの教えが浮かんだ。
――いいか、アルマ。誰だって油断する。達人と讃えられた武人も、賢人と称された
魔術師も。そしてそんな高名な者達が油断するのは勝利を確信した時。すなわち――
俺は剣を強く握り、首だけを狙う刃を弾き飛ばした。
宙を舞う短剣。肉屋は完全に丸腰となった。
しかし、肉屋は顔色一つ変えず、その場で飛び上がる。
そして、オーバーヘッドの体勢になり、短剣を蹴り放つ。
放たれた短剣は俺の頭めがけて飛んでくる。
これを剣で撃ち落とすのは不可能。
それは俺だけじゃなく、肉屋にも伝わっていた。
中空で逆さになった肉屋はそれを察し、凶悪な笑みをこぼす。
それを視界の端で捉えた俺は、剣を手放し左手で短剣を防ぐ。
短剣は手のひらに突き刺さり、左手を使用不能にした。
しかし、右手が空いている。
今なお中空にいる肉屋に俺は肉薄し、握った右手を顔面に叩き込んだ。
空中で逃れることもできず、俺の拳をもろに食らった肉屋は無様に吹っ飛ぶ。
吹っ飛んだ肉屋は地面でうなだれ、痙攣している。
「負けたと思った時が好機!」
俺は声を張り上げた。




