別れ
「この家の娘、エルリアル・フォートレスを我が王都騎士団に引き入れる。拒否権はない」
「いきなり来て娘をよこせだぁ?冗談にしちゃ笑えねえな」
ダグラスはいきなり上がり込んできた甲冑の男に言い放つ。
その言葉には警戒と怒りが込められていた。
「貴様の娘を引き渡せ、そう言ったのだ」
「ふざけんな!」
ダグラスの怒号が飛ぶ。
甲冑の男以外のその場にいた者たちは皆肩を跳ね上げる。
「大体、何でうちの娘なんだ!」
「お前の娘は『魔法の申し子』の持ち主だからだ」
甲冑の男はダグラスの質問に答えた。
「誰から聞いた?」
「明かせない。」
「言え。さもねえと叩き潰すぞ。」
ダグラスの低く、殺意に満ちた声は、その数歩後ろにいた俺すら背筋を凍らせるようなものだった。
いままで無感情だった甲冑の男も、さすがに怯えている。
「我が王都の第四王女であらせられる、ソフィア・ティルフロア様から伺った話だ」
甲冑の男は答える。その声には隠し切れないダグラスへの恐怖が含まれている。
いや、ちょっとまて。ソフィアだと?
ソフィア・ティルフロアって俺が記念祭の時に会った黒髪の子だよな。
当時の記憶を思い出し、ハッとする。
あの時俺は、ソフィアに話していた。エルという自慢の友達がいることを。その子が『魔法の申し子』を持っているということを。
だが、待て。『魔法の申し子』がすごいのは俺も重々承知している。
しかし、エルでなくても代わりの者を探せばいいじゃないか。
エルはまだ六歳だ。そんな少女を引き入れるなんてどうかしている。
「待ってください。エルではなく別の『魔法の申し子』持ちではダメなのですか?」
俺は早口でまくし立てる。
俺の問いに甲冑の男は深くため息を吐いた。
「魔法に関するパッシブスキルは基本的に属性別に分けられる。『火魔法の申し子』『火魔法耐性』などだ。だが、そこの女の子は『魔法の申し子』持ち。つまり、全ての魔法に天才的な素質を持っているということだ。」
すると、甲冑の男の後ろから一人の男が現れた。
赤みがかった茶髪を長く伸ばし、腰より少し上の辺りで結んでいる中性的な顔の男。
その男は言葉を続ける。
「『魔法の申し子』というスキルを持つ者はこの世界に両手の指に収まる程度しかいない。そんな貴重で強力な存在を、我らの騎士団に加え、王都の軍事力を底上げしたいんだ。分かったかな、坊や?」
男は、甲冑の男やダグラスに目もくれず、俺の目の前まで近寄ってくる。
「ああ、すまない。私はクレシオ・ダズロック。王都騎士団魔法部隊の隊長だ。」
男はしゃがみ、俺と目線を合わせてにっこり笑う。
形容しがたい威圧感を感じ、俺は一歩下がる。
「ふむ、君も素晴らしいな。」
なんだ?俺が素晴らしい?
意味深なことを言うクレシオの肩に、ダグラスの手が置かれる。
「クレシオっつったか?ぶっ潰されたくなけりゃその子から離れな。」
「では、早々に娘さんをこちらに渡してください。」
クレシオとダグラスの交差する視線が火花を散らす。
この場の空気が一気に殺伐とし始めた。
「外にも何人か居やがるな。元冒険者の一般人に随分な待遇だなぁ?」
「これでも足りないくらいですよ。なにせ『剛剣』と呼ばれた男がいるのですから」
クレシオはにこやかな笑みを崩さない。しかし、その笑顔の裏には明確な敵意を孕んでいる。
「我々は穏やかに事を済ませたいのです。ですので、手早く娘さんを引き渡してください」
「うちの娘の気持ちも聞かずに、ずいぶんな態度・・・。」
「パパ、あたし行くよ。」
ダグラスの言葉は俺の一歩後ろにいたエルによって遮られる。
「エル、それは本当か?」
「うん。」
エルの声には全く躊躇いがない。
その言葉に俺は戸惑う。
待ってくれ。俺のせいなんだ。俺がソフィアにエルのことを話したからなんだ。
俺のせいでエルが遠くに行くなんて嫌だ。
なにより、昨日のことを謝れてない。
冷や汗を流す俺にエルは優しく話しかける。
「アル。やっぱりあたし、アルの力になりたい。アルが嫌だっていうなら、あたしが勝手に手伝う。だから、行ってくるね。」
「嫌なんて思わない。だからここにいてくれ!」
俺は必死に訴えかける。エルの心を変えるために。
「アルの気持ちは変わらないでしょ?だったら、あたしの気持ちだって変わらない。ううん、変えない。」
「そんなの・・・。」
そんなの自分勝手だ。
だけどその自分勝手を、俺は昨日エルにしてしまったんだ。
俺の声はもう出なくなった。
「エル、もう一度聞くけれど、本当にいいの?」
「うん、ママ。」
スミシーの問いかけに答えると、エルは家から出ようとする。
スミシーの顔には何の戸惑いも見られない。ダグラスの顔には若干の怒りが見えるものの何かを口に出すことはない。
どうしてそんな風にしていられるんだ?
「止めないんですか?」
「無理やりなら止めたけど、エルが考えたことだから」
スミシーがそういうと、ダグラスも大きく頷く。
俺は顔をうつむかせた。
俺のせいだ。俺の責任だ。
自分が蒔いた種で、また俺は不幸に見舞われるんだ。
「アルマ君、今生の別れではない。しかし、これから長いこと会えなくなる。心残りは今しか解消できないぞ」
僅かな苛立ちが混じった声で、ダグラスが声を出す。
その声に応じるように俺は顔を上げた。
扉の先に、今まさに馬車に向かうエルの姿が目に映る。
彼女の小さな背中が。
揺れる金色の髪が。
迷いのない歩みが。
その全てが、俺の心を揺さぶり、背中を押した。
視線の先には今まさに馬車に乗ろうとするエル。走らなければ間に合わない。
しかし、家から出た直後、外で待機していた騎士たちに阻まれる。
騎士たちは剣を地面に突き刺し、間隔を開けずに立ちふさがる。それによって馬車までの道を完全に閉ざされた。
横からすり抜けることも、頭上を飛び越えることも不可能。
股の下を潜り抜けようにも、突き刺した剣がそれをさせてはくれない。
早くしなければ馬車に追いつけない。
「邪魔すんじゃねえ!」
慌てる俺の後ろからダグラスが飛び出した。
彼の手に握られた大剣が、騎士たちに振り下ろされる。
その一刀に騎士たちの壁は崩れ、馬車までの道が開いた。
「早く行け!」
ダグラスの声に、俺は再び走りだした。
目の前に阻むものは何もない。
馬車との距離がじわじわと縮まっていく。
「エル!エル!」
届かない。
「待って!エル!」
まだ届かない。
馬車に備え付けられた客室の中まで俺の声は届いていない。
馬車はまだ走り出したばかりで全速力ではない。今のうちに横に並べば、客室から俺のことが見えるはずだ。
自分の小さな足に力を籠める。
今朝走った疲れがまだ残っていて、足が重い。
それでも、全力で追いかける。
もう少し。あと少し。
あと一歩のところで、馬車の速度は上がる。
俺と馬車の差は離れていく。
あの速さでは、どれだけ走っても追いつかないだろう。
それでも走り続ける。一瞬でも気を抜くとすぐに距離を離される。
今にも破裂しそうな脚が悲鳴を上げていた。
* * * * *
<エルリアル視点>
あたしは王都に行く。
心残りはあるけれど、それを振り切って王都に行く。
動き出した馬車は徐々に速度に乗り、あたしの家からどんどん離れていく。
サンタナ領の整備されていない道が、馬車の客室を揺らす。
車輪が小石を踏むたびに大きな音が耳に入る。
あたしの右隣にはクレシオという男の人が座っている。
何かを話すこともなく、ニコニコしながらただ座っている。
客室は前と左右の様子はガラスの窓があるため確認できるが、後ろの様子は窓がないため確認できない。
どのくらいお家から離れただろう。
あ、アルに謝れてないや。
でも、アルは一人で大丈夫って言った。なら、信じなくちゃ。
でも、さっきのアル、悲しそうだったな。ううん、信じなくちゃ。
だけど、もう少し話したかったな・・・。
そう考えていると、視界の左隅に球体を成した炎が見えた。
炎の球体は、風に吹かれたように、その形状を崩して消えた。
「これって、『ボウマ』・・・・・?」
中級の火魔法『ボウマ』。
何で飛んできたんだろう?あたしが知る限りこれを使えるのは、
「アル!」
馬車の中で声を上げ、勢いよく立ち上がる。
咄嗟に馬車の窓を開け、後方を確認する。
そこには、へとへとになりながら走るアルがいた。
アルの左手は前に構えられており、そこから『ボウマ』を放ったことが窺える。
「アル!アル!」
窓から身を乗り出してアルに声をかける。
「エル!」
アルもあたしに声を出す。
「エル!ごめん!俺!昨日怒っちゃって!」
アルの姿はだんだんと小さくなっていく。
それに応じて、アルの声も小さくなっていく。
それでもアルは続ける。
「俺ぇ!絶対会いに行くから!だから!だからぁ!」
「うん!約束だよ!絶対だからね!」
アルの口は動いているが、声はもう聞こえない。
頑張って走ってはいたが、限界が来たようで、立ち止まってしまった。
膝に手を着くも、その姿勢もすぐに崩れ、地面に座り込む。
その様子が、ちょっとカッコ悪くて、なんだか面白くて笑みがこぼれる。
あたしの声は届いたかな?
次に会えるのが楽しみだなぁ。
あたしは王都に行く。
心残りを残さず、王都に行く。
* * * * *
<アルマ視点>
太腿が悲鳴を上げている。肺が急速に収縮を繰り返している。心臓が張り裂けてしまいそうだ。
エルの乗った馬車はすでに視界にはない。
もうサンタナ領を出ただろうか。
「アルマ君、心残りはなくなったか?」
後ろから歩いてきたダグラスが、俺に声をかける。
「エルが王都にいくきっかけを作ったの、俺なんです」
俺は質問に答えず、話始める。
俺が王都に行ったときに第四王女に会ったこと。
そのときエルのことを話したこと。
「俺のせいなんです。だから、怒鳴るなり、殴るなり好きにしてください」
俺はそう締めくくる。
すると、背後から大きなため息が聞こえてきた。
「きっかけを作ったのは確かにそうだ。でもあの子は自分で決めたんだ」
「・・・」
「それでも同じことを言うなら、そうだな。俺の訓練を受けて、強くなって、旅に出て、いつかエルと一緒に帰ってこい」
「はい」
両親と親友。その二人との別れに俺は涙した。青く光る視界が涙で揺らめいている。
そして、決意した。
強くなる。
生きるために。魔物を殺すために。エルと戻ってくるために。