言い伝え
目の前に立っているのは一体だれだ。
そう感じてしまうほどの違和感。
俺の知っているコユキは尊大で、幼稚で、冷静で、鷹揚で、何より優しい奴だった。
だが、今のコユキはどうだ。そんなイメージとはかけ離れ過ぎている。
俺の知っているコユキが居なくなってしまうかのような恐怖が、漠然と胸中を染めた。
だが、声は出ない。
コユキが発する威圧感が、勝手を許してはくれない。
出来ることはただ、事の成り行きを傍観することだけだった。
「さあ、言え。あの獣は何だ?」
「いえっ‥‥‥そのっ‥‥‥」
コユキの問いかけに、村長は言葉を詰まらせる。
するとコユキは、村長の足元に氷の弾丸を放った。時間を掛けるようなら命はないとでも言うように。
青ざめた村長は慌てて口を開く。
「わ、分かりませんっ!」
再び氷が放たれる。
「分からない?ここで暮らしていながら、分からないだと!?」
「ほ、本当ですっ!私が生まれる前からあの獣は居たのです!私が知っていることと言えば、先代から聞かされた言い伝えくらいのもので‥‥‥」
突如として、周囲の空気が凍てついた。コユキの苛立ちが肌で感じ取れた。
「ならばその言い伝えとやらを言え!」
「は、はいっ!」
村長の言う言い伝えとは、こういう内容だった。
この森に棲みつく獣は、悪神のしもべ。
かの獣は善神との戦いに敗れ、この森に隠れ潜むようになった。全てを見通す善神の目から、逃れるために。
我らの使命は、かの獣に贄を捧げ続けること。
男を、女を、老人を、子供を、村人を、旅人を、捧げ続けること。
腹をすかした獣が、村を滅ぼさぬように。世界に解き放たれぬように。
「あれが、悪神のしもべだと‥‥‥?」
全てを聞き終えたコユキの声は震えていた。
彼女の覚えている怒りほどではないが、俺自身も憤りを覚えていた。
そんな村の伝えにしたがって、ここの村人は犠牲を出し続けてきたのか。
何か抗う術はあったんじゃないのか?
実力ある冒険者に討伐を依頼するだとか、それこそデュオクスに直談判しに行くとか。
そうだ、デュオクスは何も知らなかったのだろうか。
悪神の残党が居ること、それにより苦しめられている人が居ることを、見過ごしていたのか?
いや、先ほどの言い伝えの中には、あの獣は善神の目を逃れるためにこの森に来たとあった。
そのことから鑑みるに、この森にはデュオクスの監視が行き届いていなかったのか。
だが、だからといって、犠牲を出し続ける以外に手はあったはずだ。
それなのに‥‥‥!
「‥‥‥お前たちは、この森から別の場所へ移り住もうなどとは考えなかったのか?」
低く威圧的な声が、コユキから発せられる。
村長は何度も首を横に振った。
「私たちの使命はこの森であの獣を鎮めることです。私たちが離れてしまえば、あの獣は人々に危害をもたらし続けたでしょう!」
言い訳するような口調だった。
自分には罪はない。むしろ平和を守っていたのだと言わんばかりの態度だった。
それだけでは飽き足らず、調子づいた村長は俺たちを指差した。
「それが、あなたたちが生き残ってしまったから!私たちの使命は台無しだ!あなたたちは、あの獣を怒らせたんだ!これからアレは無差別に人を襲うようになる!その責任は、あなたたちにあるんだぞ!」
根拠も何もない非難。言い伝えから生まれた都合のいい使命感から、責任を押し付けられる。
あるいは、その使命感は、彼らの心の拠り所だったのかもしれない。どれだけ人を犠牲にしようと、自分たちは獣を鎮める必要があると、言い聞かせ続けてきたのかもしれない。
彼らのしてきたことは許されてはならない。
しかし彼らの境遇を考えれば、この村に生まれたというだけで犠牲を出し続ける役目を負わされた彼らの身の上を思えば、どこかやり切れない思いも感じた。
「あなたたちのせいだ!あなたたちが‥‥‥!」
非難は続く。
「もうよい」
コユキは静かに返した。
そして次の瞬間。
巨大な氷柱が、村長の胸を貫いた。