冷たい激情
妾には兄が居た。
母と、兄と、優しい家族たちが居た。
陽の光も届かないような穴倉で生きていた。
青い空も、緑の森も、黒い土も知らぬまま、四方八方を岩肌に囲まれたなかで過ごしていた。
その狭く小さな世界が、妾の全てだった。
兄は妾をよく撫でてくれた。そして話してくれた。
鮮やかな色に溢れた外の世界と、そこに生きる人々のことを。
それらは全て母からの受け売りに過ぎず、兄自身も外の世界を見たことは無かったという。
だからいつか、一緒に外に出ようと約束したのだ。
まだ見ぬ世界へ思いを馳せる、幸せな暮らしだった。
ああ、兄よ。
今も生きているのだろうか。
それともあのとき既に、死んでしまったのだろうか。
願わくは‥‥‥
* * * * *
痕跡を辿り続け、視線の先には炎のようなものが見え始めた。
間違いない。村だ。
「コユキ」
「ああ、戻ってこれたようだのう」
正直に言えば、現状のことについて整理がついているわけではない。
あの村、生贄、狼、そしてコユキの気がかり。
これらの事柄を部分的につなげることは出来るが、全てを線でつなぐことは出来ていない。
その答えが目の前に迫っている。
気持ちが逸るあまり、踏み出す足が力強く地を踏みしめる。
いよいよだ。
いよいよ‥‥‥
そんな時。
村の外周が氷壁で囲まれた。
隣を見れば、コユキが掌を村の方へ差し向けていた。
「何してんだ‥‥‥?」
いきなりのことに困惑が溢れる。
村の方からも、村人たちのざわめきが聞こえ始めた。突如として表れた氷壁に戸惑っているのだろう。
コユキは毅然と答える。
「逃げられでもしたら面倒だ。こうしておけば話は早い」
怒り。
底知れない憤りが籠った声だった。
それを俺は知っている。
両親を魔物に殺され、復讐を誓った日。
あの時の俺と同じものを、今コユキは感じている。
「行くぞ、アルマ」
彼女はそう言うと、俺の手を掴み跳躍した。
軽々と氷の壁を跳び越えて、村の中へと入る。
俺たちの姿を認めた村人たちは、唖然とした表情を浮かべていた。
「なんで‥‥‥生きているんだ‥‥‥」
村人の一人が、絶望したように嘆く。
気付けば、村人たちは俺たちを囲むようにして集まってきた。
そんな中、コユキが一歩前へ出る。
その小さな背中に、俺は声をかけた。
「コユキ、早まるなよ」
「分かっておる」
本当に分かっているんだろうな。
「おい、この村の長はおるか?」
彼女が言うと、白髪の老人がおずおずと前へ出てきた。
「わ、私が村長です‥‥‥」
「そうか」
コユキは一言言い放つと、右手を振るった。
次の瞬間、尊重を除いた村人たちが氷漬けにされた。
村長の男が悲鳴を上げ、取り乱した。
「おい!何してるコユキ!」
「黙っていろ!」
有無を言わせぬ怒号。
これまで一度として見せたことのない様子に、言葉を失う。
村長も、村人たちが凍らされた動揺をむりやり飲み込んでいた。
この場の支配者は、正真正銘コユキだった。
彼女はじっと村長を見据え、冷たく言い放った。
「さて、村長よ。聞かせてもらおう。あの獣のことを、どれだけの生贄を捧げてきたのかを」