邂逅
人気のない暗闇の中、二つの足音がしんしんと響いていた。
一つは俺のもので、もう一つはコユキのもの。
歩き出した暗い森には月明かりが差し込み、眼前に広がる夜闇を淡く照らしていた。
おかげで足元がそれなりに見えるため、転ぶようなことは無い。
とはいえ、現在地が分からない以上はあてどなく歩き回るほか無かった。
それにしても、夜の森と言うのは不気味だ。
なにより不気味なのは、コユキがずっと押し黙っているということだ。
獣に襲われたというあの二人にあってからというもの、彼女の様子がおかしいことには気づいていたが、一体何を考えているのだろう。
「なあコユキ‥‥‥」
「待て!」
彼女が胸に抱える何事かについて訊こうとしたところを、当の本人に遮られた。
コユキは俺の機先を制すると、咄嗟に走り出した。そして少し離れた場所で立ち止まると、屈み込んだ。
立ち止まった彼女の背中に近づき、問いかけた。
「急にどうしたんだ」
コユキは俺の質問に答えようとはせず、じっと地面を見つめていた。
彼女が地面の何を見ているのか、それは後ろからでは彼女の小さな背中で隠れて見えなかった。
試しに回り込んでみて、俺は驚愕した。
そこには巨大な足跡が残されていた。三叉に分かれた凶悪な爪のようなものが土を抉った痕跡が、俺たちの前を横切って続いていた。
「これは‥‥‥一体何だ‥‥‥」
「獣、だろうな。あの二人が言っていたものの足跡であろう」
彼女の声音には、何か真に迫るものがあった。
「お前、これについて何か知ってるのか?」
訊くと、コユキはゆっくりと顔をこちらに向けた。
神妙な面持ちは普段の彼女からは遠くかけ離れており、そのことが妙な危機感を覚えさせた。
「知っている‥‥‥かもしれぬ。まだ確信は出来ぬが」
意味深に呟くと、コユキは立ち上がり、足跡が向かう方を見つめた。
「この足跡を追うぞ。さすれば、この疑念がはっきりする」
そう言って迷いなく進む背中を、俺は困惑しながら追いかけた。
* * * * *
はたしてどれだけの間歩き続けたか。
暗闇に包まれたこの森の中では正確な時間感覚など、既に薄れていた。
長いこと歩いたような気がするし、そこまで歩いていない気もする。
俺たちは、変わらず獣の足跡に沿って歩き続けていた。
向かう先に何があるのか分からないが、この足跡はひたすら一直線に続いていた。引き返すことも、曲がりくねることも無く、ただ真っすぐに。
コユキが相変わらず沈黙を続け、俺もまた口を利くことは無かった。
訊きたいことはあるが、それは憚られた。今のコユキは集中しているようで、そこに水を向けたところで大した答えは返ってこないように思えたからだ。
そうして二人、粛々と進み続けると、やがて正面には開けた場所が見えた。
そこに出てみると小さな池があった。辺りに光を遮る木々は茂っておらず、照らし出された水面が揺れて光が乱反射していた。
幻想的な光景に目を奪われた俺だったが、コユキはそうでは無かった。
「おいアルマ、見ろ」
その声に目を向ければ、コユキは再び地面を見下ろしていた。
俺も同様に見下ろしてみると、それまで続いていた足跡は池の周りで止まっていた。加えて、小池の周りにいくつもの足跡が散見された。どうやら獣とやらはこの池に良く来ているらしい。
しかし、それは後から分かったことで、地面を見下ろした俺が最初に見たものは悍ましい血痕だった。
血の跡はかなり広範囲に残っていて、そこで起こった悲劇の惨たらしさを雄弁に語っていた。
「この血は、獣に襲われたのか」
「だろうな。恐らく妾たちが遭った二人の仲間のものであろう」
村で聞いた三人目は、この池のほとりで死んでしまったらしい。
しかし、死体が何処にもないことを見るに、誰かに処理されたのだろうか。
違うな。食われたんだ。あれだけ大きな足跡を残す獣なのだから、人間一人くらい余裕で飲み込んでしまえる図体を有しているに違いない。
と、そんな推測を立てていると微かに地面が揺れていることに気が付いた。
それだけじゃない。音も聞こえた。何かが近づいてくる、足音が。
「アルマ!」
コユキの叫びに、俺は素早く飛び退った。
直後、茂みから黒い巨大な影が飛び出してきた。
その影は月明かりに照らされ、ようやく姿を現した。
そこに居たのは獣。巨大で獰猛な狼の姿をした獣だった。