表明
調練十四日目、最終日。その朝の酒場。
初日から漂っていた戦いに対しての不安が、今や宿舎全体を満たしている。酒場で仲間と騒ぎ、その日の疲れを労っていた奴も今となってはそんな余裕も無いらしく、黙々と料理を口に運んでいる。
もちろん、全員が全員不安に気を落としているわけではない。かねてより戦いに飢えていた者たちは、その戦闘本能を沸々と煮え滾らせているに違いない。
そんな中、騎士団に入るためにここに来たというバルゴは不安と気合がせめぎ合っているかのように見えた。
こいつの今回の戦にかける思いは生半可ではないことは、俺も理解しているつもりだ。
だが正直なことを言えば、バルゴも不安に頭を抱えるようになると思っていた。それは別に、バルゴの気持ちを軽んじているのではない。バルゴの、今回の戦にかける思いが大きいゆえに、不必要な心配ばかりすることになると思っていたのだ。
しかしそんなことを思うこと自体が不必要だったらしい。
コユキに関しては、言うまでも無く普通だ。不安も、興奮も無い。ひたすらに目の前に並ぶ料理を口に運んでいる。平常運転だ。
そして、一番不安定なのは俺だった。
この二週間の出来事。帝都の思惑、ソフィアの失踪という二つの事柄は俺の心を波立たせるのに十分過ぎた。
特にソフィアに関しては全くの行方知れずで、痕跡も何もない。二日経った今では死んだのではないか、などという噂もある。
仮に本当にソフィアが死んでいた時のことが頭によぎっては、一日中その思考が頭を占領し続けた。
「アルマ、お前大丈夫か?結団式から帰ってきてからずっと元気ねえよな?」
「そんな調子では足元を救われるぞ」
そんなことは重々承知だったが、それでもダメだった。気づけばソフィアのことが脳裏に浮かび、反芻する。
今日が終われば、あとは戦いに臨むのみ。一日でも早く、戦いに専念しなければ。
「俺は騎士団に入る。そしてエルリアル様と一生添い遂げて見せる!」
「なんだバルゴ、出来の悪い頭がついに壊れたか」
コユキの言う通り、突然なんだというのだろう。
そんな俺を気にせず、バルゴは続けた。
「スキル無しの俺はずっと虐げられてきた。隣の家の奴、すれ違う奴、家族だって俺を下に見てた。俺がスキルを持ってないと知ったら、急に態度変える奴もいたな」
今はもういい思い出、と言わんばかりの優しい声音でバルゴは口にした。
「そんで俺は、俺と似たような境遇の奴とつるんで、好き勝手やってきた。今思えばつまんねえガキのわがままみてえなもんだが、あいつらといるときは本当楽しかったな。そんな時だ。お前と、そしてエルリアル様に会った」
俺が王都に来たあの日ことだろう。
ギルドの前でたまっていたバルゴとその仲間に絡まれた俺は、バルゴたちを返り討ちにした。
そこにエルが現れた。
ほんの一年前のことだというのに、今となってはとても昔のことのように思える。
「エルリアル様は今まであったどんな奴とも違った。俺を蔑むどころか心配してくれた。天使だと思ったね、本気で」
と、バルゴの目が俺を見据えた。
「そんでお前もそうだ。生意気なガキだと思ったけどよ、でもお前は俺と対等に接してくれた。対等に、俺に向かって生意気言ってきた。それに両親も死んでると来た。境遇は全然ちげえが、苦労してるってところでは同じだと思った。そんで、お前には負けたくねえと思った」
「それで騎士団か?」
「おうよ!俺はアルマより強くなって、そんでエルリアル様と一緒になって幸せになるって決めたのよ!・・・でも、俺が騎士団に入りてえのはそれだけじゃねえ」
知っている。
それは仲間のためだ。
これまでずっと子悪党じみたことをやってきた奴が、今度は騎士団に入りたいなんて、とんだ笑い話だ。
しかし、バルゴの仲間はそれを笑わなかった。
それはバルゴの口から既に聞いた話だった。
「ま、それはもうお前らも知ってっか。で、コユキ。お前は何のために戦うんだ?」
話の主導権を握っていたバルゴが、突然コユキに話を振った。
それに、コユキは鼻で笑って見せた。
「妾は、戦の前だというのに他のことに現を抜かしとるこの阿呆を生かすためだ」
そして、バルゴとコユキは俺に視線を向けた。
「お前の番だぞ、アルマ」
バルゴが口にする。
「なあバルゴ。たとえばエルが、お前のこれまでの悪行を許さないって言ったら、お前はエルのことを嫌ったり、死にたいって思ったりするか?」
こいつの話を聞いて、こいつはソフィアと同じなのだと思った。
ならば、俺がソフィアにしたように、エルがバルゴに同じことをしたとなれば、こいつは一体どうするのだろう。
「しないね。どんなことを言われても、俺はエルリアル様が好きだ」
その言葉を聞いて、どこか安心した。
そして考えた。
俺が一体何のためにこの戦いに参加するのか。
そして、俺は口を開いた。
「俺はエルを守るために」
その目的に、帝都の思惑も居なくなったソフィアも介入する余地はない。
ただそれだけのために、俺はここに居る。
「悪い、バルゴ、コユキ。もう大丈夫だ」
「何のことだか分からねえな」
「やはり出来の悪い頭だのう」
「んだと、ガキ」
コユキとバルゴが言い合いを始めた。
陰鬱とした雰囲気漂う酒場の片隅が、少しだけ賑やかになった。
しかし、不安は消えない。
なおも困惑はそこに在り続ける。
だがそれは今じゃなくていい。
今はただ、エルを守る。
それが一番大事だ。