黒髪の王女
何度会おうとしても、それが叶わなかった相手が目の前に居る。
にも関わらず、本題に踏み入ることが出来ない。この期に及んで、俺はソフィアに疑惑を直接ぶつけることに尻込みしているのだ。
しかし無言のままでは何も始まらない。
「本当に久しぶりだな、ソフィア」
そう口にした瞬間、俺たちのすぐ横を馬車が通り過ぎた。
視界の端で、その馬車には王族が乗っていたことが分かった。
「良かったのか?」
「何がでしょう?」
俺の言葉に、彼女は首を傾げた。
「家族と一緒に帰らなくて」
そう続けると、ソフィアは俺の方に向けていた視線を逸らした。彼女の顔に落ちた影のせいか、俺の目には彼女は儚げに映った。
「私たちの関係は、家族と呼ぶにはいびつ過ぎます」
「そうか・・・」
多分、ソフィアは俺の意図が分かっている。彼女の口数の少なさや、その悲しげな声音がそれを感じさせる。
互いが目的を理解しているのに、互いがそれを避けるように会話している。
俺にもっと不躾に踏み込む勇気があれば、と思わず悔やんでしまう。
「『大食館』はもういいのか?」
そしてまた、足踏みをしてしまった。
頭の中に、目的地まで不必要な遠回りをしている自分の姿が浮かんできた。その姿を想像し、惨めだと心の中で呟いた。
「ええ、『大食館』の残党はもう居ません」
「そんなこと、よくわかったな」
「人・・・から聞きましたから」
「人?ユウリのことか?」
俺の質問に、ソフィアは首を横に振った。
「それに、これ以上ユウリ様を傷つけたくは無いですから」
何やら要領を得ない会話だ。
つまりソフィアは、『大食漢』の残党捜索を打ち切った。
理由は残党がいないことを人から聞いたから。そしてユウリを傷つけたくはないから。
なぜユウリが傷つくことになるんだ?
駄目だ。こうしてただ話していては、俺の疑問は解決しない。それどころか増える一方だ。
「すみませんでした、アルマ」
俺が本題に入ろうと意を決したその時、ソフィアは俺に頭を下げた。
「何がだ・・・?」
脈絡のないソフィアの行動に、俺はそう聞き返すほか無かった。
「私なんです」
しかしソフィアは、なおも脈絡のない言葉を口にした。
「だから何・・・」
「あの男を騎士団に、いいえ王都に手招いたのは、私なんです」
あの男。それはつまり俺の偽物のことだ。
王都騎士団に忍び込み、そして団員たちの記憶を改竄した男。
ソフィアはその侵入の手助けをしたと、そう言った。
「なんでだ・・・?」
気の抜けた声が口から漏れ出た。
「出来心だったんです」
「それは・・・復讐か?」
バルゴの話では、ソフィアは妾の子として卑下されてきたという。
彼女が、自分を卑下してきた王都の民衆に、王族である親兄弟に復讐したかったのかもしれない。
王都を滅茶苦茶にすることで満たされようとしていたのかもしれない。
「いいえ。そうですね、恋心といってもいいかもしれません」
しかし返ってきた言葉は、俺の予想とは大きく外れていた。
恋心、などという場違いな言葉に拍子抜けしてしまった。
「アルマ。私はあなたが好きなんです」
ソフィアの顔は変わらず笑顔を浮かべている。まるで貼り付けたような無機質な笑顔を。
「好っ・・・!?いや、それは。でもそれが何で!?」
あまりに突拍子のない告白に、今度は動揺してしまう。
「初めてアルマと会った時、私嬉しかったんです。私を蔑視することなく、対等に接してくれたことが」
「それだけか?」
俺の問いかけにソフィアは深く頷いた。
「それだけで十分でした。でも、そんな貴方の口から出るのはエルリアル様の話ばかりで・・・。すぐに気づきました、アルマはその子が好きなんだって」
ソフィアは俺から視線を外し、空を見上げ、続けた。
「同時に、嫉妬しました。私のことを見てくれないことに」
「そんなことは」
無い、と続けようとした。
しかしその言葉は、再び向けられたソフィアの視線によって止められた。
「それからは考えました。どうやったら私を見てくれるのか、私の思いが報われるのか」
「・・・・・それで記憶を改竄させた。エルが俺を忘れて、俺を突き放すようになれば、俺の目がソフィアに向くと思って」
頷くソフィア。
俺の胸中には、形容しがたい感情が渦巻いていた。
「俺はエルが好きだとか・・・そういうのまだ分からないんだ。今までそんなこと考えてること無かったから。でも、それでも!エルが大事だって言うのは分かる!それを俺から奪って、自分を見てくれるとか・・・」
「そんなわけねえだろうが・・・・・」
俺の言葉を、ソフィアは神妙な面持ちで聞いていた。
「・・・なあ、聞かせてくれ。なんで偽物が記憶を改竄できるなんて知ってた?どうやって連絡を取った?」
頼りない声で、ソフィアに問いかける。
いつの間にか、彼女の顔からは笑みが消えていた。
「神様に教えてもらったんです」
いたって真面目なソフィアから出たのは、冗談のような言葉。
「神?」
「言い訳のように聞こえるけれど、私はその神様にそそのかされたんです」
「何を言って・・・。神って、神都の・・?」
「違います。私の言う神は、悪性の神様です」
悪性の神。善性の神と闘い、敗れたと言われている神のことだ。
つまりデュオクスと対を成す存在だ。
「もうついていけねえよ」
俺はそう言って、理解することを諦めた。
ソフィアの言っていることが本当なのか、それとも狂言なのか。それが俺には分からなかった。
そんな俺に、ソフィアは声をかけた。
「アルマ、私を罰してくれませんか?」
自分のしたことに罰を望む。
傍から見れば殊勝な心掛けだと思うだろう。
しかしそうではない。罪を罰してもらいたいという願いは、清らかな思いからくるものでは無い。
「違うだろ。罰が欲しいんじゃなくて、赦しが欲しいんだろ」
人は罰せられることで罪を清算する。赦されるのだ。
そしてソフィアはそれを望んでいる。
俺の言葉に、図星を突かれたようにしているのがその証拠だ。
「でも、俺はお前を赦さない。お前はその罪悪感を背負って生きるしかないんだ」
「・・・・・残酷なことを言いますね」
「俺もそう思う」
ダグラスの言葉は確かに残酷だ。
だが背負うしかない、生きるしかないのだ。
「俺は行く」
俺は唐突にソフィアに別れを切り出した。
俺は歩き出し、彼女の横を通り過ぎようとした。
「ありがとうございます」
その瞬間、彼女がそう言ったのが聞こえた。
その言葉に返事することなく、歩き続ける。
どうして俺は、ソフィアにダグラスの言葉を教えたのか。
答えは簡単だ。俺がダグラスの言葉に救われたからだ。ソフィアにも救われるチャンスが必要だと、そう思ったからだ。
赦さないと言っておきながら、矛盾している。
だけど俺は知っている。
人はいつだって、自分が一番悲惨なのだ。
大衆が涙する悲劇より、自分の身に起きたちっぽけな悲劇の方が悲しく思えるのだ。
ソフィアにとって、卑下され続けた日々は何にも勝る悲劇に違いない。彼女の恋が実らないこともそうだろう。
それを知っているのならば、この大きく膨れ上がった負の感情の、ほんの切れ端だけでも優しさに変えて、彼女に向けるべきだと思った。
ただそれだけだった。
「くそっ・・・」
吐き捨てた言葉は誰の耳にも入ることなく霧散した。