鍛錬の合間に
「うわっ!」
転倒すると同時に、僅かに上ずった声が漏れ出た。
風魔法の出力を上げ過ぎてしまったせいだ。
「まだ慣れぬのか?」
転んだ状態から起き上がる俺に、コユキが声をかける。
この鍛錬を始めて一週間と三日。それでもまだ転ぶことが多い。一度出力の調整が狂えばすぐに転んでしまう。姿勢を崩さず、かつ十分な速度を維持するには絶妙な魔力コントロールが必要になる。慣れないうちは気を緩めることが許されない。
「一定の速度を超えると、どうにもな。魔力の調整が難しいんだ。体幹の問題もあるだろうけど」
「中々上達せんのう」
それを言われると弱い。
だが、全く上達していないわけではない。最初よりかは上達している。
そんな言い訳じみたことを心の中で呟きながら、立ち上がる。
「よし、コユキ。もう一回だ」
とにかく今は反復して、感覚を体に叩き込まなければならない。迫る戦いのときのために。
「まあ待て。いったん休むとしよう」
「いいや、やる。休んでる暇なんてない」
「休むべきだ。それとも、魔力切れを起こして時間を無駄にする方がいいか?」
そういえば、早朝から始めてすでに昼前だ。今日だけで何十、下手すれば何百と失敗を重ねている。
それに体が怠い気もする。
一度魔力切れを起こしたことがあるが、あの時は約一週間眠っていた。
ここはコユキの言葉に従った方が良いか。
「そうだな。休もう」
「うむ」
俺とコユキは二人並んで、その場に腰を下ろした。
俺たちの頭上に果てしなく広がる青い空は平和そのもので、いずれ大都市間で争いが起こることが嘘のように感じられる。
隣に座るコユキは何も言わず、ただ遠くを眺めている。
「詳細っていつ頃決まるんだろうな」
なんとなくこのまま無言で居るのを避けたかったため、そんなことを聞いた。
「一か月のうちには決まるのでは無いか?」
「王都から帝都まで馬車で三か月だぞ?そんな早く決まるものなのか?」
往復六か月だ。さすがに宣戦布告から半年経って日時決定、なんて悠長なことは無いだろうとは思っていたが、それでも三カ月半くらいは掛かると思うのだが。
「そう言ったものはデュオクスが仲介して決めるのだ。奴が仲立ちすることで遠方であっても会話することが可能なのだ」
電話みたいだな。デュオクスは仮にもこの世の神であろうに、便利な使われ方をされているものだ。
「デュオクスは戦争を止めたりしないのか?止めないにしても神だったらこう、人と人の争いは下らないとか言いそうなもんだけど」
「下らないとは思うが、止められるものでもない」
「デュオクスは何でもできるんだろ?どうにかできそうなもんだけどな」
例えば、戦争という知識を人から消去するとか。そうすれば戦争という最終手段に踏み切ることも無いと思う。
「戦争は止めることは出来ても、無くなりはしない。決して」
「どうして?」
「お前もエルリアルと喧嘩したことがあるだろう?」
「まあ、うん」
両親が死んだあの日、俺とエルは喧嘩した。それまで喧嘩なんかせず、仲良く遊んでいた俺たちだったが、あの時初めて喧嘩したんだ。今となっては懐かしい思い出だ。
「言ってしまえば戦争も喧嘩だ。規模が違うだけでな。それは人間同士の価値観に差異があればこそ起こるのだ。お前は全ての人間が全く同じ価値観で物を考えられると思うのか?」
「無理だな」
ただの雑談のつもりが、道徳の授業みたいになってしまった。
しかし、コユキが真面目な話をするのは珍しいことだからか、聞き入ってしまった。
「それに、デュオクスも全能ではない」
「そうなのか?」
「知らんのか?ふむ、有名な話だったと思ったのだがな。絵本とやらになっていると聞いたが」
絵本?
となれば俺も心当たりがある。
「それってもしかして、『ふたりのかみさま』って題名か?」
「おお、そんな名前だったのう」
幼いころに、母に読んでもらった記憶がある。
しかしあの内容って本当のことだったのか。ならデュオクスは善性の神と言うことになるが、そんなイメージは全く無いな。
「話はこのくらいにして、再開するぞ」
立ち上がったコユキは俺から距離を取りながらそう言った。
俺も立ち上がり、コユキとは逆方向に歩き出そうとした時。
「あっ」
コユキが小さくそんな声を出した。
コユキの方を見ると、転びそうになっていた。
それを見た俺はコユキの傍へ駆け寄った。距離は大体五メートル。急いで駆け寄り、なんとか転ぶ前にコユキを支えることが出来た。
「これならデュオクスが全能じゃない、っていうのも頷けるな」
コユキの言った通り、神は全能ではないらしい。足を絡ませて転びそうになる神を見て、そんなことを思った。
そんな俺の皮肉を込めた言葉に、コユキは何も返してこない。俺に支えられたまま、無言を貫いている。
俺の言葉に怒ったのか?
まさか転びそうになったのは単に足を絡ませたからではなく、どこか怪我をしているからか?コユキには戦闘の度に頼り切りになっていたから、そうであっても不思議はない。
「どうした?どこか痛いのか?」
中々返事が無いコユキにそう問いかけると、コユキはゆっくりと俺に視線を向けて言った。
「今、出来ていたぞ」
そう言われて気が付いた。
今の瞬間、俺は無意識のうちに風魔法を使って高速移動したのだ。それも、今までで一番大きな出力で。
「コユキ!忘れないうちにもう一回だ!感覚を覚えないと!」
「分かっておる!」
この日、俺は風魔法による高速移動を完全に身に着けた。