クルルッカ氷洞はだだっ広い、ディバルバイドの心も。
今回のお話から連載版スタートです。
どうぞ宜しくお願い致します。
「おはよう私のミルフィ」
リゲルは今日もいつも通り、ティリード公爵家までミルドレッドを迎えに行き、優しくエスコートしながら馬車に迎えた。
「おはようリゲル。今日もお迎えに来て下さってどうもありがとう」
「私のミルフィと共にいる為なら、クルルッカ氷洞に毎日迎えに行くのでも構わないさ」
「まぁリゲル、お願いだからお迎えはここに来てね。クルルッカ氷洞に行ってはだめよ」
「了解した」
クルルッカ氷洞は、この世の魔獣全てが生まれると伝えられる場所で、人は近づく事すら出来ず謎に包まれている。
一説には竜の棲家ではないかとも言われており、畏怖の地として人々に知られる地下洞窟であった。
ちなみにだが、リゲルは自身の操る探魔法でクルルッカ氷洞がただ無駄に広いだけの、つまらない洞窟だと知っている。
確かに寒さに強い氷属性の魔獣の幾つかは棲みついているが、それだけだ。全ての魔獣が生まれもしないし、竜もいない。
ただ非常に遠く険しく、普通の人は行くのが大変、というだけの場所である。
リゲルは幼い時からそれを知っていた、でも言わない。
そんな事をしたら学者達がリゲルの元に押し寄せてくるだろうし、面倒な気配しかしない。
それにリゲルが独自の探魔法を作り出したのは、いつ何時でもミルドレッドを守りたいから、安全でいて欲しいから。
ただその為だけの術なのだ。
ミルドレッドが穏やかに健やかに毎日を過ごせれば、リゲルにとってその他の事は、人より少しどうでもいいのだった。
「私の研究室にチルチル草達がいるでしょう?その中にリゲルとお話ししてみたいと言う子がいるのよ」
「私と?面倒な」
「ふふふ、リゲルったら。でも凄い事なのよ、あの子達、育て主以外にあまり興味を持たない種族だから」
「ならばミルフィには興味深々という事か、どうしてくれよう」
「私の事は慕ってくれているみたい、嬉しいわ」
どうやって一掃してやろうかと考え始めていたリゲルだったが、ミルドレッドが嬉しそうなのを見て、ぐぬぬと唸りながら何とかこらえた。
(おのれチルチル草。私のミルフィに取り入るとは言語道断。ミルフィの愛情はすべからく余す事なく私のもの。邪魔だてするなら容赦はしないぞ食材どもめ!!)
チルチル草は野菜とは違うので食用はしない。
「1番古くからいる子なのだけど、この間あなたと探魔法について話したって言ってたわ。魔力量に感心していたわよ」
「ああ、そう言えばそんな会話をしたね」
先日ミルドレッドを探す為探魔法を使った時の事だろう。
あのチルチル草は気持ち悪いと言ったが、魔法とは、人によって量も使える魔術も違う。
リゲルにとってはただそれだけの事なので、特に感想もない。
(それよりもあの薄ぼんやりとしたチルチル草め、私が狭量でミルフィに嫌われるなどと。馬鹿な、戯れ言も過ぎると己の命を危険に晒すという事を、あの愚かなチルチル草は知るべきだな)
リゲルは先日チルチル草に言われた事をまだ根に持っていた、多分一生持つ。
「私、今新しい薬草茶の調合を試しているの。美味しく出来たら、午後のお茶の時間に誘うから是非飲みに来てくれると嬉しいわ」
「何よりも優先して駆けつけよう」
「ふふ、楽しみだわ」
こうして今朝もまたミルドレッドは楽しそうに笑い、リゲルは様々考えつつも、ミルドレッドと共に過ごせる幸せを噛み締めながら、馬車は2人を乗せて研究所に向かうのだった。
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(今すぐミルフィに会いたい)
現在、リゲルは非常にやる気なく、心底面倒臭く思いながら王宮内の王太子執務室に向かっていた。
リゲルが所長を務め、ミルドレッドが研究者として働いてる王立総合研究所は、その名の通り国の機関である為、
ミルドレッドの今回の星のカケラ抽出成功という大変喜ばしい研究成果は、所長であるリゲルから研究総監である王太子に、一応伝書魔紙で飛ばしておいた。
すると仔細報告するようにとの伝書魔紙が、王太子から折り返しリゲルの元に届いたのだった。
(今日は早めに仕事を終わらせてミルフィの研究を手伝いつつ、心ゆくまで頑張るミルフィを堪能、もとい応援するつもりであったのに。ああ、真剣に実験に取り組むミルフィの横顔を眺めながら結婚はいつにするかい?と聞けば、今から教会に行きましょう!と言われる可能性はピレグラ山より高かったかも知れないのに。ディバルバイドの奴、許さんぞ)
時折すれ違う王宮内に勤める事務官だったり行儀見習いの貴族子女達は、リゲルに気付くと皆さりげなく目で追い、一様に頬を染めた。
艶のある黒髪を鬱陶しそうにかきあげる仕草も、ピクリとも動かない人形の様に端正な顔も、長い脚で颯爽と歩く姿も全てが美しく、“ああ、私がティリード公爵令嬢だったら微笑みかけて貰えるのに”と、皆ため息をついた。
当の本人は最短時間でミルドレッドの元に向かう方法を考えながら、だいぶ覇気なく歩いていただけだったのだが。
そうしてリゲルは王太子執務室に到着した。
入り口の両脇に立つ護衛騎士に扉を開けてもらい中に入ると、既に人払いしたらしい室内で、この国の王太子、ディバルバイド・トルティモアが書類からリゲルに視線を移した。
「来たかリゲル」
「私のミルフィが星のカケラの安定抽出に成功した。讃えろ、以上だ。」
「その報告で帰れると思うなよ」
「解せん」
「こちらのセリフだな」
既に回れ右して扉に手をかけていたリゲル。
呼び止めたディバルバイドに振り返りながら、何故と言いたげに眉を寄せた。
「おい待て扉を開けるな戻れ、そうだ、閉めろ。
お前とて分かっているから最高機密として報告してきたのだろう、リゲル。…これが世に漏れたら、世界は大変な事になる」
リゲルは扉を名残惜しそうに見つめていたが、諦めてディバルバイドに向き合った。
「リゲル、それで、お前はもう飲んだのか」
「飲んだ。私のミルフィも」
「なんと。大丈夫か?どこか不調は?本当に傷を負わないのか」
「私のミルフィが安全だと証明した物で不具合が出るはずないだろう。色々自分にやってみたが、本当に一切傷はつかないな」
「効果はどれ程続く?」
「それについては不確定だな。
飲み込むと腸内で吸収されるのではなく、全て胃から体内へ染み出していき、頭から爪先まで満遍なく広がるらしい。星喰いスライムミミズと変わらないなら、年単位で効果が持続する可能性もあると私の優秀で可憐で美しく優しいミルフィは言っていた」
「恐ろしい程だな…。さてどうするか」
今回のミルドレッドの星のカケラについての研究成果、
星鳴き草から安定的な抽出方法を確立し、人間が飲用すれば見た目も皮膚の質感も変えず、けれでもどんな傷をも負わなくなる効果、これは世紀の大発見であると同時に、軍事利用されれば大変な事態を引き起こす可能性も孕んでいた。
敵と相対した騎士がどんなに重い剣を振るおうと、魔術士が鋭い魔法を繰り出そうと、ペン先ほどの傷も受けない人間が誕生する事になる。
街の荒くれ者達がこの星のカケラの効果を得れば、市民の生活は間違いなく崩壊するだろう。
「ミルドレッド嬢は長い間星鳴き草からのカケラ抽出を研究していたそうだな。そもそもだ、易々とどんな実験も成功させていくお前なら、もっと早くに星のカケラの抽出に成功していただろうに。」
ディバルバイドの言葉にピクリと眉を動かしたリゲルは、思いきり蔑んだまなこを向け、フッと鼻を鳴らした。
「お前は愚かな男だなディバルバイド。
ミルフィが発見し真剣に取り組んでいる研究題目に私が手出しなど、神の懐に手を突っ込み愚弄すると同義だぞ。
そもそも私は星鳴き草や星喰いスライムミミズに注目する事も、
星のカケラの可能性にも気付かなかった。全てはミルフィの至高の叡智があったからこその成功だ。敬え、今だけは私のミルフィを褒め称える栄誉を許してやろう」
「お前の許しなどいらぬ。王太子に向かって何という態度と物言いだ。ミルドレッド嬢も厄介な男につかまったものよ」
ディバルバイドは不敬が過ぎるリゲルの物言いに呆れつつ、少し口の端を上げた。
「全くお前と言う男は。少しは私を敬おうと言う心づもりはないのか」
「“友として話そう、私達の間に不敬は存在しない”と言ったのはお前だろうディバルバイド」
「親しき仲の礼儀は何処に置いてきたんだ」
「公の場では敬ってるだろう」
「言葉遣いだけではないか」
リゲルは、ディバルバイドの学友、ひいてはその後の側近候補として、リゲル7歳、2つ上のディバルバイド9歳の時から事あるごとに引き合わされた。
そうやって過ごす中で気心が知れ、一般的な関係で言うなら幼馴染のように過ごしてきた。
ディバルバイドは賢王と名高い父と同じく、王の器を存分に継承する男で、次代もこの国は安泰だと国民の人気も高かった。
非常に真面目な性質で頭も良く、剣術も魔術の腕も申し分ない良く出来た王太子であった。
リゲルの不敬も友なら普通の事、と大らかに受け止めた結果、
元々王族を敬う気持ちがほんのすこし人より少ないリゲルはとどまる事を知らず、王族とその臣下とは思えない程対等に話すようになっていった。
この頃には既にミルドレッド以外どうでも良く、周りの者とは表面の付き合いしかしないリゲルに、だがここまで裏心なく話せる人間がいると言う事は、とても貴重で幸せな事であった。
それは王太子として、周りは全て下臣であるディバルバイドの抱える孤独にあっても同じ事で、
なんだかんだ、お互いを信頼し心を許した良い関係の2人であった。
「まあ良い。話を本題に戻そう。
公には出来ないが、内々にミルドレッド嬢の功績に褒賞はもちろん与える。
まず決めなくてはならないのは、どこまで、どの範囲で、星のカケラを使用するかと言う事だ」
「ミルフィは私の為に、私の為だけに星のカケラを取り出す実験を続けて成功したんだ。多分他の人間なんてどうでも良いのだと思う」
「そんな訳あるか、お前じゃないんだぞ」
少し嬉しそうにとんでもない事を言うリゲルを、ディバルバイドは一喝する。
「今後私のミルフィは、毒や精神魔術を使う魔獣から私を守れる物質を、新しい研究で見つけ出すと意気込んでいる」
「彼女は絶対兵器か何か作る気か」
心なしか顔色の悪くなったディバルバイドに、リゲルは帰りたいという態度を隠さずに、けれどキリリとしてこう言った。
「とりあえずの所はここまでで話しを止めておいた方が良いだろうな。各々の研究課題は、基本他者には秘匿しておくという決まりが役にたったな。知っているのは私とミルフィ、研究室にいたチルチル草と夢喰い獏各1、そしてお前だけだ。国王陛下にお伝えするかどうかはお前に任せる、ディバルバイド」
「お前面倒で私に丸投げするつもりだな」
「王太子殿下が総監であられますので、私は殿下の決定に従うまでにございます」
「鳥肌が立ったぞ、やめろ」
「敬えだのやめろだの落ち着きのない男だなディバルバイドは」
「流石の私も若干苛立ちを感じてきたな」
「それと、まぁそうだな、お前は王太子だディバルバイド。
何も気にせず、泰然と構えておけ。何かあれば私の全力で全て叩き潰してやる。王族もこの国も私が守る、心配には及ばん」
「リゲル…」
力強い友の言葉に、じんと胸を熱くするディバルバイド。
「ミルフィの安寧の為些末な事は気にせず、せいぜい王族として励めよ」
「私の感動を返せリゲル」
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誤字報告下さった方、大変助かりました、
どうもありがとうございます、感謝です。