唯一で最愛
同い年のリゲルとミルドレッドが初めて会ったのは6歳の春、
ミルドレッドのティリード公爵家で日中に開かれたパーティでの事だった。
昼間のパーティだったので多くの貴族はこども達を連れてきていた。
この時既に見目の美しさ、神童と囁かれる程の明晰な頭脳と魔力、加えて公爵子息という地位もあるリゲルに、同世代は勿論、歳が上のこども達も皆恭しく、時に媚びを売る様に接した。
リゲルはうんざりしていた。誰も彼も皆同じに見える。王宮では王族さえもリゲルの機嫌を伺うように接してくる。
僕はこのまま大人になるのか。
こうやって、「公爵家のリゲル・ガルガイア」の人生を生きなくてはいけないのか。
6歳のリゲルは、それが何かは分からないが既に何かを諦めていた。
それなのにしつこく纏わりついてくる周りのこども達に嫌気がさし、目くらましの魔法を使いパーティ会場を抜け出した。
目くらましの魔法は見え難くなるだけではなく、術者本人に対する周りの意識も遠ざける事が出来るので、しばらく気づかれる事はないだろう。
そのままリゲルはティリード公爵家の広大な庭の奥へ奥へと進んでいった。
(このまま気付かれそうになるまで1人でゆっくりしよう。)
そう思っていたリゲルだが、
「あら、ごきげんよう」
誰もいないと思った庭の奥、大きな木で出来た木陰に1人の少女が座っていて、こちらを見てにっこりと笑った。
「あなた、ガルガイア公爵家のリゲル様かしら?貴族年鑑で見たお顔は今より少し前の物ね。
私はミルドレッド・ティリードよ、我が家のパーティへようこそ」
リゲルが何も言う前から少女は楽しそうに喋り出した。そういえばパーティでは見かけなかったが、ティリード家には自分と同じ歳の令嬢がいたはずだと思い出す。
(しかも何と言った?あんなに分厚い大人用の貴族年鑑をこの少女は既に読んでいる…?)
「私のお父様が主催のパーティなのに出席しなくてごめんなさい。でもどうしても今はこの本を読みたかったの。お母様とお兄様は呆れてらしたけど、お父様はそれで良いって。ほら、これよ、あなたも一緒に読む?」
「…ああ 。」
1人でいたいと思っていたのに、リゲルは彼女の隣に座り込んだ。
「これは図鑑よ。お花や薬草だけでなく、今分かっているだけ全部の魔草も載っているの。面白いのよ、草によっては誰かの怪我を治したり、攻撃魔法の様にボムとして使えたりするの。ねぇあなたもワクワクしない?」
「…僕は魔力が多くて、ある程度の魔法なら使えるんだ。
でも、そうだね、こんな小さな草で色々な事が出来るなら、それはとても興味深いと思う。」
「でしょう!?とても素敵よね!私、この図鑑を全て覚えるつもりよ、もう半分は覚えたわ。それが出来たら、次は風の魔法が使えるようになりたいの。私、魔法が余り得意ではないのよ。でも草から成分を取り出すには、風の魔法で一度ギュッと固めるのが良いのですって。水や氷の魔法はダメよ、混ざってしまうから。
私、何度やっても上手く風を操れないの。お父様は魔力量は問題ないよって仰るのだけど」
「それなら、王立研究所のラミーダ所長が書かれた“風の扱いについて”という本を読むのが良いかもしれない。初級から上級まであらゆる風の魔法について詳しく書いてある。この本は特典付きで、ラミーダ所長自ら教えてくれる風の魔法講座の映像魔術が繰り返し見られるんだ。あれは僕も為になった」
「まぁ素晴らしいわ!教えてくれてどうもありがとう!この図鑑を全部覚えたらすぐに王立図書館に行ってみるわね、楽しみだわ!
リゲル様はもう全部読んだのね?風の魔法も使える?」
「ああ、元々1人でも使えたけれど、上級魔法の種類や特典映像は知らない事も多かったからとても勉強になった。色々読んだけれど、風の魔法の本はこれが特に優れているし分かりやすいと思うよ」
いつの間にか沢山話していた。家族以外とこんなに話したのは初めてかも知れない。
いつもは質問攻めにされたり、一方的に褒め称えられたりするばかりだった。
「まぁ、リゲル様。あなた、とても努力されているのね。元々の魔力が多くたって、上手く使えるかどうかは本人次第だもの。色々な本を読んで、より多くを身につけようとしているのも素晴らしいわ。私も見習わなくては。良い事を沢山教えてくれてどうもありがとう」
隣で握りこぶしを作り、キラキラした瞳でこちらを見つめる少女に、リゲルは何だか胸がいっぱいになる様な気持ちがした。
(なんだろう、嬉しくて、楽しい気分だ)
「あら!そうだわ!私本当はお部屋にいる事になっていたんだわ!リゲル様に会ってすっかり忘れてた」
「部屋に?」
「ええ、パーティには出なくて良いけれど、普段着でお客様に会ってしまってはいけないからお部屋で読みなさいねって。でもとても良い天気でしょう?庭の草も見たいし、こっそり抜け出してきたの」
「なるほど、だから庭とはいえ、お付きの人も護衛もいないんだね」
「ええそうなの。だからリゲル様、内緒にしていてね」
「ふふ、わかったよ」
その時だった。
近くの茂みからがさりと大きな音がしたかと思うと、よだれを垂らし低い唸り声をあげながら、肉食魔獣の一角ウサギが近づいてきた。
咄嗟にミルドレッドを背に隠し立ち上がったリゲルだったが、
魔獣を見たのも初めての事で、内心は大きく動揺していた。
(これは一角ウサギか?最近数が増えていると警報が出されていたが、よもや公爵邸に入り込む程とは。どうしたらいい!?落ち着け、考えるんだ。僕達がここにいる事は誰も知らない、走って逃げても追いつかれるだろう。落ち着け、落ち着け、…僕の攻撃魔法で倒せるだろうか…?)
ちらりと背後のミルドレッドに目をやると、彼女は目を見開いたまま真っ青になって固まっていた。
(僕は公爵子息だ。弱い者を守る義務がある。落ち着け、大丈夫だ、氷の刃で首と腹を狙うんだ、くそっっ震えるな僕の手!!落ち着け!落ち着け!)
リゲルは非常に聡明で力も強い。ただ、まだたったの6歳だった。初めて対峙した自分とほぼ同じ大きさの魔獣を前に、恐怖で身体が震えていた。
刹那、脅威的なジャンプ力でこちらに襲いかかってきた一角ウサギに、リゲルは自分を叱咤しながらも足を震わせ、それでも無我夢中で連続して氷の魔法を放った。
気が付くと、リゲルの魔法を何本も身に受けた一角ウサギは地に倒れ、そのままサラサラと消えていき、最後に小さな魔核が残された。
リゲルは大きく息を吐いた。どうやら呼吸をするのも忘れていたらしい。
(倒した…倒せたぞ…)
そしてハッと後ろを振り返ると、ミルドレッドに声をかけた。
「ミルドレッド嬢、恐ろしいものを見せてしまってすまない。
どこもケガはないだろうか?」
リゲルはミルドレッドに向かって右手を差し出したが、その手は小刻みに震えていた。
それに気付いたリゲルは恥ずかしさの余りお行儀悪くチッと舌を打ち、震えを止めようとぎゅうと手に力を入れてみたが、それは止まるどころか、足も、もしかしたら心臓までも震えているかも知れないとリゲルに改めて気付かせただけだった。
(ああ、僕は何て格好悪いんだ。大人の喋り方を真似て、知っている知識に感謝されたって、魔獣1匹倒すのに必死で、彼女の前で無様に震えるしか出来ないんだ)
どうしてか、今迄誰にも見せた事のない自分の弱い部分を、よりによって目の前の少女に見られてしまった事が、リゲルはとても辛かった。
「リゲル様」
ミルドレッドの顔は青く、彼女もまた震えていたが、リゲルの名を呼び、そして差し出されたままだったリゲルの右手を、両手で優しく包み込んだ。
びくりと肩を揺らしたリゲルだったが、落としていた視線をミルドレッドに向けた。
「私はリゲル様が守って下さったので大丈夫、本当にどうもありがとう。それよりリゲル様は大丈夫?魔獣の角があなたにとても近付いた様に見えたわ」
「…あぁ、ああ問題ない。少しかすったけれど傷にもなっていない」
「それならホッとしたわ。…私、怖くて頭が真っ白になってしまって、何も出来なくて…本当に本当にごめんなさい」
「いいや、魔獣なんて見るのも初めてだろう、恐ろしくて当たり前だよ。君にケガが無くてよかった。…頼りなくてすまない。はは、たかがウサギの魔獣1匹にブルブル震えるなんて、僕はとても格好悪い男だな」
「そんな事あるわけないわ!」
自嘲するリゲルの言葉を打ち消す様に、ミルドレッドは少し大きな声を出した。
「リゲル様はとても勇敢な方だわ。
私、突然の事で恐ろしくてどうしたら良いかも分からなくて、身体が固まってしまったみたいだった。あなたは一瞬で私の前に立って、私を守ってくれたわ。…あなたの足が震えているのが見えたの。だから私もあなたを守らなきゃって思ったのに、怖くて動く事も出来なかった。なのにあなたは一歩も引かず、あんなに恐ろしい魔獣を倒してくれた。
わたし…私、あなた程勇気があって格好良い人を見た事が無いわ。
あなたに心からの尊敬と感謝を。守って下さって本当にどうもありがとう。」
ミルドレッドは菫色の瞳から真珠のような涙をぽろぽろこぼしながら、一生懸命にリゲルに話しかけた。
リゲルは、ミルドレッドの言葉を聞いたリゲルは、身体中にこびり付いていた何かずっしりと重いものがボロボロと剥がれ落ちていく様な感覚にとらわれ、一粒だけ涙をこぼした。
ああ、僕はずっと不安だったんだ、とリゲルは思った。
誰よりも優れた資質を持って生を受けたリゲル。
誰もが彼に期待し、期待し、期待し続けた。
リゲルの容姿は褒め称えられ、リゲルが話せば誰もがうなずき、今度はどんな凄い魔術を習得したのかと興味を隠さない。
知も美も全てが至高。流石公爵子息、流石建国以来の魔力量の持ち主。
皆がリゲルの身体にベタベタと、勝手な期待や羨望や嫉妬を貼り付けていった。
リゲル自身もいつの間にか、そうあるべきで、そうでなくてはいけないと、自分を律しながら背負っていくのが当たり前になっていた。
そして、恐れや恐怖は誰にも見せてはいけないと、いつも気を張っていた。
内に抱える不安に、もはや己で気付く事も出来ないほどに。
だが今日ミルドレッドと出会えた事で、リゲルは救われた。
本当はずっと、ただのリゲルに気付いて欲しかった。
ミルドレッドは公爵子息でも国1番の魔力量を持つ人間でもなく、リゲル自身を見つけてくれた。
リゲルに、何も知らないこどもであっても気にしないかのように図鑑の内容を教えてくれたのも楽しかったし、知っている本について話せばキラキラしながら喜んでくれたのも、リゲルなら当たり前だろうと思われていた数多くこなしてきた読書に感心して褒めてくれたのも嬉しかった。
そして
勇敢であると。足が震えても立ち向かったリゲルの勇気を讃えてくれた。
本当はとても怖かったのだ。でも怖くてもいいんだと、彼女が教えてくれた。
ミルドレッドはリゲルを守れなくてごめんなさいと詫びたが、彼女こそがリゲルを救ってくれたのだった。
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